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第二部 天皇杯本戦

18 サッカー漬けの一日に

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 4月になった。社会人3年目。会社に新入社員が入ってきた。「色々と教えてやってくれ」指導を任され、これまで教わった事をそのまま後輩に伝える。正直、今の仕事はつまらない。特別やりたい仕事ではなく、やりがいを感じない。仕事に全く興味をもてなかった。生活するお金を稼ぐため、仕方無くやっているだけ。本当は親のお金があるから仕事をやる必要もないわけだが、それはさすがにダメ人間になりそうで。やりたくもない仕事をダラダラと続けている。

 4月1週目の週末。先週に続き、今週もメンバーが集まった。この時期はみな仕事や学校で忙しい。この日集まったのは、僕、野心、與範、医師、ほか部員5人に、栗岡を合わせた計10人だった。いつもの工場で、今日は4面あるサッカーコートのうちフットサルの方を使わせてもらう。フットサルコートにはCとDの2つがあり、そのうちCの方へ。栗岡も含めた5対5でちょうど10人。休む暇はない。1時間も遊べばお疲れモードである。少し休憩した後、最後に10分ハーフでのミニゲームをやってから、僕の家へ移動。気分転換にみんなで遊んでも良かったのだが、栗岡が先週のさいサファの試合ビデオや、キュー武の地区予選の様子を撮影したものを持って来てくれていたので、結局サッカー漬けの一日になった。
 さいサファの試合は、みなプロの技に感心しきりであった。「天皇杯を勝ち上がったら戦うかも知れない相手だよ? そんな弱気でどうするの」今日不在のキャプテンに代わって栗岡が叱咤激励する。「勝てない相手じゃないぜ」医師の言葉にも勇気付けられた。さいサファの試合ビデオを止めたり巻き戻したりしながら、3時間か4時間ほども激論を繰り広げただろうか。すっかり暗くなってしまったので、僕たちの地区予選ビデオはまた今度と言ってお開きになった。
 帰り際に栗岡が「明日も時間ある?」と訊ねてきたので、「休みだから大丈夫だけど?」と答えると、「まだ話し足りないから明日も付き合って」と言われ、了承した。周りから「ヒューヒュー」などと、冷やかしの声が掛けられたが、そんなんじゃない。栗岡が異常なまでのサッカーオタクなだけだ。

 翌日5日の日曜日。朝早くから栗岡が訪問してきた。昨日置いていった試合ビデオの他に、新しく編集してきたというビデオも数本持っていた。どんだけだよ。
 午前中は昨日の続きという事で、さいサファの編集ビデオを使っての検討会。もし対戦するならという前提で、さいサファの弱点やストロングポイントについて議論した。僕の目から見て、栗岡の分析力はすごい。思いも付かないような発想でこう攻めたら良いとか、ここを封じなければダメとか、ここで一気にサイドを突かれるのが危険だといったようなポイントを次々に指摘していった。議論というよりも僕が一方的にレクチャーされている気分である。
 お昼になると、母が見た事もないような笑顔で昼食を用意してくれた。チームメイトも母も、何か勘違いをしていないだろうか? そう思ったが口には出さず、普段より豪華で手の込んだ昼食を堪能。食事の間、母は終始笑顔であった。「部屋に籠りっぱなしじゃなくて、少し出掛けてきたら?」母の言葉に僕と栗岡は顔を見合わせると、「じゃあお菓子でも買ってこようか」と、近所のデパートへ。歩いて数分なので徒歩で向かった。
「何か買って帰った方が良い?」手土産的な話だろうか。「そんなの要らないよ。うちお金あるって知ってるでしょ?」僕が軽く断ると、「だよね~……」少し表情を曇らせたので、「遠慮しないでいいよ栗岡らしくもない」と、一笑に付した。実際栗岡の良さは、人懐っこさと言うべきか、甘え上手と言うべきか……もっとハッキリ言うなら無遠慮で図々しいところ。そのおかげで老若男女の区別なく誰とでも仲良くなれるのである。普通は嫌われそうな性格なのだが、それで嫌われる事が殆どないのだから、欠点ではなく美点であろう。

 僕のポケットマネーでおやつを大量に買い込み帰宅。おやつ目当ての野心と與範も加わって、午後は4人でキュー武の試合ビデオをチェック。栗岡が今日持って来てくれた編集済みの方である。「野心君と與範君がいるから……」栗岡が最初に出した映像は、先月20日に行われたマン国際との一戦。僕たちが決めた見事なカウンターのシーンだ。GK野心からのロングフィードを與範がトラップし、ボールが落ちてくるところをすかさずツータッチ目で相手選手の裏へ、そのまま抜け出したシーン。
「與範君、解説よろしく」栗岡の無茶ぶりに「えぇ……」與範は目を白黒させると、「アニキぃ~」左隣にいた僕の方へ救いを求める。僕は更に左に座っていた野心の方へ、プイと視線を逸らした。すると野心は「まあまあ、ここはマネージャーの意見を聞きましょうよ」上手くフォローする。さすがだ。「コホン」わざとらしく一つ咳をしてから、栗岡によるレクチャーが始まった。
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