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第二部
2ー39
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まおダラ the 2nd
第39話 妹の異変
グラン山間部。
山間にある森の奥深くに奇跡の湖がある。
その水は微量ながらも魔力を帯びており、触れたものに少なくない恩恵を授ける。
だが、効果があるかどうかは程度によるのは勿論の事。
重い病や怪我となれば、改善は見込めない。
それは人間よりも魔法に精通している妖狐であれば、聞くまでもなく粗方を理解していた。
それでも兄のジンはすがるしかなかった。
妹のアレグラを救うために。
「ゥゥ……、ゥウウ!」
「しっかりしろ、アリィ!」
洞穴の中に妖狐の兄弟は隠れ住んでいた。
お尋ね者となっているからであるが、理由はそれだけでは無い。
妹のアレグラに降りかかった異変に対処するためだ。
「ァァア、アアアーッ!」
「アリィ、水だ! 飲め!」
「ウグッ」
苦悶の表情に少しばかりの安らかさが混じる。
荒い息遣いも次第に落ち着きをみせた。
かといってアレグラは覚醒することはなく、その目を閉じたままだ。
「……にいちゃん」
「安心しろ、ここに居るぞ」
ジンはアレグラの額の汗を拭いつつ答えた。
その指先が頬に触れたとき、動きが止まる。
ーー随分と痩せたな。
ここ数ヵ月に容態は急変した。
不調を訴えた当時は、風邪だろうと思われたが、日に日に悪化していく状況に考えを改めた。
それでも寝起きくらいは出来たし、会話も問題なくできていた。
それも今となっては叶わない。
食事にしてもそうだ。
体が受け付けずに、すぐに吐き戻してしまう。
医学や薬学知識の無いジンには打つ手がない。
不老不死伝説の残るこの湖に頼るしかなかった。
「ゥア……アアア……!」
「クソッ またか!」
アレグラは胸に手を当てながら、再び呻いた。
まるで体内の何かと争っているかのように。
いや、彼女の体の主導権争いと言った方が正確であろう。
ーーゴォオオオッ!
不可視の魔力を帯びた触手。
それが洞窟の壁を、天井を、床を手当たり次第に破壊していく。
まるで少女の周りで巨大な獣が暴れているようである。
そして、その狂気は実の兄へも向けられた。
「黒い風よ! 自由を奪えッ!」
「グウッ」
ジンの魔法によって暴力の嵐が一度止む。
だがそれは膠着状態だ。
アレグラの発作が治まるまで、ジンは魔力を注ぎ続けなくてはならない。
「ウォオオオーーッ!」
彼は全力で魔力を放出し、ありったけの力をぶつけた。
そして手応えが無くなった頃に、妹は眠りに落ちていた。
「ハァ、ハァ。やっとかよ……」
ここ数日は発作が激しい。
アレグラの暴れ方も同様であった。
ーーこれ以上強くなったら、オレの力じゃ……。
ふと、そんな考えが過る。
だが直ぐに否定した。
妹を救えるのは自分だけである、これまでがそうだったように。
「にいちゃん……」
掠れた声がジンの耳に響いた。
聞きなれた妹の声。
かつての自信と無邪気さに溢れていたものとは、大きくかけ離れたか細いもの。
「アレグラ、起きてなくていい。寝てろ」
「にいちゃん、アタシは、死んじゃうのかな?」
ーーズキリ。
冷たい痛みがジンの胸で暴れる。
鼓動は早くなり、ドクンドクンと脈の音が騒がしくなる。
「バカな事考えんな! 安静にしてりゃすぐに良くなるんだよ!」
「でも……最近、調子が悪くなるばっかりで」
「うるせぇ! 水汲んでくる!」
聞きたくない、とばかりにジンは飛び出した。
現実に背を向けるようにして。
駆け足で奇跡の湖まで行くと、直ぐに革袋に水を満たし始めた。
コプコプッと袋から気泡が上る。
ーーアレグラが死ぬだって? 冗談じゃねぇ!
泡を睨みつつ、彼は憤った。
実際のところ、ジンが理知的で居られるのは妹の存在があってこそだ。
唯一の肉親の存在が彼の人格を支えているのだ。
もしその支えが無くなりでもしたら、彼の心は折れ曲がり、倒れ、無明の闇へと落ちていくことだろう。
ジンはそれが分かっているので、先程のアレグラの言葉に戦慄したのだ。
ーー死なせるもんか。絶対になんとかするんだ!
