上 下
41 / 94
第五章 ~山間~

5-5.改心の兆し

しおりを挟む
 「なに、ぶっ倒れてんだ。立てよ。まだ勝負は終わっちゃ……」

 そう言いながらレンも膝をつく。標的が倒れたことで、少しだけ気が緩んでしまったのだ。

 「俺に……言っているのか?」

 変身の解けた修は、首を動かしてレンを見た。修の方は、妙な感覚を味わっていた。首から下の感覚が一切なかったのだ。疲労も痛みも感じないが、指一本すら動かせない。

 これがライカの反動だった。強大な力を得られる代わりに、終わった後は動けなくなる。

 「本気でやったのに、人間相手にこのザマか……」

 動かないを通り越し、最早硬直している修を見たレンは、戦う気を失くしていた。

 かっこよくとまでは言わないが、力は示した。口も動く。今のレンになら……

 「お礼を言わなかった奴を擁護する気もないし、お前の気持ちも分かる。だが、その上で言う。その態度と考えは間違っている」

 「何を……」少しだけ不機嫌になるレン。何故今、そんなことを言われなければならないのか。

 「お礼を言われないからって相手を見下してたら、もっと言われなくなる。それを表に出しているようなら、更にな」

 お礼は必ず言うべきだと教わったからこそ、レンは相手にもそれを求めた。それこそが正しい大人だと信じていたから。

 「自分から求めるものじゃないんだ。そういうのは」

 「口だけはよく動くな」レンが冷たい目を向ける。

 「短いお礼を言うよりも、自分らの非を認めたくないため、多くの言葉を尽くす。お前も結局は……」

 「それと、人間全てがこうだって決めつけるな。お前の見てきたものは一部だ。全部じゃない」

 「お礼も満足に言えない、怯えるだけの弱い生き物」レンは良くも悪くも、その偏見を抱えて生きてきた。

 弱いと思っているからこそ人間を助けたかったし、お礼も満足に言えないと見下すことで、怖がられ、逃げられた時の痛みを和らげていた。

 「君がその例外だとでも?」

 「俺は……弱い人間・・・・だったか?」

 押し黙るレン。見下していた人間に負かされたという事実は、どの言葉よりも突き刺さった。自分の方が強く、特別な種族だと信じていた分、なおさらだ。

 修は小学生の時に虐められていた。その時の修は全てを恨み、見下していた。加害者はもちろん、見て見ぬふりする第三者も、優しくしてくれた身内さえも恨み「全員が俺を嫌っている」と思ったこともあった。

 修の両親は子供のため、修を知る者のいない、遠くの中学へ入学させることを決めた。

 しかし「どうぜいじめるに決まっている」と思いこんでいた修は、最初はクラスに馴染めずにいた。そこで父親が修にこう言ったのだ。

「最初からいじめてくると決めつけて相手と接するな。お前をいじめていたのは一部だ。全部じゃない」

 すぐには信用できなかったし、その決めつけを捨てるにも時間がかかった。だが、それを捨てきれたおかげで、友人ができた。

 「人間全部がそうじゃない……それを言うためだけに、僕と戦ったのか?」

 「力を示さなきゃ、お前には届かないと思った」

 「どうして……そこまで?」

 他者への侮蔑に偏見。どちらもかつての自分を支配していたものだ。

 「お前に似たやつを知っている。だから……放っておけなかった」

 あえて自分とは言わず、問いに答える修。

 自分が乗り越えた場所でつまづき、苦しんでいる。そう見えたからこそ、修はなんとかしたかった。

 レンは拳を交え、言葉を交わした相手の目をしっかり見た後、こう言った。

 「人間全てが弱い、は撤回してやる。だが、お前の言うこと全てが正しいとも思わない。人間は見た目で優劣をつけ、満足にお礼も言えない愚かな……」

 負け惜しみのように言葉を重ねるレンの前に、サフィアが戻ってくる。

 「修!」サフィアの声と一緒に聞こえてきたのは、二人分の足音。

 「君は……」レンがもう一人の女性に目を向ける。

 そこに立っていたのは、レンに助けられ、怖がって逃げ出した女性……クラウだった。

 「さっきはごめんなさい。事情は聞きました。私、気が動転しててあの……せっかく助けてくれたのに……」

 「……ただの気まぐれだよ」

 「それでも助けられました。ありがとう」

 顔を逸らして無言になるレン。お礼を渇望し続けた反動なのか、お礼を言われる免疫もなくなっていた。

 「お礼を言える人間だって、ちゃんと居る。そっちの方が多い……はずなんだ」

 断言できないことに少しの苦しさを覚えながら、修は言う。

 「綺麗事だ。君達以外も見てみないと、判断できない」

 レンにまとわりついていた空気は、穏やかになっていた。

 「考え方は変わらないか?」

 「君達だけで判断し、あっさりと考えを変えるのも、ある種の決めつけだ。だから、旅を続ける。全てがこうだと決めつけず、一人ひとりを見るよ。見下さず、驕らずに接する。また、君達みたいな人間に会えるように」

