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第三部

3ー44 終焉の始まり

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空は雲が厚く、どんよりと重い。
まるで地上を蓋で覆っているかのような息苦しさが、処刑場には漂っていた。

ーーこんな日に命を落としたなら、御霊は天に還れず、さ迷い続けるに違いない。

人々は口々に囁きあった。
処刑台に引き立てられ、磔(はりつけ)にされた10人程の人物を眺めながら。
そして小さく祈る。
無体に振る舞う他国の貴族に睨まれぬよう、必死に心の中で祈る。

ーーどうか彼らに神のお導きを、安らかな眠りを!

その願いは果たして天に届いたかは分からない。
確実なのは、これより残虐という言葉では生ぬるいほどの、悲劇が起きてしまうことだ。
処刑台の一段高い場所から、クウギョが革張りの椅子に座り、頬杖をつきながら獰猛に笑っている。
人々は、命を代償にした『遊び』に恐怖するばかりであった。


「これより、レクター将軍並びに、その一族の処刑を執行する!」


グラン軍の兵装をした男が叫ぶ。
その声色は平坦であり、特別な感情は見られない。
顔色を変えぬのは叫んだ者だけでなく、刑場をグルリと囲む100人近い兵士も同様だ。
特別な事は起きていない、と言外に伝える態度であった。


「罪状は、怠慢および威信の損失! レクターは大兵を預かりつつも、無策に敗退を繰り返した! それはプリニシアに留まらず、あろうことか新生グラン王国の名誉まで汚すものであった! よって、国威高揚のために誅滅する!」


その大音声のあとに、一人の赤子が掲げられた。
それを目にした群衆は、まるで自分の体が斬りつけられたかのように『ああっ!』と胸を押さえつつ、声をあげた。

それに動じる気配のないグラン兵。
そして対照的に、低い笑い声をあげつつ、ほくそ笑むクウギョ卿。
狂気の『宴』は滞りなく進む。


「やめろ! ジェイムスは産まれたばかりなんだぞ!」


レクターが鋼鉄の縛しめをガタガタ鳴らす。
だが、一兵として従うものは無い。
懸命の抗議も、クウギョの嗜虐心をくすぐるだけで終わった。


「罪人レクターよ。己の子を救いたいか?」


尊大に座ったまま、クウギョが問う。
レクターは肩越しに精一杯振り向き、荒い声を返した。


「当たり前だ! この子たちをいくつだと思っている!」

「そうだろう、そうだろう。私も鬼ではない。貴様には助命嘆願の機会を与えてやろう。もしこれを達成できたなら、特別に子供たちだけは許してやる」


パチン。
クウギョの指が軽快な音を立てた。
するとどうだろう、卿と囚人たちの間の床が大きく割れたのだ。
割れた内側は鋼鉄の仕切りらしきものがあり、仕切りの中は赤い石で埋め尽くされていた。

兵士の一人が水を垂らす。
すると、ジュワッという音とともに、蒸気がたった。
燃える石炭である。


「レクターよ。そこを歩いて参れ。私に献上するワインを持ってな」

「……ここを、歩けと?」

「二度も言わせるな。たかだか10歩だ。気力次第では歩けよう。あと、ワインは一滴も溢すなよ。それが達成条件だ」


グラスが手渡され、並々と赤ワインが注がれた。
レクターはしばし家族の方に目をやり、処刑台に寝かされた息子を見、そして歩きだした。

ーー両目でクウギョを居抜きながら。

第一歩。
その時点で強烈な熱がレクターを襲う。
ジュウウという音とともに、気絶しかねない痛みが全身を駆け抜けた。


「グァァ!」

「おう、溢すのか。それも良いだろう。そうなれば子は助からず、殺したのはお前と言うことになるな?」

「グヌ、グヌヌ!」


ギリギリの所で踏みとどまった。
どうにかワインも溢さずに済んだ。
この10歩を一気に駆け抜けたくもなるが、それは許されない。
手元のグラスから溢れた瞬間に、音でバレる。
だから慎重に、一歩一歩踏みしめて進むしかないのだ。

身を焦がすほどの灼熱の道を。


「グゥ、グァァア!」

「ほれ、どうした。溢すか? 溢れたんじゃないか? んん~~?」


3、4、5。
道のりは遠い。
ようやく折り返しを迎えたが、レクターの疲労は限界を迎えていた。
意識は朦朧とし、平衡感覚すら保てていない。
それでも、幼い我が子たちのため。
10歳にも満たない子供たちのため、骸(むくろ)にも等しい体を進めていく。

6、7。
まだ遠い。
クウギョは尊大に構えたまま動こうとしない。
それに怒りを覚えるほどの気力など、レクターには残されていない。

群衆は声を殺して泣いた。
女子供などは誰もが目を伏せ、顔を覆っている。
この姿を嗤(わら)って眺められる人間など、一人しか居ないのであった。

8、9。
もはや言葉はない。
ここまで見事、溢さずに歩むことができたのは、もはや奇跡であった。
誰もが最後の一歩を待ち望んだ。
クウギョは椅子から降り、グラスを受けとるような仕草でレクターを迎えようとした。

