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終章 覚醒
8-7
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「雪娜様、狐の妖がいるのですか?」
「ああ。母が生前、使役していた特殊個体がな……九尾の狐、いわゆる〝妖狐〟だった」
「!」
狐の妖自体初耳だった珠葵は、思わず龍河と桜泉を見やっていたが、どちらもすぐに思い出せなかったのか、それぞれが首を傾げていた。
「雪娜の母親が使役……アレって狐だったっけ、お兄ちゃん?」
『人の姿しか見覚えがないし、それも片手で数えられるくらいだったから、断言出来ない。出来ないが……よく人間に従う気になったな、というほどの力の持ち主だった覚えはある。なるほど、アイツなら皇帝とその腰巾着を壊したとしても驚かない。元来、人の倫理に添わぬからこその「人外のモノ」だからな』
雪娜の母、馮美梛に付き従っていたからこそ、その他の人間、物にはほとんど執着を見せなかったらしい狐の妖。それも人の姿がとれるほどの。
下手をすれば人と玩具の区別すらついていなかったんじゃ――龍河は淡々とそう言ってのけたが、珠葵の顔を見て、葛籠の中で慌てていた。
『龍は違うぞ! 守護龍は国に添うし、オレと桜泉は珠葵に添う! あくまで一般的な妖論だ!』
妖論、などと謎発言をしているものの、龍河に悪意はない。大きく首を縦に振っている桜泉も同様だ。
ありがとうと微笑む珠葵に『それに』と、龍河は更に心話を届けてきた。
『ほとんど会ってないにせよ、アイツと雪娜の母親との関係が、珠葵とオレたち兄妹のような関係だったのは、何となく覚えてる。だったら、雪娜の母親がそもそも狙われていたのも業腹だっただろうし、娘の代までかと思えば怒りは倍増していただろう。自業自得で破滅するよう裏から仕向けたとしても驚かない。その予測ごと、父龍に伝えろってことなんだろうから』
だからそうするだけだ、と龍河は断じた。
「……本当に、次代の守護龍は優秀だ」
緩やかな笑みを口元に載せた雪娜の、それが答えだった。事実上の肯定。
凌北斗を傀儡にし、雪娜を手に入れようとした皇帝に、腹を立てたのは人間だけではなかったのだ――と。
「姿を現さない以上答えの出ない話ではあるが、龍泉様ならご納得下さるだろう。私以上に、その気配は察知出来るお方だろうから」
あくまで気配に覚えがあっただけだと言う雪娜だが、その突出した能力は疑いようがない。
その推測は正しいのだろうと、珠葵は思った。
「一応、そのうち妖狐に会ったら聞いてはおくが」
「え、会うことがあるんですか?」
龍河や桜泉が片手で数えられるくらいしか出会ったことがなく、珠葵にいたっては存在すら初めて聞いた。
そんな存在ならば、現在の生存すら危ぶまれるところだが、雪娜は苦笑いだった。
「元々が気まぐれな妖狐だ。特に母が亡くなってからは、この倣国にいたかどうかすら怪しい。まあそれでも、私が小さかった頃は母と一緒に力の使い方を教えてくれたりしていたからな。どこにいるかまでは分からずとも、気配があることくらいなら分かる」
「その気配を、壊れた魔道具、というか呪具からお感じになったんですね」
「そんなところだ」
「でも、それじゃ……」
下手をすれば、皇帝殺しの大罪人……いや、人ではないにせよ問答無用で討伐対象ではないのか。
母に仕えてくれていたと言うのなら、雪娜も情だってあるだろうに。
不安げになった珠葵の表情が見えたのか、雪娜は「気にしなくていい」と、片手を振ってみせた。
「ただ呪具を渡しただけ――そう言われてしまえば、どう裁く?」
「ええっと……」
「もちろん、そうは言わないかも知れない。悪意があって渡したと言うかも知れない。だが、渡した相手が陛下ではなく鍾毅であって、ただ使い道を教えただけだったとしたら?」
