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第三十七話 目に見えぬ修羅場
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最初に感じたのは、埃臭い匂いだった。
大きく口で呼吸しようとしても、肺がそれらを拒んでいるのが分かる。
(ここは……)
伊織は意識を覚醒させながら、閉じていた両目を薄く開けていく。
視界に入ってきたのは、日本人には馴染みの深い光景だった。
所どころ穴が開いている木製の壁に、敷地面積の広い板敷きの床。
そして今は焚かれていない護摩壇が見える。
まるで大きな寺の本堂のような場所だ。
続いて伊織は、自分の置かれている現状を把握する。
どうやら自分は座らされた状態で、太い柱に背中を預けられているようだ。
また背中に両手を回されており、互いの手首を縄できつく締められて拘束されている。
幸いなことに足首は拘束されてなかったが、それでも自由に動けるとはほど遠い状態であった。
それこそ目立った行動を取ろうものなら、すぐに今よりもひどい状況になるのは火を見るよりも明らかである。
なぜなら、こんな状況を作ったであろう張本人たちが向こうにいたからだ。
「それで……上手く相手には伝わったんだろうな?」
「間違いねえっす」
伊織の数メートル先には、輪になって話をしている数人の男たちがいた。
「店の中に人影が見えたのを見計らって射ましたから……だけど、何なんっすかあの男は? まともに射った矢を素手で掴むなんて普通じゃねえっすよ」
「当たり前だ。あのオッサンの強さは並じゃねえ。それこそ、飛んで来た矢を掴むぐらいの芸当は簡単に出来るだろうさ」
男たちは全員で五人。
一人は鉄斧牛のリーチであり、残りの三人は空き地に現れた男たちだ。
だが、伊織が気になったのはもう一人の男であった。
全身黒ずくめの隻腕の男である。
「まあ、どういう形であれ伝わったんなら上出来だ。ご苦労だったな。最後にお前らはオッサンの案内役を頼むぜ。変なところに迷い込まれて、ここに来ませんでしたじゃ意味がねえからな」
三人の男たちは互いの顔を見合わせた。
「待ってくだせえ、リーチの旦那。俺たち全員で行く意味あるんっすか? 案内役が必要なら一人でも十分では?」
馬鹿野郎が、とリーチは怒声を上げる。
「一人で行ったって信用されねえかもしれねえだろうが。てめえら三人でちゃんとあのオッサンに事情を説明してここへ連れて来い。分かったな!」
三人の男たちはリーチに頭が上がらなかったのだろうか。
あまり納得していない様子ながらも、三人の男たちは渋々と外へ出て行く。
「……ったく、三下の分際でごちゃごちゃと言いやがって。てめえらは俺様の言うことを素直に聞いていればいいんだよ」
チッ、と舌打ちしたリーチ。
そんなリーチは伊織が目を覚ましていることに気づくと、伊織に向かって身の毛がよだつような下卑た笑みを向ける。
「よう、お姫様。やっと起きたな。どうだ、寝覚めのほうは?」
伊織は無言のまま、リーチに射貫くような鋭い眼光を飛ばした。
律儀に答えるまでもない。
すべてが最悪であった。
今の自分が後ろ手で縛られて不自由になっていることや、リーチに殴られた腹部に鈍痛が残っていることなどすべてがである。
「声に出さなくても言いたいことは分かるぜ。だが、こうなったのはあのオッサンのせいなんだからな。あのオッサンが素直に俺を弟子に取っていればこんな真似をせずに済んだんだから、恨むならお前の師匠であるオッサンを恨めよ」
これには伊織も驚きのあまり口が半開きになった。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことである。