新たに汲んだ水を手にして、再び洞窟へと駆け戻った。
だが、ほんの短い時間にもかかわらず、中は様変わりしていた。
アレグラの側に何かが居る。
真っ白い塊のような、何かが。
ーーあれは、魔獣? それとも、精霊の亜種か?
物音を立てないように、そして戦闘体勢に入りつつ近づいていった。
白い塊はアレグラの側から離れないまま、体を揺らしている。
ーーもしかして、こいつが元凶か? だったら、殺せば解決するんじゃないか。
黒い風。
そう唱えようとした、その時だ。
「なんともまぁ、雑な術式じゃのう。お前さんもそう思わんかね?」
「なっ!?」
白い塊がこちらへ顔を向けた。
それはニンゲンと同じ作りのものだ。
髪も髭も白く、さらにローブまで同じ色の老人だったのだ。
「なんじゃ。老人は寂しがりなんじゃ。無視するでない」
「て、テメェは何もんだ! 妹から離れろ!」
「ワシの事はどうでも良かろう。この嬢ちゃんはお前さんの妹か」
「離れろって言ってんだろ! 痛い目見る前に出ていけよ!」
ジンの威嚇をものともせず、老人はアレグラの側を動かない。
しきりに首を捻り『へったくそな仕事ぶり』だの呟いている。
その態度がジンの怒りに火をつけた。
「黒い風よ、自由を……」
「解呪」
「なっ!?」
風が起きることはなく、黒い霧が立ち上って消えた。
魔法の発動に失敗したことなど経験がなかったため、彼は酷く慌てた。
「大人しくしておれ。ワシに任せればアッと言う間じゃ」
「何を言って……」
「解析」
老人の呟きとともに、アレグラの体に異変が起きた。
彼女の頭と胸元に、半透明な紐が数本浮かび上がった。
まるでその紐で頭と胸を繋いでいるかのようにも見える。
「どこへ繋いで良いかわからずに、適当にやりおったな。これじゃあ苦しくて敵わんだろうに。ニンゲンどもは本当にロクな事せんのう」
「おい、それは何だ?!」
「うっさい、黙っておれ。この色はこっち、そしてこの色は向こう、と」
真ん中で色違いとなっていた紐は、老人の手でちぐはぐさが解消された。
それから、その紐は消えた。
まるで最初から何も無かったように、跡形もなく。
「あれ? 何だか急に体が……」
「アレグラ! 大丈夫か?!」
「うん、よくわかんないけど。全然痛くないの!」
「ホッホッホ。そうじゃろう」
「じいさん、さっきは済まねぇ。まさか妹を治してくれるなんて思わなくって」
ジンは頭を深々と下げた。
野に放たれて以来初めての事である。
それに対して、老人は小さく言った。
「残念じゃが、快癒はしておらんぞ。回路が長年の癖を覚えてしまっておる。一度や二度では治すことは出来んな」
「そんな。じゃあどうすれば!」
「根気強くやるしかあるまい。雨の日も風の日も休まずコツコツと」
「そうか……さっきの魔法をオレに教えてくれないか? オレは妹を何としても助けたいんだ!」
「ふむ。教えてやらんでもない。じゃが、条件がある」
「条件か。何でも言ってくれ!」
ジンの覇気みなぎる態度に対し、老人はゆったりとした態度で応じた。
「お前さん、ワシの弟子となれ。そうすれば教えてやろう」
「わかった。お安いご用だ!」
「ふむ。契約成立じゃな」
「じゃあ早速魔法を……」
「じゃあ早速飯を用意してくれ、鹿肉がええのう」
「鹿肉?! いや、今は手元に鹿なんか……」
「いいから取ってこんかい! はようせい!」
「なんだよ、わかったから怒鳴んなよ!」
ほどなくして一頭の鹿が仕留められ、ジンは戻ってきた。
それからは解体、調理。
手間が多いため、食事の用意までは時間を要した。
「あぁひもじいのう。老人虐待は感心せんぞ」
「今作ってんだよ! 少しは待ってろよ!」
ようやく鹿肉の準備が終わり、焚き火に串刺しの肉が並ぶ。
狭い洞窟内には焼けた脂の匂いがすぐに充満した。
「さて、肉が焼ける間に聞いておこうか。お前さんら、並の狐ではないな?」
