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お気軽魔道師
遺跡へ1 前編
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今日も今日とて、天候は快晴。
しかし、なにか敵意のようなものすら感じる強烈な夏の日差しも、さすがに鬱蒼と木々が生い茂ったこの深い森の中までは侵攻出来ないようで辺りは薄闇に包まれている。
そう。ここは、ポート・ファルシオンの周囲に広がる草原を、北に向かって半日ほど歩いた所にある、地図には記載されていない森林地帯だ。
もっとも、一般に出回っている地図はお世辞にも精度がいいとは言えず、非常に小さな村など本来なら記載されるべきである重要な情報が抜け落ちていたりするのはザラだが、さすがにこれだけ大きな森林地帯となるとそれを省くような事はしないだろう。
それにも関わらず地図に載っていないということは、つまり、ここに近づく人はほとんどいないという事を如実に物語っているわけだ。
実際、この森林地帯は街道からも大きく外れているし、近くに人家があるわけでもないので、わざわざこんな不便な場所を目指してくる物好きはまずいないだろう。
ここにこんな広大な森林地帯がある事を知っているのは極少数派だと思う。
もちろん、あたしだって今の今までこの森林地帯の存在を知らなかった多数派の一人だ。
これこそ、決して治安がいいとは言えない街の外に出るという、大きなリスクを支払ってまであえて旅をする醍醐味の一つではあるが、しかし今はあまり感動している場合ではない。
というのも、この森林地帯の中に、ローザが調査を命じられた遺跡があるからだ。
ここに来るまで、おおむね順調な道中とはいえそれなりに色々な事があったが、それはあくまでも余興。いよいよ、ここからが本番である。
そんなわけで、あたしは密かに気合いを入れて……と、なるはずだった。本来は。
「ちょっと、いつまでこんな格好させてんのよ!!」
もういい加減ぶち切れてしまい、あたしは誰ともなく大声で喚き散らしてしまった。
なんというか、いちいちこんな事を解説すると我ながら非常に情けなくなってしまうのだが、あたしは今、体をロープでぐるぐる巻きにされて俯せにひっくり返された挙げ句、ズリズリと地面を引きずられて移動しているのだ。
そして、あたしの体に巻き付いているロープの端を持ち、まるで荷運びのロバよろしくあたしを引っ張っているのは他ならぬローザである。
この状態で、ポート・ファルシオンからここまで来たというのだから、もう、なんというか、あたしたちはバカ集団と評されても否定は出来ないだろう。
まあ、考え方を変えれば、あたしは自分の足で歩かなくて済んだとも言えるが、決してラッキーとは言えない。
なにしろ、先にも述べたが、ここまで『道無き草原』を半日近くも延々と進んできたのだ。
当然、おざなりとはいえある程度は整地されている街道と違い、地面は自然そのままの状態。
そんなところを、地面に横になったままズリズリ引きずってこられたのだから、それがどれほど悲惨な様相を呈したか推して知るべし。
正直、よくも今まで耐えてきたものだと、思わず自分を褒めてしまうほどである。
無論、よい子の皆様は決して真似しないように。下手すりゃ真面目に死にます。
「……それじゃ、港に沈められた方が良かった?」
あたしが喚き散らしてからしばしの間を置き、こちらのやや前方を黙々と歩くローザがこちらを振り向きもせずに、低く押し殺した声でそう言ってきた。
「うっ……」
と、あたしは思わず短く声を上げてしまった。
……ううう、まだ怒ってやんの。こいつ。
まあ、これでもし立場が逆なら、あたしは容赦なくローザを港に沈めているだろうしあまり大きな事は言えないけど。
「あはは、マール。これはなかなか貴重な体験だぞ。恐らく、もう2度とこんな事はないだろうしたっぷり堪能しておくがいい」
あたしたちのやりとりを見て何が面白かったのか、ローザのすぐ脇を歩くお師匠が陽気な声で笑い声を上げながらそうほざいてくれた。
「……いえ、例えチャンスがあっても、もう2度と体験したくないです」
そんなお師匠の背中をジト目で睨みつつ、あたしは思いっきり感情を押し殺した冷たい声でそう言ってやった。
……こんのボケナス。それでもお師匠兼『親』かと問いたい。問いつめたい。目の前に正座させて、小一時間ぐらい問いつめたい!!
