錬金術師マリア・ミオヴェルの再婚

ミカン♬

文字の大きさ
11 / 19

11 カリスの告白

しおりを挟む
「兄さん、どうしてお義姉さんと、いつまでも部屋が別々なの?」

 そう問いかけたのは、ディアンナだった。
 好奇心ではなく、心配した声で。

「……いろいろ事情があるんだよ。それより、マリアの具合はどうだ?」

 逃げるような問い返し。
 ディアンナはそれに気づいている。でも追及しない。

「昨日は落ち込んでたけど、今朝は少し元気が出たみたい」

 カリスはすぐに理由を思い当たる。
 ──今日は王太子殿下との謁見がある。

 きっと緊張で気を張っているのだ。
 強くあろうとする時の、あの静かな横顔を、彼は知っている。

 マリアは研究を、一時中止していた。
 家事を手伝い、妹たちと編み物をし、ティータイムにお菓子を焼く。

 穏やかな時間。
 けれどそれは、彼女の本質ではない。

 時折ふと、遠くを見る目をする。
 何かを諦めかけている人の目だ。

 そのたびにカリスは思う。
 自分は、彼女を支えているのか。
 それとも、ただそばに立っているだけなのか。

 

 午後。

 マリアは王宮へ向かうためにドレスをまとっていた。
 淡い水色。春の空のような色。
 ゆるくまとめた髪が、うなじをやわらかく見せている。

「兄さん、見て! お義姉さん、とっても綺麗!」

 サーラの声が弾む。

 カリスは、息を忘れた。
 気品という言葉では足りない。
 まるで、触れれば散ってしまいそうな花のよう。

「ちゃんとエスコートしてあげてね」

 ディアンナが背を押す。

「パーティーじゃないんだ。殿下との謁見だよ」

 そう言いながらも、彼は手を差し出した。

「行きましょうか」

 マリアが微笑む。

 二人は、どこか遠慮がちだ。

 姉妹は顔を見合わせる。

 想い合っているのに、触れられない。
 まるで薄いガラス一枚が二人を隔てているみたいに。

「どんな事情があるのか知らないけど、もどかしいわね」

 同時にこぼれた姉妹のため息は、よく似ていた。

 *

 二時間後。

 王宮の謁見の間。
 高い天井の下、二人は王太子殿下の前に立っていた。

「実は、ポートマン子爵夫人にゲルニカ帝国から相談があった」

 挨拶もそこそこに、殿下は本題に入る。

「ゲルニカ皇帝には十人の孫がいる。そのうちの一人が、生まれつき目が見えないそうだ」

 マリアの胸が、ひゅっと鳴る。

「夫人の錬金術で、その子の目を見えるようにできないか――そういう相談だ」

(聴覚を補う装置が作れたなら、もしかして視覚も……?)

