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第十一話 ようこそ、冒険者ギルドへ
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「手始めにSらんくとやらの仕事を所望する!」
この武蔵の驚くべき発言には、伊織も最初は開いた口が塞がらなかった。
「お、お待ちください!」
はっと我に返った伊織は慌てて武蔵の右横に駆け寄ると、開いた両手を前方へ突き出すポーズを取る。
「師匠に向かって待てとは何だ。それに俺は何もおかしいことは言うてはおらん」
言っています、などとは伊織も面と向かって答えられなかったものの、冒険者にすらなっていない一般人の身分でSランクの依頼を願うなどもっての他である。
それは現役と思しき冒険者たちも同感だったのだろう。
武蔵の発言を聞いた冒険者たちからは、広々とした室内を揺るがすほどの笑いの渦が起こった。
それだけではない。
「あーははははっ、こいつは馬鹿か!」
「ちょっと、どこの田舎から出てきたのよ!」
「おいおい、冗談と逢い引きなら他所でやりな! ここは泣く子も黙る、冒険者ギルドのアルビオン支部だぜ!」
などと避けることも不可能な非難の矢が次々と飛んできたのだ。
伊織は恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になった。
(何でですか、お師匠様。さっきあれほど説明したじゃないですか)
数時間前にアルビオン城から追放されたあと、伊織は武蔵に自分が知る異世界の情報をあますことなく伝えた。
もちろん、あくまでも漫画や小説の中の異世界の情報をである。
それでも全部が全部において間違ってはいないだろう。
強大な魔物を倒すために異世界から勇者候補の人間を召喚するなど、まさに使い古された異世界転移物の鉄板中の鉄板ネタであった。
そして異世界転移物の鉄板ネタは勇者召喚だけではない。
召喚された勇者が目的を果すために必ず立ち寄らなければならない場所――冒険者ギルドの存在である。
伊織は当然ながら武蔵に、冒険者ギルドの存在も詳しく説明した。
冒険者ギルドには本人の実力に応じて細かな等級が決められており、FもしくはEを最低基準にD、C、B、Aと仕事の達成度に対して徐々に等級が上がっていく。
やがて実力も知名度も最高峰に達した冒険者には、英雄級とも呼べるSランクの等級が与えられる、と。
しかし、これらの等級の仕事を請け負うには、当たり前だが冒険者ギルドに冒険者として認定してもらわなくてはならない。
そのために相応の金を払わなくてはならないのか、あるいは試験を受けなくてはならないのかまでは分からない。
どちらにせよ現時点でただの一般人に過ぎない武蔵と伊織は、最低ランクの仕事すら受けられないという現実があった。
伊織はそれらのことを踏まえた上で、武蔵に一から懇切丁寧に説明していたのだが、戦国時代の人間である武蔵は根本的によく分かっていなかったようである。
なぜなら、武蔵は「こいつらは何を笑っているのだ?」とでも言いたげな表情をしていたからだ。
(どうしよう……こんな雰囲気の中で冒険者登録なんて出来るわけないじゃない)
と、伊織が文字通り頭を抱えたときであった。
正面奥にあった受付口の奥から、十代と思われる二人の男女が現れた。
一人は身長百五十センチほどの小柄な少年であり、日本人のような黒髪に色白な肌が印象的な少年である。
もう一人は少年とは対照的なほど高身長な少女だ。
武蔵と同じ百八十センチはあるかもしれない。
炎のような赤い長髪をうなじの辺りで一つにまとめ、開いているのか閉じているのか分からないほどの細目と、モデルのようなスレンダーな体型が印象的な少女である。
しかし、特に印象的だったのは二人の服装であった。
二人とも西洋人のような顔の作りをしているのに、着ている服が明らかなチャイナ服だったのだ。
しかも髪の色と合わせているのか、少年の方は黒色のカンフー服で、少女のほうは赤色のチャイナドレスを着ている。
「ようこそ、冒険者ギルドへ」
最初に口を開いたのは、黒髪の少年のほうであった。