「オレたちは、小さい頃にニンゲンに拐われたんだ。どこで生まれたかは覚えてない」
「拐われた、だけではないな?」
「あぁ……。良く分からない検査を散々やられたよ。そして、これを埋め込まれた」
ジンが胸元を開くと、左胸に水晶があるのが見えた。
それは正に肌と一体化していて、埋め込まれたという表現が的確である。
「アレグラにもある。オレのものとは種類が違うが」
「そうかね。アレグラちゃん、ちと爺に見せてはくれんかね?」
「え、嫌だけど」
「ホッホッホ。冗談じゃよ、うん。本当に冗談で、邪な気持ちはこれっぽっちも……」
「話を続けるぞ!」
「いや、もう察しはついたわい。特別な能力の込められた石を埋められたんじゃな。お前さんは『黒霧の獣』でアレグラちゃんは『闇夜の王』あたりかの」
「中身の事は知らねえ。ニンゲンは『特別な力をやろう』としか言ってなかったからな」
拘束された手足。
いつも薄ら笑いを浮かべていた男。
延々と耳につく誰かの叫び声。
数々の忌まわしい記憶が蘇り、兄妹は体を寄せ合って身震いした。
「なんともまぁ、辛かったのう。小僧の方はいいとしても、アレグラちゃんは可愛いのにのう」
「ふざけんなテメェ」
「あのさジイちゃん。名前くらい教えてよ。不便でしょうがないよ」
「名前は何だったかの。そもそも名などあったかどうかすら覚えてはおらんな」
「……自分の名前を忘れるなんか、どうかしてるぜ」
「強(し)いて言えば、聖痕の狼じゃろうな。オーカミ様とでも呼べばよい」
「えっ! 聖痕?!」
兄妹の声には目もくれず、老人は立ち上がった。
当の本人にとっては何でもないのだろう。
「腹も膨れたし、行くとしよう」
「行くって……どこにだよ?」
「ワシの後継者探しじゃ」
それを言ったきり、老人は出口へと向かって歩いていった。
残された2人は慌てて火を消し、荷物を手にして追いかけた。
突然現れた図々しい老人に辟易しつつも、その表情は明るい。
もう一度兄妹で旅に出られる事を喜んでいるのだった。
第39話 妹の異変
グラン山間部。
山間にある森の奥深くに奇跡の湖がある。
その水は微量ながらも魔力を帯びており、触れたものに少なくない恩恵を授ける。
だが、効果があるかどうかは程度によるのは勿論の事。
重い病や怪我となれば、改善は見込めない。
それは人間よりも魔法に精通している妖狐であれば、聞くまでもなく粗方を理解していた。
それでも兄のジンはすがるしかなかった。
妹のアレグラを救うために。
「ゥゥ……、ゥウウ!」
「しっかりしろ、アリィ!」
洞穴の中に妖狐の兄弟は隠れ住んでいた。
お尋ね者となっているからであるが、理由はそれだけでは無い。
妹のアレグラに降りかかった異変に対処するためだ。
「ァァア、アアアーッ!」
「アリィ、水だ! 飲め!」
「ウグッ」
苦悶の表情に少しばかりの安らかさが混じる。
荒い息遣いも次第に落ち着きをみせた。
かといってアレグラは覚醒することはなく、その目を閉じたままだ。
「……にいちゃん」
「安心しろ、ここに居るぞ」
ジンはアレグラの額の汗を拭いつつ答えた。
その指先が頬に触れたとき、動きが止まる。
ーー随分と痩せたな。
ここ数ヵ月に容態は急変した。
不調を訴えた当時は、風邪だろうと思われたが、日に日に悪化していく状況に考えを改めた。
それでも寝起きくらいは出来たし、会話も問題なくできていた。
それも今となっては叶わない。
食事にしてもそうだ。
体が受け付けずに、すぐに吐き戻してしまう。
医学や薬学知識の無いジンには打つ手がない。
不老不死伝説の残るこの湖に頼るしかなかった。
「ゥア……アアア……!」
「クソッ またか!」
アレグラは胸に手を当てながら、再び呻いた。
まるで体内の何かと争っているかのように。
いや、彼女の体の主導権争いと言った方が正確であろう。
ーーゴォオオオッ!
