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5 セレン
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ドサッと音がして調理場を覗くと、マリリンが床に倒れていた。
「どうした? おい、マリリン!」
慌てて抱き起こし、ベッドまで運ぶ。医者を呼んだが、眠っているだけだと言われた。
「なんだよ、心配させやがって。おい、起きろよ、飯はどうした?」
けれど、マリリンは一向に目を開けない。
「おい……おい、マリリン! 起きろって!」
嫌な汗が滲む。これはただ事じゃない。
王宮に行って魔術師でも呼ぶか――そう思った瞬間、マリリンの体がうっすらと“膜”に包まれているのが見えた。
「なんだこれ……?」
糸のようなものが絡みついて、膜はどんどん濃くなっていく。
俺は慌てて手でかき出したが、マリリンの姿は白い繭の中に消えていった。
「これは……まさか、マリリンは魔物だったのか? いや、違う。違うよな……?」
もしこのままモンスターになって出てきたら――ジャイアントゴブリンにでもなったら……。
いいさ。中身がマリリンのままなら、人目のない場所に引っ越せばいい。
それだけのことだ。
真っ白な繭に包まれて、まるで蚕の蛹みたいになったマリリンを見て、
俺は苦笑いを浮かべた。
「ゴブリンから、蝶々に変身するつもりかよ」
それでもいい。
マリリンが何者でもいい。
俺の最期を、そっと看取ってほしい。
誰からも見捨てられた俺に寄り添ってくれたのは、マリリンだけだった。
冷たくしても、追い出そうとしても、彼女はここにいた。
八つ当たりして傷つけても、ここにいた。
きっと、家族に見放されて行くあてがなかったんだろう。
それでも逃げずに、何も言わずに、俺の傍にいてくれた。
ああ……本当に、優しい女だ。
そうして見守っていると、夜になった。
繭の中から、かすかな声が聞こえる。
「た、助けて! 誰か、旦那様!」
「マリリンか!? 生きてるのか!」
俺は繭を切ろうとした。けれど、刃は通らない。
燃やしても、叩いても、びくともしない。
「マリリン、これはなんなんだ! お前を出せない!」
「私も分かりません……旦那様、お先に逝きます。最期を看取れなくてすみません」
「馬鹿言うな! 絶対なんとかする、諦めるな!」
しばらく格闘していたそのとき、空気が変わった。
冷たい風が吹き抜け、俺は反射的に剣に手をかける。
「ほぉ……美しい繭ができていますね。さすが、私の花嫁です」
玉虫色の髪の青年が、俺のすぐ横に立っていた。
「誰だ!」
「私は精霊王。繭の中身は、私の花嫁だよ」
「マリリンは俺の嫁だ! ……精霊王、だと?」
頭から、長い触角が揺れている。
虫の精霊王……?
「この繭はなんだ」
「これはマリリンに纏っていた穢れを祓っている。私の花嫁になるための、尊い儀式だ」
「ふざけるな! マリリンは俺の嫁なんだよ!」
精霊王は、まるで聞こえないふりをして、繭に手をかざした。
「愛しい花嫁。今すぐに出してあげるからね」
光が走り、繭が消える。中からマリリンが現れた。
「死ぬかと思いました……これは、どういうことですか?」
「やっと会えたね。人間界には何度も来られないんだ。マリリンが生まれた時と、花嫁として迎える時――君が十六歳を迎えた今日が、その日なんだ」
「十六歳で花嫁、ですか?」
「そう。十六歳おめでとう。私からプレゼントをしよう。何がいい? 美しいマリリン」
……ゴブリン姿のどこが美しいんだ。
眩しいほど整った精霊王の顔を見て、胸がざらつく。
──マリリンの手を取るな、俺の嫁だろう!
