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絶対零度の癇癪

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「私は自然が一杯で良いところだと思ってます。都会の喧騒に慣れた方には田舎だと感じられるかもしれませんが住んでみると人との触れ合いが温かい良いところですよ」

 ニッコリ笑って答えると、二人は曖昧に愛想笑いをする。
 私の答えが二人が聞きたいことではなくて、ずれているのは分かってる。
 彼らは正武家がこの五村でどういう立場なのかを知りたいんだろうけど、簡潔に地主ですって言ってもどうしてこんな広大な土地をって聞かれるだろうし、もう面倒臭い。
 澄彦さんや玉彦が早々に退席したのはきっとこういう相手をするのが面倒だったからだ。
 私も次からはさっさと退席しようと思った。

「それで奥さんは」

「比和子様。お客人のお相手お疲れ様でございました。あとはこの松と梅がお引き受けいたします」

 橋本さんがさらに私に質問を重ねようと口を開くと、当主の間の襖が開いて松・梅コンビが現れた。
 小柄な二人の後ろには黒いスーツ姿の神経質そうな壮年の男性が立っている。
 行永さんのような愛嬌のある黒縁眼鏡ではなく、縁なしのレンズが冷たい印象を与える。
 髪もオールバックで固めていて、よくドラマで見るような警察のお偉いさんそのものだった。

「わかりました。ではあとは宜しくお願いします。橋本さん、行永さん。お役に立てるお話が出来なくてすみませんでした。失礼いたします」

 私は二人に丁寧に言葉を残して、深く頭を下げる。
 そして出来るだけ慌てずにその場を後にする。
 本当は駆け出してさっさと帰りたかったけど、一応奥さんだし。
 松梅コンビに軽く頭を下げて、その後ろの人にも会釈をする。
 彼は私をじっと見た後に、通り過ぎる私の手首を掴んだ。
 突然のことで私は思わず腕を振り払ってしまった。

「なにか、御用ですか」

「すみません。貴女は上守光一朗くんの」

「娘です。父のお知り合いですか」

 それにしてはちょっと年上のような気がする。
 でもお父さんをくん付けで呼ぶってことは、知り合いなんだろう。

「え、えぇ。大学の同窓でした。……そうか。そういう繋がりか……正武家め。面倒な絡繰りをしやがって」

「あの……?」

「失礼しました。私、浅田と申します。この度はうちの者が正武家さんに大変なご迷惑をおかけしました」

 浅田さんは当主の間へ入らずに廊下に立ち竦んだ私に頭を下げた。
 澄彦さんが言っていた警察の偉い人にそういうことをされて、私も慌てて礼をする。

「あの、私はそんな、あの……」

 そんな偉い人に頭を下げられるような人間ではない。

「この度の件についてこちらはいつも通りの処理をすると、御当主にお伝え願えますか。私たちは五村に無用な介入は控えます」

「はい……」

「保護した人間たちはこちらで引き受けますので、どうか大事にはしないで頂きたい」

「わかりました。そう当主に伝えます」

「助かります。……今後は貴女が窓口でしょうか?」

 窓口ってまた警察沙汰になったら私が対応するのかってことだろうけど、無理だ。
 私に警察を言い包められるほどの話術はない。
 それに何の決定権も持たない私では役には立たない。

「比和子様はそのような雑事は致しませぬ。世俗のことからは離れていただいておりますゆえ。浅田殿。無礼も大概にされませ。貴方とてご存知でしょう。正武家の奥方様は当主次代様の為だけに在られる」

 松さんがそう言うと、浅田さんは眉根を寄せたけどそれ以上は何も言わずに当主の間へと歩を進めた。
 浅田さんはこの五村の出身なのだろうか。
 正武家についての知識は中の二人よりも持っているように感じた。
 私は松梅コンビが襖を閉めるのを見届けて、部屋へと戻る。

 離れを出て外廊下を渡り、母屋へ到着。
 台所を覗くと須藤くんと竜輝くんが朝餉の準備をしていた。
 二人に声を掛けてから玉彦の待つ部屋の襖を開けると、雨戸が閉められ室内は薄暗い。
 部屋を出る前には二人でさぁこれから久しぶりにっていい感じだったのに、すっかり水を差されて玉彦はふて寝を決め込んだようだ。
 私もそうしたい気持ちが大半だったけど、どうしても聞きたいことがあって玉彦の肩を揺さぶった。

 亜由美ちゃんの家を襲撃したのは、清藤の残党なのだろう。
 澄彦さんや玉彦が動いたのは、それ以外の何かがいたからなのだろう。
 でもそんな彼らが先日の三人も含めて記憶を無くすというのがわからない。
 記憶を無くすというのが粛清なのだろうか。

「玉彦。寝るの? 聞きたいことあるんだけど」

「……後で聞く」

「……わかった。起きたらお話しようね」

「……比和子さん」

「え?」

 こちらに背を向けながら会話をしている玉彦が、いきなり奇妙な呼び方をした。
 まるで私が引き籠った世界の中に現れた玉彦のようで。
 あの時は上守さん、正武家さんと呼び合っていた。

「な、何でしょう。玉彦さん」

「……もう朝ですが。大変申し訳ないのですが。どうしてもダメでしょうか」

「何がですか」

「先ほどの続きを所望します」

 思わず私は笑ってしまった。
 多分玉彦はどうしてもそうしたくて、私にお願いをしようと考えたのだろうけど普段の話し方だと偉そうに聞こえるのが解っているから、普段使わない敬語で下手に出たのだろう。

「良いですよ。でも朝餉までそんなに時間がありませんよ?」

 私も馬鹿みたいに玉彦の流れに乗ってみる。

「少し、そのままでお待ちください。邪魔者が入らぬように牽制してきます」

「げっ。ちょっと、待っ……!」

 玉彦はそう言い残して素早く部屋から出て行き、すぐに戻ってきた。
 コイツ……。台所でなんて言って来たんだろう。
 後ろ手に襖を閉めた玉彦はそのまま私を押し倒して首筋に顔を埋めて深呼吸をした。

「比和子の香りがする。します」

「もう、その言葉やめない?」

 彼の柔らかな髪を撫でると、首を横に振った。

「このたびは久しぶりの為、一つ一つを丁寧にせねば自分を制御できません」

「……わかりました」

 玉彦がそうしたいと言うなら、そうするけど。
 私はいつものあの感じでも、私って玉彦のものだなーって安心できるから好きだけど。

「では、よろしくお願いします」

「ねぇ、やっぱり……」

 私の次の言葉を塞ぐ玉彦の口づけは身体を蕩けさせ、初めて石段でした時の様に私は左手を強く握った。

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