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 一寸先も闇だった。
 深く冷たくほの暗い、どこまでも続く冷酷な闇。洞窟さながらの地中深くの空間であるかのように、そこは凍った空気が溜まっていて孤独を象徴しているような場所だった。
 いいや、実際に孤独なのだろう。吹き荒れた闇によりリアの薔薇園は描き消え、闇から浮き彫りになった世界はさながら黄泉の国。
 それも底の底、あの世の一番奥底。大罪人のみが落とされ魂を永遠に封じ込められ凍結される脱出不可能な牢獄で光の類は一切存在しない。ここには冷たい冷気が満ちている。それは真っ当な魂ならばそれに一寸でも触れるだけで氷つく死の冷気。けれど、霧のごとく漂う冷気の中に立つロプトルは心地よく感じていた。

 気管を通り肺に入る冷気は透き通っていて、麻薬のように吸えば数ほど幸福感を満たしていく。それはまるで彼女自身がこの場に適した存在であるかのように。

 いいや、実際にそうなのだ。聖器(ロプトル)という存在は冥界の氷水を吸い取って固めてできた塊であるがゆえに。

「………」

 見渡すばかりの闇に次いで、氷の洞窟へと姿を変貌させる。
 それは一瞬に、はるか正面から津波のようにやってきて、ロプトルをすぎ去ると全ては描き変わっていた。
 上も下も右も左も、全て凍った薄暗い蒼の洞窟。先ほどよりも最も冷たく生のない氷の牢獄。ここは感情どころか時間という概念すら凍結しているような、冷たくもさみしい孤独感が滞在している。

 そこで、ロプトルは地面に落ちているぬいぐるみを見つけ拾い上げる。

 何の変哲もない熊のぬいぐるみ。茶色い毛糸で編まれ、目や鼻はボタンで再現されており首には赤いリボンをつけている、愛くるしいぬいぐるみだった。
 ただ、それはこの霊界の水に濡れており水を多く吸ってしけりところどころ凍って、薄汚れている。

 水を吸って重くなり、冷たく孤独にここに落ちていたぬいぐるみを抱きかかえると、一つ息を呑むと何かを理解して呪い(少女)は呟くのだった。

「これがアタシ……」

 そうして、世界は静けさと共に閉ざされていく。

「っ――!?」

 長いようで短い悪夢から目が覚めると、体は反射的に飛び起きた。 

「ここは…」

 上半身を起こしたその状態のまま見渡すと、そこは教会でどうやら椅子の上に寝ていたらしいことは理解する。

「うっ……あっ……」
「ミカエ、ミカエ大丈夫!?」

 自分のすぐそばで同じように椅子に横たわっているミカエがうめき声を上げて、苦しんでいるのを見つけると、寄って状況の判断がつかない自分へ、呆れた調子で声がかけられた。

「騒がしいわよ。お茶が不味くなるじゃない」
「お茶って……。アンタ何言って。早くミカエを助けないと!」
「やーね。なんでカレンが助けなきゃいけないの? それに、助けならもう行ったじゃない」

 言われてロプトルが顔をしかめると、それを見たカレンは行儀よく両手で持っていた湯飲みを机に置いて、呆れたように頬杖をついてため息を漏らした。

「アナタだって、リアに助けてもらったのでしょう?」
「リア? はっ――」

 言われ、慌てて周りを見渡すもリアは居ない。
 確かに自分はリアに救われたのだと思い出して、リアが最後に言っていたことを思い出す。

『ロプちゃん大変だよ、ミカエちゃんも危ないっ!』

 最後に言った言葉、それは本当で、だとしたならリアはまだ夢の中に居るということになる。
 それも、今度はロプトルの夢の中ではなくミカエの夢の中に。
 原理や仕組みで夢を移動しているのか分からないが、リアは試練を自力で乗り越えて、そして得た能力はそういうものだというところまでロプトルは理解が及ぶ。
 けれど、だとしたなら。リアはまた危機的状況の中にいるのではないかと、苦しむミカエの手を握ってロプトルは思い、なおのことカレンを強く睨みつけた。

 なんでアンタは何もしないんだと、恨みの念を込めて睨みつけるもそれにたじろぐ様子は微塵もない。むしろ詰まらなそうに、呆れ面倒そうにして何故か愉快そうなカレンと視線が合うと彼女は口元を悦に小さく引く。

「何がおかしい」
「何って?」

 その態度に、苛立ちを隠せない。
 今も声を上げて苦しむミカエから手を離し、立ち上がり抗議するも、それをカレンはうすら笑みをうかべて返しただけだった。

「リアも戻って来ないし、ミカエは苦しんでるのに何がそんなに面白いの」
「うふふ、や~ねぇ。これでも心配はしているつもりよ? せっかく自分自身の使い方を知ったというのに、こんなことで死んでしまったらカレンの苦労は水の泡になってしまうもの。そんな無駄骨はイヤ、だから最低限リアという保証はするつもりよ」
「こいつ……」

ならミカエはどうなったっていいっていうのか……。


「でもまあ、アナタの言う通り愉快といえば愉快かもね。だってアナタが無事にこうして戻ってきた。ということは、少なからず封じ込めていた力を解放したということになる。それが可笑しくて楽しくないわけがないじゃない。
 だってアナタは呪いそのものでしょう? そんなものが解放されたら周りの奴らは不幸になる。それを承知でこの結果なのよ」
「なにを……」
「知っているわよ、全部ね。
 冥界の底にある世界――氷の川(エーリヴァーガ)。そこの川に落ちて、ありったけの川の水を吸ったぬいぐるみ。それがアナタ。
 あそこの凍てついた汚水は元をたどれば亡者どもの魂が溶けて凍ったものよ。川の水一滴一滴その分子構造に至るまで氷に囚われた怨嗟と呪詛の塊とでも言ってもいい。そんな呪いまみれの水を吸った物が周りを不幸にしないわけがないじゃない。近くに在るだけで周囲に悪い影響を及ぼすのは言うまでもないじゃない。
 だから力を押さえていたというのに、わざわざそれを取り戻すなんて? 周りをそんなに不幸にしたいの?」
「なんでアンタがそんなこと」
「知っていて当然よ。カレンは先人(死神)なのよ? 知らないわけがない」

