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1.上弦
第1夜 理科部と天文部(上)
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夜空に月が見えないのは、自分が月にいるからだ。
そんな風に思えるほど、生まれて初めて入った夜の学校は、月面みたいに別世界。
きれいにローラーがけされ、足跡ひとつない校庭。誰もいない教室。非常口の常夜灯に淡く照らされた桜並木が、望遠鏡みたいに春の夜空を眺めている。
「うわぁ、なんだか月にいるみたい」
職員室からの光に照らされた校庭が、暗闇に白く浮かんでいた。
足元を冷たい夜風が通り抜ける。花冷え。制服のスカートがちょっと寒い。
さっきからずっと胸の奥がソワソワして収まらない。いっそスキップでもしちゃったほうが、気が紛れるのかもしれない。よし。校庭への第一歩を踏み出そうとしたちょうどそのときに、親友の野今風音が、左の脇を小突いてきた。
「キョウカ、何のんきなこと言ってんの」
「だ、だってさ」
「羽合先輩、待ってるよ?」
だあああっ。ちょっと。
「カサネ! 名前! シーッ!」
静まり返った校庭に、私の声だけが小さくこだました。
「誰も聞いてないって」
カサネは腰に手を当て、ケラケラと笑った。
入学してからずっと気になっていた先輩に、声もかけられないまま2年生になってしまっていた。
「今日じゃなくても、いいんじゃない?」
ポニーテールの毛先をくるくるともて遊んでみる。思い通りいかないときは、こうしていると落ち着く。
「あー、また優柔不断くすぶらせてる……。行くの? 行かないの?」
胸を張る彼女。少し長めのボブが揺れた。
「えっ……いや、行くは行く……けど、なんていうか、夜だよ?」
「夜にだけ活動する理科部なんだよ」
そう言ってカサネはさっと私の手を引いた。
慣れた様子でぐんぐん校庭を進む彼女に、私はついていくのが精一杯。
教室棟と校庭をはさんで向かい側にある理科棟。そこに先輩がいるはずだった。階段で3階まで上がると、物理実験室の引き戸が半開きになっていて、男女2人の口論が廊下にもれ出していた。
「どうして分かってくれないんだ。さっきから何度も説明してるのに!」
ちょっと低い男子の声。
「お言葉ですが、理科部の部長はわ・た・しです。今夜からは、一部員として私に従っていただきます」
ここは理科部が部室代わりに使っている部屋らしい。部長は女子なのか。聞き覚えのある声だ。同じ2年生かな。誰だろう。
「だ・か・ら! 系外惑星のロマンがわからないかなぁ……」
「だ・か・ら? 新しい望遠鏡なんて、どこにそんな予算があるんですか!?」
そっとドアの隙間から中を覗いてみる。
背中しか見えない2年女子は素直に下がる2つ結びを揺らして腰に手を当て仁王立ち。一歩も譲らない構え。男子のほうは、こっちを見て――
「るっっっ」
――羽合先輩だ! 慌てて顔をひっこめた。
「違うんだよ! 望遠鏡じゃなくて、カメラなの、カメラ!」
子供みたいにゴネる先輩。
「違いません! では望遠鏡を売って、そのお金で買うのではだめですか?」
かなり冷静な2年女子。
「いやいや。望遠鏡につけるカメラだからさ、アーちゃん――」
埒のあかない会話に、たまらずカサネが飛び出していった。
「コホン――あのぉ、お取り込み中悪いんですけどぉ」
口論はピタッと止まり、2年女子がこっちを振り向いた。
そんな風に思えるほど、生まれて初めて入った夜の学校は、月面みたいに別世界。
きれいにローラーがけされ、足跡ひとつない校庭。誰もいない教室。非常口の常夜灯に淡く照らされた桜並木が、望遠鏡みたいに春の夜空を眺めている。
「うわぁ、なんだか月にいるみたい」
職員室からの光に照らされた校庭が、暗闇に白く浮かんでいた。
足元を冷たい夜風が通り抜ける。花冷え。制服のスカートがちょっと寒い。
さっきからずっと胸の奥がソワソワして収まらない。いっそスキップでもしちゃったほうが、気が紛れるのかもしれない。よし。校庭への第一歩を踏み出そうとしたちょうどそのときに、親友の野今風音が、左の脇を小突いてきた。
「キョウカ、何のんきなこと言ってんの」
「だ、だってさ」
「羽合先輩、待ってるよ?」
だあああっ。ちょっと。
「カサネ! 名前! シーッ!」
静まり返った校庭に、私の声だけが小さくこだました。
「誰も聞いてないって」
カサネは腰に手を当て、ケラケラと笑った。
入学してからずっと気になっていた先輩に、声もかけられないまま2年生になってしまっていた。
「今日じゃなくても、いいんじゃない?」
ポニーテールの毛先をくるくるともて遊んでみる。思い通りいかないときは、こうしていると落ち着く。
「あー、また優柔不断くすぶらせてる……。行くの? 行かないの?」
胸を張る彼女。少し長めのボブが揺れた。
「えっ……いや、行くは行く……けど、なんていうか、夜だよ?」
「夜にだけ活動する理科部なんだよ」
そう言ってカサネはさっと私の手を引いた。
慣れた様子でぐんぐん校庭を進む彼女に、私はついていくのが精一杯。
教室棟と校庭をはさんで向かい側にある理科棟。そこに先輩がいるはずだった。階段で3階まで上がると、物理実験室の引き戸が半開きになっていて、男女2人の口論が廊下にもれ出していた。
「どうして分かってくれないんだ。さっきから何度も説明してるのに!」
ちょっと低い男子の声。
「お言葉ですが、理科部の部長はわ・た・しです。今夜からは、一部員として私に従っていただきます」
ここは理科部が部室代わりに使っている部屋らしい。部長は女子なのか。聞き覚えのある声だ。同じ2年生かな。誰だろう。
「だ・か・ら! 系外惑星のロマンがわからないかなぁ……」
「だ・か・ら? 新しい望遠鏡なんて、どこにそんな予算があるんですか!?」
そっとドアの隙間から中を覗いてみる。
背中しか見えない2年女子は素直に下がる2つ結びを揺らして腰に手を当て仁王立ち。一歩も譲らない構え。男子のほうは、こっちを見て――
「るっっっ」
――羽合先輩だ! 慌てて顔をひっこめた。
「違うんだよ! 望遠鏡じゃなくて、カメラなの、カメラ!」
子供みたいにゴネる先輩。
「違いません! では望遠鏡を売って、そのお金で買うのではだめですか?」
かなり冷静な2年女子。
「いやいや。望遠鏡につけるカメラだからさ、アーちゃん――」
埒のあかない会話に、たまらずカサネが飛び出していった。
「コホン――あのぉ、お取り込み中悪いんですけどぉ」
口論はピタッと止まり、2年女子がこっちを振り向いた。
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