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第一章
夏祭り
一目惚れだった。
忘れもしない、小学五年の夏。
花火大会の夜。
その子は水色の浴衣を着て、ベビーカステラの屋台の列に並んでいた。
ちょうど彼女の後ろに並んでいた狭野笙悟は、最初は気にも留めていなかった。
目の前に中学生くらいのお姉さんがいる、とだけ認識していたが、背中側しか見えなかったため、目を合わせることもなければ言葉を交わすこともなかった。
けれど、やがて列が進んで彼女が先頭に立ったとき、初めて違和感を覚えた。
せっかく順番が回ってきたというのに、彼女はいつまで経ってもカステラを買おうとしないのだ。
(どうしたんだろう?)
無言で突っ立ったままの様子を不審に思ったのか、カステラを焼いていた屋台の男性も、訝しげにこちらを見る。
そして、
「どうした、坊主。買わないのか?」
「……えっ?」
あろうことか、男性は目の前の客には見向きもせず、そのすぐ後ろにいた狭野に声を掛けてきたのだ。
「え、あの。だって、こっちのお姉さんの方が先に……」
戸惑いながらも、目配せするように目の前の背中を見上げると、彼女もまたゆっくりとこちらを振り返る。
ゆるく結い上げられた黒髪が滑らかに揺れて、その透き通るような白い顔が露わになった。
長いまつ毛に縁取られた垂れ目がちの瞳が、上品に一度瞬きしてから、こちらに視線を落とす。
互いの顔を見合わせたその瞬間、狭野はそれまで味わったことのない、急激な胸の高鳴りを覚えた。
まるで心臓を鷲掴みにされたような、甘い衝撃。
一目惚れ、だった。
見返り美人さながらの麗しい少女。
狭野はもはや息をするのも忘れて、その眩いばかりの姿に釘付けになっていた。
「あなた、私のことが見えるの?」
少女は赤く熟れた唇を動かして、妙な質問を投げかけてきた。
半ば放心していた狭野は、その声でやっと現実へと引き戻される。
「へ……? どういう意味?」
意図がわからず聞き返すと、今度は隣から、不機嫌な声が飛んできた。
「おい。買うのか? 買わないのか? 買わないなら邪魔だからさっさとどいてくれ。後ろがつかえてんだから」
「あっ、すみません。えっと、買います。小さい袋の、一つ下さい」
腹立たしげに睨め付けてくる屋台の男性から品物を受け取ると、狭野は慌てて列から抜け出した。
ふう、と一息吐く暇もなく、
「あなた、私のことが見えるのね」
と、今度はさらに至近距離から声がした。
見ると、先ほどの少女がいつのまにか狭野の正面に回り込んで、にんまりとした笑みでこちらの顔を覗き込んでいる。
そのイタズラっぽい表情があまりにも愛らしくて、狭野はたまらず、耳の辺りがじんわりと熱くなるのを感じた。
「だ、だから、さっきから何を言ってるの? キミが変なことを言うから、お店の人に怒られちゃったじゃないか」
思わず視線を逸らしながら、半ば八つ当たりするように言う。
「ふふっ。ごめんなさい。私のこと、あなた以外の人には全然見えてなかったみたいだから、ちょっとだけ寂しかったの」
なおもよくわからないことを口走る彼女に、狭野が再び問い詰めようとすると、
「笙悟ー!」
と、今度はどこからか、聞き慣れた高い声が届いた。
狭野が顔を上げると、人混みの奥から一人の少女がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
ショートカットの髪と桃色の浴衣を振り乱しながら小走りで向かってくるのは、幼馴染の高原舞鼓だ。
先ほどトイレに行ってくると言って別れたのだが、やっと戻ってきたらしい。
彼女は一直線にこちらへ迫ったかと思うと、狭野の目の前にいる少女の背中へ、スピードを落とさずに突っ込んでくる。
「! あぶな──」
このままではぶつかる、と狭野が危惧したのも束の間、高原は少女の身体をすり抜け、何事もなかったかのように狭野の眼前で立ち止まった。
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