そして最後の10。
その足が踏まれる瞬間。


「近寄るな、下朗が!」

「グハッ!」


クウギョがレクターの顔を蹴り飛ばした。
グラスは手を離れて、足元の石炭をジュウウと鳴らす。
そして倒れたレクターは全身を焼かれ、新たな痛みに大きくもだえた。


「アアァッ! 卿よ、なぜ!?」

「フハハハ! 策略だよ。この程度の罠も見抜けんから、貴様は負け続けたのだ。至らぬ点を死ぬ前に学べて良かったなぁ?」

「おのれ! 最初から、助ける気などなかったのか!」

「そんな事はない。私は約束は守る男だ。ワインがあるなら受けとるぞ? ほらどうした?」

「グァァァアーーッ!」

「……指令は失敗、だな。最後まで無能なヤツよ。生きる価値の無いゴミクズであるが、とりあえずは引き上げてやれ」


グラン兵によってレクターは救出され、木の床に転がされた。
くすぶる体は酷い火傷を負っていた。
全身が赤くただれ、長くは保たなそうに見える。
その姿が晒されても慈悲などは無く、赤子の傍に大斧を携えた兵士が現れた。
両断するには十分すぎる程の処刑具である。


「では、順にやれ」

「刑を執行せよ!」


聴衆は泣いた。
全員が憐れんだ。
決死の嘆願が実らなかったことを、そして幼い命が凶刃にかけられることを。

ーー神よ、どうか救いを! お慈悲を!

誰もが耐えきれなくなり、声をあげた。
涙で輪郭のぼやけた大合唱である。
それすらも嗜虐心をくすぐるだけで、処刑人の動きは止まらない。
人々の嘆きが頂点に達した、そのとき。


「ギャォオオオオンッ!」


唐突に聴衆から叫び声があがった。
それはこれまでの物とは違う、狂気をはらんだものだった。
不穏な気配から人々が声から遠ざかった。
そこに居たものは。


「な、何者だ!」


クウギョは驚きのあまり椅子から転げ落ちた。
それもそのはず、現れた男は常軌を逸した風体だったからだ。
見た目も、声も、二足歩行と四つん這いの中間のような立ち姿も。

あまりの異様さから、神の助けとは思われなかった。
群衆は危機を察知して、我先にと逃げ出したのだ。
瞬く間に広場はパニックとなる。


「ものども、アヤツを討て!」

「総員、かかれぇー!」


黒鉄兵100人が一斉に攻め寄せた。
だが、状況はクウギョにとって悪すぎた。
逃げようとする群衆が邪魔をして、陣形を組むことが出来なかったからだ。
仕方なく散発的に二人、三人と攻撃するが。


「ウラァァァアー!」

「ギャァア!」

「グハァ!」


特別に訓練された上級兵たちが、苦もなく打ち倒されていく。
あるものは地に叩きつけられ、あるものは遥か上空まで打ち上げられたのだ。
一呼吸の間に10、20と数を減らしていく。
このままでは全滅も免れないであろう。
眼前の急激な変化には、クウギョも理解が追い付かないでいた。


「な、何だ、この化け物は!」

「クウギョ様、ここはお逃げください!」

「こうなっては、ひとまずはプリニシア城に……」

「人民どもが邪魔です。裏門より出てグランまで落ち延びましょう。私が先導致します」

「おのれ、おのれぇぇえ! 貴様が何者かは知らんが、この恨みは必ず晴らしてくれる!」


クウギョは供に二人だけ連れ、残りは捨て石として乱入者にぶつけた。
狂乱する男は逃げる貴族など眼中にない。
残りの兵をすべて討つと、今度はレクターたちに近づいていく。
その頃にはアランも処刑場に馬車を横付けして、事後処理に参加した。


「ダンナ、無茶すんなぁ! こんだけ強けりゃ無茶とも言わねぇのか?」

「フシュルルル」

「え、今のは何て?」

「コイツらを馬車に乗せる、手伝えって言ってる」

「……どうして言葉で喋らねぇんだか」


アランとエリシアで搬入作業が為された。
荷台の陶器壺やら全てを捨てたので、どうにか全員を収容できたのだ。


「んで、ダンナ。どうやって逃げんだい? 門は封鎖されてんぞ」

「シュルルル、フシュルルル」

「城壁を破壊するって。そこを通れば良いって」

「ハァ? 魔獣の群れでも傷ひとつ付かなかった城壁をかい? さすがのダンナでも不可能……」

「グァァォアアア!」


ライルが片手を掲げ、大気を震わせた。
そこに集約された魔力は黒く、具現化した力も同様に黒かった。
濃紫と黒に染まる龍。
それが彼の右手に姿を表したのだ。

その放たれた禍々しい力が城壁に衝突すると、爆発音とともに黒い火柱が立ち上った。

ーードォオオオオオン!

まるで投石機の大岩が直撃でもしたかのような振動に、王都全域が揺れた。
そして、大いなる壁は無惨にも崩された。


「ったく、デタラメな主だよ……。あそこから脱出する! しっかり捕まっててくれ!」


アランは懸命に鞭をくれ、馬を走らせた。
逃避行を止めようとする命知らずな者はなく、そのまま壁を通過。
どうにか救出することに成功したのだ。

だが、喜んだのも束の間。
さすがに10人以上乗せて走るには馬が足りない。
王都から十分に逃げ切る前に、馬が潰れかけてしまった。

そして、レクター。
彼の命は風前の灯だ。
進退窮まった最中で、着実に死へと向かっていくのだった。
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