「話は聞かせていただきました。お客様はSランクの仕事をご希望されているとのことですが、誠に申し訳ありませんが冒険者登録の確認をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
(ぼ、冒険者ギルドのテンプレきたー―ッ)
伊織は心の中で激しく手を叩くほど感動した。
間違いなく、この二人は冒険者ギルドの受付人である。
異世界転移物の漫画や小説の中で、チート能力を使って獲物を仕留めてきた主人公の行為に驚くだけの人間たちだ。
「お主らは何者だ?」
武蔵の問いかけに黒髪の少年は「申し遅れました」とにこやかな笑みを向けた。
「私は冒険者ギルド・アルビオン支部の受付を担当しています、黒狼と申します。そして私の隣にいるのは、もう一人の担当者の赤猫です。以後、お見知りおきを」
黒狼と名乗った少年の隣にいた大柄な少女――赤猫はぶっきらぼうに「赤猫ッス」と特徴的な語尾の挨拶をした。
外見だけではなく、言葉使いや態度も正反対な凸凹コンビである。
一方、礼を尽くされた挨拶に侍である武蔵も礼で応えるのかと思いきや、武蔵が取った行動は礼を尽くすとは真逆のことだった。
「誰もお主らの〝役職〟のことなど聞いておらん。俺はお主らは何者かと訊いておるのだ」
そう言うなり武蔵は深く腰を落とすと、黒狼と赤猫の二人に向かって居合の構えを取ったのだ。
居合――それは刀を鞘に納めた状態から、一瞬で刀を抜いて相手を斬りつけるという一連の動作を行う操刀法のことである。
そして、この居合という技術は不意に襲ってくる敵に対していかに迅速に対応するか、という発想をスタートとして磨かれた技術であり、また伊織も幼少から居合道を学ぶ一人であった。
だからこそ、伊織は武蔵が居合の構えを取る理由がまったく分からなかった。
なぜか武蔵は黒狼と赤猫の二人を、居合の構えを取るほどの敵かもしれない、という認識をしているのだ。
そんな敵意を出した武蔵に、最初に反応したのは赤猫である。
赤猫は無言のまま武蔵に歩み寄ろうと大きく足を出した。
だが、すぐに隣にいた黒狼が腕を水平に出して赤猫の歩みを止める。
「お客様……ここは闘う場所ではありませんよ。それに先ほどもお伝えした通り、私たちは二人とも受付の担当者です。それ以外に何に見えるというのですか?」
隠していても分かるわ、と武蔵は鼻で笑った。
「お主ら二人とも俺と同じ兵法者だな。明らかに全身の〝気〟の流れが他の者と違って滑らかすぎる。やろうと思えば、お主ら二人だけでこの場にいる者たち全員を屠ることも出来るだろう」
むろん、と武蔵は口の端を吊り上げる。
「俺と伊織を除いて、だがな」
そして武蔵が獰猛な笑みを浮かべた直後、伊織は不意な頭痛に襲われた。
(ちょっと待って……一体、何なのこの頭痛は?)
あまりの痛さにふらふらと後退する伊織に構わず、武蔵と視線を交錯させていた黒狼は明らかに目の色を変えた。
「お客様、ここは冒険者の活動を管理する冒険者ギルドであって、ここに集まっているメンバーには〝兵法者〟などという称号を持った人間は一人も」
いませんよ、と黒狼が答えようとしたときだ。
「実の心を道として、兵法を正しく広く明らかに行い――」
武蔵は居合の構えを崩さず、重みのある声で呪文のような言葉を発していく。
伊織は頭痛に顔を歪めながらも、その武蔵の言葉に心当たりがあった。
数時間前のことなので忘れもしない。
それはクラスメイトたちと召喚されたアルビオン城の一室において、アルビオン騎士団の団長と一騎打ちをした際に武蔵が発した言葉であった。
「大きなるところを思い一つにて空を道とし、道を空とす。これ即ち、気の境地なり。これ即ち――天理の境地なり」
やがて武蔵が呪文のような言葉を言い終わったとき、あのときと同じく伊織は大きく目を見張った。
武蔵の下丹田に眩い黄金色の光を放つ光球が出現したのだ。
その黄金色の光球からは火の粉を思い出させる燐光が噴出し、螺旋を描きながら武蔵の全身を覆い尽くしていく。
だが、このとき伊織ははたと気づいた。
いつの間にか、武蔵を見つめる黒狼と赤猫の両目が光り輝いていたのだ。
比喩ではない。本当に両目が光っていたのである。
「黒狼……もう我慢できねえッすわ。やっちゃってもいいッすよね」