不可視の魔力を帯びた触手。
それが洞窟の壁を、天井を、床を手当たり次第に破壊していく。
まるで少女の周りで巨大な獣が暴れているようである。
そして、その狂気は実の兄へも向けられた。
「黒い風よ! 自由を奪えッ!」
「グウッ」
ジンの魔法によって暴力の嵐が一度止む。
だがそれは膠着状態だ。
アレグラの発作が治まるまで、ジンは魔力を注ぎ続けなくてはならない。
「ウォオオオーーッ!」
彼は全力で魔力を放出し、ありったけの力をぶつけた。
そして手応えが無くなった頃に、妹は眠りに落ちていた。
「ハァ、ハァ。やっとかよ……」
ここ数日は発作が激しい。
アレグラの暴れ方も同様であった。
ーーこれ以上強くなったら、オレの力じゃ……。
ふと、そんな考えが過る。
だが直ぐに否定した。
妹を救えるのは自分だけである、これまでがそうだったように。
「にいちゃん……」
掠れた声がジンの耳に響いた。
聞きなれた妹の声。
かつての自信と無邪気さに溢れていたものとは、大きくかけ離れたか細いもの。
「アレグラ、起きてなくていい。寝てろ」
「にいちゃん、アタシは、死んじゃうのかな?」
ーーズキリ。
冷たい痛みがジンの胸で暴れる。
鼓動は早くなり、ドクンドクンと脈の音が騒がしくなる。
「バカな事考えんな! 安静にしてりゃすぐに良くなるんだよ!」
「でも……最近、調子が悪くなるばっかりで」
「うるせぇ! 水汲んでくる!」
聞きたくない、とばかりにジンは飛び出した。
現実に背を向けるようにして。
駆け足で奇跡の湖まで行くと、直ぐに革袋に水を満たし始めた。
コプコプッと袋から気泡が上る。
ーーアレグラが死ぬだって? 冗談じゃねぇ!
泡を睨みつつ、彼は憤った。
実際のところ、ジンが理知的で居られるのは妹の存在があってこそだ。
唯一の肉親の存在が彼の人格を支えているのだ。
もしその支えが無くなりでもしたら、彼の心は折れ曲がり、倒れ、無明の闇へと落ちていくことだろう。
ジンはそれが分かっているので、先程のアレグラの言葉に戦慄したのだ。
ーー死なせるもんか。絶対になんとかするんだ!
新たに汲んだ水を手にして、再び洞窟へと駆け戻った。
だが、ほんの短い時間にもかかわらず、中は様変わりしていた。
アレグラの側に何かが居る。
真っ白い塊のような、何かが。
ーーあれは、魔獣? それとも、精霊の亜種か?
物音を立てないように、そして戦闘体勢に入りつつ近づいていった。
白い塊はアレグラの側から離れないまま、体を揺らしている。
ーーもしかして、こいつが元凶か? だったら、殺せば解決するんじゃないか。
黒い風。
そう唱えようとした、その時だ。
「なんともまぁ、雑な術式じゃのう。お前さんもそう思わんかね?」
「なっ!?」
白い塊がこちらへ顔を向けた。
それはニンゲンと同じ作りのものだ。
髪も髭も白く、さらにローブまで同じ色の老人だったのだ。
「なんじゃ。老人は寂しがりなんじゃ。無視するでない」
「て、テメェは何もんだ! 妹から離れろ!」
「ワシの事はどうでも良かろう。この嬢ちゃんはお前さんの妹か」
「離れろって言ってんだろ! 痛い目見る前に出ていけよ!」
ジンの威嚇をものともせず、老人はアレグラの側を動かない。
しきりに首を捻り『へったくそな仕事ぶり』だの呟いている。
その態度がジンの怒りに火をつけた。
「黒い風よ、自由を……」
「解呪」
「なっ!?」
風が起きることはなく、黒い霧が立ち上って消えた。
魔法の発動に失敗したことなど経験がなかったため、彼は酷く慌てた。
「大人しくしておれ。ワシに任せればアッと言う間じゃ」
「何を言って……」
「解析」
老人の呟きとともに、アレグラの体に異変が起きた。
彼女の頭と胸元に、半透明な紐が数本浮かび上がった。
まるでその紐で頭と胸を繋いでいるかのようにも見える。
「どこへ繋いで良いかわからずに、適当にやりおったな。これじゃあ苦しくて敵わんだろうに。ニンゲンどもは本当にロクな事せんのう」
「おい、それは何だ?!」