弟子になることを断られたという理由で、このような蛮行に出るなど狂気の沙汰以外の何物でもない。
一体、リーチは何を考えてこんな真似をしたのだろう。
まさか自分を人質に取ったことをいいことに、弟子入りを断った武蔵に暴力を振るって憂さを晴らすつもりなのか。
だとしたら、あまりにもリーチの取った行動は幼稚でタチが悪すぎる。
などと伊織が思っていると、黒ずくめの男の口から低い笑い声が漏れた。
「天理の法を会得したいがため、その男の弟子を人質に取って無理やり聞き出そうとは愉快な男だ。まさに外道という言葉がこれほど似合う男もおるまい」
「いけねえか? あんただって似たようなもんじゃねえか。たかが刀の一本や二本欲しいからって、わざわざ武器屋のガキを拉致ったんだからよ。他人のことは言えねえぜ……え~と、確かあんたはカイエンって言ったっけか?」
黒ずくめの男――カイエンは「確かにな」と頷く。
「拙者もお主と同様、人の道を外れた単なる外道よ。なればこそ、利害が一致している我らは共闘する意味がある」
リーチは大きく首を縦に振った。
「俺はあのオッサンから天掌板の顕現方法を、あんたは継承作品とかいう刀を手に入れる。そのためにオッサンに刀を持ってくるよう、矢に手紙を巻きつけて伝えるなんざよく思いついたもんだ」
二人の意味不明なやりとりに、伊織は眉間に深くしわを寄せた。
(私を人質にお師匠様から天掌板の顕現方法を聞き出す? それに伝承作品の刀を手に入れるために子供を誘拐したって……)
そのとき、伊織はカイエンの後ろにあった護摩壇の横に、一人の子供がいることに気がついた。
マサミツである。
しかもマサミツも後ろ手に縛られて拘束されていたのだ。
殴られて気絶させられているのか薬で眠らされているのかは分からなかったが、マサミツはぴくりとも動かずに床に倒れている。
「正体を明かさずに用件を伝えるには、矢文を使うのがもっとも効果的だからな。むろん、あのミヤモトムサシという男が文の内容に大人しく従った場合だが」
「従うさ。あのオッサンの気質は、ムカつくぐらいに義侠心と師弟関係にうるせえことだ。だったら、何としてでも弟子を取り戻しに来るだろうぜ」
吐き捨てるように言ったリーチは、床に置かれていた鉄斧を手に持った。
「なるほど……そしてお主はあの男から天理の法を聞き出し、晴れてSクラスの冒険者となった暁には武人として名を挙げるというのだな。見上げた貪欲さよ。その信念は我ら大倭国のサムライに通じるものがある」
リーチはカイエンの言葉に目を丸くさせた。
「はあ? 武人として名を挙げる? 馬鹿なこと言うなよ。俺がSクラスの冒険者になりたいのは、そんなくだらねえ功名心のためじゃねえ」
金だ、とリーチはきっぱりと言い切った。
「あんたは知らねえかもしれねえが、Sクラスの冒険者になるとアルビオン魔法学院の武術教官になれる資格が手に入るんだよ。あの魔法学院のだぜ」
リーチは鼻息を荒げながら言葉を続ける。
「魔法学院の武術教官にさえなっちまえば、それこそ金には困らねえ生活が待ってるんだよ。何せ闘いの基本も知らない素人にちょっと武術を教えるだけ、こそこそ迷宮に潜って稼ぐことが馬鹿らしくなるほどの大金が入ってくるんだ。狙わねえ手はねえだろうが」
興奮して話しているリーチを遠目に、伊織はカイエンの表情が徐々に変化していくのを見逃さなかった。
カイエンは、次第に無表情になっていく。
「リーチとやら……お主は楽な生活をしたいがために、Sクラスの冒険者になりたいのか? 男として武人として生まれたからには、強さを求めて名を挙げることに命を懸けるのが筋というものであろう」
このとき、伊織はちくりとした頭痛に顔を歪めた。
同時にカイエンの全身から殺気が放出されるのを肌で感じる。
しかし、興奮していたリーチはカイエンの殺気に気づかなかったのだろう。
