月夜の理科部

嶌田あき

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2.望

第13夜 魔法とほうき(上)

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 6文字の魔法「花火やろうよ!」で復活した。カサネはこうして私のご機嫌をとるのが上手かった。さすが、中学の頃から挫折も失恋も、一緒に弔ってきただけのことはある。なんでもお見通しだ。
 ふて寝から覚めたら、意外なほどスッキリしていた。
 メインイベントである天体観測までは、まだ少し時間があった。施設の望遠鏡を使うので大掛かりな準備は必要ない。先輩は「目を暗闇に慣らしといたほうがいいんだけどなァ」なんて言いながら、まんざらでもない。さすが子供王子。私は「くくく」とほくそ笑んだ。

 宿泊棟を出ると、夜の闇だけがそこにあった。
 ユキくんが来ていないのは私には好都合だった。顔も見たくなかった。先輩と得居先生の持つ懐中電灯を頼りにキャンプサイトに向かう。

「うう、なんか、怖いね……」

 お墓とか井戸とか、そういう肝試し要素は一切ない。でも怖い。本能的に怖い。2つの懐中電灯の光の外側は、街明かりも人の手も届かない、ほんとうの闇。自然の真っ暗闇というのが一番怖いものなのだ。途中で私は忘れ物に気付いた。

「あれ? ライターって誰か持ってきた?」
「ああ、いいこと言うね」

 先輩がポケットをガサゴソやる。

「困りましたね」

 得意先生も肩をすくめた。

「私、取ってきます。先行っててください」

 そういって私は来た道を引き返した。暗闇に目が慣れたのか、宿泊棟から伸びる淡い光の筋を頼りに難なく戻れた。

(こういうときに限って、バッタリ出くわすんだよねぇ)

 心配していると、案の定、出会ってしまった――ユキくんに。
 彼は謝ることなんてないのに「ごめんごめん」と申し訳無さそうにしていた。私はフロントでライターを借り、ユキくんの立つロビーにスキップで戻った。

「みんな花火、やるって。ユキくんは行かないの?」
「んー。ちょっと準備しなきゃいけないことがあってね」

 つれない返事。

「アヤちゃんが先輩に告白してたこと、知ってたの?」
「え!? 依頼でしょ?」
「なにそれ? わけ解んないよ」

 話が全く見えない。

「どうして教えてくれなかったの?」
「どうして、って……?」

 ユキくんは混乱した様子。ずり落ちたセルぶちメガネを右手でグイと戻し、辺りを見渡す。ロビーは通る人もなく、夜の更けていく音がした。私が閉めそこなったドアから、すきま風が入った。2人の間を通り抜ける冷たい空気。

「まぁ、そのうち分かるからさ」

 彼は私の顔をまじまじと見つめた。

「ねぇ、これじゃあ私ひとり、バカみたいじゃない!」

 本気で嫌いになる一歩手前で踏みとどまっていた。ギリギリのところ。充分な量の火薬と、燃えやすい導火線がすでにある。ほんの僅かな火種から、あっという間に燃え広がってしまいそうな、ほんとうの瀬戸際。でも、爆発させるわけにはいかない。
 目の前にいるのは、とても大事な人だから。

「もう、いい」

 私は火の消えた花火のようにしゅんとなった。ユキくんの「待ってよ。あのさ……」なんて言葉にも耳を貸さず、とぼとぼと宿泊棟から出ていった。

 ◯

 すすき、スパークラー、サーチライト、トーチ、ナイアガラ。
 みんな思い思いの花火を楽しんだ。派手に飛び散る火の粉。バチバチ、シューシュー、という爽快な音。あたりに立ち込める煙と火薬の匂い。

「子供の頃は魔法使いになりたかったの。ラララー」

 カサネが花火を両手に持って振り回す。

「野今さん。数学です。数学をやりましょう!」

 缶ビールで上機嫌な得居先生。

「誰でも、大昔の数学者と勝負できますよ。オイラーにリーマン。ガウスにラマヌジャン……」

 吹き出し花火に火をつけ「いくぞー」と準備する先輩の後ろに、「わぁ、スバルくん。まってまって」と隠れるアヤ。
 幼馴染の2人にとって、今日は何度目の夏の、何個目の花火なんだろう――。私にはどの花火もモノクロに映った。カラフルに輝いていた夜空の星も、今はただの白い点。
 誰かの花火が輝く間、地上が夜空で、空は闇。
 最後の線香花火が消えると、天の川が空に戻った。
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