 そう、ロプトルの中身(真相)はカレンの言う通りだった。
 冥界の奥底にある呪いの川の水を吸ったぬいぐるみ。その水は呪いまみれでゆえに、それを媒介としているロプトルは呪いそのものと言って良く、同時に彼女が周りに疎まることになり、周りを不幸にする原因はそこから来るものでもあった。

 ロプトルは聖器(ロザリオ)を扱えない。というのが本人と周囲の認識であるが、実際はそうではない。ただ生まれた時から本人が無自覚のまま自動的に常体で発動していたに過ぎず、溢れる力は周りを例外なく不幸に導く物。それは両親、友人、知人など関係なく、ただ近くにいるというだけで影響を与えるという代物だ。
 忌柄子――そう呼ばれていたこともあながち間違いではなかった訳で、だからこそロプトルは不幸になったし、その周りも不幸になりロプトルを遠ざけた。
 元をただせばつまるところそれが真実で、両親の死後、自分自身を否定することにより無意識的にだが聖器(ロザリオ)を制御し力を押さえていたがために、他人と共存ができていた。
 夢の中でそれを知ったが為にリアは、押さえることができるならコントロールすることもできるだろうと、自身を否定し続け向き合おうとしないロプトルに意気地なしと、自分自身大切にしてほしくて怒ったのであった。

 だが、リアのそれはあくまでも理論上の話だ。押さえていたからコントロールができる。それ自体ロプトルを信じた希望的観測であっただろうし、たとえそれができなくともリアはロプトルを嫌わないという自信があったがゆえに過ぎない。

 当のロプトルが実際に聖器(ロザリオ)を制御できるか、できなかったときロプトルがどう思うかなどは自分勝手だが二の次なのもまた確か。

 なら、ロプトルに制御できなかった時の覚悟はできているか?
 そう問われるならば否であろう。ゆえにそれを知るカレンはロプトルが滑稽さにおかしみを禁じ得なかった。
 所詮は魔王の人形。周りに巻き込まれて流されるまま周囲を破壊する呪いの人形でしかないのだと。

「せっかく死ねる機会を挙げたというのに、馬鹿なのかしら」
「………」

 だから、その苦しみから解放されるチャンスをくれてやったのだが、と惜しいことをしたと愚かしくて憐れんでいた。

 というのも、実のところリアが試練を難なく攻略することを確信していた以上、元来ならばロプトルとミカエの二人に試練を与える必要はなかった。のに関わらず、二人に試練を受けさせたのは死の宣告で、それは不幸な魂を運ぶ死神であるがため、常人の価値観とはズレてはいるが彼女なりの配慮であった。

 ただ不幸なものは救われて来世を送るべきだと、過去がすべて恥に代わる前に、生者の幸福を祈る死神ゆえの行為。

 であるのに結果がこれではと……。
 ならば、目的を失敗したこの死神(天邪鬼)の取る次の行動は何なのか。

 静かに立ち上がり机の前に出るカレン。
 彼女の表情は不気味な笑みを孕んでおり、ロプトルにはそれが悪意に満ちた笑みににでも見えただろう。立ち上がったカレンに警戒をして敵対心むき出しの睨みをやめない。
 そして、その敵対し警戒する態度はあながち判断としては間違いではなく。

「安心しなさいな。自分で次に逝け(死ね)ないという言うのならカレンが手伝ってあげる」

 カレンは右手を横に広げると銀に輝く粒子と共に死神の鎌を顕現させた。

「なにそれ……」

 その行為はロプトルを怒らせるには挑発として十分であった。
 
 ――瞬間、火蓋は切られた。

「復活(レザレクション)――」

 協会の椅子の背もたれを踏み飛び出し無意識呟いた言葉と同時、ロプトルの周囲に冷気が集まりそれが蒸発する煙となって彼女の前で形を変える。
 そうして形成したのは氷を雑に削って形を模した彫刻。
 持ち手は長くロプトルの身長を超えて、その先から反れた刃が突き出ているそれは、カレンの大鎌を模しており、性質は違えど瓜二つの物であった。

 それを大きく振りかぶって放たれた斬撃は、轟音と共に絡み取られて瓜二つの鎌は衝突していた。

「へえ、まともに制御できているの。しかもカレンのマネだなんて」

 その光景に当事者であるカレンは冷たく感想を語り愉悦が表情に滴る。

「なにがおかしいの!」

 見様見真似で形成した聖器(ロザリオ)。無意識にも近かったがそれは間違いなくロプトルは自分自身の聖器(呪い)を制御できていた証明に他ならない。

「誤解よ。カレンは嬉しいのよ、アナタがそれを扱っていることが。そして何よりも誇らしくも悲しい」
「ぐっ――」

 絡まった鎌を引かれて、体制が崩れたところに回し蹴りが腹部に突き刺さってロプトルは吹き飛んだ。

「この……」

 吹き飛んで着地して、体制を整えるロプトルにカレンは構えて笑みを浮かべる。

「いいわ。リアが戻ってくる間、暇つぶしとして遊んであげる」

 二人の戦いは全く意図しない形で、ここに開戦の狼煙を挙げた。



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