……まあ、それはともかく、確かに事の発端となったあの封筒の件に関しては確かにあたしに絶対的な非があるのは認めざるを得ないし、これは弁解の余地もない。
むろん、ローザの怒りも十分理解出来るし、事の重大さに比べてこの程度の制裁措置で済んでいるのは、むしろ僥倖とさえ言えるだろう。
となれば、あたしがいくら喚いたところで、それでローザが許してくれる見込みは限りなくゼロに近いと判断せざるを得ない。
それどころか、あまりり騒ぎすぎるとかえって状況が悪化する恐れもある。
となれば、ここはいっそ開き直って、思い切りリラックスしてしまう方が精神的にも肉体的にもよい結果をもたらすだろう。
そう思って、あたしは気持ちを切り替え、のんびりと周囲の風景を楽しむ事にした。
……といっても、なにしろ視線が限りなく低いので、せいぜい木々の根本部分と下生えの草しか見えないのが難点ではあるが。
ともあれ、自分の置かれたあまりにも情けない状況を考えないようにしつつ、そのままダラダラと森の中を進む事しばし。
不意に、前方を歩くローザとお師匠の足が止まった。
「クレスタさん、これって……?」
「ああ、間違いないな」
と、あたしの前にいる二人の間でそんな短いやりとりが行われたあと、ローザがあたしの傍らに近寄ってきた。
「マール、いよいよ本番よ。報酬分プラスあたしの怒り分きっちり働いてもらうわよ」
そう言って、ローザは小さなナイフを取り出し、あたしをぐるぐる巻きにしていたロープを切った。
「はいはい、分かってますよ。あーあ、体中泥まみれになっちゃったわ」
ゆっくりと立ち上がりながら、あたしは体中にまとわりついている泥をパタパタと叩き落とした。
しかし、当然と言えば当然だが、ここまで引きずられてくる間にあたしの服はもうどうにもならないほどドロドロになてしまっているので、ちょっとやそっと叩いたぐらいではあまり変わらない。
……あーあ、こりゃ思いっきり念入りに洗濯しないと落ちないわね。
内心でそうぼやきつつ、あたしは辺りを見回してみた。
すると、こちらのやや前方に、木々に押しつぶされるようにしてほとんど崩れかけている朽ちた石柱らしきものや、大小の石ころがいくつも転がっていた。
言うまでもないが、これは明らかに人工物である。
つまり、あたしたちはようやく問題の遺跡に到達したというわけだ。
といっても、もちろんこれはあくまでも遺跡の一部。まだ、ほんの序の口でしかない。 ……さぁて、ローザの言葉を借りればこれからがいよいよ『本番』ね。
お師匠はいまだにあたしの事を一人前と見てくれていないみたいだし、ここは一発気合い入れていきますか。
「ふぅ、こうして遺跡調査をするのも久々だな。マール、言うまでもないとは思うが慎重にな」
気合いを充填しつつ石柱に近づいて行くと、背後からそんなお師匠の声が飛んできた。
そんなお師匠にあたしは親指を立てて『分かってる』と答え、ゆっくりと石柱の残骸に近づいていった。
あまり緊張感が感じられないお師匠の声だが、こういった遺跡の類には侵入者除けの罠が仕掛けられている事もままあるし、なにより、モノが古いのでうっかり変な場所を踏んだり触ったりすると、思わぬ事故を招く事があるのだ。
もちろん、あたしだって痛い思いはしたくないし、ただの石柱の残骸だと思って無造作に近づくようなヘマはやらない。
一歩をゆっくり慎重に踏み出し、靴底越しに伝わってくる地面を踏む感覚に違和感が無い事を確かめ、さらに目で地面に異常がない事を確認してから、さらに次の一歩を踏み出す。
一番近い場所にある傾き掛けた石柱まで、普通に歩けば1分も掛からず到着できただろう。
しかし、あたしは実にその十倍以上の時間を掛け、ようやくその石柱の傍らに立った。
そして、その石柱の周囲を一通り確認してから、あたしは後方で待機している二人にパタパタと手を振って『来い』という合図を送った。
「おっと、ローザ君。マール君が歩いた跡を歩くんだ」
「わ、分かりました」
という、いつも通り何も考えていなさそうなお師匠の声と緊張しまくっているローザの声を聞きながら、あたしは目の前にある石柱を丹念に観察した。
