トリムルティ~まほろばの秋津島に まろうどの神々はよみがえる~第二部 日沈む国から来たる彗星は光輪を蝕む

清見こうじ

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第9章 誘惑の天妙華

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「おはようございます。朝からスミマセン」

 インターホンのスピーカーから、聞きなれた先輩の声が響き、美矢は短く返答してすぐにドアを開けた。

「いらっしゃい。どうぞ上がってください」

 ドアの外には真実と、その恋人の健太が立っていた。

「ありがとう。あ、これお土産。って言っても、健太からだけど」
「上京するならって、真実がリクエストしたから……俊は?」
「来てます。お土産、ありがとうございます。真実先輩のセレクトなら、きっとおいしいですね」

 テレビの情報番組で、美矢も見かけた覚えがある、季節限定の茶葉入りバームクーヘンの詰め合わせを受け取り、美矢は謝意を伝える。

「ホイップクリーム添えるときっと美味しいって真実が言うから、ついでに買ってきたよ」
「兄さんが喜びそうな取り合わせですね」
「そうだな。和矢は今日も斎んとこ?」
「それが珍しく、家にいるんですよ。斎先輩、用事があるみたいで。あ、上がってください」

 美矢に連れられて二人が客間に入ると、俊と和矢がテキストを広げて話し込んでいた。

 今日は、夏休み前に行われる三年生の実力テストに向けた勉強会のため、遠野家に集まっている。正確には、健太が真実と俊に英語を教え、代わりに俊が真実に数学と化学を教える約束になっている。美矢は勉強場所の提供とサポートというか見守り役で。

 今日は弓子は仕事で夕方まで不在で、みんなが集中して学習できるよう、主に食事面のサポートをする予定である。

 和矢は、そもそも斎と週末を過ごすことが最近の常で、頭数に入っていなかったのだが、珍しく家にいるので合流することになった。
 
「あ、いらっしゃい」
「お邪魔します。……何? 数学?」
「うん、微分。指数関数の法則が……」
「あ、いい! 聞いても分かんないから!! これ以上色々聞くと、キャパが越えるから聞かせないで!!」

 自分で質問しておいて和矢の返答に耳を塞ぐ真実の頭を、健太が軽く小突く。

「こら、そういう言い方! 今日は数学も教えてもらうんだろ?」
「うん、よければ手伝うよ。俊はその分、英語に時間使って」
「あ、ありがとう」
 英語の点数が伸び悩んでいる俊は、和矢の助け舟に控えめながら感謝を示す。
 
「気持ちはありがたいけど、でも、数Ⅱまでだけでもういっぱいいっぱいだもん。わかんない用語は置いといて」
「いや、指数関数は、数ⅡBにも出てくるよね?」
「……まあ、ね」
 和矢の指摘に、目を泳がせる真実を見て、健太がため息をつく。

「まあ、俺も数学はそこまで得意じゃなかったから、気持ちは分かるけど。いいとこどりしようとしても、つまづくだけだぞ? 特に数学は」

 分からないところをスルーしようと目論んでいたことを見抜かれ、真実は素直に「ごめんなさい」と謝る。

「健太、数学苦手なんだ? 意外だな」
「苦手って言うか、算数でつまづいて。インドで習ったやり方で解いたら、違うって叱られてさ。そこで大混乱」
「ああ、よく聞くよね。決まった解き方じゃないと、答えが合っていても不正解にされるって」

 数学大国であるインドを始め諸外国では、解答だけでなくそこに導く過程の発想の自由さも評価されるが、日本では指導要領に沿わない方法や手順を使うことを忌避する傾向がある。

 最近はかなり受容されるようになってきたとも聞くが、健太が小学生の頃は「教えた通りに」と矯正をかけてくる教師ばかりで、科目そのものへの苦手意識が強くなってしまった。

「……まあ、小学生の段階で方程式や解の公式マスターしていたなら、まだるっこしいよね。というか、十歳にもならない子に、そこまで教えていた父も父だけどね」

 健太が一学年上に編入させられた理由は和矢と美矢の父・真矢が笹木夫妻に年齢を一歳上に申告していたことが理由らしい。それを信用させたのは真矢による英才教育の賜物でもあるが。

