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22:理由
しおりを挟む目の前の光景が信じられず、私は兄を見つめたまま動けなかった。
兄が緑地蔵を襲っている。
でも、どうして。
「……やから人間は嫌いなんや!!」
脂汗を流しながら、ミドリさんが叫ぶ。
獣の咆哮のようなそれは暗い空をどこまでも響いていく。
けれど、すぐ近くにいる兄の耳には何一つ届かない。
兄はそのままバットを再び振り上げ、次の一撃に備えた。
「やめてお兄ちゃん!!」
バットが折れるか、緑地蔵が壊れるか。
どちらが早いか、時間の問題だった。
しかしどちらにせよ、このままではミドリさんの体がもたない。
次なる一撃が振り下ろされようとした瞬間、私はたまらず顔を背けた。
……が、あの衝突音は聞こえてこなかった。
不思議に思って再び顔を上げて見ると、兄はバットを振り上げたまま、ぽかんとした表情で固まっていた。
バットの先端は、クロの右手が掴んでいた。
彼はいつのまにか兄の背後に立ち、片手でそれを制している。
「ミドリ、無事か?」
相変わらずの淡々とした声でクロが聞く。
「……来るのが遅いねん。ほんま、どこをほっつき歩いとったんや……」
「口が聞けるようなら、大丈夫だな」
クロはそれだけ言うと、混乱したままの兄から軽々とバットを奪い取り、それを適当な方向へと放り投げた。
バットはとんでもない速度でまっすぐに飛び、一瞬にして川の上を通り過ぎていく。
やがてその先に立つ大木の真ん中に、まるで矢を打ち込んだかのごとく垂直に突き刺さった。
クロの姿が見えない兄は、一体何が起こったのか理解できていないようだった。
一拍遅れて、危険を察したのか、弾かれたようにその場から逃げ出す。
そのまま路肩に停めてあった車に乗り込むと、住宅街の方へと走り去って行った。
「ミドリさん、大丈夫?」
私が彼女のかたわらに膝をついて尋ねると、彼女は上体を起こすなり、ぷいっと不機嫌そうにそっぽを向いてしまった。
「ミドリ、まだどこか痛むか?」
クロが聞くと、彼女は顔を背けたまま、渋々といった様子で呟くように答える。
「……痛いに決まっとるやろ。バットで殴られたんやで。体は大破はせんかったけど、ヒビぐらい入ってるんとちゃうか」
「……治るの?」
私が恐る恐る聞くと、ミドリさんの代わりにクロが答える。
「体に傷のついた部分は治らない。ただ、痛みには慣れるはずだ」
「簡単に言ってくれるなぁ、ほんま」
そう腹立たしげに言うミドリさんの周りには、それまで遠巻きに眺めていた山の動物たちが集まってくる。
「さっきの人間、どっかで見たことあるな思たけど、昼間に病院で見た奴やな。ここにおるみんなも言うてるわ。あいつ、シロの兄ちゃんなんやろ」
指摘されて、心臓が跳ねた。
もともと隠そうとは思っていなかったけれど、いざ彼女の口からそう指摘されると、途端に罪悪感で心が押し潰されそうになる。
兄がなぜミドリさんを狙ったのかはわからないけれど、私が意識不明になっていることと関係があるのは明白だった。
きっと、私が兄のプライドを傷つけてしまったのだ。
「ご、ごめんなさい、ミドリさん。私……」
すかさず謝罪の言葉を口にしたところで、ミドリさんはキッと鋭い視線をこちらに向けた。
「あんたが謝ることとちゃうやろ! ええから黙ってウチの話を聞かんかい!!」
雷が落ちるような勢いで怒鳴られて、私は思わず「は、はいっ」と情けない声で返事をした。
「ええか、よう聞きや。さっきの男……あいつは、妹の意識が戻らん原因が、黒地蔵にあると思い込んどる。見た目のケガも大したことないのに、ずっと目を覚まさんのは、黒地蔵の呪いのせいやってな。人間の脳ミソっちゅうもんは、訳のわからん出来事を目にしたとき、無理やりにでもその理由を探そうとするからな」
その話を聞いて、真っ先に思い出したのは、昨日の兄と葵ちゃんとのやり取りだった。
——ましろが目を覚まさないのは、黒地蔵の呪いのせいかもしれません。
葵ちゃんが、兄にした助言。
兄はきっと、あれを鵜呑みにしたのだ。
「せやから、クロ。あいつの本当の目的はあんたや。あんたの体を壊すことで、妹は目を覚ますと信じとるんや。さっきウチを襲ったのは、たぶん練習台にしただけやろ。木製バットで歯が立たんかったってことは、次は金属バットであんたの体を壊しに来るはずや」
ミドリさんはやや早口で説明する。
おそらくは時間があまり残されていないと考えているのだろう。
金属バットはうちの自宅にはなかったはずだけれど、友達に借りるか、あるいはこの時間帯でも開いている店に行けばすぐにでも手に入る。
「ウチの仲間はみんな怖がってもて、援護はできん。だから自分の身は自分で守るんやで、クロ。……間違っても、変な気は起こさんようにな」
最後の言葉は、何やら意味深だった。
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