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光と影と痛み

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 幾度と無く、部屋が閃光で明るく照らし出され、雷鳴が再びドーンと轟く。
 ほなみは、かたく耳を塞いだまま西本に抱き締められながら、中学の時のある夜の出来事を思い出していた。

―――――――――――――


 
 ほなみは5時限目の数学の授業を受けていた。
 午後の授業、しかも苦手な教科の数学で、頭の中が一向に回転しない。
  理解できない数式を見ているだけで猛烈に眠気を誘う。
 眠ってしまわないように、色々な事を考えた。

(―― そういえば、上級生の「村上君」から手紙を貰ったんだった)

 ほなみは、手紙をポケットから出し、こっそり読んだ。

『仁科(にしな)ほなみ様。放課後君が音楽室でピアノを弾いている姿を見て、好きになってしまいました。
 君と話をした事は一度もありません。君もきっと僕の事は知らないと思います。
  知らない奴からこんな事を言われてびっくりしたと思いますが、まずは僕と友達になって、僕の事をを知って欲しいと思います。
 来週の水曜の放課後、音楽室に来てください。待っています。』

 男の子から手紙を貰ったのは初めてだった。
 あぐりに手紙を見せると、彼女は目を輝かせた。

「村上って、3年に2人いるよね?
眼鏡かけた秀才君とサッカー部の部長!……わーお!どっちもカッコイイじゃん!やったね?!」
「声が大きいってば!」

 ほなみは、あぐりの口を慌てて塞いだ。

「……女の声は耳にキンキン響くな」

 智也が移動教室から戻ってきて、静かな物腰で着席し、言った。

「何よ?智也。私だって好きな男の子の前じゃ、おしとやかにしてるわよ!」

 あぐりが口を尖らせる。

 「ふうん、そうなのか……仁科もそうなの?」

 話を振られ、ほなみは首を傾げた。

「好きな人が居ないから、よく分からない」

 智也は形の良い眉をわずかに動かし、ほなみをじっと見た。

「ほなみ、あんた来週、音楽室行く?勿論行くわよねっ?」
「……うーんどうしようかな……緊張するし……やめようかな」

 鼻息荒く聞いてくるあぐりに、ほなみは曖昧に答える。 


「何言ってるの!行かなきゃダメよっ!」
「ええっ?」

 智也は、ほなみとあぐりがキャーキャー騒ぐのを黙って聞いていた。
 やがて大きく息を吐き、
「……何だか知らないが、好きにすればいいだろう」とクールに言うと、机の中から参考書を出して、何やらブツブツと単語の復唱を始めた。

 ほなみは、今日がその日である事をいまさら思い出す。
(――何も考えてなかった。どうしよう)
 
  視線を感じて横を向くと智也がこちらを見ていた。
 目が合うと、彼は微笑を浮かべ、顔をそらし教科書に目を落とす。
 すると、教室の戸がガラッと開けられ、クラス全員がそちらへ注目した。
  教頭が担任とヒソヒソと何か話していたが、担任が

「仁科。ちょっとこちらへ来なさい」とほなみを手招きする。
 何事かとドキドキしながら先生の側に行くと、静かにこう言われた。






「ご両親が交通事故に遭って手術を受けているらしい。教頭先生が病院に連れて行って下さるから、今すぐ帰る支度をしなさい。」







 2時間後、ほなみは総合病院の手術室の前の固い椅子に座り『手術中』という赤く照らされた文字を見つめていた。
 教頭先生は『知らせる身内、親戚はいないのか』と聞いてきたが、両親は駆け落ちも同然の結婚で、親類とは連絡を一切取っていない。ほなみもその辺の事情はよく知らない。




  「……そういえば両親は"何かあったら岸君のご両親を頼りなさい"と言ってました……」
「岸の両親か。連絡してみるから待っていなさい」

 教頭が慌てて電話をしに出て行ったきり戻ってこないまま時間は過ぎた。
 急に辺りが暗くなり、窓の外を見ると、晴れていた空に真っ暗な雲が急速に広がりザーッと激しい雨が窓を打ち付け始め、ゴロゴロと不穏な音が轟き遠い空で稲妻が光る。
 ほなみは雷の音から耳を塞ぎ、ひたすら床の一点を見つめ、不安と恐怖に耐えた。
 雷はもともと好きではなかったが、いつもは雷が鳴っても家には父か母が居て賑やかで、気に留めた事がない。
 一人で病院の白い壁や廊下に囲まれながら聞く轟音は、ただただ心にダメージを負わす。
 ほなみは、目をきつく閉じ、椅子の上で丸くうずくまった。

 ――これは何かの夢であって欲しい。そう、きっと夢。
 私は今、いつも通り家で布団に包まっているんだ……

「ほなみ、いい加減に起きなさい!」

 母に布団を引っぺがされて無理矢理起こされる。

「お母さん、乱暴すぎるよ……」

 愚痴をこぼしながらも朝食の匂いに空腹を刺激され、欠伸をしながら食卓につく。

 新聞を読んでいた父に「ちゃんと顔を洗いなさい」と叱られる。

「食べてからやるもーん」

 ほなみが皿に乗っているプチトマトを摘まむのを見て、父は眉を下げ母と顔を見合わせる。

「しょうがないなあ。中学生になって女の子らしくなると思っていたのに、これじゃあお嫁さんに行くのはまだまだ無理だな」
「お父さん何言ってるの?!私、まだまだお嫁になんか行きたくないよ?!」

 母と父が笑い、ほなみもつられて笑う。

(―― そう、私は夢から目覚めて、いつものこんな風景に出会うはず――)








「お願い……早く目覚めさせて……」




 
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