「おいおい、Sクラスの冒険者みたいなことを言うんじゃねえよ。冒険者になる奴はそんな奴らばかりじゃねえ。自由に楽して暮らしたいと思っている奴が大半さ。もちろん、俺もそう思っている一人だ」
リーチは鉄斧を肩に担ぐと、おもむろに伊織に視線を向けた。
「危険で汚くて臭い迷宮に潜るなんざ、もうまっぴらごめんだ。Sクラスの冒険者の資格さえ手に入れば、あとはやりようによってはいくらでも金が入ってくる。魔法学院の武術教官になるも良し、金持ちの豪商の護衛に就くも良しだ……くくく、笑いが止まらねえぜ」
それに、とリーチは口の端を吊り上げる。
「万が一、あのオッサンが天掌板の顕現方法を教えなかったとしても、そのときは弟子の女を盾にぶち殺してやる。あんな屈辱的な真似までしたのに、それを無下にした罪はちゃんと償ってもらわない――」
とな、とリーチが言おうとしたときだ。
「もうよい……それ以上、喋るな」
カイエンの口から、威厳のある声が漏れた。
「見下げ果てたわ。人の道を外れてまで己の強さを極める男と思ったからこそ、お主らの企みに加担したというのに……いや、伝承作品に目が眩み、気を急いた拙者の不覚でもあるか」
直後、カイエンはリーチに殺意を込めた視線を飛ばした。
このとき、ようやくリーチはカイエンの殺気に気づいたのだろう。
「ああん? 何だ、その目は?」
リーチは肩に担いでいた鉄斧の先端を、カイエンに突きつける。
「俺と闘ろうってんのか? だったらそれでも構わねえぜ。どのみち、てめえには最後に死んでもらう予定だったからな」
「何だと?」
カイエンは怪訝な顔つきになる。
「てめえだけじゃねえよ。今回の一件に関わった奴らは、最初から全員殺す予定だったのさ。あのオッサンから無理やり天掌板の顕現方法を聞き出したあと、冒険者ギルドに駆け込まれて難癖をつけられても面倒だからな。今回の一件を知らない奴は、それこそ少ないに越したことはねえ」
「そうか……だったら遠慮はいらぬな」
カイエンはリーチから伊織に顔を向けた。
「娘、死にたくなければ顔を伏せていろ」
「え?」
思わず伊織は頓狂な声を発した。
「そのままの意味だ。死にたくなければ、顔を伏せて目を閉じていろ。もしも、お主がこれから起こることを見ていた場合、お主も一緒に殺さねばならなくなる」
理由は不明だったが、伊織はカイエンの言う通り顔を伏せて両目を閉じる。
カイエンの迫力が、どこか武蔵に通じるものがあったからだ。
「何を訳の分からねえことをほざいてやがる。てめえはここで死ぬんだよ。だが、余計な真似をしないって言うなら楽に殺してやってもいいんだぜ?」
「それはこちらの台詞だ」
視覚を遮断した伊織の耳に、カイエンの声が聞こえてきた。
まったく臆することも、怯む様子もない声がである。
「馬鹿な野郎だ、そんなに苦しんで死にたいなら望み通りに苦しませて……殺して……や……る……」
続いて聞こえてきたのはリーチの声だった。
しかし、こちらはどうも様子がおかしい。
徐々にリーチの言葉が尻すぼまりになっていったからだ。
見えないので分からなかったが、まるで信じられないようなものを見たような言い方である。
「死ね」
と、カイエンの無慈悲な一言が聞こえてきた。
その直後である。
伊織の耳にリーチの「ば、化け物!」という叫び声が聞こえてきたのだ。
それだけではない。
やがて何かが割れるような鈍い音と、リーチの悲鳴が伊織の耳朶を打った。
「娘、もう目を開けても構わぬぞ」
どれぐらいの時間が経っただろうか。
伊織は言われるまま、おそるおそる顔を上げて両目を開ける。
「――――――――ッ!」
伊織は思わず息を呑んだ。
そこには自身の鉄斧で、自分の頭部を割られて絶命しているリーチがいた。
大きく口で呼吸しようとしても、肺がそれらを拒んでいるのが分かる。
(ここは……)
伊織は意識を覚醒させながら、閉じていた両目を薄く開けていく。
