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番外編 緑林と次代様のお話
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しおりを挟む数日前から私は夢に魘されることが多くなった。
多くなった、というよりは毎日魘されていた。
彼が原因を探っても判らず、本殿の巫女である竹様に呼び出された私は彼女と共に本殿を訪れ、祭壇に頭を垂れた。
正武家様のお屋敷からお暇をするご挨拶。
息子の玉彦が五歳の誕生日を迎える前日のことだった。
私は離れの事務所で松さんから手渡された自分名義の銀行通帳を見て、目が点になった。
一瞬閉じてまた開き、残高を確認してもゼロの数が多すぎて宝くじが当たったのかと思った。
それから自分の部屋へと戻り、着替えを数着カバンに仕舞い込む。
必要なものがあれば持って行っても良いと梅さんが言っていたけど、可能な限り置いて行くことにした。
玉彦が私を思い出せるように。
寂しくなってここへ来て、私の物がなかったら悲しくなってしまうだろう。
いっそのこと全部無くしてしまって私の事など忘れてしまった方が楽だろうけど、泣き虫の玉彦を思えばそれも酷なことだと思い直した。
荷物を抱えて玄関を出て、裏門へ向かうと泣きじゃくる玉彦の手を引く彼が困ったように立ち竦んでいた。
これから彼が子育てをしなくてはならないのに、息子に釣られて泣きそうになっている。
駆け寄り玉彦を抱き上げると小さな腕が首に回されて必死にしがみ付いてくる。
私は頭を何度も撫でて、忘れないように手のひらに感触を刻み込んだ。
「そんなに泣いては川が出来てしまいますよ、玉彦」
「ははうえぇぇ……」
せぐり上げて揺れる小さな背中を撫で、この子はこんなに気弱で将来正武家様をきちんと継いでゆけるのか不安になる。
夜中に風で障子が揺れれば鬼が来たと泣き、母屋で私の姿が見えないと朝から晩まで捜し回る。
「男の子が簡単に泣いてはいけません。あなたはこれからこの五村を護っていかねばならないのですよ」
こくこくと無言で頷いて私の首元に顔を埋め、それでも鼻を啜っている。
「どんなに悲しくても怖くても泣かずに皆を護ると母と約束出来ますか?」
「約束を守れば母上は帰って来てくれるのですかっ」
「……それは無理です」
私の答えに増々号泣してしまった玉彦を背後から引き剥がしたのは悲しく微笑む彼だった。
父親のがっしりとした腕に抱えられた玉彦は、今度はそちらに抱き付き嗚咽を漏らしている。
「月子。御苦労だった」
「……はい。今までありがとうございました」
頭を下げると堪えていた涙がぽとりと落ちて、地面に吸い込まれていく。
たった数年過ごしたこのお屋敷での思い出が浮かんでは消えて、涙が止まらない。
息子が泣き虫なのは私の遺伝子かもしれない。
「月子」
息子と共に彼の腕に抱きかかえられて、私はゆっくりと裏門へと足を進める。
けれど何度も立ち止まる彼に私の足も止まる。
そうして時間を掛けて辿り着いた裏門で私は二人から離れた。
「では、私はもう行きます。二人ともお元気で」
今生の別れに私と玉彦は涙を流していたけれど、彼だけは何故かニッコリと笑った。
笑顔で見送るのが信条なのかと思っていたら、口を開いて出た言葉に私は唖然となった。
「取り合えず君の住む家は僕が何軒か用意しておいたからそこから選ぶようにね。希望通り五村の外だよ。あとは当主が死なない限り僕が会いに行くから寂しくないだろう。流石に玉彦は小さくて五村外に出すのは危険だから無理だけど」
「はっ?」
「父上が亡くなられたあとは次代となる玉彦が居れば僕は五村から出られるし、玉彦も外へと出られるようになって君に会いに行くと言えば止めないけど、僕は僕を優先する」
「ちょっと……」
「あとは仕事だけど、働かなくても良いくらいの暇金を出したけど働くの?」
「え? 一応そのつもり……」
「だったら僕、何かの会社設立するからそこで働きなよ。うん。名案だ。投資とかしてみたかったんだよね。月子が居るなら安心だし」
「澄彦さん……?」
「あとは月子に悪い虫が付かないように誰か護衛を付けた方が良いかな」
「澄彦さん!」
「ん?」
護衛役を誰にするか考え始めた彼はとぼけたように首を傾げる。
「正武家様のお屋敷から出されたら、もう二度と会えないんでしょう!?」
「え? 誰がそんなこと言ったの?」
「誰って……」
思い返しても言われた覚えはない。
ただ、その時が来るとお屋敷から出て行かなければならないとしか……。
「会えなくなるわけないじゃないか。何を言ってるんだ、まったく」
そう言うと彼は呆れたように私を見て眉をハの字にさせていた。
それから数か月後。
竹さんからのお手紙が届いた。
そこには表門の石段で玉彦が泣かずに女の子を護って蛇を追い払ったのだと記されていた。
玉彦が頑張ったことを嬉しく思いつつ、一つの疑問が頭に浮かんだ。
『表門の石段』なのである。
正武家様の表門は、正武家様家人と稀人様、そして惚稀人様しか通ることが出来ないのである。
玉彦が表門を通ることは出来るけど、この女の子はどうなのだろう。
手紙を読み返しても澄彦さんと幼馴染の娘ってことだからきっとまだ小さい女の子なのだろう。
裏門を通りお屋敷へ入り、表門を『出て』、石段で遊んでいたのか。
それともあの長い石段を登り、表門を通らずに石段で蛇に遭遇したのか。
小さな女の子が石段を登りきれるとは思えない。
そんな疑問を抱えつつ、ある時に澄彦さんにそれとなく聞いてみたら、小さな女の子を抱えた父親が表門から来訪したそうだ。
澄彦さんや他の人たちは何も疑問に感じていないようだったけど。
私は敢えて指摘しないことにした。
玉彦が私たちの様に別れを前提とした出逢いをしなくても済む予感に笑みが零れた。
応援ありがとうございます!
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全部読んで、2回目に突入中。
気にかかった事がやっと回収できているところです。笑
しかしながら、先を読むことを優先したので、スターがたまらない。
せっせと毎日スターをポチッと押してます。先は流し。ふっ
こんにちは(*´▽`*)
感想ありがとうございます!
こちらに感想を頂いていることを先ほど気付きまして、お礼が遅くなり申し訳ございません(汗)
彼方にも行って、登録してきました。そして全部読んだ。笑 此方でも、ゆっくり読み直します。堪え性の無い私は近日、読み終わるでしょう。頑張って下さい。楽しみです。
こんにちは(*´▽`*)
感想ありがとうございます。
そしてあちらにも来ていただき、ありがとうございます(笑)
あちらの方はかなり話が進んでいますので、読まれるのも大変だと思いますが(笑)、今後ともよろしくお願いします(*´ω`)
苦しい。