「…………」
賭場で徳基章に近付いたのも、鍾毅だ。
皇帝が動かせる最も身近な「駒」が、王家の近衛たる北衙禁軍なのだから、いざという時にまず犠牲になるのも彼ら。正攻法で、皇帝の元まで辿り着くことは難しい。
ならばと、人の理の外に在る妖が動いたとして、誰が止められるだろうか。
「今の時点で、何が真実なのかは分からない。陛下も鍾毅も、話を聞ける状態にないんだ。かと言って、国政の運営を思えば目が覚めるまで待っているわけにもいかない。状況から推測される落としどころを作る必要があるんだ……たとえそれが真実と違ったとしても」
昏倒した原因が普通の状況とは違うため、いつ目が覚めるのか誰にも予測が出来ないのだ。
というよりは、このまま目が覚めないのではないかと思っているフシが、雪娜にはあった。
恐らくは王宮内の関係者、皆が。
「落としどころ……」
「今、それが王宮内で話し合われている。私もじきに戻るが……当面、皇太子殿下が公務の全てを代行されることは間違いない。それに従って、北衙禁軍の組織が大幅に改変されることもだ。その二つは、誰に聞かれても答えられる情報として認識してくれていて構わない」
珠葵ならば、葉華や燕子墨に。龍河や桜泉ならば、龍泉に対して。そこは開示していいということのようだった。
「分かりました。でも丹様……それじゃお忙しくなりそうですね……?」
「うん? 丹劉帆か? まあ、副将から将軍だからな。その身に背負う責も格段に重くなるだろう。ヤツがどうかしたか?」
「ああ、いえ、私が牢に放り込まれた時に、気を遣って下さってたので……」
どうやら游皐瑛の指示があったらしいにせよ、あの場で珠葵に無体を働かなかったのは事実だ。
葉華の座敷に行くことが喜びであり幸せだと言わんばかりだったが、それではいつの話になるのやら、だ。
「私が牢に放り込まれたことで、北衙禁軍全員、当面妓楼の出入り禁止だって葉華姐さんが宣言されてたんですけど……親切にして貰ったから、多少期日を短く出来ないか言ってみてもいいかって思ってたんですよ」
だがそれでは、言ったところで丹劉帆の方が、行く暇がないかも知れない。
珠葵の話に、雪娜は珍しく目を丸くして――それから、低く笑いだした。どうやら、想定外の話だったらしい。
「そ、そうか……丹劉帆が気に入ったとか、そういう話ではなかったか」
『はあっ⁉』
叫んだのは、珠葵ではなく龍河だ。
何故龍河が反応するのかと思いながらも、珠葵は慌てて両手や首を横に振った。
「違いますよ! その、葉華姐さんの信者というか……指名される方の中でも、丹様は本気の部類に入る方みたいだから……それなら、と思っただけです!」
妓女の中でも最高位と言っていい葉華の指名を、己を飾り立てる道具であるかのように扱う者もいれば、憧れを持ってその指名を願う者もいる。そして、本気で身請けを願う者も。
珠葵の目には、丹劉帆は存外本気であるかのように見えたのだ。それであれば、南陽楼で働く者として、珠葵も相応の対応をしようと、そう思ったのだ。
『な、なんだ……驚かせるなよ』
「なんでそこでリュウ君が驚くのよ」
『ヘンなヤツに引っかからないようにするのが、オレの……んんっ、オレと桜泉の役目だからに決まってる!』
「そんなの今まで引っかかったコトないけど⁉」
『どの口が言うんだよ!』
叫ぶ龍河の隣で、桜泉も腕組みをしながらうんうんと頷いていた。
「珠葵ちゃん、凌北斗のことを忘れてない?」
「ええっ、別に引っかかってないし! あんなの、ただの天災! ただただ迷惑を被っただけ!」
「それでも! ああいうのに巻き込まれないようにするのが、アタシとお兄ちゃんの役目だから‼」
断言する桜泉に、今度は龍河の方が何度も首を縦に振っている。
