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4.朔
第30夜 月夜と理科部(上)
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皆既月食の夜以来、月夜は理科部夜隊の活動日となった。
東の空に上ったばかりの十三夜月に照らされ、私とカサネは砂埃を上げて校庭を走っていた。ローラーがけされた灰白の校庭の真ん中には、もう幾筋も足跡が並んでいる。
じわりと汗ばむブラウス。袖から入る8月の夜風が気持ちいい。誰も居ない教室と、非常口の常夜灯。静まり返った教室の窓で、私の明るい声が響いた。
「アハハ。あの日も、みんなで走ったね。研究所の正門からさぁ」
「ほら、キョウカ! 急いで! 時間決まってるんでしょ? 遅れちゃうよ!」
「あーもうじき月が沈んじゃう! うっかりしてた!」
ハアハア言いながら階段を登る。その先の廊下に先輩とアヤの口論が漏れだしていた。
「だ・か・ら! 太陽フレアのロマンがわからないかなぁ……」
相変わらずの先輩。
「だ・か・ら? 望遠鏡は、研究所から譲り受けたじゃないですか?」アヤも引かない。
「違うんだよ! 今度は磁場を見るの。磁場!」
「違いません! とにかく、天文部の機材には天文部の活動費。それじゃだめなんですか?」
「そう、固いこと言わずにさ、アーちゃん――」
相変わらず仲のいい2人だ。
「コホン。あのぉ、お取り込み中、すみません」
私が扉を全開にして声をかけると2人の口論はぴたりと止み、先輩は「キョウカ! ちょうどよかった」と八重歯
を出して笑顔で振り向いた。
彼は大学が夏休みに入ったとかで、ここのところ毎晩のように理科室に顔を出していた。そしてついに、理科部の活動費を望遠鏡に充てようとしていたのが、アヤにバレたらしい。
「アヤちゃん、ごめんね」
そう言って私は、くるりと先輩の方をむいた。
「もう、羽合先輩! 磁場望遠鏡は衛星のを使うってメールで言いましたよね?」
「あは。ほらぁスバルくん! 部長がこう言ってますから。ね?」
アヤが私をチラチラ見ながら先輩をなだめる。
天文部部長の私の最初の仕事は、研究所の太陽望遠鏡の移設であった。屋上の望遠鏡の代わりに、研究所から譲り受けたのだった。お古とは言え研究の第一線で活躍していたもので、高性能フィルター付きの本格的な太陽望遠鏡だ。
「エヘヘ。まあ先輩、天文部の話は、またお昼に――。さぁ、アヤちゃん。始めよう?」
「ふふ。よーし。キョウカちゃんも揃ったことだし、始めましょう」
今夜、ローバーでしなければならないことがあった。それは、レネさんのデータを取り戻すために1番コンテナに残してきたブレードを、元の9番コンテナに戻す仕事だ。
月面基地とのリアルタイム通信で、実際の月面ローバーを動かす。皆既月食の夜にそうしたように、3、4人ずつの班で実験テーブルに別れ、みな黙々と準備を進めていた。
月面基地との通信を任されたのは2人の2年女子。ブレードを抜く前にサーバーに走らせるダミー量子プログラムの実行は、2年男子のコンビが買って出た。もちろん、私の率いるローバー班が肝となる。何が起こってもいいように、今夜は3台体制で臨むのだ。
準備が整うのを見計らい、アヤは目を輝かせて各班の最終確認を始めた。
「通信班」
「GOです。霜連さん」
「計算機班」
「GOです」
「ローバー班」
「GOだよ。アヤちゃん。さぁ行こう!」
VRゴーグルの先は月の地下洞窟。クロスワードパズルを難なく解いた私のローバーを先頭に、2台が後に続く。
「1番コンテナ」
という指示を受けたローバーが、低速でコンテナに向かう。私は、ようやく訓練が反映されたと、ほっと胸を撫で下ろした。
ロボットアームでコンテナ扉を開けると後を振り返り、2人に声をかけた。
「まず、私のローバーが5番ブレードを戻すから。そしたら、イチコちゃん、ジュンコちゃんの順番で行こう。いいかな?」
大事なデータはもう入っていないとは言え、ブレードを損傷したら大問題だ。2年生の2人はシミュレーターでたくさん訓練してきたが、実物のローバーを動かすのはこれが初めて。いくら注意しても注意しすぎることはない。
今夜の私には作戦があった。まず彼女の操縦をAIに学習させ、それを2人のローバーのAIに伝授する。このとき、ローバーからローバーへは手取り足取り教える必要はない。〈転移学習〉という仕組みにより、あとに続くローバーには私のローバーの経験が瞬時にコピーされ、賢くなった状態で問題に臨むことができるのだ。
さっそく私は1番コンテナからブレードを取り出し、洞窟の奥へと向かった。9番コンテナにブレードを戻し終えると
「5番OK。じゃあ次は、イチコちゃん。学習完了マークが出たらスタートね」
と言ってバトンタッチした。
「は……はいっ」
少し緊張した様子。
「大丈夫。リラックス! 練習どおりやれば大丈夫だよ」
私は優しく声をかけた。
やがて、少し時間はかかったものの、私の操作を学習したAIに支援された2年生の2人もブレードを無事に9番コンテナに戻すことができた。最後に計算機班の2人が「サーバー、OKです」と正常動作を確認すると、作業完了だ。