次に行動を起こしたのは赤猫であった。
赤猫は黒狼の静止を押し退けて数歩前に出ると、両足を前後に肩幅くらいに開き、後ろ足に体重の七割ほどを預けて膝を曲げた。
そして上体は胸をへこませるように懐を深くし、左手はみぞおちの前に開いた状態で置き、右手は顔の高さの位置から猿が腕を伸ばして物を取るように前方へと手刀の状態で突き出す。
(あれってもしかして中国の……)
伊織が頭の中に浮かんだ言葉を、武蔵が察したように「……拳法か」と呟いた。
赤猫が取った構えはまさしく中国拳法の構えである。
居合の構えの武蔵と、中国拳法の構えの赤猫。
この二人の間に流れるただならぬ緊張感と圧迫感に気おされたのか、あれほど笑いの嵐が吹き荒れていた室内は誰もいないかのような静けさへと変わった。
そしてまさに血が飛び散るかもしれない一触即発の空気が流れたとき、その空気を一瞬で切り裂くほどの凛然とした声が室内に響き渡った。
「何事ですか、騒々しい」
その場にいた全員が声の聞こえてきた部屋の奥へと意識を向ける。
室内の奥には二階へと続く階段があり、その声の持ち主は二階から階下へと降りてきた。
「お主、魔物の類か……」
武蔵がそう言ってしまうのも無理からぬことだった。
なぜなら二階から降りてきた人物は、金色の髪に人間よりも長い耳の飛び抜けた美貌を持つ――エルフだったからだ。
伊織などは漫画や小説でエルフの存在は痛いほどよく知っていたが、戦国時代の武蔵から見ればエルフは魔物の類にしか見えなかったに違いない。
たとえそれが虎の刺繍が入った黄色のチャイナドレスを着た、二十代半ばにしか見えない絶世の美女のエルフだったとしてもである。
「魔物、とは失敬ですね」
金髪のエルフは武蔵に対してにっこりとほほ笑んだ。
「ここのギルド長を任されております、黄姫と申します」
この武蔵の驚くべき発言には、伊織も最初は開いた口が塞がらなかった。
「お、お待ちください!」
はっと我に返った伊織は慌てて武蔵の右横に駆け寄ると、開いた両手を前方へ突き出すポーズを取る。
「師匠に向かって待てとは何だ。それに俺は何もおかしいことは言うてはおらん」
言っています、などとは伊織も面と向かって答えられなかったものの、冒険者にすらなっていない一般人の身分でSランクの依頼を願うなどもっての他である。
それは現役と思しき冒険者たちも同感だったのだろう。
武蔵の発言を聞いた冒険者たちからは、広々とした室内を揺るがすほどの笑いの渦が起こった。
それだけではない。
「あーははははっ、こいつは馬鹿か!」
「ちょっと、どこの田舎から出てきたのよ!」
「おいおい、冗談と逢い引きなら他所でやりな! ここは泣く子も黙る、冒険者ギルドのアルビオン支部だぜ!」
などと避けることも不可能な非難の矢が次々と飛んできたのだ。
伊織は恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になった。
(何でですか、お師匠様。さっきあれほど説明したじゃないですか)
数時間前にアルビオン城から追放されたあと、伊織は武蔵に自分が知る異世界の情報をあますことなく伝えた。
もちろん、あくまでも漫画や小説の中の異世界の情報をである。
それでも全部が全部において間違ってはいないだろう。
強大な魔物を倒すために異世界から勇者候補の人間を召喚するなど、まさに使い古された異世界転移物の鉄板中の鉄板ネタであった。
そして異世界転移物の鉄板ネタは勇者召喚だけではない。
召喚された勇者が目的を果すために必ず立ち寄らなければならない場所――冒険者ギルドの存在である。
伊織は当然ながら武蔵に、冒険者ギルドの存在も詳しく説明した。
冒険者ギルドには本人の実力に応じて細かな等級が決められており、FもしくはEを最低基準にD、C、B、Aと仕事の達成度に対して徐々に等級が上がっていく。
やがて実力も知名度も最高峰に達した冒険者には、英雄級とも呼べるSランクの等級が与えられる、と。
しかし、これらの等級の仕事を請け負うには、当たり前だが冒険者ギルドに冒険者として認定してもらわなくてはならない。
そのために相応の金を払わなくてはならないのか、あるいは試験を受けなくてはならないのかまでは分からない。
