私と玉彦の暗闇の惨禍、或いは讃歌

清水 律

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番外編 緑林と次代様のお話

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「この度は次代が大変なご迷惑をお掛けいたしまして、申し訳ございません」 

 私の部屋で拭き掃除を終えた男の子はそう言って、私に頭を下げた。 
 随分と姿勢正しいな、とその背中を眺めていると、居住まいを正した男の子と視線が合った。 
 目が切れ長で印象の薄い顔立ちだ。 
 でも何度か彼を見たことがある。 
 村の祭りや役場の式典、そして正武家様のお屋敷で。 

「御門森南天《みかどもりなんてん》と申します。先日正式に正武家にて稀人《まれびと》となりました」 

「稀人、様……」 

 稀人様とは五村切ってのエリート。 
 五村に君臨するのが正武家様なら、彼ら稀人はその意向を村民に伝える橋渡し。 
 古くから鈴白村にある御門森家がその役を担い、右に出る者はいない。 
 時々何を思い違いしたのか、我こそが稀人になると意気揚々に立候補する人間もいるけれど、 稀人様の任を拝命したと聞いたことは無い。 
 そんなエリートの稀人様が何故私のところにと考えても、理由は一つしかない。 
 先ほどの、アレだろう。 
 二の句が続けられない私に彼は困ったように微笑んで、軽く顎を引いた。 

「言い出したら聞かないものですから、諦めてはいただけないでしょうか」 

 身も蓋も無い内容に、今度は私が苦笑いするしかない。 
 彼も自身が仕える次代様が無茶な要求をしていると百も承知なのだろう。

「それを伝える為だけにいらしたのですか?」 

「身辺警護を仰せつかっております。学業を休み、専念する様にと」 

「馬鹿じゃないの!?」 

 口をついて出た言葉に慌てて口元を隠してみたけど、出てしまったものは戻らない。 

「緑林様が正武家の屋敷へ来ていただければ、私としても大変助かるのですが」 

「あの人、とことん腹黒いわね……」 

 未成年の子を巻き込めば、私が折れるとでも思ったのだろうか。 
 確かに彼が学校へ行くには私がお屋敷へと行くしかないのだろう。 
 考える時間を下さいと言ったのに、この仕打ちは如何なものかと思う。 
 断ることが出来ないように小賢しいというか何というか。 

「えーと……稀人様」 

「南天とお呼びください」 

「え、流石に呼び捨てはちょっと……。南天くん、でも良いですか」 

「お好きなようにお呼びください」 

「南天くん。明日も普通に学校へ行きましょう」 

「では、屋敷へ?」 

「行きません。まだ何も考えてもいません」 

「緑林様?」 

「私が一緒に美山高校に行きます。先生には正武家様の云い付けとでも言えば何とかなるでしょう?」 

「……本気ですか?」 

「本気です」 

「……正気ですか?」 

「正気です」 

 お互いに正座で向き合って真剣に視線を交わす。 
 しかし先に目を逸らしたのは南天くんだった。

「お気持ちは大変嬉しいのですが、そうすると次代の思惑が台無しになってしまいます」 

 早々に彼の思惑を白状した正直な南天くんはきっと悪い子ではない。 
 ついでに言えば、次代様の行いに対して非常識だと感じる常識を持ち合わせている。 

「それは勝手にあの方がしていることなんだから、台無しになったところで君が悪いわけではないでしょ?」 

「そうですが……」 

 私の名案に彼は中々首を縦に振らない。 
 板挟み状態の彼を見ていたら、何だか無性に可哀想になってきて、同時に怒りも沸いて来る。 

「南天くん。携帯、持ってる?」 

「え? あ、はい」 

 そう言って彼は学生服の胸ポケットから折りたたみのシルバーの携帯を私に見せた。 

「申し訳ないんだけど、ちょっと彼に繋いでくれる?」 

「少々お待ちください」 

 素早く携帯を耳に当てた南天くんは二言三言会話すると、私に通話中の携帯を差し出した。 
 お礼を言って、もしもし、と声を出せば、一瞬の沈黙の後、こんばんはとズレた返事が返って来た。 

「緑林です」 

『知っています』 

「お返事の件ですが」 

『……はい』 

「南天くんを家から引き上げさせ、学校に通わせない限り、お返事は出来かねます」 

『ではすぐにでも引き上げさせましょう』 

「だからと言ってすぐにお返事をするわけではないのですけど」 

『……いつまで待てば』 

「私が考え終わるまでです」 

『……』 

 携帯の向こうで溜息が聞こえて、こちらも何も言わないでいると明日は仕事が早いので、と小さく呟きが聞こえて通話が切られた。 

 少しだけチクリと胸が痛んだ。 
 返事を引き延ばしている自覚はある。 
 でも私にはすぐに答えることが出来ない事情がある。 
 せめてあと一週間。三日でも良い。 とにかく時間が欲しかった。


 再度、それから。である。 

 稀人様を送り返し、私は妹の部屋に飛び込んだ。 
 本棚を漁り、ありったけの本を自分の部屋に運び込む。 

 私には知識が足りなかった。 
 妹は早々に家でお母さんに家事全般を習っていたけれど、私は横目で眺めているだけで何もしてこなかった。 
 正武家様に嫁ぐには今のままではいけない。 
 せめてあのお屋敷で行われる花嫁修業を難なくこなさなくてはお話にもならないのだ。 
 考える時間をくれと言った私の心は既に決まっていた。 

 妹と私を見間違えない人。 
 それが第三条件。 
 流石に声までは聞き分けられなかったようだけど、そこは目を瞑ろう。 

 そして、そして。 

 私のことを好きだと言ってくれる人。 
 これが第二条件だ。 

 第一条件は彼に会って既にクリアされている。 
 彼を怖いと思ったのは、嫌われたくなかったから。 
 人間ぽく無いとかもあったけど、それ以前に恐れを抱いたのは。 
 この人を好きになってしまっても、失恋して終わるという悲しい予感だったからだ。 
 一目惚れを単純だと言ったけれど、私も相当単純な人間だった。

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