神楽囃子の夜

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第一章

少女の絵

 
       ◯


 ちょうど同じ頃、狭野は昨夜まで祭り会場だった場所をふらふらと散策していた。

 部分的に草の刈られた河川敷。
 昨夜は屋台が並んでいたそこには今は何もなく、ゴミもほとんど落ちていない。おそらく夜のうちに清掃が行われたのだろう。

(確か、この辺りだったかな)

 しばらく歩くと、狭野はある場所で立ち止まった。特に目印も何もない、平らな土地。
 昨夜はこの辺りに、ベビーカステラの屋台があった。

 狭野はその場所に立って、きょろきょろと辺りを見回した。

 昨日はここで、あの少女に会ったのだ。
 水色の浴衣を着た中学生くらいの女の子。おそらくはすでに亡くなって、幽霊となった彼女の姿は、なぜか狭野の目にだけは見えていた。
 しかし今は、どこを捜しても見当たらない。

(また、夜になったら会えるのかな?)

 会いたかった。
 もう一度。

 彼女のことを思い出す度に、胸の奥がきゅっと締め付けられるような感じがした。

 誰かに対してそんな風に思うのは、狭野にとって生まれて初めての経験だった。

 幽霊に対して恋心を抱くなど、おかしな話だという自覚はある。
 けれど、惚れてしまったものは仕方がない。



 それから毎日のように、狭野はこの河川敷へと通った。
 しかし、くだんの少女はあの祭りの一件以来、昼夜を問わず、一度も姿を見せることはなかった。

 いつしか夏休みも終わりに近づいて、このままもう二度と会えないのではないか、という不安が狭野の中で大きくなっていく。
 時間が経つにつれ、記憶の中の少女の姿も、段々とおぼろげになっていく。

(……忘れたくないな)

 彼女の姿を忘れないよう、狭野はそれを絵に描き起こした。
 授業用のノートに色鉛筆で、拙いながらも確かな形にしていく。

 水色の浴衣。
 ゆるく結い上げられた黒髪。
 白い肌に、赤く熟れた唇。

 その美しい姿を毎日一枚ずつ、狭野は河川敷の土手に座って描き続けた。



「ちょっと笙悟。まだ幽霊なんて本気で言ってるの?」

 時折、高原が様子を見にやってきた。
 ここのところ遊びの誘いを断り続けている狭野に対し、不満を持っている顔だった。

 毎日毎日飽きもせず同じ少女の絵を描き続ける彼を見て、高原は「幽霊に取り憑かれている」と言って揶揄った。

 狭野は特に否定もしなかった。
 いっそ枕元に化けて出てくれればいいのにとさえ思った。
 あの子に一目会えるのなら、もはや方法などは何でも良かった。

 それをそのまま高原に伝えると、途端に彼女は膨れっ面をしてどこかへ走り去ってしまった。



 そうして迎えた、夏休み最後の日。
 この日は高原ではなく、珍しい客が狭野の元を訪れた。

 いつものように河川敷の土手に座って絵を描いていると、不意に後ろから声を掛けられた。

「高原が怒ってたぞ」

 落ち着いた少年の声。

 肩越しに振り返ってみると、そこにはいつのまにか、袴姿のクラスメイトが立っていた。

 静かにこちらを見下ろす、形の良い切れ長の目。中性的で女子からの人気も高いその顔は、いつだったか高原が「狐顔」だと形容していた。

「祓川か……。珍しいね、こんな所まで来るの」

 予想外の相手に、狭野も今回ばかりは驚いていた。

 祓川はいつも、家の仕事で忙しい。
 神社の跡取りとして色々とやることがあるらしく、普段から同年代の人間と遊ぶこともなければ、こうして境内の外をほっつき歩いている姿もまず見ない。

「今朝も、高原がうちに来た。最近、君がなかなか相手をしてくれないと愚痴を言っていた」

「まあ、僕も忙しいからね」

 言いながら、狭野は再び川の方へ向き直り、手元のノートへ視線を落とした。

「忙しいというのは、その絵を描くことか?」

「そうだよ」

「高原の誘いを断るほどのことか?」

 まるで非難するように言われた気がして、狭野は再度後ろを振り返った。
 お互いに無表情のまま、牽制し合うように見つめ合う。

 やがて先に口を割ったのは狭野の方だった。

「僕には僕のやりたいことがある。この絵は、僕にとってとても大切なものなんだ。だから、誰にも邪魔をされたくないんだよ」

 それを聞いた祓川は、「そうか」と他人事のように相槌を打つと、

「君は自由でいいな」

 と、どこか諦めたような口調で言った。

 そんな彼の反応に、狭野は妙な違和感を覚えた。

 祓川はそのまま無言できびすを返すと、もう用はないとばかりに神社の方へと戻っていった。

 彼の背中が見えなくなると、辺りにはひぐらしの声が響き始めた。空はいつのまにか茜色に染まり、山の向こうに夕日がゆっくりと沈んでいく。

 夏が終わる。
 結局、あの少女に会うことができたのは、祭りの夜のたった一度きりだった。

(また、次の夏になったら会えるのかな)

 夏の終わりがこんなにも寂しいものだと感じたのは、生まれて初めてだった。

 それが、小学五年の夏の思い出。

 忘れもしない、二〇〇五年の八月のことだった。
 
感想 6

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