どちらにせよ現時点でただの一般人に過ぎない武蔵と伊織は、最低ランクの仕事すら受けられないという現実があった。
伊織はそれらのことを踏まえた上で、武蔵に一から懇切丁寧に説明していたのだが、戦国時代の人間である武蔵は根本的によく分かっていなかったようである。
なぜなら、武蔵は「こいつらは何を笑っているのだ?」とでも言いたげな表情をしていたからだ。
(どうしよう……こんな雰囲気の中で冒険者登録なんて出来るわけないじゃない)
と、伊織が文字通り頭を抱えたときであった。
正面奥にあった受付口の奥から、十代と思われる二人の男女が現れた。
一人は身長百五十センチほどの小柄な少年であり、日本人のような黒髪に色白な肌が印象的な少年である。
もう一人は少年とは対照的なほど高身長な少女だ。
武蔵と同じ百八十センチはあるかもしれない。
炎のような赤い長髪をうなじの辺りで一つにまとめ、開いているのか閉じているのか分からないほどの細目と、モデルのようなスレンダーな体型が印象的な少女である。
しかし、特に印象的だったのは二人の服装であった。
二人とも西洋人のような顔の作りをしているのに、着ている服が明らかなチャイナ服だったのだ。
しかも髪の色と合わせているのか、少年の方は黒色のカンフー服で、少女のほうは赤色のチャイナドレスを着ている。
「ようこそ、冒険者ギルドへ」
最初に口を開いたのは、黒髪の少年のほうであった。
「話は聞かせていただきました。お客様はSランクの仕事をご希望されているとのことですが、誠に申し訳ありませんが冒険者登録の確認をさせていただいてもよろしいでしょうか?」
(ぼ、冒険者ギルドのテンプレきたー―ッ)
伊織は心の中で激しく手を叩くほど感動した。
間違いなく、この二人は冒険者ギルドの受付人である。
異世界転移物の漫画や小説の中で、チート能力を使って獲物を仕留めてきた主人公の行為に驚くだけの人間たちだ。
「お主らは何者だ?」
武蔵の問いかけに黒髪の少年は「申し遅れました」とにこやかな笑みを向けた。
「私は冒険者ギルド・アルビオン支部の受付を担当しています、黒狼と申します。そして私の隣にいるのは、もう一人の担当者の赤猫です。以後、お見知りおきを」
黒狼と名乗った少年の隣にいた大柄な少女――赤猫はぶっきらぼうに「赤猫ッス」と特徴的な語尾の挨拶をした。
外見だけではなく、言葉使いや態度も正反対な凸凹コンビである。
一方、礼を尽くされた挨拶に侍である武蔵も礼で応えるのかと思いきや、武蔵が取った行動は礼を尽くすとは真逆のことだった。
「誰もお主らの〝役職〟のことなど聞いておらん。俺はお主らは何者かと訊いておるのだ」
そう言うなり武蔵は深く腰を落とすと、黒狼と赤猫の二人に向かって居合の構えを取ったのだ。
居合――それは刀を鞘に納めた状態から、一瞬で刀を抜いて相手を斬りつけるという一連の動作を行う操刀法のことである。
そして、この居合という技術は不意に襲ってくる敵に対していかに迅速に対応するか、という発想をスタートとして磨かれた技術であり、また伊織も幼少から居合道を学ぶ一人であった。
だからこそ、伊織は武蔵が居合の構えを取る理由がまったく分からなかった。
なぜか武蔵は黒狼と赤猫の二人を、居合の構えを取るほどの敵かもしれない、という認識をしているのだ。
そんな敵意を出した武蔵に、最初に反応したのは赤猫である。
赤猫は無言のまま武蔵に歩み寄ろうと大きく足を出した。
だが、すぐに隣にいた黒狼が腕を水平に出して赤猫の歩みを止める。
「お客様……ここは闘う場所ではありませんよ。それに先ほどもお伝えした通り、私たちは二人とも受付の担当者です。それ以外に何に見えるというのですか?」
隠していても分かるわ、と武蔵は鼻で笑った。
「お主ら二人とも俺と同じ兵法者だな。明らかに全身の〝気〟の流れが他の者と違って滑らかすぎる。やろうと思えば、お主ら二人だけでこの場にいる者たち全員を屠ることも出来るだろう」
むろん、と武蔵は口の端を吊り上げる。
「俺と伊織を除いて、だがな」
そして武蔵が獰猛な笑みを浮かべた直後、伊織は不意な頭痛に襲われた。
(ちょっと待って……一体、何なのこの頭痛は?)
