婚約破棄から始まる私と義弟との戦い

ミカン♬

文字の大きさ
5 / 33

⑤ 父が認めた婚約破棄

しおりを挟む
 父の部屋でヒューイ様に婚約破棄を言い渡されたと報告したら、案の定、顔が曇った。

「私が義弟を虐めている、『高慢で嫌な女』だからだそうです」

 自嘲気味にそう言うと、父は私じゃなく執事に向かって、ひとこと。

「ユーリィを呼べ」

 そう言って、椅子に深く腰を下ろした。

「全くお前は、可愛げが無いから……」

 いつもそうだ。この時だけは、泣きたくなる。
 私の心を──脆いガラス細工みたいに、父はいとも簡単に割ってしまう。


 私もソファに座って待つ。
 メイドが用意した紅茶の湯気に、ローズの香りがふわっと混じっていて──思わず手が止まった。

 ……この香り、嫌いだ。

 庭園のバラの匂いは、私に嫌な記憶を植え付けてくれた。

 そっとカップを置く。静まり返る部屋に、父と私の沈黙だけが落ちていた。


 ほどなくして、義弟が息を切らしながら扉を開けた。

「お待たせして申し訳ございません」

 そして、すぐ父の問いが飛んだ。

「お前は、ナタリアに虐待されているのか?」

「いいえ。そんな事実はありません」

「じゃあ、なぜナタリアは婚約破棄されたんだ?」

「僕も立ち会いました。彼はアニタという女性に懸想していて、理由を姉上に押し付けたかっただけです」

(え……)と、私は思わず視線を向けた。
 思っていたことが同じ。でも、まさかこの子が、こんな風に堂々と口にしてくれるなんて。

 しかも、続けてこう言った。

「幼い頃、姉上は僕を厳しく指導してくれました。それを、母やメイドたちが誤解したんです」

「叩かれていたと聞いたが?」

「僕が、姉上と手を繋ぎたがったからです。もう子どもじゃないと、手を払われただけで、それを見た人が騒いだだけです」

「勘違いか……」

 父が顎に手を当てて黙り込む。

「僕を本宅に戻してください。別邸にいるから、余計な誤解が生まれるんです」

「ナタリア、お前はどう思う?」

「私は最初から、義弟を虐めたことなど、ないと申しております」

 私は静かに答えた。けれど、ユーリィが本邸に戻ってくると思うと、なにか胸がざわざわして落ち着かなかった。

「そうか……」

 父はばつの悪そうな顔をした。そのとき、ユーリィがふいに口を開いた。

「父上……それに、ヒューイ様は……男色家、かもしれません」

「はっ⁉」

 私と父の声が、まったく同じ高さで重なった。

「僕の面倒を見てやるって、よく言ってました。以前から、彼の好意は異常だと感じていました」

 ユーリィは視線を伏せて、少し恥ずかしそうに言った。

 父は、一瞬で魂を抜かれたみたいな顔になった。……たぶん、私も似たような顔をしていたと思う。

 天使みたいに美しい義弟。男女問わず誰でも魅了される。
 ……夢中になるのも、わかる。

 実際、我が侯爵家のなかで、ユーリィに心を奪われていないのなんて、私だけだろう。
 彼を別宅にやったのは、私のせいだと思ってるメイドたちからは、恨まれている。

「……むむぅ」
 と、父は低く唸った。
「これは……破棄せねばならんな……」

「お父様。破棄を言い出したのはヒューイ様のほうです。その時もアニタさんを隣に侍らせていました」

「……分かった。あとは任せろ。お前たちは、下がれ」

 父に言われて、私は立ち上がる。ユーリィも一礼し、私たちは並んで部屋を出た。

 廊下に出たところで、彼がふいに声を潜めた。

「姉上、本当に……ヒューイ様との婚約が、なくなってもいいのですね?」

「当然よ。なにも困ることはないわ」

 ──まあ、多少はある。
 婚約破棄された令嬢に、次の縁談が簡単に来るとは思えない。

 でも、愛人のいる夫との冷えた生活なんて、まっぴらごめんだ。

「姉上、僕は…」

 ユーリィがなにか言いかけた、その時──

「ユーリィ!」

 義母の声が響いた。

「あなた、なにかやらかしたの? 侯爵を怒らせてないでしょうね?」

 ユーリィの腕を掴んで、問いただす。

「母さん。僕からは何も言えない。父上に聞いて」

 そう言って彼は、義母の手を振り払った。そして私にだけ向けて、笑った。

「では、姉上。また本邸で一緒に過ごせるのが楽しみです」

 そう言って、彼は別邸へ戻っていった。

 義母が不安そうな顔で立ち尽くしている。

「心配ありませんわ。私の婚約が、破棄になりそうなだけです」

 そう伝えたとき、義母は「あ……」と小さく声を漏らし、さらに青ざめた。

 その姿はどこか高貴で、もと没落した男爵令嬢とは思えない優雅な佇まいだった。

 ユーリィは私生児だ。彼の父親について、私は知らない。だけどきっと、義弟に似た美しい人だろう。

 そんなことも、父は一切説明してくれない。私など、関係ないという顔で。



しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

【完結】幼馴染を寵愛する婚約者に見放されたけれど、監視役の手から離れられません

きまま
恋愛
婚約破棄を告げられた令嬢エレリーナ。 婚約破棄の裁定までの間、彼女の「監視役」に任じられたのは、冷静で忠実な側近であり、良き友人のテオエルだった。 同じ日々を重ねるほど、二人の距離は静かに近づいていき—— ※拙い文章です。読みにくい文章があるかもしれません。 ※自分都合の解釈や設定などがあります。ご容赦ください。

婚約破棄を申し入れたのは、父です ― 王子様、あなたの企みはお見通しです!