「うっさい、黙っておれ。この色はこっち、そしてこの色は向こう、と」
真ん中で色違いとなっていた紐は、老人の手でちぐはぐさが解消された。
それから、その紐は消えた。
まるで最初から何も無かったように、跡形もなく。
「あれ? 何だか急に体が……」
「アレグラ! 大丈夫か?!」
「うん、よくわかんないけど。全然痛くないの!」
「ホッホッホ。そうじゃろう」
「じいさん、さっきは済まねぇ。まさか妹を治してくれるなんて思わなくって」
ジンは頭を深々と下げた。
野に放たれて以来初めての事である。
それに対して、老人は小さく言った。
「残念じゃが、快癒はしておらんぞ。回路が長年の癖を覚えてしまっておる。一度や二度では治すことは出来んな」
「そんな。じゃあどうすれば!」
「根気強くやるしかあるまい。雨の日も風の日も休まずコツコツと」
「そうか……さっきの魔法をオレに教えてくれないか? オレは妹を何としても助けたいんだ!」
「ふむ。教えてやらんでもない。じゃが、条件がある」
「条件か。何でも言ってくれ!」
ジンの覇気みなぎる態度に対し、老人はゆったりとした態度で応じた。
「お前さん、ワシの弟子となれ。そうすれば教えてやろう」
「わかった。お安いご用だ!」
「ふむ。契約成立じゃな」
「じゃあ早速魔法を……」
「じゃあ早速飯を用意してくれ、鹿肉がええのう」
「鹿肉?! いや、今は手元に鹿なんか……」
「いいから取ってこんかい! はようせい!」
「なんだよ、わかったから怒鳴んなよ!」
ほどなくして一頭の鹿が仕留められ、ジンは戻ってきた。
それからは解体、調理。
手間が多いため、食事の用意までは時間を要した。
「あぁひもじいのう。老人虐待は感心せんぞ」
「今作ってんだよ! 少しは待ってろよ!」
ようやく鹿肉の準備が終わり、焚き火に串刺しの肉が並ぶ。
狭い洞窟内には焼けた脂の匂いがすぐに充満した。
「さて、肉が焼ける間に聞いておこうか。お前さんら、並の狐ではないな?」
「オレたちは、小さい頃にニンゲンに拐われたんだ。どこで生まれたかは覚えてない」
「拐われた、だけではないな?」
「あぁ……。良く分からない検査を散々やられたよ。そして、これを埋め込まれた」
ジンが胸元を開くと、左胸に水晶があるのが見えた。
それは正に肌と一体化していて、埋め込まれたという表現が的確である。
「アレグラにもある。オレのものとは種類が違うが」
「そうかね。アレグラちゃん、ちと爺に見せてはくれんかね?」
「え、嫌だけど」
「ホッホッホ。冗談じゃよ、うん。本当に冗談で、邪な気持ちはこれっぽっちも……」
「話を続けるぞ!」
「いや、もう察しはついたわい。特別な能力の込められた石を埋められたんじゃな。お前さんは『黒霧の獣』でアレグラちゃんは『闇夜の王』あたりかの」
「中身の事は知らねえ。ニンゲンは『特別な力をやろう』としか言ってなかったからな」
拘束された手足。
いつも薄ら笑いを浮かべていた男。
延々と耳につく誰かの叫び声。
数々の忌まわしい記憶が蘇り、兄妹は体を寄せ合って身震いした。
「なんともまぁ、辛かったのう。小僧の方はいいとしても、アレグラちゃんは可愛いのにのう」
「ふざけんなテメェ」
「あのさジイちゃん。名前くらい教えてよ。不便でしょうがないよ」
「名前は何だったかの。そもそも名などあったかどうかすら覚えてはおらんな」
「……自分の名前を忘れるなんか、どうかしてるぜ」
「強(し)いて言えば、聖痕の狼じゃろうな。オーカミ様とでも呼べばよい」
「えっ! 聖痕?!」
兄妹の声には目もくれず、老人は立ち上がった。
当の本人にとっては何でもないのだろう。
「腹も膨れたし、行くとしよう」
「行くって……どこにだよ?」
「ワシの後継者探しじゃ」
それを言ったきり、老人は出口へと向かって歩いていった。
残された2人は慌てて火を消し、荷物を手にして追いかけた。
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