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プロローグ

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「……異世界に行く?」

 私の話を聞いた師匠……神条巧斗は、元々無愛想な顔に怪訝な表情を浮かべた。

「んー、異世界に行くって言うか、帰るの。実は私、元々別の世界の人間なんだ」

 これは最初で最後のカミングアウト。
 五年前に八歳で異世界からこの日本に転移してきて、以来十三歳になる今までずっと黙っていたことだった。まあ言ったところで、誰も信じてくれないだろうけど。

「こっちの世界から消えちゃうから、今まですごくお世話になった師匠にだけはお別れを言っておこうと思って」
「いやいや、ちょっと待て。美由、お前頭でも打ったのか?」

 当然、師匠だって信じるわけがない。だって彼はもう二十代も後半になる大人だ。それも超現実的、根っからのリアリスト。
 だからこそ今日、この異世界への転移ポイントに連れてきた。
 私が消える瞬間を見れば、きっと師匠も信じてくれるはず。無駄に私の行方を捜すこともなくなる。

「新田美由って名前は、児童養護施設に保護されてから付けられたものなの。本名はミュリカ・サラント。アイネルという国にある、サラント地方の領主の娘なんだよ」
「……美由、そんな現実逃避をするくらいなら、無心で木刀を振ったらどうだ。何があったのか知らないが、訳の分からん妄想をするよりずっとマシだ」
「妄想じゃないってば。すぐに師匠も分かるよ」

 こちらの人間には感知できない魔力の渦が、すでに二人の足下で大きな円を描くようにうねっていた。これが私の足下に収束することで転移のゲートが開く。
 異世界とこちらがつながれば、私は向こうの世界の魔道士に引き上げてもらう手はずになっているのだ。

 その時はもう間もなく来る。

「……この五年間、師匠のおかげで随分強くなれたよ、ありがとう。これで向こうでも自分の身を自分で守ることができる」
「何を言っているんだ、お前はまだ修行が必要だぞ。さらにあと五年もすれば、俺より強くなる素質があるんだ、ここでやめるのは……!?」

 言葉の途中で師匠がようやく周囲の異変に気付いた。視認できるほど収束してきた魔力の渦が、淡い光を放ち始めたのだ。
 この現象に、リアリストの師匠もさすがに狼狽えている。

「な、何だ、これは……?」
「私が帰る異世界へのゲート。そろそろ扉が開くよ。そこを通って、私は元いた世界に……って、あれ?」

 ふと、魔力の渦の中心が、私からずれていることに気が付いて首を傾げた。
 おかしい、この渦は最後に私の足下で集約するはずなのに。
 その中心が、なぜか師匠になっている。

「あれ、ちょっと待って! 師匠、その場所から離れて!」
「いや離れろと言われても……この光、ついてくるんだが」

 確かに、そこから抜け出そうと移動した師匠の足下に、光の渦はぴたりとついていく。
 え? え? どういうこと?
 もしかして私と間違って、師匠がロックオンされてる?

「ちょ、この状況で人違いするとか、凡ミスにもほどがあるーーーーーー!」
「うわっ、何だ!? 光が強く……っ!」

 思わず喚いた私の目の前で、師匠の足下のゲートが開いた。

「師匠ーーーーーー!!」





 ……この日、私の師匠は行方不明者となったのだった。
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