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第三章
誘い
しおりを挟む「ねえ。なんか、廊下の方が騒がしくない?」
その声で、ふと我に返る。
言われてみれば確かに、教室の外が何やら沸き立っていた。
一体何事かと皆で見に行ってみると、廊下の奥、上下階に続く階段の手前で、多くの女子児童たちが甘い声を上げながら群がっていた。
その集団の中心にいるのは、一人のスーツ姿の男性だった。
「えっ、うそ。あれってもしかして、龍臣様じゃない?」
近くにいた女子が言って、周りにどよめきが起こる。
騒然とする中、ただ一人霧島だけが「誰?」と首を傾げると、周囲の目が一斉にこちらを見た。
「誰って、御琴ちゃん知らないの!?」
信じられない、という風に言われて、霧島はたじろぐ。
「神社の神主様だよ。ほら、いつも言ってるイケメンの」
「神楽で鬼の役をやってた人だよ」
「今年から宮司さんになるんだって」
次から次へと、その男性についての情報が提供されてくる。
そういえば、そんな話を教室でもたまに耳にしている気がする。あれが噂の神主なのかと、霧島は改めて視線の先の彼を見つめた。
年は二十代の半ばほどで、ちょうど狭野や高原と同年代くらいに見える。
黒いスーツに身を包んだその姿はすらりと背が高く、やや狐顔の端正な顔立ちと相俟って、まごうことなき美丈夫といえた。
周りからの情報をまとめると、どうやら彼は学校への挨拶回りとして今日ここへ来たらしい。
今まではその役目も彼の父親が担っていたのだが、数ヶ月前にその父親が亡くなったということで、新しく宮司になった彼がそれを引き継いだのだ。
と、それまで当たり障りなく穏やかな笑みを振りまいていた彼は、急に何かに気づいたように顔を上げた。
「狭野!」
彼の放ったその響きに、霧島は反射的に身を強張らせた。
その場の誰もが、彼につられて階段の上を見上げる。
するとそこには、ちょうど上階から降りてきた狭野が、踊り場の所で足を止めていた。
「俺のことを覚えているか?」
そう問いかけられると、狭野はわずかに間を空けてから答えた。
「もちろん覚えてるよ。……久しぶりだね、祓川」
その口調は、お互いに旧友と再会したときのそれだった。
何? 知り合い? と、周囲の女子たちもざわつく。
「実は、今日は君に頼みがあって来たんだ」
宮司の彼はそう言いながら、変わらず穏やかな微笑を浮かべている。
対して狭野は、いつもの無表情だった。
一見すると、狭野の方が特別無愛想に見えるかもしれない。相変わらず愛想笑いの一つもせず、微妙な距離を保ったまま階段を降りて来ようともしないのだ。
けれどなぜか霧島には、微笑を浮かべている階下の彼の方が、ひどく冷たい印象を受けた。
彼の狭野を見上げるその瞳は、どうにも笑っていないように感じられるのだ。
「単刀直入に言う。来年の神楽なんだが、君に鬼の役を頼めないか?」
神楽、という響きを耳にした瞬間、霧島は呼吸が止まりそうになった。
と同時に、あの恐ろしい光景がフラッシュバックする。
「? どうしたの、御琴ちゃん。気分でも悪いの?」
隣から心配する声が聞こえたが、霧島はそれどころではなかった。
心臓がばくばくとして、上手く息が吸えない。無意識のうちに握りしめた両手がじっとりと汗ばむ。
(だめ……)
その頼みを引き受けてはいけない——と、本能が警鐘を鳴らしていた。
あの神楽は危ない。
狭野を、あの鳥居の先へ行かせてはいけない。
しかし霧島の視線の先で、無情にも会話は進んでいく。
いいよ、と。
まるで子どもが遊びにでも誘われたときのように、狭野は二つ返事でそれを承諾したのだった。
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