どうやら、この石柱には、何らかの文字か模様が彫り込んであったようなのだが、今はほとんど風化してしまっているので簡単には判読出来そうにない。
しかし、よくよく探してみると、比較的まともな形が残っている『彫刻』がちらほら見られる。
一通り石柱を調べ終わると、あたしは荷物入れに使っている革袋の中から、表紙がボロボロになったお世辞にも綺麗とは言えないノートにペン、それとインクが入っている小瓶を取り出した。
「おっ、早速始めているな」
と、どうやらこちらにやってきたらしいお師匠が、あたしの傍らに立ってそう言ってきた。
「ええ。といっても、まだ軽く見て回っただけですけどね」
と、適当に返しながら、あたしはノートの
空白ページを開き、そこに目の前の石柱をスケッチしていく。
「へぇ、結構上手いじゃない。……でも、なんだっていきなりこんな所で絵なんて描いてるのよ?」
と、脇からあたしのノートをのぞき込むようにして、ローザがそう問いかけてきた。
……おいおい、あんたが言うなよ。
「なんでって、あたしに聞きますか。あんたは……。この遺跡の記録を取っているのよ。まさか、あとで報告書を書くとき、『遺跡に行ってきました。なんか楽しかったです』とでも書くつもりだったわけ?」
「あっ……」
半分呆れながらあたしが答えると、ローザは短く声を上げバツの悪そうな表情を浮かべた。
先に述べたとおり、あたしがこの筆記用具一式を遺跡探索の必需品とするのは、つまり、そういう事である。
公式にせよ非公式にせよ、魔道院から遺跡の調査を命じられたということは、遊びや趣味ではなく仕事である。
今回はあたしが直接命令されたわけではないので、これが当てはまっているかどうかは分からないが、遺跡探索という危険が伴う仕事には諸経費の他に、決して少なくない手当が支給されるものである。
これは、逆に言えばそれ相応の結果が求められているわけで、遺跡探索が一通り終わったあとも、報告書作成という一大イベントが待っているのだ。
これは、跡でその遺跡に関して深く突っ込んで研究する際の重要な資料になるし、その結果、追調査となった時の道しるべともなるので、決して手を抜いて作成するわけにはいかない。
そして、この報告書を書く段階で必要になるのが、あたしが今やっているような探索記録なのである。
もちろん、あたしとて人並みに記憶力があるつもりではあるが、しかし、人の記憶なんぞ実にいい加減なモノで、その時は覚えていたつもりでもあとで思い出せなかったり、いつの間にかその記憶が歪んでいたりするものだ。
まあ、巷に星の数ほどいるであろう悪徳領主や腹黒い大臣なんかは、むしろこの方が都合がいいかもしれないが、こと正確さを求められる報告書作成においてはこれではちとマズイというわけである。
もっとも、こんな事など、いちいち解説するまでもなくローザは心得ているべきなのだが……。
ホントに、命令を受けたっていう自覚があるのか。こいつは。
「ったく、『あっ』じゃないわよ。……まあ、あなたは遺跡探索なんてこれが初めてだろうしそれなりに報酬も貰っているから、記録作業はあたしが担当するわ。
まさかとは思うけど、報告書の書き方が分からないとか寝ぼけた事は言わないわよね?」
「うぐっ……」
ジト目でさらなる追い打ちを掛けてみると、ローザは引きつった笑みを浮かべた。
……おいおい、まさかとは思ったけど、報告書一つ書けないのか。ローザのヤツ。
うーむ、こりゃ人選を誤ったわね。
マリアってば、いくら使えなくて暇していたからって、遺跡探索にこういうヤツを送り込むなんて、ある意味でとてつもなく豪快な決断を下したもんだ。
まあ、だからこそ、あたしをサポートに付けたんだろうけど。
「ふぅ、しょうがないわね。いちいち教えるのも面倒だから、報告書の事は全面的にお師匠に聞いてね」
『ええ~っ!?』
ため息混じりにあたしが言った瞬間、マリアとお師匠の悲鳴がキレイにハモった。
「お、おいおい、マール。何で僕があんな面倒くさい報告書作成を教えなきゃならないんだよ」
「そうよ。大体、常識はずれの報酬を貰っているんだから、あなたが書けば済む話でしょう」
と、なぜか一致団結してしまったらしく、お師匠とローザが唾を飛ばしながらそう言ってきた。