 語学能力はもとより、中学・高校初期レベルの数学や理科まで教えていたらしい。おかげで、体格は小さめだったことはスルーして(本当は年齢相応だったのだが)、九歳の子供を十歳として学校側も不審を抱くことなく受け入れていた。
 当の本人も年齢偽証には気付いていなかったくらいなので、体が小さめなことをからかわれる以外には特に問題もなかったのだが。
 中学生の後半に差しかかれば、その体格差も解消されたので。

「いや、それって、結構つらかったぞ。何かあると、すぐ『チビのクセに』って言われてさ。うちの学校は帰国子女も学級活動は普通のクラスに編入だったから、逆にクラスの中で変な優遇を受けて、それもやっかみの種だったし」
「まあ、きっと父には何かの意図があってのことだったとは思うけど。おかげで早くひとり立ちできたってことで、容赦してほしいな」
「まあ、確かに、タイミングが一年ずれていたら、色々トラブったかもしれないし、な」

 養父の急逝で、高校在学中に路頭に迷う恐れもあったのだから、確かにタイミングはよかったらしい。

 健太が実は幼い頃に一緒に暮らしていたという事実を最近聞かされた美矢だったが、あまりに幼くて記憶があいまいであり、実感がわかない。

 確かに、そんな存在がいたような気もしないではないが。もともと健太本人の雰囲気が柔らかく人好きするものなので、それが懐かしさや親愛の記憶によるものなのかもよく分からない。

 真実がそばにいて遠慮なく話しているところを見れば、真実にも事情は伝わているのだろう。

 それに。

「真実先輩、笹木さんと、何かありました?」
 お茶を入れるためキッチンに移動すると、「手伝う」と言ってついてきた真実に、美矢はこっそり質問する。

「え? あ、ま、まあ。……分かる?」
「何となく。今まで結構、人前では真実先輩に触らなかったのに、笹木さん。こう、頭とか自然に触ってるし。それを真実先輩が過剰に反応しなくなったというか……」
 
 以前は何かの拍子に健太が触れると、恥ずかしそうに離れていたが。
 今日は、健太の接触を自然に受け止めている感じがする。

「あ、うん。その、……ちょっとだけ、進んだ。あ、ホントに、ちょっとだけ、ね」

 顔を赤らめて、恥ずかしそうに唇のあたりを何度も触れる真実を見て、ちょっと大人のキスでもしたのかも、と美矢は察する。

 斎に迫られて泣いていた時とは比べ物にならない、正直に言うとだらしないほど緩んだ笑顔を見て、その幸せそうな様子から真実の健太に対する思いが知れた。

 自分も、俊との関係に進展があった時は、こんな顔をしてしまうのだろうか。
 思わず両手で頬を包み、考え込んでしまう。

「美矢ちゃんも、良かったね。やっと名前で呼んでくれるようになって」
「え? あ、はい。まだ、ためらいがちですけど。そこも、俊……先輩らしいかな、って」
「美矢ちゃんも『先輩』呼び卒業だね。人前でも名前で呼んでいいんだよ」
「さすがに、公の場では。学年も違いますし」
「高天君もそこはちゃんとケジメ付けて、遠野さんて呼ぶし。ホント、真面目な似た者カップルだよね。でも今日は名前呼びしてね。高天君の反応見てみたい」
「真実先輩ったら……」
 
 真実と健太が付き合っていると知った頃、弓子と二人で初々しい二人を並べて鑑賞したい、と昼食に招いた過去の悪ふざけの負い目もあって、美矢は真実の悪戯心をハッキリ責めることが出来ない。それに、確かにそんな俊の顔を見てみたいのは……自分も同じだし。

「でも、和矢君って、ホント健太の前では素直というか、幼く見えるよね。何だか斎君といると性格悪く見えるんだけど。最近特に」
「見えるんじゃなくて、本当に性格悪いんですよ、実は。笹木さんの前ではみんなそうじゃないんですか? せんぱ……俊も、声には出さないけど、明らかに会えて嬉しそうだし。……その後、斎先輩とは?」