小さな龍の兄妹の珠葵贔屓は筋金入りだ。
「まあ……仲良くやってくれ。陛下は折に触れて龍河や桜泉を王宮で囲いたがっていたが、皇太子殿下は平地に波瀾を起こす趣味はないと言っていたから、そこは安心してくれていいから」
珠葵たちの会話に和んだのか、雪娜がふわりと珠葵の髪を撫でた。
そんな風にされるのは久しぶりだったため、珠葵も思わず口元から笑みがこぼれ落ちる。
「じゃあ、みんなこのままここにいられるんですね」
「そうだな。珠葵が望むなら、今のままだ。……いいのか?」
今回、思いがけず事件に巻き込まれてしまったことを、雪娜なりに気遣ってくれているのだろう。
珠葵にとっては、もうそれで充分だった。
「はい! この小道具店で、リュウ君とおせんちゃんと暮らせて……ちょっと変わった力があっても、それが雪娜様のお役に立てる。たまに天災があっても、今の暮らしには代えられないので!」
「珠葵ちゃん!」
『珠葵!』
少女の姿の桜泉と、小さな白龍姿の龍河が、ぎゅっと珠葵にしがみつく。
「……重くないか?」
「大丈夫です!」
「いや、物理の話はしていないのだがな……」
その後は小声でよく聞き取れなかったのだが、最終的には「まあいいのか」と、雪娜が自己完結していたので、珠葵も気にしないことにした。
「さて……そろそろ御史台に戻らねばな」
「あ、葉華姐さんが、お座敷終わりに間に合えば顔を出すって――」
立ち上がりかけた雪娜に、葉華が来るかも知れないと珠葵が声をかけたのだが、雪娜は笑って片手を振った。
「半分は社交辞令だろうよ。本気で言いたいことがあったなら、何としてでもその時間は確保するはずだ。会って嫌味の一つでも言えれば僥倖、くらいでしかないはずだ」
必要とあれば、作り出す。時間なんてそんなものだ……と、確かに葉華も言っていた。
葉華と雪娜の付き合いも、それなりに長い。同じ人を束ねる立場にある者としての相互理解は、珠葵にはまだ手の届かないものだと、こんなところからも思わされる。
「菓子と茶の礼と……あとはそうだな、徳基餐館の貸切の話を持ち掛けておいてくれれば、向こうも理解をする」
「そういうものなんですね」
「そういうものだ」
「あのっ、じゃあ、他に出来ることは……?」
今回の事態を引き起こした呪具は壊れたという。
だが本当に心配はないのか? 珠葵の〝浄化〟の術は必要ないのか?
自分を凝視する視線に気が付いたのだろう。店を出ていきかけた雪娜が不意に振り返った。
「冤罪で牢になど放り込まれて疲れたろう。まずは休んで英気を養え。こちらもまだ後始末は残っているし、後で圭琪に追加の事情聴取をさせる可能性もある。……ああ、いや」
恐らくは小言か愚痴くらいは飛んでくるか?
雪娜の発言に、珠葵の身体がピシリと固まる。
「えーっと……それは鄭様の八つ当たりと言うのでは……」
「だろうな。安心しろ、当たられるなら私もだ」
「雪娜様至上主義の鄭様が八つ当たりするわけないじゃないですか!」
「馬鹿を言え。アイツを怒らせたら私であろうと嫌味の雨だ。今回ほとんど動けなかったから相当に鬱憤が溜まっているし、凌北斗は今頃瀕死のはずだぞ」
真顔の雪娜に、想像のつく珠葵は「うわぁ」としか言えない。
力に訴えるのではなく、言葉と策で相手を追い込む鄭圭琪のやり方は、御史台どころか刑部でも出世が出来ると専らの評判だ。
本人はそれを聞くと笑顔で吹雪を振り撒くため、皆、心の中で思っているだけなのだが。
(今頃バキバキに心折られてそう……)
「そんなに消化不良なら、圭琪を手伝うか?」
雪娜の表情と声色からすると、冗談なのが丸わかりだ。
「いえ、謹んでご辞退申し上げます」
だから珠葵もそう、間髪入れずに正直に答えた。
「今日からまた、小道具店頑張ります」
「今日は休めと言ったんだがな」
苦言のようで、雪娜の声色は柔らかい。
「また来る」
