神楽囃子の夜

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第一章

友達

 
「……祓川が笑ってる」

「私、初めて見たかも……」

 狭野と高原は信じられないというような顔で、祓川の大笑いを見つめていた。

 当の祓川ですら、こんなに笑ったのはいつぶりだろうと思う。
 やがてひとしきり笑った後、やっと呼吸を整えて二人に向き直った。

「すまない、時間を取らせてしまった。とにかく、壊れてしまった物は仕方がない。父には俺が鏡を落としたと説明しておこう。それより早く用事を済ませないと……君たちがここにいるところを父に見られたら、それこそ一巻の終わりだからな」

 その後は二人とも急に大人しくなって、祓川の指示に素直に従った。

 祓川は建物の奥に乱雑に積み上げられた冊子の束から、情報の得られそうなものをピックアップしていく。参拝者の芳名帳に、歴代の催事関係者の名簿、古新聞に号外、古地図。

「すごい量ね……。さすがに、これを全部一日で目を通すのは難しいんじゃないかしら」

「一日どころか、数日かけても無理かもしれないね」

「そう何日も出入りしていたら父に見つかってしまう。猶予は今日の日没までだ」

 次から次へと資料を開く度、そこにはおびただしいほどの人名が並んでいる。
 時間はあっという間に過ぎていき、その日は結局、『キリシマミコト』の名前を見つけることはおろか、資料の半分も確認することはできなかった。

「……だめだ。もう時間がない。父が帰って来てしまう」

 建物の外ではひぐらしが鳴いている。まるでタイムリミットを告げるかのようなその声を耳にして、狭野は肩を落とした。

「ありがとう、祓川。手間を取らせて悪かったね」

 あとは別の方法で調べてみると言う彼に、祓川は改めて質問を投げかけた。

「狭野。今さらだが、君はその幽霊のことを調べてどうしたいんだ? たとえ有力な情報を掴んだとしても、その子はすでに亡くなっているんだろう?」

 酷な話ではあるが、確かめておきたかった。
 彼が捜しているのは、すでにこの世にはいないと思われる少女だ。たとえ生前の彼女のことを知ったところで、当の本人に会えるわけではない。

 狭野は「うーん」としばらく唸った後、不意に顔を上げ、どこか遠くを見つめながら答えた。

「僕がどうしたいとか、具体的なことはよくわかんないけど、ただ……好きになった相手のことを知りたいって思うのは、自然なことなんじゃないかな」

「それは、まあ……わからないでもないが」

 好きな相手、といえば聞こえはいいが、しかし幽霊が相手となれば話は別だ。不確かな存在のために、あまり入れ込みすぎるのもどうかと思う。

 実際にこの一年、狭野は毎日同じような絵ばかり描いて、それ以外のことを疎かにしている印象があった。
 高原からの誘いを断るだけでなく、学業の方も一気に成績を落とし、最近は食まで細くなって少しやつれたようにも見える。
 まるで幽霊に取り憑かれているようだと高原もいつか言っていたが、それが冗談では済まされなくなってきている。

「君がそうしたいと言うのなら、俺に止める権利はない。だが、あまり無茶はするなよ。君は幽霊よりもまず、自分自身を大切にするべきだ」

 祓川が言い終えると、狭野はぼんやりとした目をゆっくりとこちらに向けて言った。

「祓川って、意外と優しいんだね」

「……はっ?」

 出し抜けにそんなことを言われて、祓川は一瞬頭がついていかなかった。

(俺が……優しい?)

 予想外の言葉に唖然としていると、今度は隣から高原が嬉しそうに口を挟む。

「あら、今ごろ気づいたの? 龍臣ってクールだからわかりにくいけど、誰かが困っているときはね、いつもさりげなく助けてくれるのよ。この前だって——」

 彼女は学校での祓川の行動をいくつも挙げては賞賛した。
 重い荷物を運んでいたクラスメイトをそれとなく手伝ったり、全校集会中に熱中症で倒れかけていた生徒の不調をいち早く見抜いたりなど。
 中には本人ですら覚えていない事柄まで述べられて、祓川は段々と居た堪れなくなるのと同時に、高原がこんなにも自分を見てくれていたのだと気づいて思わず赤面した。

「そうなんだ。祓川って、友達思いなんだね」

「とっ……!? 友達じゃ、ない!」

 半ば気恥ずかしさを発散させるように叫ぶと、隣で高原がころころと笑った。

「えー、友達でしょ? ねえ、笙悟」

「うん。僕は祓川のこと、友達だと思ってるけど」

 淀みのない声でそんなことを言われて、祓川はもはや二の句が継げなかった。

 身体が熱い。
 胸がどきどきする。

 こんな風に同年代の人間と談笑するのは、ほとんど初めてに近かった。

 どうしようもない高揚感に包まれて、つい柄にもなく、この時間が永遠に続けばいいのに——などと考えてしまう。

 これが、友達というものなのだろうか。

「……龍臣! どこにいる!」

 突如、雷のような怒声が境内に響き渡った。

 心臓が止まるかと思った。
 三人は驚愕の表情を浮かべて凍りつき、お互いの顔を見合わせる。

「……父だ。もう帰ってきたのか」

「そんな。まだ時間は残っていたはずでしょ……!?」

 どうやら予定よりも早く用事を済ませて帰ってきたらしい。
 とにかくこの場所を一刻も早く出ようと、三人は出口へと急いだ。その間にも、父の声はどんどん近づいてくる。

 祓川はひとまず建物の外に出ると、薄暗闇に包まれた雑木林の方へ指を差して言った。

「君たちはこの雑木林を抜けて、川の方に逃げてくれ」

 ここを抜ければ、いつもの河川敷の方へと出られる。

「でも祓川、君は怒られるんじゃ……」

「一緒にいるところを見られるよりは、一人で遊んでいたと告げる方がマシだ」

「ごめんなさい、龍臣。あの……」

 今にも泣きそうな顔をする高原に、祓川は「いいんだ」と言い宥める。

「別に気にしてない。それに……今日は、少しだけ楽しかった」

 その思いを素直に伝えると、いつのまにか自分でも気づかないうちに、自然と笑みが零れていた。

「さあ、走れ!」

 その声を合図に、二人は駆け出した。

 暗い雑木林の奥へと、彼らの背中が消えていく。
 祓川は一人それを見送って、少しだけ心細くなりながら、やがてゆっくりと息を吐き、踵を返した。
 
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