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第四章

第22話 「サジャラの罪」

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(UnsplashのJacob Bentzingerが撮影)

 「ばかな……! 何を証拠に、私がその名を書いたというんだ!?」

  修道院長の声が、ほんの少しだが上ずって聞こえた。イグネイはリボンに書かれた名前がみんなによく見えるよう、両手でかかげてみせた。

「ひとの書く文字というのは、クセがあります。だれひとり、まったく同じ文字を書くことはできません。
 つまり修道院長、あなたが日々書かれている文字と、この『秘密』の瓶の名前を比べれば、誰が書いたかは一目瞭然なのです」

 副官がおそるおそる尋ねた。

「……公子こうし、その瓶はいったいどこで手に入れたんですか?  
 『秘密の瓶』とは何です?
 この二日間、どこで何をしておられたのですか」

 イグネイは鋭い視線を修道院長に向けたまま、言った。

「副官、詳細はあとで説明する。とりあえずその矢を抜いて、血止めをしてくれ。
 彼女は、大切なだ」

 有能な副官は、上官たるイグネイが『証人』といった以上、何らかの裁判になるということを理解した。たとえ相手が魔物であっても裁判は裁判だ。

 すぐさま部下に指示をくだして、サジャラの背から矢を引き抜いた。
 入念な血止めをする。
 身体に刺さった矢は、引き抜いた後すぐに血止めをしないとかえって出血がひどくなることもある。瞬時に処置することが大切だ。

 イグネイは血止めが終わるのを見とどけてから、修道院長をつめたく見た。

「さて、修道院長。
 あなたがご存じのように、おれはこの二日間、『聖なる森』の奥にいた。
 正確には、告解後の秘密をおさめた瓶を管理する『庵』にいた。

 修道院では、告解すると記憶も罪も預かってくれる。
 『秘密』は瓶にいれられて『聖なる森』の所定の場所に届けられる。その後は『番人』の仕事だ。
 『秘密』を預けた本人が死ぬまで、瓶を保管することになっている。
 その仕組みが、修道院が始まって以来もう二百年続いている、と言っていた……。
 そうですね、修道院長」

 ざりっと、イグネイは修道院長に向かって、一歩進んだ。

「うそだ」
「うそ? 修道士を嘘つき呼ばわりするとは、なんという不敬な……」
「もういい加減にしておきましょう、修道院長。
 おれはこの目で見たのです。
 たしかに『庵』は古かった。建てられて100年以上は、たっているだろう。 あるいは修道院が出来たころと同じ時期に作られたものかもしれない。

 だが『秘密』をおさめた瓶は、せいぜいこの十年のものだ。
 それが、おれには不思議でたまらなかった。
 『番人』に聞いたら、秘密を告解した本人が死ねば『秘密』も死ぬという。だから古い瓶はないらしい。
 どんどん入れ替わる『秘密』を管理するのが、魔物である自分の仕事だもと言っていた。
 だが、おかしいじゃないか。
 だれが、魔物にそんなことを命じたんだろう?」

 修道院長は、もう何も答えなかった。巨体の修道士は、混乱した顔で倒れたサジャラを見ている。
 イグネイの声がますます冷たくなった。
 今度は副官に尋ねる。

「なあ、副官よ。
 秘密を永遠に守るのに、一番いい方法を知っているか?」
「……さあ? 口が堅いものに、秘密を守らせることでしょうか」
「そうだ。そして秘密を、管理させることだ。
 『番人』の秘密を『番人』自身に封印させ、森の奥にしまっておけば、秘密は外へ漏れない。いちばん安全な方法だ。
 ちがうかな、修道院長?」
「魔物に――ひみつはない」

 ささやくように修道院長はいった。そこへイグネイの声が逃げ道をふさぐように、かぶさった。

「そう、魔物なら秘密はない。だがサジャラは、だ。
 この十年、自分では知らずに森の奥に幽閉されていた少女なんだ」
「ゆうへい? この魔物は――幽閉されていた少女なのですか?
 では秘密とはいったい……?」

 副官が尋ねる。イグネイは視線を修道院長からはずさずに答えた。

「サジャラは、十年前に村を襲った盗賊団を見たんだ」
「盗賊?」
「誰かが村に手引きした盗賊団だ。おかげで村は丸焼け。村人は何人も殺され、貴重な財産が盗まれた。
 サジャラはそのとき村にいた。今の年齢から逆算して、五~六歳くらいだったんだろう。
 とても小さかったから地下氷室にかくれた。そして盗賊と引き入れた人間の、足を見たんだ。
 足だけを、見た。顔は見ていない。
 つまりサジャラには、手引きした人間の顔は今も分らないんだ。
 なのに、誰かに強要されて嘘の告発をしてしまった。
 幼すぎて、『犯人の顔を見ていません』と言えなかったために」

 そのとき巨大な修道士の悲鳴が上がった。

「足!? 見たのは足だけ! まさか、まさかまさか」

 修道士は振りかえり、修道院長の足元にはいつくばった。

「あのとき、サジャラが俺の顔を見分けたと言ったじゃないか。だから俺の代わりにひつじ番がやったことにしようって。
 あの時、そう言ったじゃないか、!」

 しん、と森じゅうが静まった。
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