黒犬と山猫!

あとみく

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山猫、デレる

第327話:仕事の相談

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 ふいに心臓がどきどきして、わざとらしく咳払いなどしてみる。・・・クロに、仕事の何かを、訊いてみる?
 ・・・。
 別に、それほど大層な内容を訊こうとしているわけじゃないのに、どうしたらいいか、よく分からなかった。
 クロと、仕事の話をしたことが、ろくにないからだ!
 新人の話にしても、女子の何とかちゃんがどうの、誰と腕相撲をしただのは聞いたけど、具体的な研修の話は聞いていない。あいつが実際に今、新人の島にちょくちょく顔を出している理由も知らないのだ!
 一瞬、三課を振り返る。
 黒井は、真面目な顔で仕事をしていた。
 当たり前のことだけど、会社では<僕のクロ>じゃなくて、<三課の黒井さん>・・・。
 今まで、黒井はあえて、僕と仕事の話はしなかったのだと思う。きっと、物理や<アトミク>の話をしたいのであって、会社の同僚という現実的な関係でいたかったわけじゃないのだろう。ひとたび会社員であることを自分のメインに据えたら、あんな<本番>だの<物理合宿>だののような浮世離れしたことは出来まい。僕だってその辺りが世間と少々ズレているから出来たんだ。
 ・・・やっぱり、僕たちはお似合い?
 思わず腕時計を見て笑みが漏れる。・・・おっと、今はそれどころじゃない。

 クロは、もう健全でいい、現実でいい、と言っていた。
 だったらきっと、・・・仕事の話も。
 ・・・そして、僕が、・・・甘えても。
 いいの、かも、しれない。


・・・・・・・・・・・・・・


 ノートに途中まで、新人について訊きたいことをリストアップしたけれど。
 何となく居ても立ってもいられなくなって、ノートにペンとふせんをはさみ、三課へ歩いた。
 黒井の席の、斜め後ろから、そっと近づく。急ぎの用事とか、誰かの内線を待ってるとかじゃなければ、五分十分、ちょっと相談に・・・。
 ・・・相談?
 僕が、クロに、仕事の相談・・・?
 一瞬、崖から落ちそうな、視界が斜め下へスライドするようなめまいがして、出直そうかと思ったけど、クロの方が僕に気がついた。
「・・・あ」
 振り向いて、嬉しそうにこちらを見上げる。・・・うう、恥ずかしい。
「・・・お、おつかれ」
「よう。・・・コーヒー?」
「あ、ああ、うん。いま平気?」
 それには答えず、クロは手元に広げていた資料も画面もそのまんまでさっさと立ち上がった。ああちょっと、契約書は伏せて、画面はスクリーンセーバーにして・・・。

 黒井は、両腕をほぐすようにぶらぶらさせて、ゆっくり歩いた。隣を歩きながら、僕はまたもやゲシュタルト崩壊。急に恋人になったと思ったら、今度は<三課の黒井さん>と話すことになるなんて。 
「・・・ねえ」
「う、うん?」
「なに、早く終わりそうなの?」
「・・・あ、いや」
「・・・ふうん」
 少し残念そうな声を出すと、黒井はすっと左腕を目の前に伸ばし、僕にも時計を見せびらかすようにして「七時十分だ」と言った。
「その、・・・クロは、もう終わりそうなの?」
「まあ、ね」
「そう・・・」
 給茶機に着いて、黒井が紙コップをセットし、ガーーという抽出音が響く。僕はさっきも汲んだけど結局ろくに飲んでいなかった。まずいしね。
「・・・どしたの、ねこ」
「・・・えっ?」
「なんか、あんの?」
「・・・えっと、・・・いや」
 あるんだけど、あるんだけど、どこから何を訊いていいやら。
「・・・それ」
「うん?」
「ノート。・・・何かしてるとこなの?」
「・・・あ、うん、まあ」
「お前もホットでいい?」
「へっ?・・・あ、うん」
 黒井は出来上がった自分のコーヒーを取って、僕の分の紙コップをセットし、ホットコーヒーのボタンを押してくれた。・・・クロが、僕の分を!
 何かが込み上げて、自分のコーヒーにクリープを入れている黒井の腕をまたつかんで、そのぬくもりを勝手に享受しながら僕は「あ、あの」と声を出した。ああ、こんなところでこんなこと、公然わいせつ罪?
「・・・なに?ねこ」
 抽出音に隠れて、甘い声。もうだめだ。
「クロ、実は、その・・・」
「うん?」
「ちょっと、訊きたいことが」
「うん?」
「えっと、えっと・・・どっから話していいか」
「・・・なんか、俺と話したいの?」
 そう言って、黒井は微笑みながら僕にコーヒーを手渡した。ノートを脇に挟み、受け取った熱い紙コップを両手で包む。もう、何だよ、どうしよう、ここでキスしない?