「あのねぇ、あたしが請け負ったのは、あくまでも『遺跡探索のサポート』よ。報告書作成なんていう事後処理まで押しつけるならお供するのはここまでよ。
ちなみに、これは完全にそっちのミスだから、すでに貰っている前金は違約金としてしっかり徴収しますのでよろしく」
「……」
あたしがキッパリと断言すると、ローザはそのまま黙り込んでしまった。
一応断っておくが、あたしはなにも無茶を言っているわけではない。
マリアからの手紙にあったのは、いわずもがな『遺跡探索のサポート役』であって、報告書作成だの何だのといった書類仕事は、完全にその範疇外である。
もし、そこまで面倒を見ろというのならそれ相応の料金を上乗せした上で、追加契約を求めてくるのが筋というモノだろう。
とはいえ、いちおう昔のよしみだし、善意によるアフターサービスとして少しぐらいは手伝ってあげてもいいかなとは思っていた。
しかし、当のローザ本人がこの調子でさも当然とばかりに丸投げしてくるなら、話は別である。
あたしだって、これでも人の子。そこまでお人好しではない。
「それと、お師匠様。『遺跡探索は担当者が報告書を書いてなんぼだ』とか言って、あたしを散々泣かせてくれたのはどこの誰でしたっけ?」
ローザを撃沈した事に満足しつつ、口調を改め、今度はお師匠にそうツッコミを入れた。
「うっ、まだ根に思っていたのか、それ……」
瞬間、珍しく露骨に動揺した様子を見せつつ、オーバーに身を仰け反らせるお師匠。
……おっしゃ、もう一押し!!
「ええ、そりゃもう。……それに、あたしはもう魔道院とはなんの関係もない人間です。そんなヤツに報告書なんて書かせていいんですか?」
お師匠の焦りまくった様子を好機と見て、さらなる追い打ちを掛けてやると、相手は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、完全に黙り込んでしまった。
……ふっ、また撃沈。いつまでも昔のあたしだと思わないことね。
胸中でそんな事をつぶやきつつ、数秒ほど時間を空けてから、あたしは再び視線をローザに向けた。
「とまあ、そういうわけで、どうなさいます。ローザ殿?」
我ながら、ちょっと意地悪かなと思いつつ、わざと軽い口調でそう問いかけてやると彼女は一つ大きなため息をついた。
「分かったわよ。それじゃ、1500クローネで報告書作成を追加注文させてもらうわ。これなら文句ないでしょ?」
そう言って、苦い笑みを浮かべるローザ。
うわっ、あっさりカネで解決しやがった、こいつ。
うーむ、あたしとしては、ここまで言ってやれば、『自分で書くわ』という展開になるだろうと思っていたのだが……。
まあ、金額的には妥当だしこの条件なら文句はないが、しかし、なんというか、これが庶民と貴族の違いかしらねぇ。
などと、しみじみ思っていると、黙りを決め込んでいたお師匠が口を開いた。
「いや、ローザ君、それはいかん。例え非公式とはいえ、遺跡探索の命を受けたのはあくまでも君だ。したがって、君は自分の名で最終的に報告書を仕上げる責務がある」
と、急に態度を翻し、思いっきりくそまじめにそう言うお師匠。
かなりまともな事を言っているようだし、それなりに説得力はある。
ただし、その言外に『ンな面倒くさい事はてめぇ自身でなんとか片づけろ』という思いが見え隠れしていなければの話だが。
そんな、お師匠の言葉無き言葉に気が付いたのかそうじゃないのか、そこまではあたしも分からないが、ローザが一瞬にして顔を紅潮させた。
「ク、クレスタさん、いきなり裏切るなんて酷いです!」
「裏切るもなにも無い。君だって、魔道院に所属する一端の魔道師だ。自分の仕事はちゃんと責任を持ってこなさなければならない」
「責任もなにも、あたしは今まで遺跡探索なんか一度もやった事ないんですよ。これでどうやって報告書なんて書けるんですか!?」
「そんな事知らん。大体、知らないなら知らないで分からない所を人に聞くなりして、色々と努力する余地はあるだろう。しかし、君はいきなり人に押しつけようとしているだけだ。そんなことだから……」
……あーあ、説教モードに入っちゃった。
