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第1話 魚、大地に立つ
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春。
高校三年のクラス替え。
掲示板に貼り出された名簿を見た瞬間、俺の心臓が跳ねた。
3年B組。そこには見覚えのある名前が二つ。
天雨 皐月(あまめ さつき)。
中学の頃、数少ない友人だった。寡黙で近寄りがたい雰囲気のせいで周りから距離を置かれていた彼女に、俺は気さくに話しかけていた。でも高校に入ってから、彼女は変わった。生徒会に入り、友達もでき、スクールカースト上位の存在になった。
もう一人は、晴美。
八子祥 晴美(やごさち はるみ)――俺の従姉妹だ。
小学生の頃、祖母の家で一緒に遊んだ日々。でも親戚の圧力で引き離された。高校で再会したけど、彼女も生徒会にいて、俺とは住む世界が違う。
そして俺は――八子祥 晃制(やごさち こうせい)。名家の血を引きながら、失踪した祖父の悪評のせいで親戚から疎まれ、高校では底辺カースト。オタク気質で友達も少ない。
「おー、晃制!同じクラスじゃん!」
明るい声が後ろから聞こえた。振り返ると、太田 退行(ただ たいこう)が手を振っていた。
丸々とした体型で、いつもニコニコしている。俺と同じオタク仲間で、唯一と言ってもいい親友だ。
「太田も同じクラスか。良かった」
「だろ?これで受験勉強も一緒にできるな」
太田は木戸(きど)たちのいじめの対象でもあるけど、本人は全く気にしていない。メンタルの強さだけは誰にも負けない。
「ていうか、天雨さんも八子祥さんもいるじゃん。豪華なクラスだな」
「……まあな」
複雑な気持ちを隠して、俺は曖昧に答えた。
教室に入ると、既にクラスメイトが集まっていた。
皐月は窓際の席に座り、何人かの女子と談笑していた。晴美は教室の後ろで、生徒会のメンバーらしき男子と書類を確認している。
俺と太田は、できるだけ目立たないように隅の席に座った。
二人とも、こちらを見ることはなかった。
まあ、そうだよな。俺から話しかける勇気もない。
「なあ晃制、今期のアニメさ――」
太田が何か話しかけてきたけど、俺の頭はぼんやりしていた。
まだ担任は来ていない。教室はざわついていて、あちこちで会話が飛び交っている。
――その時だった。
教室のドアが勢いよく開いた。
バンッという音と共に、見たこともない男が飛び込んできた。ローブのような服を纏い、杖を持っている。息を切らして、まるで何かから逃げてきたような様子だ。
「え、誰!?」
「コスプレ?」
クラスメイトたちがざわめく。でも、男はそんなものを気にせず、杖を掲げた。
その瞬間、魔法陣のような光が教室全体を包み込んだ。
「な、何だこれ!?」
「え、ちょっと、待って――」
悲鳴が上がる。俺も立ち上がろうとしたが、体が動かない。光が強くなり、視界が真っ白に染まっていく。
「晃制!?」
太田の声が聞こえた。でも、もう何も見えない。
浮遊感。
重力が消えたような感覚。
そして――気づけば、俺たちは別の場所にいた。
石造りの大広間。高い天井には豪華なシャンデリア。正面には玉座があり、そこに王冠を被った初老の男が座っていた。
周囲には甲冑を着た兵士や、ローブ姿の魔法使いらしき人々が並んでいる。
「ここ、どこ……?」
「夢、だよな?」
クラスメイトたちが混乱している。俺も状況が理解できない。さっきまで教室にいたはずなのに。
「晃制、お前無事か!?」
太田が駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫……だと思う」
でも、何が大丈夫なのか分からない。
「ようこそ、勇者たちよ」
玉座の男――王らしき人物が立ち上がり、声を上げた。
「我が名はアルフレッド・ヴァレンティア。この魔導王国ヴァレンティアの王である。突然のことで驚かれたであろうが、どうか話を聞いてほしい」
勇者?魔導王国?