・・・・・・・・・・・・・


 いい感じ・・・だった、のに。
 SSの島のおっさんが来てしまって、急いでどこうとしたら脇に挟んだノートからペンとふせんが滑り落ちた。「あーあー」としゃがんで黒井がそれらを拾い、「おつかれっす」と二人で給茶機を後にする。
 そして、コーヒーをこぼさないようゆっくりめに歩いていたら、給茶機そばの島の新人たちがぞろぞろと帰るところだった。
「あーっ、黒井さん!お疲れ様です・・・じゃなかった、お先に失礼しまーす!」
「おー、帰れ帰れ。またねー」
「黒井さーん!ちょ、今日飲みっすよ。また来てくれません?腕相撲しましょうよおー!」
「今度は勝つからなー、マジ、ちょっと鍛えたからさ。でも今日は行かない。まだ忙しいもん」
 何だかガッシリして五分刈りの男は、僕にも目を向けて「っす!」と何らかの挨拶らしき声を発してきた。思わず「・・・っ」と会釈して、黒井の一歩後ろに下がる。こ、これが腕相撲をしたシゲやんとかいう男子か?
 その後も次々に新人が挨拶をしてきたが、ひと際大きな声が「黒井さん、山根さん、お先に失礼します!」と僕までをも名指しにした。聞いたことがあるこのフレッシュさは、四課仮配属の岩城君だ。・・・いやいや、ちょっと横から聞かれたからって、「四課の山根さんって、黒井さんの同期だよ」なんて、そんな大声で説明しなくていいから!そして山根さんは、黒井さんの恋人だから・・・!・・・ひい!


・・・・・・・・・・・・・・


「うおっ、こんなとこあったの!?えー!」
「しーっ、静かにして」
 新人たちを牛のように廊下へ追い立てた後は、結局、四課の奥の薄暗くてみすぼらしいブースへこそこそと滑り込んだ。隣の西沢の席が空いていたけど、四課のど真ん中でもうすぐG長がいなくなるだの、どの新人を来させる手筈だのと三課の黒井に堂々説明するわけにもいかない。
「ここ、いいじゃん。お前の隠れ家?」
「違うよ。俺だって物置だと思ってた。・・・今朝、課長に呼び出されて知った」
「えっ?」
 デスクと椅子一式、そして向かい側にもう一脚、色違いの古い椅子。周りには雑多な段ボールやゴミ箱などが置かれ、それらを覆い隠すように、これまた染みだらけの薄水色のパーテーションで仕切ってある。遥か昔からあったような気もするし、盆休み辺りに寄せ集められたのかもしれない。・・・まあ、僕は何年もずっとこちら側を向いて仕事をしてきたはずだけど、ある時から、後ろに目があるみたいに三課を気にし始めたからね・・・なんて。
「え、お前まさか、・・・なんかあるの?道重さん、何だって?」
 黒井が、飲んでいたコーヒーを置いてこちらに顔を寄せる。・・・ああ、不謹慎だけど、僕が異動になったなんて言ったら、お前はこんな顔で心配してくれるの?いやいや、どこにも行きませんから!
「・・・うん、実はさ、うちの・・・」

 G長がいなくなる・・・という話は別に、辞めるのか異動なのかも定かではないし、どこからか漏れてもまずいので伏せておくことにした。いや、別に話したって構わないんだけど、僕がまた何かでへまをした時、クロへの被害が最小限で済むだろうから。・・・そうそう、工程表を僕が独断で省略した時だって、怒られたのは僕だけで済んだんだ。
 そして僕は、とにかく四課に仮配属になった七人のうちから、課長が二人を即戦力として使いたがっているという説明をした。その二人というのは飯塚君と辛島君で、しかし課長が指名するという形にはしたくない。そうではなく、例えば七人のうち二人だけが立候補するといった残りの五人も納得する形で二人が営業デビューを果たし、それでいて全員がいい感じで横並びに学べるよう僕が営業事務を教える・・・。