「……っ、はい!」
こうして珠葵の日常は、続くのだ。
「ああ。母が生前、使役していた特殊個体がな……九尾の狐、いわゆる〝妖狐〟だった」
「!」
狐の妖自体初耳だった珠葵は、思わず龍河と桜泉を見やっていたが、どちらもすぐに思い出せなかったのか、それぞれが首を傾げていた。
「雪娜の母親が使役……アレって狐だったっけ、お兄ちゃん?」
『人の姿しか見覚えがないし、それも片手で数えられるくらいだったから、断言出来ない。出来ないが……よく人間に従う気になったな、というほどの力の持ち主だった覚えはある。なるほど、アイツなら皇帝とその腰巾着を壊したとしても驚かない。元来、人の倫理に添わぬからこその「人外のモノ」だからな』
雪娜の母、馮美梛に付き従っていたからこそ、その他の人間、物にはほとんど執着を見せなかったらしい狐の妖。それも人の姿がとれるほどの。
下手をすれば人と玩具の区別すらついていなかったんじゃ――龍河は淡々とそう言ってのけたが、珠葵の顔を見て、葛籠の中で慌てていた。
『龍は違うぞ! 守護龍は国に添うし、オレと桜泉は珠葵に添う! あくまで一般的な妖論だ!』
妖論、などと謎発言をしているものの、龍河に悪意はない。大きく首を縦に振っている桜泉も同様だ。
ありがとうと微笑む珠葵に『それに』と、龍河は更に心話を届けてきた。
『ほとんど会ってないにせよ、アイツと雪娜の母親との関係が、珠葵とオレたち兄妹のような関係だったのは、何となく覚えてる。だったら、雪娜の母親がそもそも狙われていたのも業腹だっただろうし、娘の代までかと思えば怒りは倍増していただろう。自業自得で破滅するよう裏から仕向けたとしても驚かない。その予測ごと、父龍に伝えろってことなんだろうから』
だからそうするだけだ、と龍河は断じた。
「……本当に、次代の守護龍は優秀だ」
緩やかな笑みを口元に載せた雪娜の、それが答えだった。事実上の肯定。
凌北斗を傀儡にし、雪娜を手に入れようとした皇帝に、腹を立てたのは人間だけではなかったのだ――と。
「姿を現さない以上答えの出ない話ではあるが、龍泉様ならご納得下さるだろう。私以上に、その気配は察知出来るお方だろうから」
あくまで気配に覚えがあっただけだと言う雪娜だが、その突出した能力は疑いようがない。
その推測は正しいのだろうと、珠葵は思った。
「一応、そのうち妖狐に会ったら聞いてはおくが」
「え、会うことがあるんですか?」
龍河や桜泉が片手で数えられるくらいしか出会ったことがなく、珠葵にいたっては存在すら初めて聞いた。
そんな存在ならば、現在の生存すら危ぶまれるところだが、雪娜は苦笑いだった。
「元々が気まぐれな妖狐だ。特に母が亡くなってからは、この倣国にいたかどうかすら怪しい。まあそれでも、私が小さかった頃は母と一緒に力の使い方を教えてくれたりしていたからな。どこにいるかまでは分からずとも、気配があることくらいなら分かる」
「その気配を、壊れた魔道具、というか呪具からお感じになったんですね」
「そんなところだ」
「でも、それじゃ……」
下手をすれば、皇帝殺しの大罪人……いや、人ではないにせよ問答無用で討伐対象ではないのか。
母に仕えてくれていたと言うのなら、雪娜も情だってあるだろうに。
不安げになった珠葵の表情が見えたのか、雪娜は「気にしなくていい」と、片手を振ってみせた。
「ただ呪具を渡しただけ――そう言われてしまえば、どう裁く?」
「ええっと……」
「もちろん、そうは言わないかも知れない。悪意があって渡したと言うかも知れない。だが、渡した相手が陛下ではなく鍾毅であって、ただ使い道を教えただけだったとしたら?」
「…………」
賭場で徳基章に近付いたのも、鍾毅だ。
皇帝が動かせる最も身近な「駒」が、王家の近衛たる北衙禁軍なのだから、いざという時にまず犠牲になるのも彼ら。正攻法で、皇帝の元まで辿り着くことは難しい。
