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第37話  行かなくちゃ

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遠くに塔が見える。
赤黒く染まる空と地面を繋ぐようにして、つい先日に現れたものだ。
明らかに人の手によるものではなく、人知を越えた者の仕業だと皆は語り合った。


「まったく、驚かされるねぇ。いきなり塔が建つなんてさ」
「そうだね。古(いにしえ)の魔術師が甦ったとか、邪悪な神様が降臨したとか、色んな噂が飛び交ってるね」
「おっかないねぇ。噂が本当なら命が百あっても足りないんじゃないかい」


僕はかつての実家に来ていた。
母さんはなぜか僕の正体に気づき、かつてと変わらず接してくれる。
父さんはというと他人行儀のままだけど。
今日はどうやら出掛けているらしく、この場に居るのは僕と母さんの2人きりだった。


「いいかいレイン。無茶だけはしちゃいけないよ。体を壊しちゃ何にもならねぇんだから」
「うん。もちろんわかってるよ」
「母ちゃんはね、アンタに立派になって欲しいわけじゃないんだ。ただ幸せに、元気にやっててくれりゃそれでいいんだ」
「大丈夫だから、心配しないで」


やはり母親の勘というのは鋭いと思う。
まるで僕の未来を予見でもしているようだった。
少し気まずくなったので、僕は席を立った。


「じゃあ、僕は仕事があるから……」
「そうかい。またいつでもおいで? 待ってるからね」
「うん、行ってきます」
「行ってらっしゃい、気を付けるんだよ」


嘘。
波風を立てない為の取り繕い。

こんな処世術を覚えたのはいつだったか。
誰かと衝突せずに済むよう、本心を明かさなくなったのは。
もう、僕は戻ってこれないかもしれない。
今生の別れだということを告げることは出来なかった。
二度も息子を失う悲しみを背負わせたくない、という言い訳まで用意していた。


実家を出た頃には日が暮れかけていた。
空が暗くなると、一層塔の禍々しさが際立つ。
どす黒い血の色に染まった空の下。
それを見る度に心はささくれて、説明できない焦りに襲われる。

僕が行かなくちゃいけない。
そんな想いが日々募っていった。


「おかえりなさいレインさん。そろそろご飯ですよ」


拠点に帰るとオリヴィエが出迎えてくれた。
大して広くない室内には食欲をそそる匂いが立ち込めている。
テーブルには既に皿が用意されていて、皆はもう席についていた。


「お腹空いたなぁ。すぐにでも食べたいな」
「わかりました。座っててくださいね」


今日の晩餐は丸パン、チーズ、牛肉の煮込みスープ、スライストマトだった。
どことなくいつもより豪勢な気がする。


「オリヴィエって料理上手いよねー。勉強したの?」
「修道院にいたころですが、炊き出しのお手伝いをしていましたので。その時にある程度学びました」
「いいじゃねぇか。エルザも見習って欲しい……」
「私が料理を学ぶことと、お前の願望とは関連性がない」
「うわぁ、きっつ……。エルザさんってたまに容赦ないよねー」


いつものように賑やかな食卓。
だけどこれも見納めとなりそうだ。
独りで始まった旅だけど、ここまで大所帯に膨らんだ。
もう一度独りに戻るのは寂しいけれど、元に戻るだけだと言い聞かせた。


そして、深夜。
みんなが寝静まった頃、僕は荷物を持って拠点を後にした。
誰にも告げずにこっそりと。

夜の森は思っていたより賑やかだった。
フクロウや野犬が鳴く声、季節の虫の鳴く音が辺りに響いていた。
寂しさがほんの少しだけ紛れた気がする。

ウェステンド内の道を通り抜けていく。
すると道すがら実家も目に入る。
僕は明かりの消えた家に向けて、無言で頭を下げた。
ごめん、そしてありがとう。


それからウェステンドを過ぎて、街道を歩いていた時だ。
目の前の丘からふいに声がかけられた。


「ゴップ村のとある少年の話だ。彼には将来を誓い合った幼馴染みがいたんだが、とある事件の時にその子を守れなかったことを心から悔やんだ。そして武者修行の旅に出た。親にも友達にも、幼馴染みにすら黙ってな。あの夜もこんな月夜だったかなぁ」
「……グスタフ、さん?」
「数年後、それなりに強くなった少年は、その時の事を後悔した。何も告げずに出ていったことをだ。事情を知らない幼馴染みは毎日泣き暮らしたらしい。噂を頼りに探しに出た日もあったようだ。最初は心配するばかりだったが、少年と再会して話を聞くうちに怒りを覚えるようになった。そしていつの日か、大人になった少年と少女は殴り合う仲となってしまったとさ」


月明かりを背に受けて、グスタフは道に立っていた。
もちろん昔話の為だけではないだろう。
旅支度が整っているからだ。


「今のは、どういう意味?」
「別に。ただの独り言さ。じゃあ行くか」
「行くって、どこへ?」
「とぼけるなよリーダー。あの塔へ向かうんだろ?」


さすがにグスタフは鋭かった。
彼を相手に誤魔化しはきかないだろう。
となると、正直に話すしかない。


「そうだよ。僕はあそこに行かなきゃならない。理由はわからないけど、そんな確信があるんだ」
「そうかい。時には直感が答えを導くこともある。何かを成す動機としては十分だ」
「でも、それは何というか、僕の問題なんだ! だからグスタフには関係……」
「関係ない、なんて言うつもりじゃないわよね?」
「ミリィ?」


グスタフの後ろからミリィが現れた。
彼女もやはり旅装の姿だ。


「あのさぁ、置いていかれる側の気持ちは考えたの? そりゃあ傷つくし寂しいし心配だし、辛いなんてもんじゃないわ。わかってる?」
「でも、あそこはきっと危険だよ。生きて帰れるような生易しい場所じゃないと思う」
「だったら尚更レインくんを独りで行かせられないじゃない。本当に何を言ってるのよ!」


ミリィが鼻を鳴らしながら言った。
冗談のつもりはないらしく、目は真剣そのものだ。
グスタフは相づちすら打たず、黙って僕を見ている。


「いつまでそこに突っ立ってる気だ。ここに居ても仕方あるまい」
「エルザさん……」
「今は不思議と魔物の姿が見えない。急げばかなりの距離を稼げそうだ」


道の先を指さしながら彼女は言った。
僕に付いて行くのが当然とでも言いた気だ。
そして……。


「レインさん」
「オリヴィエさん……」


今の自分にとって一番会うのが辛い相手だ。
不思議な罪悪感がこみ上げてくる。
彼女を裏切ってしまったような、そんな気分に陥いってしまうのだ。


「細やかな気遣いも、難しい話も今は不要です。ただ、一言だけお伝えします」
「……何だい?」
「私はあなたを、決して独りにはしません」
「……でも」
「諦めな、リーダー。ここに居るヤツは誰1人留守番を受け入れねぇって」


皆が僕を見ている。
そこに非難をするような気配はない。
ただ真っ直ぐな目が向けられていた。


「……わかったよ。どうなっても知らないからね?!」
「よぉし、快諾してもらえたし出発だ!」
「参りましょう。『チーム生真面目』の出立です」
「何よそれ、そんなチーム名だったの?!」


それからは、夜の街道の静けさを破るようにして進んだ。
悲壮感は欠片もなく、いつもの旅と変わらない様子で。
雲ひとつない夜空に輝く蒼い月。
それが僕たちの歩むべき道を、優しく照らし続けた。
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