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番外編 鈴木和夫のお話

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「いつも玉彦がお世話になっております」 

 そう言ってニコリと笑った婚約者ちゃん、上守比和子ちゃん。 

 本日婆さんとしか女性と会話していなかったオレは、晩ご飯の席で彼女に微笑まれそれだけで満足した。 
 いや、婆さんは女性じゃない。 
 本日初めて会話した女性は比和子ちゃんだということにしておこう。そうしよう。 

「世話になどなっておらぬ。寧ろ毎回こちらが世話をしてやっている」 

 空気を読まない玉様が晩ご飯のお膳に箸を伸ばし呟く。 

「お世話してるだろー。あんなことやこんなこととか」 

「誤解を招くような事は言うな。毎回月末になると夕飯をせびりに来ているではないか」 

 オレのような勉学に勤しみ、バイトに励んでいる大学生が多い中、玉様三人は優雅に学生生活を送っている。 
 親の仕送りを切り詰めてどうにかやっている訳ではなさそうで、米びつを覗けばいつも満タンだし、冷蔵庫には作り置きの惣菜やジュース、酒も整然と並んでいた。 
 着ている洋服もいつもキレイでくたびれていないし、清潔感が溢れている。 
 髪もサラッサラだし。 
 そこら辺の実家通いの奴らよりも良い生活をしていた。 
 だから月末の給料日前に一週間くらいオレが通っても良いと思う。 
 須藤だってオレを実験台にして新作の料理に挑戦しているからお互い様のはずだ。 

「須藤に協力要請されてるんだよ。そっちこそ誤解を招くような事は言わないでくれたまえ」 

「あぁ言えばこう言う」 

 玉様と実りがない言い合いをしてると、彼女が小さく笑った。 
 奥ゆかしい感じで好感度がある。 
 須田の気の強い超絶美人彼女よりも全然良いぞ! 

「仲良しのお友達が出来て安心したわ」 

「友ではない。……食い逃げ泥棒だ」 

「だったら一緒に帰って来ないでしょう?」 

「勝手に乗り込んできたのだ。時間が無く追い出す暇が無かった」 

「でも二日酔いで可哀想だからギリギリまで起きるのを待っていてあげたのでしょう?」 

「……後悔している」 

「ふふふ。何だかんだ言って優しいのよ」 

 彼女に言い包められて玉様は不貞腐れたようだが何故か口元は笑っている。 

 ……ドMだ。  

 彼女はなおも箸を持った右手で口元を隠し笑っていた。 
 しかしその右手にはあるべきはずのものが無かった。 
 オレの姉貴が婚約した時にこれ見よがしに右手に嵌めたそれを見せびらかしていた。 

「玉様と婚約してるんだよね?」 

「え? はい」 

 突然会話が変わって彼女はきょとんとしたけど、すぐに幸せそうにはにかんだ。 
 そしてオレは玉様を見る。 

「婚約してんのに婚約指輪ってしてないの?」 

「……婚約……指輪?」 

「ダイヤのキラキラしたやつだよ。結婚指輪は石がないヤツだろ。姉貴が言ってた。玉様の家、金持ちっぽいから代々受け継がれる指輪とかあんの? もしかして貴重品過ぎて普段は持ち出し厳禁?」 

 御門森が玉様の家は村の名士だっていうくらいだから、それはそれは大層なモノが飛び出してくるんだろうとオレは思っていたが、事態は予想外の方向へと発展してしまう。 
 彼女は曖昧に笑って右の薬指を摩り、玉彦はそういうの疎いから気にしてないの、って。 
 でも玉様は彼女の言葉に目を見開いた。 

「婚約指輪とはいつ贈るものなのだ!? 結納の時ではないのか!?」 

「今どき結納とかあんの? つーか普通に考えてプロポーズする時だろ。いつ婚約したんだよ」 

「……高二の夏。……本来ならば願可の儀の時に贈るべきだったのか……」 

 呆然とする玉様の様子にオレも呆然となった。 指輪云々よりも高二で婚約ってどういう状況だよ! 
 なんだよ、ふざけんなよ。 
 どんだけ恵まれてんだよ。 
 どこの世界の話だよ。 
 玉様は彼女に向き直り、その右手を握り締めた。 

「すまない、比和子。すぐにでも用意する。来週の帰省時には必ず」 

「え、いいよ。鈴あるし」 

「それは俺が贈ったものではないだろう。どのようなものが好みだ」 

「いや、ほんといいってば。け、結婚指輪の時に奮発してくれたらそれで良いよ」 

「それよりも指輪のサイズ、玉様知ってんの?」 

 横やりを入れれば玉様はオレを振り返り、首を傾げる。 
 どうやら知らないらしい。 
 それから彼女に尋問のようにあれこれと質問を繰り返していた。 
 恐らくこの調子だといらないと言われても婚約指輪は用意するつもりだろうことがわかった。 
 とりあえずオレを今回連れて帰省したことの後悔は無くなっただろう。 
 逆に感謝することになるんじゃないのか、これ。 

 ぐふふと笑って、オレは明日の朝食は寿司かもしれないと妄想をした。  

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