(つづく)
しかし、なにか敵意のようなものすら感じる強烈な夏の日差しも、さすがに鬱蒼と木々が生い茂ったこの深い森の中までは侵攻出来ないようで辺りは薄闇に包まれている。
そう。ここは、ポート・ファルシオンの周囲に広がる草原を、北に向かって半日ほど歩いた所にある、地図には記載されていない森林地帯だ。
もっとも、一般に出回っている地図はお世辞にも精度がいいとは言えず、非常に小さな村など本来なら記載されるべきである重要な情報が抜け落ちていたりするのはザラだが、さすがにこれだけ大きな森林地帯となるとそれを省くような事はしないだろう。
それにも関わらず地図に載っていないということは、つまり、ここに近づく人はほとんどいないという事を如実に物語っているわけだ。
実際、この森林地帯は街道からも大きく外れているし、近くに人家があるわけでもないので、わざわざこんな不便な場所を目指してくる物好きはまずいないだろう。
ここにこんな広大な森林地帯がある事を知っているのは極少数派だと思う。
もちろん、あたしだって今の今までこの森林地帯の存在を知らなかった多数派の一人だ。
これこそ、決して治安がいいとは言えない街の外に出るという、大きなリスクを支払ってまであえて旅をする醍醐味の一つではあるが、しかし今はあまり感動している場合ではない。
というのも、この森林地帯の中に、ローザが調査を命じられた遺跡があるからだ。
ここに来るまで、おおむね順調な道中とはいえそれなりに色々な事があったが、それはあくまでも余興。いよいよ、ここからが本番である。
そんなわけで、あたしは密かに気合いを入れて……と、なるはずだった。本来は。
「ちょっと、いつまでこんな格好させてんのよ!!」
もういい加減ぶち切れてしまい、あたしは誰ともなく大声で喚き散らしてしまった。
なんというか、いちいちこんな事を解説すると我ながら非常に情けなくなってしまうのだが、あたしは今、体をロープでぐるぐる巻きにされて俯せにひっくり返された挙げ句、ズリズリと地面を引きずられて移動しているのだ。
そして、あたしの体に巻き付いているロープの端を持ち、まるで荷運びのロバよろしくあたしを引っ張っているのは他ならぬローザである。
この状態で、ポート・ファルシオンからここまで来たというのだから、もう、なんというか、あたしたちはバカ集団と評されても否定は出来ないだろう。
まあ、考え方を変えれば、あたしは自分の足で歩かなくて済んだとも言えるが、決してラッキーとは言えない。
なにしろ、先にも述べたが、ここまで『道無き草原』を半日近くも延々と進んできたのだ。
当然、おざなりとはいえある程度は整地されている街道と違い、地面は自然そのままの状態。
そんなところを、地面に横になったままズリズリ引きずってこられたのだから、それがどれほど悲惨な様相を呈したか推して知るべし。
正直、よくも今まで耐えてきたものだと、思わず自分を褒めてしまうほどである。
無論、よい子の皆様は決して真似しないように。下手すりゃ真面目に死にます。
「……それじゃ、港に沈められた方が良かった?」
あたしが喚き散らしてからしばしの間を置き、こちらのやや前方を黙々と歩くローザがこちらを振り向きもせずに、低く押し殺した声でそう言ってきた。
「うっ……」
と、あたしは思わず短く声を上げてしまった。
……ううう、まだ怒ってやんの。こいつ。
まあ、これでもし立場が逆なら、あたしは容赦なくローザを港に沈めているだろうしあまり大きな事は言えないけど。
「あはは、マール。これはなかなか貴重な体験だぞ。恐らく、もう2度とこんな事はないだろうしたっぷり堪能しておくがいい」
あたしたちのやりとりを見て何が面白かったのか、ローザのすぐ脇を歩くお師匠が陽気な声で笑い声を上げながらそうほざいてくれた。
「……いえ、例えチャンスがあっても、もう2度と体験したくないです」
そんなお師匠の背中をジト目で睨みつつ、あたしは思いっきり感情を押し殺した冷たい声でそう言ってやった。
……こんのボケナス。それでもお師匠兼『親』かと問いたい。問いつめたい。目の前に正座させて、小一時間ぐらい問いつめたい!!
