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⑤ 父が認めた婚約破棄
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父の部屋でヒューイ様に婚約破棄を言い渡されたと報告したら、案の定、顔が曇った。
「私が義弟を虐めている、『高慢で嫌な女』だからだそうです」
自嘲気味にそう言うと、父は私じゃなく執事に向かって、ひとこと。
「ユーリィを呼べ」
そう言って、椅子に深く腰を下ろした。
「全くお前は、可愛げが無いから……」
いつもそうだ。この時だけは、泣きたくなる。
私の心を──脆いガラス細工みたいに、父はいとも簡単に割ってしまう。
私もソファに座って待つ。
メイドが用意した紅茶の湯気に、ローズの香りがふわっと混じっていて──思わず手が止まった。
……この香り、嫌いだ。
庭園のバラの匂いは、私に嫌な記憶を植え付けてくれた。
そっとカップを置く。静まり返る部屋に、父と私の沈黙だけが落ちていた。
ほどなくして、義弟が息を切らしながら扉を開けた。
「お待たせして申し訳ございません」
そして、すぐ父の問いが飛んだ。
「お前は、ナタリアに虐待されているのか?」
「いいえ。そんな事実はありません」
「じゃあ、なぜナタリアは婚約破棄されたんだ?」
「僕も立ち会いました。彼はアニタという女性に懸想していて、理由を姉上に押し付けたかっただけです」
(え……)と、私は思わず視線を向けた。
思っていたことが同じ。でも、まさかこの子が、こんな風に堂々と口にしてくれるなんて。
しかも、続けてこう言った。
「幼い頃、姉上は僕を厳しく指導してくれました。それを、母やメイドたちが誤解したんです」
「叩かれていたと聞いたが?」
「僕が、姉上と手を繋ぎたがったからです。もう子どもじゃないと、手を払われただけで、それを見た人が騒いだだけです」
「勘違いか……」
父が顎に手を当てて黙り込む。
「僕を本宅に戻してください。別邸にいるから、余計な誤解が生まれるんです」
「ナタリア、お前はどう思う?」
「私は最初から、義弟を虐めたことなど、ないと申しております」
私は静かに答えた。けれど、ユーリィが本邸に戻ってくると思うと、なにか胸がざわざわして落ち着かなかった。
「そうか……」
父はばつの悪そうな顔をした。そのとき、ユーリィがふいに口を開いた。
「父上……それに、ヒューイ様は……男色家、かもしれません」
「はっ⁉」
私と父の声が、まったく同じ高さで重なった。
「僕の面倒を見てやるって、よく言ってました。以前から、彼の好意は異常だと感じていました」
ユーリィは視線を伏せて、少し恥ずかしそうに言った。
父は、一瞬で魂を抜かれたみたいな顔になった。……たぶん、私も似たような顔をしていたと思う。
天使みたいに美しい義弟。男女問わず誰でも魅了される。
……夢中になるのも、わかる。
実際、我が侯爵家のなかで、ユーリィに心を奪われていないのなんて、私だけだろう。
彼を別宅にやったのは、私のせいだと思ってるメイドたちからは、恨まれている。
「……むむぅ」
と、父は低く唸った。
「これは……破棄せねばならんな……」
「お父様。破棄を言い出したのはヒューイ様のほうです。その時もアニタさんを隣に侍らせていました」
「……分かった。あとは任せろ。お前たちは、下がれ」
父に言われて、私は立ち上がる。ユーリィも一礼し、私たちは並んで部屋を出た。
廊下に出たところで、彼がふいに声を潜めた。
「姉上、本当に……ヒューイ様との婚約が、なくなってもいいのですね?」
「当然よ。なにも困ることはないわ」
──まあ、多少はある。
婚約破棄された令嬢に、次の縁談が簡単に来るとは思えない。
でも、愛人のいる夫との冷えた生活なんて、まっぴらごめんだ。
「姉上、僕は…」
ユーリィがなにか言いかけた、その時──
「ユーリィ!」
義母の声が響いた。
「あなた、なにかやらかしたの? 侯爵を怒らせてないでしょうね?」
ユーリィの腕を掴んで、問いただす。
「母さん。僕からは何も言えない。父上に聞いて」
そう言って彼は、義母の手を振り払った。そして私にだけ向けて、笑った。
「では、姉上。また本邸で一緒に過ごせるのが楽しみです」
そう言って、彼は別邸へ戻っていった。
義母が不安そうな顔で立ち尽くしている。
「心配ありませんわ。私の婚約が、破棄になりそうなだけです」
そう伝えたとき、義母は「あ……」と小さく声を漏らし、さらに青ざめた。
その姿はどこか高貴で、もと没落した男爵令嬢とは思えない優雅な佇まいだった。
ユーリィは私生児だ。彼の父親について、私は知らない。だけどきっと、義弟に似た美しい人だろう。