頭の中が混乱する。でも、目の前の光景は現実だ。これは夢じゃない。
王の隣に、白いローブを纏った神官が進み出た。三十代後半くらいだろうか。落ち着いた、穏やかな雰囲気の男だ。
「私はグノーシス・セント。王国神殿の神官長を務めております」
グノーシスが杖を掲げると、空中に映像が浮かび上がった。荒廃した大地、崩れ落ちる街、逃げ惑う人々。
「突然のことで誠に申し訳ございません。まず状況をご説明させていただきます。高名な預言者が予見いたしました――10年後、この世界に大厄災が訪れると。その災厄を止めることができるのは、異世界より召喚された勇者のみであると」
「異世界って……まさか、俺たち?」
誰かが震える声で言った。
「その通りでございます」グノーシスが頷いた。「皆様の中に、かつてこの世界を救った勇者の血を引く方がおられます。その気配を頼りに、我々は召喚の儀式を執り行いました」
勇者の血?
ざわめきが広がる。クラスメイトたちが互いを見合う。
「ご心配には及びません。皆様には既に、この世界においでになった時点で特別な力が宿っております。我々が『チートスキル』と呼んでいる、この世界で生き抜くための能力でございます」
グノーシスが手を挙げると、数人のローブを纏った魔道士が前に出てきた。
「これより、我が国の宮廷魔道士たちが、皆様のスキルを確認させていただきます」
宮廷魔道士たちが一列に並ぶ。その目には、小さな魔法陣のようなものが浮かんでいた。
「あれ、魔法……?」
太田が呟いた。
確かに、あの目の魔法陣は何かのスキルか魔法を使っている証拠なんだろう。
リアルだ。これが本当に異世界なんだと、今更ながら実感する。
「では、前から順にお願いいたします」
一人目のクラスメイトが前に出た。魔道士がその手に触れる。数秒後、魔道士が頷いた。
「『大賢者』……素晴らしい!あらゆる知識を瞬時に理解し、習得できるスキルでございます」
どよめきが起こる。本人も驚いた顔をしている。
次々とクラスメイトが確認していく。
「『極限魔法』!魔法の威力と範囲が極限まで高められます」
「『神速』!信じられない速度で動ける能力でございます」
「『創造』!無から物質を生み出せるとは……」
一人ずつ、信じられないような能力が明かされていく。クラスメイトたちの表情が、不安から期待へと変わっていくのが分かった。
「すげえ……マジで異世界だ……」
太田が興奮した様子で呟いている。
やがて、俺の番が来た。
足が震える。周りのクラスメイトは皆、すごい能力を手にしている。俺にも何か、力が宿っているんだろうか。
魔道士の前に立つ。その目に浮かぶ小さな魔法陣が、こちらを見つめている。
魔道士が俺の手に触れた。
冷たい感触。そして――何も起こらない。
数秒が過ぎる。魔道士が首を傾げた。
「……おかしいですな」
もう一度、手に触れられる。でも、やはり何も起こらない。
周囲の視線が痛い。ざわめきが大きくなる。
「申し訳ございません。もう一度、別の者に確認させましょう」
別の魔道士が前に出てきた。同じように手に触れる。目の魔法陣が光る。
でも、結果は同じだった。
「これは……スキルが、ございません」
魔道士が困惑した表情で言った。
沈黙。
「え、マジで?」
「スキルなしって、どういうこと?」
クラスメイトたちの声が、容赦なく突き刺さる。
「次の方、お願いいたします」
グノーシスの声が聞こえたが、俺は動けなかった。なぜ?どうして俺だけ?
