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最終話 老夫婦

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天気が良くて暖かな昼下がり。
森の中にある家の庭に、一人の老婆が居た。
彼女は椅子に腰掛けながら日向ぼっこをしている。
その膝の上には同じように猫が眠っていた。
全身の毛が真っ黒な猫であった。

そんな静かな時間も、とある人物の手によって壊される。
パタパタと駆け足する音が聞こえてきたのだ。


「おばあちゃーん! ごほんよんでー!」
「おやおや、メイちゃん。学校は終わったんですか?」
「おわったよー! だからごほん!」
「わかりました。ちょっと待っててくださいね」


老婆は一冊の本を取り出した。
表紙には『やさしいカイブツ、こわいカイブツ』と書かれている。
老婆は椅子に腰掛け、眼鏡を着け、読み上げる姿勢となった。
少女はその膝に両腕を起き、そこに顎を乗せている。
居場所を失った猫は地面に降り、大きな欠伸をした後に、どこかへと消えていった。


「昔々あるところに、見た目の怖い怪物が住んでいました。彼はとても優しい心を持っていましたが、見た目が怖いために、街の人たちは仲良くしてくれませんでした。
だから優しい怪物は、街から遠く離れて暮らしていたのです。
そんな時です。街にもう一人の怪物が現れました。こっちは見た目通り悪い怪物でした。悪い怪物は街の人に言いました。

『ガオーーッ 食べちゃうぞー!』

あまりの怖さに街の人たちもすっかり怯えてしまいました。ですが、優しい怪物が助けてくれました。

『なんて悪いヤツ。僕がやっつけてやる。えいっ』
『いたた。ごめんなさーい!』

悪い怪物をやっつけました。それからは街の人たちも優しい怪物にたくさん感謝しました。優しい怪物はというと、街から離れたところで、私たちをずっと見守ってくれているのでした」
「おばあちゃん。どうしてカイブツさんは、みんなといっしょに、くらさないの?」
「さぁ、どうしてでしょうね?」


少女は結末に不満だったようだ。
離れて暮らしている事が、よほど腑に落ちないのだろう。


「カイブツさんかわいそう! メイがオトモダチになってあげる!」
「そうですか、それはきっと喜びますよ」
「ねぇ、つづきはー?」
「メイ、学校が終わってすぐここへ来たのでしょう? 一度家に帰りなさい?」
「……わかったよぉ。またくるから、ごほんよんでね!」
「ええ勿論、いいですよ」


駆け去っていく少女の背中を、老婆は目を細めつつ眺めいていた。
そうして余韻を愉しんでいると、家に夫が戻ってきた。


「おや、どうしたんだい? 随分嬉しそうじゃないか」
「あなた。メイがお友達になってくれるそうですよ?」
「うん。嬉しいけど……何があったの?」
「何でしょうねぇ?」


夫はそれ以上追求しなかった。
こういった時の妻は多くを明かそうとしない。
それを長年の経験から知っていた。


「そうそう、ゴップ村でお祭りをするってさ。手紙に書いてあったよ」
「そうですか。今年も行くんですか?」
「うん。旅行がてら行ってくるよ、君はどうするの?」
「もちろん、一緒に行きますよ。あなたを独りにはしません」
「その台詞は普段使いに向いてないよ?」


夫の苦笑に取り合わず、妻は笑顔のままであった。
曇りひとつ無い、完璧な笑顔で。


「ゴップ村へ行くとなると、買い物をしなきゃかなぁ」
「では、村の雑貨屋さんに行きましょう。そこで揃うと思いますし」
「それから息子たちに行き先を告げないとね」
「そうですね。前回遠出したときは連絡してなくて、大顰蹙(ひんしゅく)でしたね」
「いやぁ、あの時は驚いたなぁ。普段大人しいのに随分と大声だしてたもんね」


怒られた、と2人はにこやかに語る。
怒った側からすると、もう少し反省して欲しいところだろう。
談笑する2人のもとへ、誰かがやってきた。
足音はというと、とても軽い。


「おばあちゃーん、つづきー!」
「おやおや、わんぱくっ子が来たねぇ。いらっしゃい」
「おじいちゃんもいるんだね! いっしょにおはなし聞こう?」
「うーん、僕はおばあちゃんと買い物に行こうと思うんだ。メイも来るかい?」
「んーっとね、いく!」
「わかった、じゃあおいで」


メイは差し出された手に両手で飛び付いた。
そのまま服をギュッと掴んでよじ登り、あっという間に肩に乗った。
その見慣れた技に対し、周りは盛大に褒め称えた。


「メイは上手だね。すぐに昇っちゃうんだ」
「おじいちゃんはカンタン! でもおばあちゃんは、させてくれないの」
「おばあちゃんは腰が痛いからね、やめてあげて」
「あなた、そろそろ出掛けませんか?」
「そうだね。行こうか」


彼は孫を肩に抱き、空いた手で妻をエスコートした。
まるで大小の花に囲まれるようにして村へと歩いていった。


「あなたは、何歳まで生きてくれますか?」
「急にどうしたの?」
「いつまでこの幸せが続くかなぁって思いまして」
「うーん。90歳くらい?」
「そうですか。もう少し頑張っていただいて、190歳までお願いしますね」
「なんでオマケの期間の方が長いのかなぁ?」


男は歴戦の猛者である。
なので、足腰は年齢の割に立派であった。


「オリヴィエこそどうなの? 君はいくつまで生きてくれるの?」
「そうですね。レインさんの亡くなった次の日までですかね」
「何それ。僕が190歳まで生きたとしたら?」
「もちろん。その翌日です」
「強情だなぁ……」


面白がってメイがケタケタ笑う。
仲睦まじい祖父母で嬉しいのかもしれない。


「おじいちゃんもおばあちゃんも、たっくさんナガイキしてね! 500さいまで!」
「うわぁ、そうなったらもう怪物夫婦じゃないか」
「いいんですよ、怪物でも化け物でも変態でも。心根が優しければ」
「うーん。そんなもんかなぁ」


他愛の無い会話に華が咲く。
影を寄り添わせるように並べながら。

空には雲ひとつなく、太陽が心地よい温もりを与えてくれる。
その優しげな日差しは、3人の歩く道を照らし続けた。


ー完ー
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