 消えかけていたはずの灯が、再び胸の奥にともる。
 研究者としての自分が、目を覚ます。

「成功するかどうかは、お約束できませんが……」

「構わない。研究に取り組んでくれれば、それでいい」

 殿下は満足げにうなずく。

 補聴器は、すでに各国で希望と呼ばれていた。
 流行病で聴力を失った人々に、音を取り戻した発明。

 マリアは特許を取らなかった。
 製造法を公開した。

 その代わりに王国は、他国から様々な恩恵を受けた。

 それでも彼女は誇らない。

 カリスはその横顔を見つめる。

 ――やはり彼女は、自分にはもったいない人。

「もしよければ、帝国に研究所を設置し夫人を招いて、研究を進めてもらってもよい。人材や資金、材料も十分に用意するとのことだ」

「帝国に、私が……」

「もちろん、わが国で研究する場合も同じ条件を出す。帝国が全面的に協力してくれるからな」

 最後に殿下は言った。

「二人でよく話し合って、結論が出れば報告を。急いでくれ」

 *

 長い廊下。
 足音だけが響く。

「マリア、どうしますか?」

「帝国で研究する方が、成果を出せると思います。行けば数年は戻ってこられませんけど」

 決意と、迷い、両方が混じった声。

「契約婚を、終わらせるつもりですか?」

 二人は足を止める。
 分岐点は、すぐそこにあった。

「そうですね。これ以上、あなたに迷惑をかけるのは申し訳ないですから」

「迷惑なんて、かけられた覚えはありませんよ」

「そうやって、あなたはいつも優しかった。支えてくれて、本当に感謝しています」

 感謝。
 それは終わりの言葉に似ている。

「もう、私の支えは必要ないのですか?」

「あなたには、きちんとした家庭を築いてほしいと思います。きっと良い夫、良い父親になれる人ですから」

 言いながら、マリアは思う。

 もし最初からこの人と出会っていたなら。
 あの嵐のような結婚生活も、息子との別れもなかったのかもしれない。

「マリア、私は貴方と本当の家庭を持ちたいと思っています」

 お互いの息が止まる。

「貴方は私にはもったいない人だと分かっています。でも……それでも、私は貴方が好きです。妻になってほしいと思った人は、マリアが初めてです」

 マリアの胸は震えた。

 恐れるように。

「私は……また研究に没頭してしまうでしょう。あなたの理想の妻にはなれません」

「私はそう思いません」

「いいえ、イーサンとの離婚が、それを証明しています。私は良い母親にもなれなかった」

「マリア。貴方は家族に何不自由ない暮らしを与え、ライアン君の声を聞きたくて研究を続けてきた。それのどこが悪いのですか。私は、貴方を心から尊敬しています」

 それは、彼女がずっと、誰かに言って欲しかった言葉だった。


「何度でも言います――マリア、貴方に妻になってほしいと」

 静かな廊下に、その言葉だけが残る。

 マリアの胸の奥に、カリスの熱意がゆっくりと溶けていく。

 凍りついていた大地に、温かな春が訪れたように。

「私は……」

 マリアの声は揺れた。

しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

断罪される一年前に時間を戻せたので、もう愛しません

天宮有
恋愛
侯爵令嬢の私ルリサは、元婚約者のゼノラス王子に断罪されて処刑が決まる。 私はゼノラスの命令を聞いていただけなのに、捨てられてしまったようだ。 処刑される前日、私は今まで試せなかった時間を戻す魔法を使う。 魔法は成功して一年前に戻ったから、私はゼノラスを許しません。

虐げられた令嬢は、耐える必要がなくなりました

天宮有
恋愛
伯爵令嬢の私アニカは、妹と違い婚約者がいなかった。 妹レモノは侯爵令息との婚約が決まり、私を見下すようになる。 その後……私はレモノの嘘によって、家族から虐げられていた。 家族の命令で外に出ることとなり、私は公爵令息のジェイドと偶然出会う。 ジェイドは私を心配して、守るから耐える必要はないと言ってくれる。 耐える必要がなくなった私は、家族に反撃します。

『紅茶の香りが消えた午後に』

柴田はつみ
恋愛
穏やかで控えめな公爵令嬢リディアの唯一の楽しみは、幼なじみの公爵アーヴィンと過ごす午後の茶会だった。 けれど、近隣に越してきた伯爵令嬢ミレーユが明るく距離を詰めてくるたび、二人の時間は少しずつ失われていく。 誤解と沈黙、そして抑えた想いの裏で、すれ違う恋の行方は——。

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

貴方のことなんて愛していませんよ?~ハーレム要員だと思われていた私は、ただのビジネスライクな婚約者でした~

キョウキョウ
恋愛
妹、幼馴染、同級生など数多くの令嬢たちと愛し合っているランベルト王子は、私の婚約者だった。 ある日、ランベルト王子から婚約者の立場をとある令嬢に譲ってくれとお願いされた。 その令嬢とは、新しく増えた愛人のことである。 婚約破棄の手続きを進めて、私はランベルト王子の婚約者ではなくなった。 婚約者じゃなくなったので、これからは他人として振る舞います。 だから今後も、私のことを愛人の1人として扱ったり、頼ったりするのは止めて下さい。

夏の眼差し

通木遼平
恋愛
 伯爵令嬢であるティナの婚約者とティナの妹が恋仲になり、ティナは婚約を解消することになる。婚約者に対して特に思い入れはなかったが、姉妹の婚約のすげ替えについての噂と勝手なことばかり言う妹に気疲れしたティナは、昔から彼女を気にかけてくれていたイライザ夫人の紹介で夫人の孫娘リネットの話し相手として雇われることになった。  家から離れ、リネット共に穏やかな日々を過ごすティナは、リネットの従兄であるセオドアと出会う。 ※他サイトにも掲載しています

【完結】白い結婚はあなたへの導き

白雨 音
恋愛
妹ルイーズに縁談が来たが、それは妹の望みでは無かった。 彼女は姉アリスの婚約者、フィリップと想い合っていると告白する。 何も知らずにいたアリスは酷くショックを受ける。 先方が承諾した事で、アリスの気持ちは置き去りに、婚約者を入れ換えられる事になってしまった。 悲しみに沈むアリスに、夫となる伯爵は告げた、「これは白い結婚だ」と。 運命は回り始めた、アリスが辿り着く先とは… ◇異世界:短編16話《完結しました》

今から婚約者に会いに行きます。〜私は運命の相手ではないから

毛蟹
恋愛
婚約者が王立学園の卒業を間近に控えていたある日。 ポーリーンのところに、婚約者の恋人だと名乗る女性がやってきた。 彼女は別れろ。と、一方的に迫り。 最後には暴言を吐いた。 「ああ、本当に嫌だわ。こんな田舎。肥溜めの臭いがするみたい。……貴女からも漂ってるわよ」  洗練された都会に住む自分の方がトリスタンにふさわしい。と、言わんばかりに彼女は微笑んだ。 「ねえ、卒業パーティーには来ないでね。恥をかくのは貴女よ。婚約破棄されてもまだ間に合うでしょう?早く相手を見つけたら?」 彼女が去ると、ポーリーンはある事を考えた。 ちゃんと、別れ話をしようと。 ポーリーンはこっそりと屋敷から抜け出して、婚約者のところへと向かった。

処理中です...