……まあ、それはともかく、確かに事の発端となったあの封筒の件に関しては確かにあたしに絶対的な非があるのは認めざるを得ないし、これは弁解の余地もない。
むろん、ローザの怒りも十分理解出来るし、事の重大さに比べてこの程度の制裁措置で済んでいるのは、むしろ僥倖とさえ言えるだろう。
となれば、あたしがいくら喚いたところで、それでローザが許してくれる見込みは限りなくゼロに近いと判断せざるを得ない。
それどころか、あまりり騒ぎすぎるとかえって状況が悪化する恐れもある。
となれば、ここはいっそ開き直って、思い切りリラックスしてしまう方が精神的にも肉体的にもよい結果をもたらすだろう。
そう思って、あたしは気持ちを切り替え、のんびりと周囲の風景を楽しむ事にした。
……といっても、なにしろ視線が限りなく低いので、せいぜい木々の根本部分と下生えの草しか見えないのが難点ではあるが。
ともあれ、自分の置かれたあまりにも情けない状況を考えないようにしつつ、そのままダラダラと森の中を進む事しばし。
不意に、前方を歩くローザとお師匠の足が止まった。
「クレスタさん、これって……?」
「ああ、間違いないな」
と、あたしの前にいる二人の間でそんな短いやりとりが行われたあと、ローザがあたしの傍らに近寄ってきた。
「マール、いよいよ本番よ。報酬分プラスあたしの怒り分きっちり働いてもらうわよ」
そう言って、ローザは小さなナイフを取り出し、あたしをぐるぐる巻きにしていたロープを切った。
「はいはい、分かってますよ。あーあ、体中泥まみれになっちゃったわ」
ゆっくりと立ち上がりながら、あたしは体中にまとわりついている泥をパタパタと叩き落とした。
しかし、当然と言えば当然だが、ここまで引きずられてくる間にあたしの服はもうどうにもならないほどドロドロになてしまっているので、ちょっとやそっと叩いたぐらいではあまり変わらない。
……あーあ、こりゃ思いっきり念入りに洗濯しないと落ちないわね。
内心でそうぼやきつつ、あたしは辺りを見回してみた。
すると、こちらのやや前方に、木々に押しつぶされるようにしてほとんど崩れかけている朽ちた石柱らしきものや、大小の石ころがいくつも転がっていた。
言うまでもないが、これは明らかに人工物である。
つまり、あたしたちはようやく問題の遺跡に到達したというわけだ。
といっても、もちろんこれはあくまでも遺跡の一部。まだ、ほんの序の口でしかない。 ……さぁて、ローザの言葉を借りればこれからがいよいよ『本番』ね。
お師匠はいまだにあたしの事を一人前と見てくれていないみたいだし、ここは一発気合い入れていきますか。
「ふぅ、こうして遺跡調査をするのも久々だな。マール、言うまでもないとは思うが慎重にな」
気合いを充填しつつ石柱に近づいて行くと、背後からそんなお師匠の声が飛んできた。
そんなお師匠にあたしは親指を立てて『分かってる』と答え、ゆっくりと石柱の残骸に近づいていった。
あまり緊張感が感じられないお師匠の声だが、こういった遺跡の類には侵入者除けの罠が仕掛けられている事もままあるし、なにより、モノが古いのでうっかり変な場所を踏んだり触ったりすると、思わぬ事故を招く事があるのだ。
もちろん、あたしだって痛い思いはしたくないし、ただの石柱の残骸だと思って無造作に近づくようなヘマはやらない。
一歩をゆっくり慎重に踏み出し、靴底越しに伝わってくる地面を踏む感覚に違和感が無い事を確かめ、さらに目で地面に異常がない事を確認してから、さらに次の一歩を踏み出す。
一番近い場所にある傾き掛けた石柱まで、普通に歩けば1分も掛からず到着できただろう。
しかし、あたしは実にその十倍以上の時間を掛け、ようやくその石柱の傍らに立った。
そして、その石柱の周囲を一通り確認してから、あたしは後方で待機している二人にパタパタと手を振って『来い』という合図を送った。
「おっと、ローザ君。マール君が歩いた跡を歩くんだ」
「わ、分かりました」
という、いつも通り何も考えていなさそうなお師匠の声と緊張しまくっているローザの声を聞きながら、あたしは目の前にある石柱を丹念に観察した。
どうやら、この石柱には、何らかの文字か模様が彫り込んであったようなのだが、今はほとんど風化してしまっているので簡単には判読出来そうにない。