列を外れると、次に前に出たのは――皐月だった。
彼女も魔道士の手に触れる。
魔法陣が光る。
そして、俺と同じように――何も起こらなかった。
再び沈黙。
さっきまでの歓声が嘘のように、広間が静まり返る。
「これは……」別の魔道士も確認する。「この方も、スキルが……ございません」
「え、二人も?」
「どうなってんの?」
「それじゃ、ただの一般人じゃん」
クラスメイトたちの声が、容赦なく突き刺さる。
皐月は無表情のまま、じっと自分の手を見つめていた。
俺は――最低なことを考えていた。
自分だけじゃなかった。
皐月も、俺と同じだ。
胸の奥で、ほんの少しだけ安堵している自分がいた。一人じゃない。この絶望を共有する誰かがいる。
でも、すぐに罪悪感が襲ってくる。こんなこと、考えちゃいけない。皐月だって苦しんでいるはずなのに。
俺は――ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
異世界に来ても、やっぱり俺は何者にもなれないのか。
「晃制……」
太田が心配そうにこちらを見ていた。でも、何も言えない。
その後、残りのクラスメイト全員のスキル確認が終わった。
結果は――俺と皐月以外、全員が強力なスキルを持っていた。
誰かのスキルが何だったか、もう覚えていない。
ただ、歓声と羨望の声だけが耳に残っている。
そして俺と皐月は、何もない。
「誠に申し訳ございません」
グノーシスが俺たちに向かって頭を下げた。
「このようなことは初めてでして……理由は分かりかねますが、お二人にはスキルが発現していないようでございます」
「じゃあ、俺たちは……」
「もちろん、見捨てるようなことはいたしません。お二人も立派な勇者の一員でございます。できる限りのご支援をさせていただきます」
優しい言葉だった。でも、その裏にある「戦力外」という現実は変わらない。
王が立ち上がり、何か宣言していた。
でも、俺の耳には何も入ってこなかった。
ただ、頭の中で同じ言葉が繰り返される。
――スキルがない。
――俺には、何もない。
兵士たちに案内され、俺たちは城の居住区へと向かった。
廊下を歩く。足が重い。クラスメイトたちの興奮した声が聞こえる。誰かが笑っている。誰かが能力の話をしている。
誰も俺には話しかけてこない。
太田だけが、黙って隣を歩いていた。
皐月の姿が少し離れたところに見えた。彼女も一人で歩いていた。
やがて、長い廊下を曲がったところで、太田が別の兵士に呼ばれた。
「太田退行様は、こちらのお部屋でございます」
「あ、はい……」
太田が立ち止まる。
……少しの沈黙。
「なあ、晃制」
「ん?」
「まあ、なんとかなるって。よくあるだろ、無能力者が無双する展開」
太田が無理やり笑顔を作った。
「……ああ」
「じゃ、また明日な」
太田が手を振って、別の廊下へと消えていった。
一人になった俺は、兵士に案内されてさらに歩く。
やがて、ある扉の前に着いた。
「八子祥晃制様、こちらがお部屋でございます」
兵士の声が遠い。
扉を開けると、広い部屋だった。ベッド、机、本棚。窓からは城下町が見える。
そして、部屋の中には――二人の少女が立っていた。
「初めまして、晃制様」
二人の少女が同時に頭を下げた。
双子だ。見た目はそっくりだが、雰囲気が全く違う。
「私はリーゼ。こちらは妹のロッテです。本日より、あなたの専属メイドを務めさせていただきます」
左側の少女――リーゼが言った。真っ直ぐこちらを見据える瞳。凛とした、強気な印象を受ける。
「よ、よろしくお願いします……」
右側の少女――ロッテが小さく頭を下げた。おどおどとした仕草。姉とは対照的に、気弱そうな雰囲気だ。
「専属メイド……?」
やっと声が出た。
「はい。勇者の皆様には、それぞれ専属のメイドがつくことになっております。身の回りのお世話や、この世界についてのご説明など、何でもお申し付けください」
リーゼがきびきびと説明する。
「あの、お疲れでしょうから……お食事の準備をしますね」
ロッテが心配そうにこちらを見た。
疲れている。確かに。
というより、何も考えられない。
異世界。召喚。勇者。チートスキル。
そして、俺には何もない――。