そんなことも、父は一切説明してくれない。私など、関係ないという顔で。
「私が義弟を虐めている、『高慢で嫌な女』だからだそうです」
自嘲気味にそう言うと、父は私じゃなく執事に向かって、ひとこと。
「ユーリィを呼べ」
そう言って、椅子に深く腰を下ろした。
「全くお前は、可愛げが無いから……」
いつもそうだ。この時だけは、泣きたくなる。
私の心を──脆いガラス細工みたいに、父はいとも簡単に割ってしまう。
私もソファに座って待つ。
メイドが用意した紅茶の湯気に、ローズの香りがふわっと混じっていて──思わず手が止まった。
……この香り、嫌いだ。
庭園のバラの匂いは、私に嫌な記憶を植え付けてくれた。
そっとカップを置く。静まり返る部屋に、父と私の沈黙だけが落ちていた。
ほどなくして、義弟が息を切らしながら扉を開けた。
「お待たせして申し訳ございません」
そして、すぐ父の問いが飛んだ。
「お前は、ナタリアに虐待されているのか?」
「いいえ。そんな事実はありません」
「じゃあ、なぜナタリアは婚約破棄されたんだ?」
「僕も立ち会いました。彼はアニタという女性に懸想していて、理由を姉上に押し付けたかっただけです」
(え……)と、私は思わず視線を向けた。
思っていたことが同じ。でも、まさかこの子が、こんな風に堂々と口にしてくれるなんて。
しかも、続けてこう言った。
「幼い頃、姉上は僕を厳しく指導してくれました。それを、母やメイドたちが誤解したんです」
「叩かれていたと聞いたが?」
「僕が、姉上と手を繋ぎたがったからです。もう子どもじゃないと、手を払われただけで、それを見た人が騒いだだけです」
「勘違いか……」
父が顎に手を当てて黙り込む。
「僕を本宅に戻してください。別邸にいるから、余計な誤解が生まれるんです」
「ナタリア、お前はどう思う?」
「私は最初から、義弟を虐めたことなど、ないと申しております」
私は静かに答えた。けれど、ユーリィが本邸に戻ってくると思うと、なにか胸がざわざわして落ち着かなかった。
「そうか……」
父はばつの悪そうな顔をした。そのとき、ユーリィがふいに口を開いた。
「父上……それに、ヒューイ様は……男色家、かもしれません」
「はっ⁉」
私と父の声が、まったく同じ高さで重なった。
「僕の面倒を見てやるって、よく言ってました。以前から、彼の好意は異常だと感じていました」
ユーリィは視線を伏せて、少し恥ずかしそうに言った。
父は、一瞬で魂を抜かれたみたいな顔になった。……たぶん、私も似たような顔をしていたと思う。
天使みたいに美しい義弟。男女問わず誰でも魅了される。
……夢中になるのも、わかる。
実際、我が侯爵家のなかで、ユーリィに心を奪われていないのなんて、私だけだろう。
彼を別宅にやったのは、私のせいだと思ってるメイドたちからは、恨まれている。
「……むむぅ」
と、父は低く唸った。
「これは……破棄せねばならんな……」
「お父様。破棄を言い出したのはヒューイ様のほうです。その時もアニタさんを隣に侍らせていました」
「……分かった。あとは任せろ。お前たちは、下がれ」
父に言われて、私は立ち上がる。ユーリィも一礼し、私たちは並んで部屋を出た。
廊下に出たところで、彼がふいに声を潜めた。
「姉上、本当に……ヒューイ様との婚約が、なくなってもいいのですね?」
「当然よ。なにも困ることはないわ」
──まあ、多少はある。
婚約破棄された令嬢に、次の縁談が簡単に来るとは思えない。
でも、愛人のいる夫との冷えた生活なんて、まっぴらごめんだ。
「姉上、僕は…」
ユーリィがなにか言いかけた、その時──
「ユーリィ!」
義母の声が響いた。
「あなた、なにかやらかしたの? 侯爵を怒らせてないでしょうね?」
ユーリィの腕を掴んで、問いただす。
「母さん。僕からは何も言えない。父上に聞いて」
そう言って彼は、義母の手を振り払った。そして私にだけ向けて、笑った。
「では、姉上。また本邸で一緒に過ごせるのが楽しみです」
そう言って、彼は別邸へ戻っていった。
義母が不安そうな顔で立ち尽くしている。
「心配ありませんわ。私の婚約が、破棄になりそうなだけです」
そう伝えたとき、義母は「あ……」と小さく声を漏らし、さらに青ざめた。
その姿はどこか高貴で、もと没落した男爵令嬢とは思えない優雅な佇まいだった。
ユーリィは私生児だ。彼の父親について、私は知らない。だけどきっと、義弟に似た美しい人だろう。
そんなことも、父は一切説明してくれない。私など、関係ないという顔で。
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