 しかし、僕はだから、ただ新人たちの毎日のスケジュール感とか、今までの研修で何を習ってきただとか、そんな周辺情報を訊きたかっただけ・・・なのに。
 黒井は「ふうーん、・・・じゃあどうしよっか」と言った。
「・・・うん?」
「飯塚君とからしまんでしょー?そんなに積極的に手を挙げるタイプじゃないんだよね。それよかユウトの方が来そうだし。なかむーとやまちゃんは何でも、別に平気だけど」
「・・・」
 急にあだ名を連発され、僕はノートをめくって、新人七人の名前を書いたふせんを確認した。

・飯塚くん☆
・辛島くん
・岩城くん☆
・山田氏
・中村くん
・斉藤さん☆
・峯岸さん

 からしまんは辛島君、ユウトは岩城君、やまちゃんが山田氏で、なかむーが中村君、か。
「この星はなに?」
「あ、これは、俺が同行したっていう印」
 ふせんを一緒に見ながら、クロが勝手に剥がして、隣の白紙のページに最初の二枚を貼っていった。それが今回引き抜きたい二人だ。
「飯塚君は超しっかり者だけど、空気も読むから、本当は指名してあげた方がやりやすそう。・・・で、からしまんは、・・・こっちも言えば『ハイ』って言うけどね。道重さんが言うのが一番早いけど、それしたくないんだったら、・・・みんなからの投票?いや、あんましだな。話し合いも決まんないだろうし。やっぱお前が指名すれば」
「え・・・いや」
 ・・・。
 いろいろ、頭が、混乱した。
 本来、今黒井が喋った内容(投票とは思いつかなかった)を考えなくてはいけないのは僕であって、それにあたり、分からない部分を黒井に補足してほしかった・・・んだけど。
 クロは、すっかり、自分のこととして考え始めている。
 いやいや、これじゃあ、僕の課題をすっかり丸投げして、自分より詳しい人に答えだけ教えてもらうみたいになっちゃうじゃないか。それじゃズルだし、そもそも僕が想定していた<相談する>と、ちょっと違う・・・。
「あ、それだったらさー、この二人を引き抜くっていうより、むしろ居残りになる五人の方を引き抜く、っていうか、そっちの理由を探せば?」
「・・・ん、うん?」
「だって女の子二人はやる気ないし事務希望だし、なかむーも経理志望なんだから営業やりたくないし、そしたらあとはユウトとやまちゃんで・・・。ユウトはまず商品覚えてないから勉強が先だって言えばいいし、・・・あー、今度はやまちゃんがネックか」
「・・・あ、えっと」
「うん?」
「ちょ、ちょっと、考えさせて」
「・・・うん」
 どうすれば、いいんだろう。
 本来したかった<相談>の形を、一番最初に提示していればよかったのか。
 それとも、もうそんなのはいったん横に置いて、ただアドバイスを聞くだけ聞いて、あとは僕がそれを参考に何とかすればいいのか。
 いやいやそれとも、今のこの、僕が感じている齟齬をきちんと説明して、僕がやりたかったようにイチからやり直してもらえるよう頼めばいいのか・・・。
 ・・・。
 いや、そこじゃない。
 ・・・やりたかった、のか。
 本当は、僕が自分で、一人で、このプロジェクトを仕切りたかったのか。
 でも、情報集めをしようとウロウロして村の情報屋に会ったら、そもそもコントローラーを取られてしまったような気持ちなんだな。
「・・・ははっ」
 つい、笑いが漏れた。
「何だよ、なに笑ってんの?」
「ううん、何でもない」
 自分の混乱の意味が分かったら少し落ち着いて、僕は「で、どうしたらいいと思う?」と訊いてみた。普通なら「それは自分で考えろ」とか言われてしまうところだけど、クロは「えっとねー、そんじゃあねー」と、頬杖をついて、無駄にふせんをひらひら剥がしながら、嬉しそうに考えてくれた。
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