「晃制様?」
リーゼの声で我に返る。
「あ、ああ。ありがとう」
「では、少しお休みください。お食事ができましたらお呼びいたしますので」
二人が部屋を出ていく。
一人になった部屋で、俺はベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げる。
ここは異世界。もう元の世界には戻れない。
そして俺には、何の力もない。
――これから、どうすればいいんだろう。
答えの出ない問いだけが、頭の中をぐるぐると回り続けた
高校三年のクラス替え。
掲示板に貼り出された名簿を見た瞬間、俺の心臓が跳ねた。
3年B組。そこには見覚えのある名前が二つ。
天雨 皐月(あまめ さつき)。
中学の頃、数少ない友人だった。寡黙で近寄りがたい雰囲気のせいで周りから距離を置かれていた彼女に、俺は気さくに話しかけていた。でも高校に入ってから、彼女は変わった。生徒会に入り、友達もでき、スクールカースト上位の存在になった。
もう一人は、晴美。
八子祥 晴美(やごさち はるみ)――俺の従姉妹だ。
小学生の頃、祖母の家で一緒に遊んだ日々。でも親戚の圧力で引き離された。高校で再会したけど、彼女も生徒会にいて、俺とは住む世界が違う。
そして俺は――八子祥 晃制(やごさち こうせい)。名家の血を引きながら、失踪した祖父の悪評のせいで親戚から疎まれ、高校では底辺カースト。オタク気質で友達も少ない。
「おー、晃制!同じクラスじゃん!」
明るい声が後ろから聞こえた。振り返ると、太田 退行(ただ たいこう)が手を振っていた。
丸々とした体型で、いつもニコニコしている。俺と同じオタク仲間で、唯一と言ってもいい親友だ。
「太田も同じクラスか。良かった」
「だろ?これで受験勉強も一緒にできるな」
太田は木戸(きど)たちのいじめの対象でもあるけど、本人は全く気にしていない。メンタルの強さだけは誰にも負けない。
「ていうか、天雨さんも八子祥さんもいるじゃん。豪華なクラスだな」
「……まあな」
複雑な気持ちを隠して、俺は曖昧に答えた。
教室に入ると、既にクラスメイトが集まっていた。
皐月は窓際の席に座り、何人かの女子と談笑していた。晴美は教室の後ろで、生徒会のメンバーらしき男子と書類を確認している。
俺と太田は、できるだけ目立たないように隅の席に座った。
二人とも、こちらを見ることはなかった。
まあ、そうだよな。俺から話しかける勇気もない。
「なあ晃制、今期のアニメさ――」
太田が何か話しかけてきたけど、俺の頭はぼんやりしていた。
まだ担任は来ていない。教室はざわついていて、あちこちで会話が飛び交っている。
――その時だった。
教室のドアが勢いよく開いた。
バンッという音と共に、見たこともない男が飛び込んできた。ローブのような服を纏い、杖を持っている。息を切らして、まるで何かから逃げてきたような様子だ。
「え、誰!?」
「コスプレ?」
クラスメイトたちがざわめく。でも、男はそんなものを気にせず、杖を掲げた。
その瞬間、魔法陣のような光が教室全体を包み込んだ。
「な、何だこれ!?」
「え、ちょっと、待って――」
悲鳴が上がる。俺も立ち上がろうとしたが、体が動かない。光が強くなり、視界が真っ白に染まっていく。
「晃制!?」
太田の声が聞こえた。でも、もう何も見えない。
浮遊感。
重力が消えたような感覚。
そして――気づけば、俺たちは別の場所にいた。
石造りの大広間。高い天井には豪華なシャンデリア。正面には玉座があり、そこに王冠を被った初老の男が座っていた。
周囲には甲冑を着た兵士や、ローブ姿の魔法使いらしき人々が並んでいる。
「ここ、どこ……?」
「夢、だよな?」
クラスメイトたちが混乱している。俺も状況が理解できない。さっきまで教室にいたはずなのに。
「晃制、お前無事か!?」
太田が駆け寄ってきた。
「ああ、大丈夫……だと思う」
でも、何が大丈夫なのか分からない。
「ようこそ、勇者たちよ」
玉座の男――王らしき人物が立ち上がり、声を上げた。
「我が名はアルフレッド・ヴァレンティア。この魔導王国ヴァレンティアの王である。突然のことで驚かれたであろうが、どうか話を聞いてほしい」
勇者?魔導王国?
