神楽囃子の夜

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第一章

幽霊

 
「ん、どうかしたの?」

 きょとん、と首を傾げる高原の前で、狭野は口を半開きにしたまま固まっていた。

 今、どう考えても物理的に不可能なことが起こった。
 見間違いでなければ一瞬だけ、二人の少女の身体が重なって、そのまますり抜けたのだ。

「どうなってるんだ……? 僕の目がおかしいのかな。それとも、これは夢?」

「なに一人でぶつぶつ言ってんのよ。それより、ちゃんとベビーカステラは買っておいてくれた? ……って、その袋、一番小さいやつでしょ。中くらいのサイズにしてって言ったのに!」

 高原は狭野の手元を見るなり、悲しそうな声を上げた。

「あれ、そうだっけ? でも、あんまりいっぱい食べると太るよ。カステラって結構カロリー高いし、むしろこれくらいの量にしておいて良かったんじゃない?」

 悪びれもせずに狭野が言うと、高原は顔を真っ赤にして怒鳴る。

「大きなお世話よ! あんたって本当にデリカシーがないんだから!」

 そんな二人のやり取りを隣で眺めていた少女は、ふふっと可笑しそうに肩を震わせて笑った。

「二人とも、仲が良いのね」

 そう言って慎ましやかに笑う彼女の姿に、狭野の視線は再び熱を帯びる。

「あ、いや。べつに仲良くなんてないよ。ただの幼馴染だし、いつもこれが普通っていうか」

「……笙悟、誰と話してるの?」

 不思議そうに見つめてくる高原。
 狭野は隣に立つ少女を指差して、

「この子のこと、見えてないの?」

 あまり期待せずに聞いた。

「この子……? って、何それ。もしかして冗談のつもり? 誰もいないけど、幽霊が見えてるとかそういう設定?」

 ぷっと笑いを堪えるように高原が言って、狭野は改めて隣の少女を見上げた。

(やっぱり、僕以外には見えないんだ)

 容姿が優れていること以外、一見何の変哲もない中学生くらいの少女。その姿は狭野以外の人間には見えておらず、おそらくは触れることもできない。

 実体がない。
 ということは、やはり高原の言う通り、彼女は幽霊なのだろうか。
 今まで自分に霊感があるなんて、自覚したことはなかったけれど。

「あなた、『しょうご』っていう名前なのね」
「えっ? あ、うん」

 急に尋ねられて、思わず声がひっくり返りそうになった。

「そう……。良い名前ね」

 彼女はそう呟きながら、優しげに目を細める。その眼差しは、まるで赤ん坊を見つめるときのような穏やかさに満ちていた。

「あっ! お囃子はやしの音が聞こえるわ。神楽かぐらが始まったみたい」

 と、高原の放ったその声で、狭野は再び我に返った。

 耳を澄ませてみると、人々の喧騒に紛れて神楽囃子かぐらばやしが聞こえてくる。和楽器を用いた日本古来のメロディが、その場一帯を神聖な雰囲気へと誘っていた。

 毎年、こうして夏祭りの夜には、花火会場のすぐそばにある神社で神楽が披露される。
 演者は主に神職の人間だが、場合によってはそれ以外の地元民が参加することもあった。

「早く見に行かなきゃ、龍臣たつおみの出番が終わっちゃうわ。ほら笙悟、急ぐわよ!」

「あっ、ちょっと。そんなに引っ張らないでよ!」

 高原に無理やり手を引かれ、狭野は転びそうになりながらも音の聞こえる方へと向かっていく。

 幽霊と思しき少女もついてくるだろうか、と後ろを振り返ってみれば、彼女はその場に留まって、小さく手を振っていた。

「それじゃあ、私はここで」

「えっ、来ないの? 一緒に見ようよ。神楽、そこそこ見応えはあるよ?」

 正直に言えば、神楽自体にはそれほど興味はなく、ただ一緒に来て欲しいだけだったのだけれど。
 しかしそんな思いは伝わらず、少女はゆっくりと首を横に振る。

「神楽は、ちょっと苦手なの。辛いことを思い出しちゃうから……。私の分まで、二人で楽しんできてね」

 そう言った彼女の顔はどこか寂しげで、憂いのある微笑を浮かべていた。

 どんどん遠くなるその姿から狭野は目を離せないでいたが、やがて視界を遮るように人が横切ると、その一瞬の内に、彼女は煙のように消えてしまったのだった。
 
感想 6

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