しかし、よくよく探してみると、比較的まともな形が残っている『彫刻』がちらほら見られる。
一通り石柱を調べ終わると、あたしは荷物入れに使っている革袋の中から、表紙がボロボロになったお世辞にも綺麗とは言えないノートにペン、それとインクが入っている小瓶を取り出した。
「おっ、早速始めているな」
と、どうやらこちらにやってきたらしいお師匠が、あたしの傍らに立ってそう言ってきた。
「ええ。といっても、まだ軽く見て回っただけですけどね」
と、適当に返しながら、あたしはノートの
空白ページを開き、そこに目の前の石柱をスケッチしていく。
「へぇ、結構上手いじゃない。……でも、なんだっていきなりこんな所で絵なんて描いてるのよ?」
と、脇からあたしのノートをのぞき込むようにして、ローザがそう問いかけてきた。
……おいおい、あんたが言うなよ。
「なんでって、あたしに聞きますか。あんたは……。この遺跡の記録を取っているのよ。まさか、あとで報告書を書くとき、『遺跡に行ってきました。なんか楽しかったです』とでも書くつもりだったわけ?」
「あっ……」
半分呆れながらあたしが答えると、ローザは短く声を上げバツの悪そうな表情を浮かべた。
先に述べたとおり、あたしがこの筆記用具一式を遺跡探索の必需品とするのは、つまり、そういう事である。
公式にせよ非公式にせよ、魔道院から遺跡の調査を命じられたということは、遊びや趣味ではなく仕事である。
今回はあたしが直接命令されたわけではないので、これが当てはまっているかどうかは分からないが、遺跡探索という危険が伴う仕事には諸経費の他に、決して少なくない手当が支給されるものである。
これは、逆に言えばそれ相応の結果が求められているわけで、遺跡探索が一通り終わったあとも、報告書作成という一大イベントが待っているのだ。
これは、跡でその遺跡に関して深く突っ込んで研究する際の重要な資料になるし、その結果、追調査となった時の道しるべともなるので、決して手を抜いて作成するわけにはいかない。
そして、この報告書を書く段階で必要になるのが、あたしが今やっているような探索記録なのである。
もちろん、あたしとて人並みに記憶力があるつもりではあるが、しかし、人の記憶なんぞ実にいい加減なモノで、その時は覚えていたつもりでもあとで思い出せなかったり、いつの間にかその記憶が歪んでいたりするものだ。
まあ、巷に星の数ほどいるであろう悪徳領主や腹黒い大臣なんかは、むしろこの方が都合がいいかもしれないが、こと正確さを求められる報告書作成においてはこれではちとマズイというわけである。
もっとも、こんな事など、いちいち解説するまでもなくローザは心得ているべきなのだが……。
ホントに、命令を受けたっていう自覚があるのか。こいつは。
「ったく、『あっ』じゃないわよ。……まあ、あなたは遺跡探索なんてこれが初めてだろうしそれなりに報酬も貰っているから、記録作業はあたしが担当するわ。
まさかとは思うけど、報告書の書き方が分からないとか寝ぼけた事は言わないわよね?」
「うぐっ……」
ジト目でさらなる追い打ちを掛けてみると、ローザは引きつった笑みを浮かべた。
……おいおい、まさかとは思ったけど、報告書一つ書けないのか。ローザのヤツ。
うーむ、こりゃ人選を誤ったわね。
マリアってば、いくら使えなくて暇していたからって、遺跡探索にこういうヤツを送り込むなんて、ある意味でとてつもなく豪快な決断を下したもんだ。
まあ、だからこそ、あたしをサポートに付けたんだろうけど。
「ふぅ、しょうがないわね。いちいち教えるのも面倒だから、報告書の事は全面的にお師匠に聞いてね」
『ええ~っ!?』
ため息混じりにあたしが言った瞬間、マリアとお師匠の悲鳴がキレイにハモった。
「お、おいおい、マール。何で僕があんな面倒くさい報告書作成を教えなきゃならないんだよ」
「そうよ。大体、常識はずれの報酬を貰っているんだから、あなたが書けば済む話でしょう」
と、なぜか一致団結してしまったらしく、お師匠とローザが唾を飛ばしながらそう言ってきた。