あまりの痛さにふらふらと後退する伊織に構わず、武蔵と視線を交錯させていた黒狼は明らかに目の色を変えた。
「お客様、ここは冒険者の活動を管理する冒険者ギルドであって、ここに集まっているメンバーには〝兵法者〟などという称号を持った人間は一人も」
いませんよ、と黒狼が答えようとしたときだ。
「実の心を道として、兵法を正しく広く明らかに行い――」
武蔵は居合の構えを崩さず、重みのある声で呪文のような言葉を発していく。
伊織は頭痛に顔を歪めながらも、その武蔵の言葉に心当たりがあった。
数時間前のことなので忘れもしない。
それはクラスメイトたちと召喚されたアルビオン城の一室において、アルビオン騎士団の団長と一騎打ちをした際に武蔵が発した言葉であった。
「大きなるところを思い一つにて空を道とし、道を空とす。これ即ち、気の境地なり。これ即ち――天理の境地なり」
やがて武蔵が呪文のような言葉を言い終わったとき、あのときと同じく伊織は大きく目を見張った。
武蔵の下丹田に眩い黄金色の光を放つ光球が出現したのだ。
その黄金色の光球からは火の粉を思い出させる燐光が噴出し、螺旋を描きながら武蔵の全身を覆い尽くしていく。
だが、このとき伊織ははたと気づいた。
いつの間にか、武蔵を見つめる黒狼と赤猫の両目が光り輝いていたのだ。
比喩ではない。本当に両目が光っていたのである。
「黒狼……もう我慢できねえッすわ。やっちゃってもいいッすよね」
次に行動を起こしたのは赤猫であった。
赤猫は黒狼の静止を押し退けて数歩前に出ると、両足を前後に肩幅くらいに開き、後ろ足に体重の七割ほどを預けて膝を曲げた。
そして上体は胸をへこませるように懐を深くし、左手はみぞおちの前に開いた状態で置き、右手は顔の高さの位置から猿が腕を伸ばして物を取るように前方へと手刀の状態で突き出す。
(あれってもしかして中国の……)
伊織が頭の中に浮かんだ言葉を、武蔵が察したように「……拳法か」と呟いた。
赤猫が取った構えはまさしく中国拳法の構えである。
居合の構えの武蔵と、中国拳法の構えの赤猫。
この二人の間に流れるただならぬ緊張感と圧迫感に気おされたのか、あれほど笑いの嵐が吹き荒れていた室内は誰もいないかのような静けさへと変わった。
そしてまさに血が飛び散るかもしれない一触即発の空気が流れたとき、その空気を一瞬で切り裂くほどの凛然とした声が室内に響き渡った。
「何事ですか、騒々しい」
その場にいた全員が声の聞こえてきた部屋の奥へと意識を向ける。
室内の奥には二階へと続く階段があり、その声の持ち主は二階から階下へと降りてきた。
「お主、魔物の類か……」
武蔵がそう言ってしまうのも無理からぬことだった。
なぜなら二階から降りてきた人物は、金色の髪に人間よりも長い耳の飛び抜けた美貌を持つ――エルフだったからだ。
伊織などは漫画や小説でエルフの存在は痛いほどよく知っていたが、戦国時代の武蔵から見ればエルフは魔物の類にしか見えなかったに違いない。
たとえそれが虎の刺繍が入った黄色のチャイナドレスを着た、二十代半ばにしか見えない絶世の美女のエルフだったとしてもである。
「魔物、とは失敬ですね」
金髪のエルフは武蔵に対してにっこりとほほ笑んだ。
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