頭の中が混乱する。でも、目の前の光景は現実だ。これは夢じゃない。
王の隣に、白いローブを纏った神官が進み出た。三十代後半くらいだろうか。落ち着いた、穏やかな雰囲気の男だ。
「私はグノーシス・セント。王国神殿の神官長を務めております」
グノーシスが杖を掲げると、空中に映像が浮かび上がった。荒廃した大地、崩れ落ちる街、逃げ惑う人々。
「突然のことで誠に申し訳ございません。まず状況をご説明させていただきます。高名な預言者が予見いたしました――10年後、この世界に大厄災が訪れると。その災厄を止めることができるのは、異世界より召喚された勇者のみであると」
「異世界って……まさか、俺たち?」
誰かが震える声で言った。
「その通りでございます」グノーシスが頷いた。「皆様の中に、かつてこの世界を救った勇者の血を引く方がおられます。その気配を頼りに、我々は召喚の儀式を執り行いました」
勇者の血?
ざわめきが広がる。クラスメイトたちが互いを見合う。
「ご心配には及びません。皆様には既に、この世界においでになった時点で特別な力が宿っております。我々が『チートスキル』と呼んでいる、この世界で生き抜くための能力でございます」
グノーシスが手を挙げると、数人のローブを纏った魔道士が前に出てきた。
「これより、我が国の宮廷魔道士たちが、皆様のスキルを確認させていただきます」
宮廷魔道士たちが一列に並ぶ。その目には、小さな魔法陣のようなものが浮かんでいた。
「あれ、魔法……?」
太田が呟いた。
確かに、あの目の魔法陣は何かのスキルか魔法を使っている証拠なんだろう。
リアルだ。これが本当に異世界なんだと、今更ながら実感する。
「では、前から順にお願いいたします」
一人目のクラスメイトが前に出た。魔道士がその手に触れる。数秒後、魔道士が頷いた。
「『大賢者』……素晴らしい!あらゆる知識を瞬時に理解し、習得できるスキルでございます」
どよめきが起こる。本人も驚いた顔をしている。
次々とクラスメイトが確認していく。
「『極限魔法』!魔法の威力と範囲が極限まで高められます」
「『神速』!信じられない速度で動ける能力でございます」
「『創造』!無から物質を生み出せるとは……」
一人ずつ、信じられないような能力が明かされていく。クラスメイトたちの表情が、不安から期待へと変わっていくのが分かった。
「すげえ……マジで異世界だ……」
太田が興奮した様子で呟いている。
やがて、俺の番が来た。
足が震える。周りのクラスメイトは皆、すごい能力を手にしている。俺にも何か、力が宿っているんだろうか。
魔道士の前に立つ。その目に浮かぶ小さな魔法陣が、こちらを見つめている。
魔道士が俺の手に触れた。
冷たい感触。そして――何も起こらない。
数秒が過ぎる。魔道士が首を傾げた。
「……おかしいですな」
もう一度、手に触れられる。でも、やはり何も起こらない。
周囲の視線が痛い。ざわめきが大きくなる。
「申し訳ございません。もう一度、別の者に確認させましょう」
別の魔道士が前に出てきた。同じように手に触れる。目の魔法陣が光る。
でも、結果は同じだった。
「これは……スキルが、ございません」
魔道士が困惑した表情で言った。
沈黙。
「え、マジで?」
「スキルなしって、どういうこと?」
クラスメイトたちの声が、容赦なく突き刺さる。
「次の方、お願いいたします」
グノーシスの声が聞こえたが、俺は動けなかった。なぜ?どうして俺だけ?