「あのねぇ、あたしが請け負ったのは、あくまでも『遺跡探索のサポート』よ。報告書作成なんていう事後処理まで押しつけるならお供するのはここまでよ。
ちなみに、これは完全にそっちのミスだから、すでに貰っている前金は違約金としてしっかり徴収しますのでよろしく」
「……」
あたしがキッパリと断言すると、ローザはそのまま黙り込んでしまった。
一応断っておくが、あたしはなにも無茶を言っているわけではない。
マリアからの手紙にあったのは、いわずもがな『遺跡探索のサポート役』であって、報告書作成だの何だのといった書類仕事は、完全にその範疇外である。
もし、そこまで面倒を見ろというのならそれ相応の料金を上乗せした上で、追加契約を求めてくるのが筋というモノだろう。
とはいえ、いちおう昔のよしみだし、善意によるアフターサービスとして少しぐらいは手伝ってあげてもいいかなとは思っていた。
しかし、当のローザ本人がこの調子でさも当然とばかりに丸投げしてくるなら、話は別である。
あたしだって、これでも人の子。そこまでお人好しではない。
「それと、お師匠様。『遺跡探索は担当者が報告書を書いてなんぼだ』とか言って、あたしを散々泣かせてくれたのはどこの誰でしたっけ?」
ローザを撃沈した事に満足しつつ、口調を改め、今度はお師匠にそうツッコミを入れた。
「うっ、まだ根に思っていたのか、それ……」
瞬間、珍しく露骨に動揺した様子を見せつつ、オーバーに身を仰け反らせるお師匠。
……おっしゃ、もう一押し!!
「ええ、そりゃもう。……それに、あたしはもう魔道院とはなんの関係もない人間です。そんなヤツに報告書なんて書かせていいんですか?」
お師匠の焦りまくった様子を好機と見て、さらなる追い打ちを掛けてやると、相手は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべ、完全に黙り込んでしまった。
……ふっ、また撃沈。いつまでも昔のあたしだと思わないことね。
胸中でそんな事をつぶやきつつ、数秒ほど時間を空けてから、あたしは再び視線をローザに向けた。
「とまあ、そういうわけで、どうなさいます。ローザ殿?」
我ながら、ちょっと意地悪かなと思いつつ、わざと軽い口調でそう問いかけてやると彼女は一つ大きなため息をついた。
「分かったわよ。それじゃ、1500クローネで報告書作成を追加注文させてもらうわ。これなら文句ないでしょ?」
そう言って、苦い笑みを浮かべるローザ。
うわっ、あっさりカネで解決しやがった、こいつ。
うーむ、あたしとしては、ここまで言ってやれば、『自分で書くわ』という展開になるだろうと思っていたのだが……。
まあ、金額的には妥当だしこの条件なら文句はないが、しかし、なんというか、これが庶民と貴族の違いかしらねぇ。
などと、しみじみ思っていると、黙りを決め込んでいたお師匠が口を開いた。
「いや、ローザ君、それはいかん。例え非公式とはいえ、遺跡探索の命を受けたのはあくまでも君だ。したがって、君は自分の名で最終的に報告書を仕上げる責務がある」
と、急に態度を翻し、思いっきりくそまじめにそう言うお師匠。
かなりまともな事を言っているようだし、それなりに説得力はある。
ただし、その言外に『ンな面倒くさい事はてめぇ自身でなんとか片づけろ』という思いが見え隠れしていなければの話だが。
そんな、お師匠の言葉無き言葉に気が付いたのかそうじゃないのか、そこまではあたしも分からないが、ローザが一瞬にして顔を紅潮させた。
「ク、クレスタさん、いきなり裏切るなんて酷いです!」
「裏切るもなにも無い。君だって、魔道院に所属する一端の魔道師だ。自分の仕事はちゃんと責任を持ってこなさなければならない」
「責任もなにも、あたしは今まで遺跡探索なんか一度もやった事ないんですよ。これでどうやって報告書なんて書けるんですか!?」
「そんな事知らん。大体、知らないなら知らないで分からない所を人に聞くなりして、色々と努力する余地はあるだろう。しかし、君はいきなり人に押しつけようとしているだけだ。そんなことだから……」
……あーあ、説教モードに入っちゃった。
(つづく)
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