 かつての自分より素直で、ずっと聞き分けがいいと思う修。

 「君、名前は?」 「クラウ・クナウです」

 覚えておくよと立ち上がるレン。

 「それとハナガシュー……葉永修か。僕が初めて名前を覚え、また戦いたいと思った人間だ」

 レンが左腕を振り回し、尖った枝へと叩きつける。枝は腕を貫通し、血が吹き出した。

 「お、おい……」

 そして困惑する修目掛け、大量の血を浴びせた。レンは「驚かせてしまったね」と言うと、こう続けた。

 「これは『グナン・ケラドの儀』自分が認めた相手に血を預け、再戦を誓うノグドの儀式だ。今ではほとんど廃れてしまったけど」

 「なんて儀式だ……」

 他人の血を素直に受け取れるわけもなく、修はそう返す。レンが手をかざすと、血が光だし、修の体内へと入っていった。困惑が更に加速する修に、レンは説明を続ける。

 「数の少ないダムーにとって、血は高潔で希少なもの。そんな大事な血を与えるのは、いつかそいつを越え、失った誇りと共に取り戻すため」

 「これ……大丈夫なの?」

 一番聞きたかったことを口にしたのはサフィアだった。別の人間……それも半分ノグドの血が体内へに入ったのを見て不安がっていた。

 「問題ない。欠点があるとすれば……それは次の時に話してあげるよ。また会おう、修」

 腕を抑えながら去っていくレン。クラウはしばらく固まっていたが、サフィアが「こっちは大丈夫」と言うと、頭を下げてレンを追っていった。

 「動ける?」

 レーデルを唱えるサフィア。

 「無理………」

 修は無理「そうだ」と続けたかったが、声が出なかった。視界が暗転し、意識が遠くなっていく。そう感じた瞬間に、修は気絶した。

 「修?」

 あまりにも不自然な寝入り方に違和感を覚えるサフィア。体を強く揺すり、大声を出しても目を覚まさない。

 「これ・・のこと聞きたかったんだけどなぁ」

 まだ赤いままだった髪に触れながら、サフィアは言う。治療が終わっても目は覚めず、修が起きたのは夜だった。体を起こし、辺りを見回す。

 「気が……付いたんだね」

 うとうとしていたサフィアが目を開ける。直後に「あっ……」と短い声を漏らしたのは、髪の色が目に入ったからだ。ライカで染まった赤髪は、いつの間にか元に戻っていた。

 「治してくれたんだな」サフィアの目が銀色になっていることに気付き、修は言う。全魔力を注いだ治療のおかげで、修は動けるくらいに回復していた。

 修がお礼を言うと、腹の鳴る音がした。恥ずかしそうにうつむくサフィア。

 「飯にするか」

 修は自分の腹を擦ると、本から食料を取り出した。

 これでもらった神術は失い、ライカも当分使えない。残っているのは一部の魔法と、使い所の分からない力。自分で発動できるのは、それで全部だ。

 「サフィア、これを見て欲しいんだけど」

 焚き火を付けたサフィアに『ベル・キロニカ』のページを見せる。

 これも立派な自分の能力だ。ずっと分からないとも言っていられない。いざって時に使えるようにするため、修はサフィアの力も借りることにした。

 「意識を過去に戻す?」

 サフィアが説明を読み上げる。その後に出てきたのは、修と同じ疑問。

 「いつ、誰に使うの?」

 「わからない」

 これが、使い時のわからない能力。神術やライカと違って、どこか曖昧で頼りない。

 過去に戻ってやり直せる能力? 自分にならともかく、「今」の相手にそれを使って、何の変化がある?

 考え込む修の鼻に、肉の匂いが入ってくる。本当に空腹だった修は、すぐに意識がそっちへ向いた。

 「焼けたよ」

 レンは強敵だった。ライカを使って勝利したというよりも、ライカを犠牲にしてその場を凌いだという方がしっくり来るくらいに。

 不安はあるが、止まってはいられない。持てる力全てを使い、ロウの野望を止める。

 ライカの力に驕ることなく、しばらく使えない不安に押しつぶされることもなく、修は気分を引き締め直した。

 「食べないの?」「食べる」

 食欲に突き刺さる匂いに顔を緩ませながら、修は肉を口に運んだ。
しおりを挟む

処理中です...