列を外れると、次に前に出たのは――皐月だった。
彼女も魔道士の手に触れる。
魔法陣が光る。
そして、俺と同じように――何も起こらなかった。
再び沈黙。
さっきまでの歓声が嘘のように、広間が静まり返る。
「これは……」別の魔道士も確認する。「この方も、スキルが……ございません」
「え、二人も?」
「どうなってんの?」
「それじゃ、ただの一般人じゃん」
クラスメイトたちの声が、容赦なく突き刺さる。
皐月は無表情のまま、じっと自分の手を見つめていた。
俺は――最低なことを考えていた。
自分だけじゃなかった。
皐月も、俺と同じだ。
胸の奥で、ほんの少しだけ安堵している自分がいた。一人じゃない。この絶望を共有する誰かがいる。
でも、すぐに罪悪感が襲ってくる。こんなこと、考えちゃいけない。皐月だって苦しんでいるはずなのに。
俺は――ただ、立ち尽くすことしかできなかった。
異世界に来ても、やっぱり俺は何者にもなれないのか。
「晃制……」
太田が心配そうにこちらを見ていた。でも、何も言えない。
その後、残りのクラスメイト全員のスキル確認が終わった。
結果は――俺と皐月以外、全員が強力なスキルを持っていた。
誰かのスキルが何だったか、もう覚えていない。
ただ、歓声と羨望の声だけが耳に残っている。
そして俺と皐月は、何もない。
「誠に申し訳ございません」
グノーシスが俺たちに向かって頭を下げた。
「このようなことは初めてでして……理由は分かりかねますが、お二人にはスキルが発現していないようでございます」
「じゃあ、俺たちは……」
「もちろん、見捨てるようなことはいたしません。お二人も立派な勇者の一員でございます。できる限りのご支援をさせていただきます」
優しい言葉だった。でも、その裏にある「戦力外」という現実は変わらない。
王が立ち上がり、何か宣言していた。
でも、俺の耳には何も入ってこなかった。
ただ、頭の中で同じ言葉が繰り返される。
――スキルがない。
――俺には、何もない。
兵士たちに案内され、俺たちは城の居住区へと向かった。
廊下を歩く。足が重い。クラスメイトたちの興奮した声が聞こえる。誰かが笑っている。誰かが能力の話をしている。
誰も俺には話しかけてこない。
太田だけが、黙って隣を歩いていた。
皐月の姿が少し離れたところに見えた。彼女も一人で歩いていた。
やがて、長い廊下を曲がったところで、太田が別の兵士に呼ばれた。
「太田退行様は、こちらのお部屋でございます」
「あ、はい……」
太田が立ち止まる。
……少しの沈黙。
「なあ、晃制」
「ん?」
「まあ、なんとかなるって。よくあるだろ、無能力者が無双する展開」
太田が無理やり笑顔を作った。
「……ああ」
「じゃ、また明日な」
太田が手を振って、別の廊下へと消えていった。
一人になった俺は、兵士に案内されてさらに歩く。
やがて、ある扉の前に着いた。
「八子祥晃制様、こちらがお部屋でございます」
兵士の声が遠い。
扉を開けると、広い部屋だった。ベッド、机、本棚。窓からは城下町が見える。
そして、部屋の中には――二人の少女が立っていた。
「初めまして、晃制様」
二人の少女が同時に頭を下げた。
双子だ。見た目はそっくりだが、雰囲気が全く違う。
「私はリーゼ。こちらは妹のロッテです。本日より、あなたの専属メイドを務めさせていただきます」
左側の少女――リーゼが言った。真っ直ぐこちらを見据える瞳。凛とした、強気な印象を受ける。
「よ、よろしくお願いします……」
右側の少女――ロッテが小さく頭を下げた。おどおどとした仕草。姉とは対照的に、気弱そうな雰囲気だ。
「専属メイド……?」
やっと声が出た。
「はい。勇者の皆様には、それぞれ専属のメイドがつくことになっております。身の回りのお世話や、この世界についてのご説明など、何でもお申し付けください」
リーゼがきびきびと説明する。
「あの、お疲れでしょうから……お食事の準備をしますね」
ロッテが心配そうにこちらを見た。
疲れている。確かに。
というより、何も考えられない。
異世界。召喚。勇者。チートスキル。
そして、俺には何もない――。
「晃制様?」
リーゼの声で我に返る。
「あ、ああ。ありがとう」
「では、少しお休みください。お食事ができましたらお呼びいたしますので」
二人が部屋を出ていく。
一人になった部屋で、俺はベッドに倒れ込んだ。
天井を見上げる。
ここは異世界。もう元の世界には戻れない。
そして俺には、何の力もない。
――これから、どうすればいいんだろう。
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