みかぼう。
恋愛
公爵令嬢クラリッサ・エインズワースは、王太子ルーファスの婚約者。 幼い日に「共に国を守ろう」と誓い合ったはずの彼は、 いま、別の令嬢マリアンヌに微笑んでいた。 そして――年末の舞踏会の夜。 「――この婚約、我らエインズワース家の名において、破棄させていただきます!」 エインズワース公爵が力強く宣言した瞬間、 王国の均衡は揺らぎ始める。 誇りを捨てず、誠実を貫く娘。 政の闇に挑む父。 陰謀を暴かんと手を伸ばす宰相の子。 そして――再び立ち上がる若き王女。 ――沈黙は逃げではなく、力の証。 公爵令嬢の誇りが、王国の未来を変える。 ――荘厳で静謐な政略ロマンス。 (本作品は小説家になろうにも掲載中です)

私のための戦いから戻ってきた騎士様なら、愛人を持ってもいいとでも?

睡蓮
恋愛
全7話完結になります!

聖女に負けた侯爵令嬢 (よくある婚約解消もののおはなし)

蒼あかり
恋愛
ティアナは女王主催の茶会で、婚約者である王子クリストファーから婚約解消を告げられる。そして、彼の隣には聖女であるローズの姿が。 聖女として国民に、そしてクリストファーから愛されるローズ。クリストファーとともに並ぶ聖女ローズは美しく眩しいほどだ。そんな二人を見せつけられ、いつしかティアナの中に諦めにも似た思いが込み上げる。 愛する人のために王子妃として支える覚悟を持ってきたのに、それが叶わぬのならその立場を辞したいと願うのに、それが叶う事はない。 いつしか公爵家のアシュトンをも巻き込み、泥沼の様相に……。 ラストは賛否両論あると思います。納得できない方もいらっしゃると思います。 それでも最後まで読んでいただけるとありがたいです。 心より感謝いたします。愛を込めて、ありがとうございました。

妻よりも幼馴染が大事? なら、家と慰謝料はいただきます

ぱんだ
恋愛
公爵令嬢セリーヌは、隣国の王子ブラッドと政略結婚を果たし、幼い娘クロエを授かる。結婚後は夫の王領の離宮で暮らし、義王家とも程よい関係を保ち、領民に親しまれながら穏やかな日々を送っていた。 しかし数ヶ月前、ブラッドの幼馴染である伯爵令嬢エミリーが離縁され、娘アリスを連れて実家に戻ってきた。元は豊かな家柄だが、母子は生活に困っていた。 ブラッドは「昔から家族同然だ」として、エミリー母子を城に招き、衣装や馬車を手配し、催しにも同席させ、クロエとアリスを遊ばせるように勧めた。 セリーヌは王太子妃として堪えようとしたが、だんだんと不満が高まる。

幼馴染を溺愛する彼へ ~婚約破棄はご自由に~

ぱんだ
恋愛
公爵令嬢アイラは、婚約者であるオリバー王子との穏やかな日々を送っていた。 ある日、突然オリバーが泣き崩れ、彼の幼馴染である男爵令嬢ローズが余命一年であることを告げる。 オリバーは涙ながらに、ローズに最後まで寄り添いたいと懇願し、婚約破棄とアイラが公爵家当主の父に譲り受けた別荘を譲ってくれないかと頼まれた。公爵家の父の想いを引き継いだ大切なものなのに。 「アイラは幸せだからいいだろ? ローズが可哀想だから譲ってほしい」 別荘はローズが気に入ったのが理由で、二人で住むつもりらしい。 身勝手な要求にアイラは呆れる。 ※物語が進むにつれて、少しだけ不思議な力や魔法ファンタジーが顔をのぞかせるかもしれません。

幼馴染と仲良くし過ぎている婚約者とは婚約破棄したい!

ルイス
恋愛
ダイダロス王国の侯爵令嬢であるエレナは、リグリット公爵令息と婚約をしていた。 同じ18歳ということで話も合い、仲睦まじいカップルだったが……。 そこに現れたリグリットの幼馴染の伯爵令嬢の存在。リグリットは幼馴染を優先し始める。 あまりにも度が過ぎるので、エレナは不満を口にするが……リグリットは今までの優しい彼からは豹変し、権力にものを言わせ、エレナを束縛し始めた。 「婚約破棄なんてしたら、どうなるか分かっているな?」 その時、エレナは分かってしまったのだ。リグリットは自分の侯爵令嬢の地位だけにしか興味がないことを……。 そんな彼女の前に現れたのは、幼馴染のヨハン王子殿下だった。エレナの状況を理解し、ヨハンは動いてくれることを約束してくれる。 正式な婚約破棄の申し出をするエレナに対し、激怒するリグリットだったが……。

貴方の知る私はもういない

藍田ひびき
恋愛
「ローゼマリー。婚約を解消して欲しい」 ファインベルグ公爵令嬢ローゼマリーは、婚約者のヘンリック王子から婚約解消を言い渡される。 表向きはエルヴィラ・ボーデ子爵令嬢を愛してしまったからという理由だが、彼には別の目的があった。 ローゼマリーが承諾したことで速やかに婚約は解消されたが、事態はヘンリック王子の想定しない方向へと進んでいく――。 ※ 他サイトにも投稿しています。

処理中です...