「うん、まあ、ほどよい距離感っていうか。二人きりにはならないようにしているし。あと、吉村君が事情を察して、なにかっていうと間に入ってきてくれるんで、大丈夫かな」
「ああ、吉村先輩が……鉄壁の守りですね」
「うん。いい人だよね。さすが気配りの人」

 ……いや、吉村先輩は吉村先輩で、結構嫉妬と言うか、下心ありで動いている気もしますけど。

 いまだ正彦の思いには気付いてない真実は、本気で正彦の行動を善意と受け止めているのかもしれないが。美矢は少し、正彦に同情する。

 石高サッカー部はインターハイこそ逃したが、今年も私立勢を押さえて県ベストフォーに入っている。石高運動部の中でもダントツに近い人気のある部活で、正彦はそこのエースだった。県大会準決勝で敗退し、引退したものの、未だに彼に憧れている女子は多い。

 月初めの後夜祭の告白イベントでも複数名に名指しされていたが、「俺の理想は遠野和矢の女性版!」「ありがとう! 君が女の子だったらオッケーしたけどね。いい友達でいよう」と和矢と二人でおちゃらけてお茶を濁していた。

 和矢との予定調和のコントに会場は湧いていた(一部妙な嬌声も上がっていたが)。
 あくまで笑いを取った、と思われていたが、一歩間違えば和矢の女性版イコール美矢と誤解されかねない発言に、美矢は内心ヒヤヒヤしていた。俊がそんな風に受け止めていなくて、良かったけれど。
 同情が少しなのは、その恨みがあるので。
 
 しかし、正彦といい斎といい、真実の人タラシぶりは健太並みで、こちらも似た者カップルだと思う。
 
「でも、この間斎君、告白されていたし、なんだかんだで興味は持っていたから、もしかしたらそっちに気持ちが行くかもね」
「斎先輩が……? ああ、名刺くれた、年上の女の人の話ですね。何だか、変な告白したっていう」
「うん、確かに変だったけど、要約すると『一目惚れ』したってことだと思うよ。ビビット来た、って言ってたし。まあ、斎君も変人だし、丁度いいバランスかも。今日ももしかしたらデートだったりして」

 それはどうだか。

 正直、迫られて初めて斎の気持ちに気付いたり、真実を斎から守るために騎士ナイト役に徹している正彦の気持ちを善意と思っている真実の鈍感さでの判断は当てにならない。

 でも、珍しく週末に単独の予定を入れている斎の行動を考えると、真実の推測も案外当たっているのかもしれない。



「おまたせ。抹茶と紅茶のバームクーヘン、両方カットしてきたから。ホイップクリームも」
 
 真実に手伝ってもらい、お土産のバームクーヘンとコーヒーを持って客間に向かう。
 目を輝かせる和矢の横で、少し困った顔をする俊に、美矢は「この抹茶の方は、そんなに甘くなかったですよ」と小さめにカットしたバームクーヘンを示す。

 恐る恐る口に入れて、咀嚼した後、俊の表情が和らいだ。口に合ったらしい。

 濃い目に入れたコーヒーを満足そうに飲んで、俊は今度は紅茶のバームクーヘンを口にして、わずかに顔をしかめる。蜂蜜の風味が強い紅茶の茶葉入りの方は、どうも甘すぎたようだった。何度もコーヒーを口に運ぶ俊に、美矢は苦笑する。

 この抹茶バームクーヘンが、俊の許容できる甘味の限界値なようだ。今後の参考にしよう。
 
 ほんわかしたひと時を過ごした後、勉強会を始めたみんなの姿を横目に、美矢は空の食器を持ってキッチンへ向かう。

 午後のお茶の時間には、俊のために甘さ控えめのクッキーを焼こうと前日から仕込んである。
 脳内で先程のバームクーヘンと甘さの比較をして、大丈夫そうだな、と一人でうなづいて。



 客間から聞こえてくる健太と和矢のよどみない王室英語クイーンズイングリッシュをBGMに、美矢は昼食の準備を始めた。
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