それを聞いた私はVRゴーグルも外さずに、2人に話しかけた。
「ゴメン。私、予定あるから、行くね」
東の空に上ったばかりの十三夜月に照らされ、私とカサネは砂埃を上げて校庭を走っていた。ローラーがけされた灰白の校庭の真ん中には、もう幾筋も足跡が並んでいる。
じわりと汗ばむブラウス。袖から入る8月の夜風が気持ちいい。誰も居ない教室と、非常口の常夜灯。静まり返った教室の窓で、私の明るい声が響いた。
「アハハ。あの日も、みんなで走ったね。研究所の正門からさぁ」
「ほら、キョウカ! 急いで! 時間決まってるんでしょ? 遅れちゃうよ!」
「あーもうじき月が沈んじゃう! うっかりしてた!」
ハアハア言いながら階段を登る。その先の廊下に先輩とアヤの口論が漏れだしていた。
「だ・か・ら! 太陽フレアのロマンがわからないかなぁ……」
相変わらずの先輩。
「だ・か・ら? 望遠鏡は、研究所から譲り受けたじゃないですか?」アヤも引かない。
「違うんだよ! 今度は磁場を見るの。磁場!」
「違いません! とにかく、天文部の機材には天文部の活動費。それじゃだめなんですか?」
「そう、固いこと言わずにさ、アーちゃん――」
相変わらず仲のいい2人だ。
「コホン。あのぉ、お取り込み中、すみません」
私が扉を全開にして声をかけると2人の口論はぴたりと止み、先輩は「キョウカ! ちょうどよかった」と八重歯
を出して笑顔で振り向いた。
彼は大学が夏休みに入ったとかで、ここのところ毎晩のように理科室に顔を出していた。そしてついに、理科部の活動費を望遠鏡に充てようとしていたのが、アヤにバレたらしい。
「アヤちゃん、ごめんね」
そう言って私は、くるりと先輩の方をむいた。
「もう、羽合先輩! 磁場望遠鏡は衛星のを使うってメールで言いましたよね?」
「あは。ほらぁスバルくん! 部長がこう言ってますから。ね?」
アヤが私をチラチラ見ながら先輩をなだめる。
天文部部長の私の最初の仕事は、研究所の太陽望遠鏡の移設であった。屋上の望遠鏡の代わりに、研究所から譲り受けたのだった。お古とは言え研究の第一線で活躍していたもので、高性能フィルター付きの本格的な太陽望遠鏡だ。
「エヘヘ。まあ先輩、天文部の話は、またお昼に――。さぁ、アヤちゃん。始めよう?」
「ふふ。よーし。キョウカちゃんも揃ったことだし、始めましょう」
今夜、ローバーでしなければならないことがあった。それは、レネさんのデータを取り戻すために1番コンテナに残してきたブレードを、元の9番コンテナに戻す仕事だ。
月面基地とのリアルタイム通信で、実際の月面ローバーを動かす。皆既月食の夜にそうしたように、3、4人ずつの班で実験テーブルに別れ、みな黙々と準備を進めていた。
月面基地との通信を任されたのは2人の2年女子。ブレードを抜く前にサーバーに走らせるダミー量子プログラムの実行は、2年男子のコンビが買って出た。もちろん、私の率いるローバー班が肝となる。何が起こってもいいように、今夜は3台体制で臨むのだ。
準備が整うのを見計らい、アヤは目を輝かせて各班の最終確認を始めた。
「通信班」
「GOです。霜連さん」
「計算機班」
「GOです」
「ローバー班」
「GOだよ。アヤちゃん。さぁ行こう!」
VRゴーグルの先は月の地下洞窟。クロスワードパズルを難なく解いた私のローバーを先頭に、2台が後に続く。
「1番コンテナ」
という指示を受けたローバーが、低速でコンテナに向かう。私は、ようやく訓練が反映されたと、ほっと胸を撫で下ろした。
ロボットアームでコンテナ扉を開けると後を振り返り、2人に声をかけた。
「まず、私のローバーが5番ブレードを戻すから。そしたら、イチコちゃん、ジュンコちゃんの順番で行こう。いいかな?」
大事なデータはもう入っていないとは言え、ブレードを損傷したら大問題だ。2年生の2人はシミュレーターでたくさん訓練してきたが、実物のローバーを動かすのはこれが初めて。いくら注意しても注意しすぎることはない。
今夜の私には作戦があった。まず彼女の操縦をAIに学習させ、それを2人のローバーのAIに伝授する。このとき、ローバーからローバーへは手取り足取り教える必要はない。〈転移学習〉という仕組みにより、あとに続くローバーには私のローバーの経験が瞬時にコピーされ、賢くなった状態で問題に臨むことができるのだ。
さっそく私は1番コンテナからブレードを取り出し、洞窟の奥へと向かった。9番コンテナにブレードを戻し終えると
「5番OK。じゃあ次は、イチコちゃん。学習完了マークが出たらスタートね」
と言ってバトンタッチした。
「は……はいっ」
少し緊張した様子。
「大丈夫。リラックス! 練習どおりやれば大丈夫だよ」
私は優しく声をかけた。
やがて、少し時間はかかったものの、私の操作を学習したAIに支援された2年生の2人もブレードを無事に9番コンテナに戻すことができた。最後に計算機班の2人が「サーバー、OKです」と正常動作を確認すると、作業完了だ。
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