ならばと、人の理の外に在る妖が動いたとして、誰が止められるだろうか。
「今の時点で、何が真実なのかは分からない。陛下も鍾毅も、話を聞ける状態にないんだ。かと言って、国政の運営を思えば目が覚めるまで待っているわけにもいかない。状況から推測される落としどころを作る必要があるんだ……たとえそれが真実と違ったとしても」
昏倒した原因が普通の状況とは違うため、いつ目が覚めるのか誰にも予測が出来ないのだ。
というよりは、このまま目が覚めないのではないかと思っているフシが、雪娜にはあった。
恐らくは王宮内の関係者、皆が。
「落としどころ……」
「今、それが王宮内で話し合われている。私もじきに戻るが……当面、皇太子殿下が公務の全てを代行されることは間違いない。それに従って、北衙禁軍の組織が大幅に改変されることもだ。その二つは、誰に聞かれても答えられる情報として認識してくれていて構わない」
珠葵ならば、葉華や燕子墨に。龍河や桜泉ならば、龍泉に対して。そこは開示していいということのようだった。
「分かりました。でも丹様……それじゃお忙しくなりそうですね……?」
「うん? 丹劉帆か? まあ、副将から将軍だからな。その身に背負う責も格段に重くなるだろう。ヤツがどうかしたか?」
「ああ、いえ、私が牢に放り込まれた時に、気を遣って下さってたので……」
どうやら游皐瑛の指示があったらしいにせよ、あの場で珠葵に無体を働かなかったのは事実だ。
葉華の座敷に行くことが喜びであり幸せだと言わんばかりだったが、それではいつの話になるのやら、だ。
「私が牢に放り込まれたことで、北衙禁軍全員、当面妓楼の出入り禁止だって葉華姐さんが宣言されてたんですけど……親切にして貰ったから、多少期日を短く出来ないか言ってみてもいいかって思ってたんですよ」
だがそれでは、言ったところで丹劉帆の方が、行く暇がないかも知れない。
珠葵の話に、雪娜は珍しく目を丸くして――それから、低く笑いだした。どうやら、想定外の話だったらしい。
「そ、そうか……丹劉帆が気に入ったとか、そういう話ではなかったか」
『はあっ⁉』
叫んだのは、珠葵ではなく龍河だ。
何故龍河が反応するのかと思いながらも、珠葵は慌てて両手や首を横に振った。
「違いますよ! その、葉華姐さんの信者というか……指名される方の中でも、丹様は本気の部類に入る方みたいだから……それなら、と思っただけです!」
妓女の中でも最高位と言っていい葉華の指名を、己を飾り立てる道具であるかのように扱う者もいれば、憧れを持ってその指名を願う者もいる。そして、本気で身請けを願う者も。
珠葵の目には、丹劉帆は存外本気であるかのように見えたのだ。それであれば、南陽楼で働く者として、珠葵も相応の対応をしようと、そう思ったのだ。
『な、なんだ……驚かせるなよ』
「なんでそこでリュウ君が驚くのよ」
『ヘンなヤツに引っかからないようにするのが、オレの……んんっ、オレと桜泉の役目だからに決まってる!』
「そんなの今まで引っかかったコトないけど⁉」
『どの口が言うんだよ!』
叫ぶ龍河の隣で、桜泉も腕組みをしながらうんうんと頷いていた。
「珠葵ちゃん、凌北斗のことを忘れてない?」
「ええっ、別に引っかかってないし! あんなの、ただの天災! ただただ迷惑を被っただけ!」
「それでも! ああいうのに巻き込まれないようにするのが、アタシとお兄ちゃんの役目だから‼」
断言する桜泉に、今度は龍河の方が何度も首を縦に振っている。
小さな龍の兄妹の珠葵贔屓は筋金入りだ。
「まあ……仲良くやってくれ。陛下は折に触れて龍河や桜泉を王宮で囲いたがっていたが、皇太子殿下は平地に波瀾を起こす趣味はないと言っていたから、そこは安心してくれていいから」