「プレゼントとは、なんですか?」
「私の魔法で何でも叶える贈り物だ。言ってごらん」
「それなら――旦那様の呪いを解いてください!」
「旦那様? 君の旦那様は私だよ?」
「私はセレン様と婚姻を結んでいるんです!」
「それは認められないね」
「お願いします、精霊王様。ドラゴンの呪いは、解けませんか?」
「ドラゴンの呪いごとき、簡単だ。けれど私は、マリリン自身に贈り物をしたいんだ」
「私はいいんです!」
……マリリン……俺の嫁は、本当に優しい。
「マリリン、どうせなら美しい姿にしてもらえ。俺はいい」
「いいえ、旦那様の呪いを解きましょう」
「いらん! 俺は死んだっていい。お前が来るまでは、ひどい妄想ばかりしてたんだぞ。お前を苦しめて、弄んでやろうって」
「でも、旦那様は私に酷いことはしませんでした」
「出来なかっただけだ。精霊王の加護があったんだろう……いや、実際ひどいこと、たくさんしてたさ」
本当に俺は最低な男だ。
だからもう、マリリンは美しくなって、精霊王と幸せになればいい。
「……ちょっと待て。本当に、本当に、マリリンは人妻なのか?」
「はい」
「こ、このドラゴンの呪いを受けた男が夫なのかい?」
「そうです」
「なんてことだ……遅れを取るなんて、一生の不覚だ……!」
精霊王は頭を抱え、長い触角がピコピコと情けなく揺れた。
「どうした? おい、マリリン!」
慌てて抱き起こし、ベッドまで運ぶ。医者を呼んだが、眠っているだけだと言われた。
「なんだよ、心配させやがって。おい、起きろよ、飯はどうした?」
けれど、マリリンは一向に目を開けない。
「おい……おい、マリリン! 起きろって!」
嫌な汗が滲む。これはただ事じゃない。
王宮に行って魔術師でも呼ぶか――そう思った瞬間、マリリンの体がうっすらと“膜”に包まれているのが見えた。
「なんだこれ……?」
糸のようなものが絡みついて、膜はどんどん濃くなっていく。
俺は慌てて手でかき出したが、マリリンの姿は白い繭の中に消えていった。
「これは……まさか、マリリンは魔物だったのか? いや、違う。違うよな……?」
もしこのままモンスターになって出てきたら――ジャイアントゴブリンにでもなったら……。
いいさ。中身がマリリンのままなら、人目のない場所に引っ越せばいい。
それだけのことだ。
真っ白な繭に包まれて、まるで蚕の蛹みたいになったマリリンを見て、
俺は苦笑いを浮かべた。
「ゴブリンから、蝶々に変身するつもりかよ」
それでもいい。
マリリンが何者でもいい。
俺の最期を、そっと看取ってほしい。
誰からも見捨てられた俺に寄り添ってくれたのは、マリリンだけだった。
冷たくしても、追い出そうとしても、彼女はここにいた。
八つ当たりして傷つけても、ここにいた。
きっと、家族に見放されて行くあてがなかったんだろう。
それでも逃げずに、何も言わずに、俺の傍にいてくれた。
ああ……本当に、優しい女だ。
そうして見守っていると、夜になった。
繭の中から、かすかな声が聞こえる。
「た、助けて! 誰か、旦那様!」
「マリリンか!? 生きてるのか!」
俺は繭を切ろうとした。けれど、刃は通らない。
燃やしても、叩いても、びくともしない。
「マリリン、これはなんなんだ! お前を出せない!」
「私も分かりません……旦那様、お先に逝きます。最期を看取れなくてすみません」
「馬鹿言うな! 絶対なんとかする、諦めるな!」
しばらく格闘していたそのとき、空気が変わった。
冷たい風が吹き抜け、俺は反射的に剣に手をかける。
「ほぉ……美しい繭ができていますね。さすが、私の花嫁です」
玉虫色の髪の青年が、俺のすぐ横に立っていた。
「誰だ!」
「私は精霊王。繭の中身は、私の花嫁だよ」
「マリリンは俺の嫁だ! ……精霊王、だと?」
頭から、長い触角が揺れている。
虫の精霊王……?
「この繭はなんだ」
「これはマリリンに纏っていた穢れを祓っている。私の花嫁になるための、尊い儀式だ」
「ふざけるな! マリリンは俺の嫁なんだよ!」
精霊王は、まるで聞こえないふりをして、繭に手をかざした。
「愛しい花嫁。今すぐに出してあげるからね」
光が走り、繭が消える。中からマリリンが現れた。
「死ぬかと思いました……これは、どういうことですか?」
「やっと会えたね。人間界には何度も来られないんだ。マリリンが生まれた時と、花嫁として迎える時――君が十六歳を迎えた今日が、その日なんだ」
「十六歳で花嫁、ですか?」
「そう。十六歳おめでとう。私からプレゼントをしよう。何がいい? 美しいマリリン」
……ゴブリン姿のどこが美しいんだ。
眩しいほど整った精霊王の顔を見て、胸がざらつく。
──マリリンの手を取るな、俺の嫁だろう!
「プレゼントとは、なんですか?」
「私の魔法で何でも叶える贈り物だ。言ってごらん」
「それなら――旦那様の呪いを解いてください!」
「旦那様? 君の旦那様は私だよ?」
「私はセレン様と婚姻を結んでいるんです!」
「それは認められないね」
「お願いします、精霊王様。ドラゴンの呪いは、解けませんか?」
「ドラゴンの呪いごとき、簡単だ。けれど私は、マリリン自身に贈り物をしたいんだ」
「私はいいんです!」
……マリリン……俺の嫁は、本当に優しい。
「マリリン、どうせなら美しい姿にしてもらえ。俺はいい」
「いいえ、旦那様の呪いを解きましょう」
「いらん! 俺は死んだっていい。お前が来るまでは、ひどい妄想ばかりしてたんだぞ。お前を苦しめて、弄んでやろうって」
「でも、旦那様は私に酷いことはしませんでした」
「出来なかっただけだ。精霊王の加護があったんだろう……いや、実際ひどいこと、たくさんしてたさ」
本当に俺は最低な男だ。
だからもう、マリリンは美しくなって、精霊王と幸せになればいい。
「……ちょっと待て。本当に、本当に、マリリンは人妻なのか?」
「はい」
「こ、このドラゴンの呪いを受けた男が夫なのかい?」
「そうです」
「なんてことだ……遅れを取るなんて、一生の不覚だ……!」
精霊王は頭を抱え、長い触角がピコピコと情けなく揺れた。
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