珠葵たちの会話に和んだのか、雪娜がふわりと珠葵の髪を撫でた。
そんな風にされるのは久しぶりだったため、珠葵も思わず口元から笑みがこぼれ落ちる。
「じゃあ、みんなこのままここにいられるんですね」
「そうだな。珠葵が望むなら、今のままだ。……いいのか?」
今回、思いがけず事件に巻き込まれてしまったことを、雪娜なりに気遣ってくれているのだろう。
珠葵にとっては、もうそれで充分だった。
「はい! この小道具店で、リュウ君とおせんちゃんと暮らせて……ちょっと変わった力があっても、それが雪娜様のお役に立てる。たまに天災があっても、今の暮らしには代えられないので!」
「珠葵ちゃん!」
『珠葵!』
少女の姿の桜泉と、小さな白龍姿の龍河が、ぎゅっと珠葵にしがみつく。
「……重くないか?」
「大丈夫です!」
「いや、物理の話はしていないのだがな……」
その後は小声でよく聞き取れなかったのだが、最終的には「まあいいのか」と、雪娜が自己完結していたので、珠葵も気にしないことにした。
「さて……そろそろ御史台に戻らねばな」
「あ、葉華姐さんが、お座敷終わりに間に合えば顔を出すって――」
立ち上がりかけた雪娜に、葉華が来るかも知れないと珠葵が声をかけたのだが、雪娜は笑って片手を振った。
「半分は社交辞令だろうよ。本気で言いたいことがあったなら、何としてでもその時間は確保するはずだ。会って嫌味の一つでも言えれば僥倖、くらいでしかないはずだ」
必要とあれば、作り出す。時間なんてそんなものだ……と、確かに葉華も言っていた。
葉華と雪娜の付き合いも、それなりに長い。同じ人を束ねる立場にある者としての相互理解は、珠葵にはまだ手の届かないものだと、こんなところからも思わされる。
「菓子と茶の礼と……あとはそうだな、徳基餐館の貸切の話を持ち掛けておいてくれれば、向こうも理解をする」
「そういうものなんですね」
「そういうものだ」
「あのっ、じゃあ、他に出来ることは……?」
今回の事態を引き起こした呪具は壊れたという。
だが本当に心配はないのか? 珠葵の〝浄化〟の術は必要ないのか?
自分を凝視する視線に気が付いたのだろう。店を出ていきかけた雪娜が不意に振り返った。
「冤罪で牢になど放り込まれて疲れたろう。まずは休んで英気を養え。こちらもまだ後始末は残っているし、後で圭琪に追加の事情聴取をさせる可能性もある。……ああ、いや」
恐らくは小言か愚痴くらいは飛んでくるか?
雪娜の発言に、珠葵の身体がピシリと固まる。
「えーっと……それは鄭様の八つ当たりと言うのでは……」
「だろうな。安心しろ、当たられるなら私もだ」
「雪娜様至上主義の鄭様が八つ当たりするわけないじゃないですか!」
「馬鹿を言え。アイツを怒らせたら私であろうと嫌味の雨だ。今回ほとんど動けなかったから相当に鬱憤が溜まっているし、凌北斗は今頃瀕死のはずだぞ」
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力に訴えるのではなく、言葉と策で相手を追い込む鄭圭琪のやり方は、御史台どころか刑部でも出世が出来ると専らの評判だ。
本人はそれを聞くと笑顔で吹雪を振り撒くため、皆、心の中で思っているだけなのだが。
(今頃バキバキに心折られてそう……)
「そんなに消化不良なら、圭琪を手伝うか?」
雪娜の表情と声色からすると、冗談なのが丸わかりだ。
「いえ、謹んでご辞退申し上げます」
だから珠葵もそう、間髪入れずに正直に答えた。
「今日からまた、小道具店頑張ります」
「今日は休めと言ったんだがな」
苦言のようで、雪娜の声色は柔らかい。
「また来る」
「……っ、はい!」
こうして珠葵の日常は、続くのだ。
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