視界に入ってきたのは、日本人には馴染みの深い光景だった。
所どころ穴が開いている木製の壁に、敷地面積の広い板敷きの床。
そして今は焚かれていない護摩壇が見える。
まるで大きな寺の本堂のような場所だ。
続いて伊織は、自分の置かれている現状を把握する。
どうやら自分は座らされた状態で、太い柱に背中を預けられているようだ。
また背中に両手を回されており、互いの手首を縄できつく締められて拘束されている。
幸いなことに足首は拘束されてなかったが、それでも自由に動けるとはほど遠い状態であった。
それこそ目立った行動を取ろうものなら、すぐに今よりもひどい状況になるのは火を見るよりも明らかである。
なぜなら、こんな状況を作ったであろう張本人たちが向こうにいたからだ。
「それで……上手く相手には伝わったんだろうな?」
「間違いねえっす」
伊織の数メートル先には、輪になって話をしている数人の男たちがいた。
「店の中に人影が見えたのを見計らって射ましたから……だけど、何なんっすかあの男は? まともに射った矢を素手で掴むなんて普通じゃねえっすよ」
「当たり前だ。あのオッサンの強さは並じゃねえ。それこそ、飛んで来た矢を掴むぐらいの芸当は簡単に出来るだろうさ」
男たちは全員で五人。
一人は鉄斧牛のリーチであり、残りの三人は空き地に現れた男たちだ。
だが、伊織が気になったのはもう一人の男であった。
全身黒ずくめの隻腕の男である。
「まあ、どういう形であれ伝わったんなら上出来だ。ご苦労だったな。最後にお前らはオッサンの案内役を頼むぜ。変なところに迷い込まれて、ここに来ませんでしたじゃ意味がねえからな」
三人の男たちは互いの顔を見合わせた。
「待ってくだせえ、リーチの旦那。俺たち全員で行く意味あるんっすか? 案内役が必要なら一人でも十分では?」
馬鹿野郎が、とリーチは怒声を上げる。
「一人で行ったって信用されねえかもしれねえだろうが。てめえら三人でちゃんとあのオッサンに事情を説明してここへ連れて来い。分かったな!」
三人の男たちはリーチに頭が上がらなかったのだろうか。
あまり納得していない様子ながらも、三人の男たちは渋々と外へ出て行く。
「……ったく、三下の分際でごちゃごちゃと言いやがって。てめえらは俺様の言うことを素直に聞いていればいいんだよ」
チッ、と舌打ちしたリーチ。
そんなリーチは伊織が目を覚ましていることに気づくと、伊織に向かって身の毛がよだつような下卑た笑みを向ける。
「よう、お姫様。やっと起きたな。どうだ、寝覚めのほうは?」
伊織は無言のまま、リーチに射貫くような鋭い眼光を飛ばした。
律儀に答えるまでもない。
すべてが最悪であった。
今の自分が後ろ手で縛られて不自由になっていることや、リーチに殴られた腹部に鈍痛が残っていることなどすべてがである。
「声に出さなくても言いたいことは分かるぜ。だが、こうなったのはあのオッサンのせいなんだからな。あのオッサンが素直に俺を弟子に取っていればこんな真似をせずに済んだんだから、恨むならお前の師匠であるオッサンを恨めよ」
これには伊織も驚きのあまり口が半開きになった。
開いた口が塞がらないとは、まさにこのことである。
弟子になることを断られたという理由で、このような蛮行に出るなど狂気の沙汰以外の何物でもない。
一体、リーチは何を考えてこんな真似をしたのだろう。
まさか自分を人質に取ったことをいいことに、弟子入りを断った武蔵に暴力を振るって憂さを晴らすつもりなのか。
だとしたら、あまりにもリーチの取った行動は幼稚でタチが悪すぎる。
などと伊織が思っていると、黒ずくめの男の口から低い笑い声が漏れた。
「天理の法を会得したいがため、その男の弟子を人質に取って無理やり聞き出そうとは愉快な男だ。まさに外道という言葉がこれほど似合う男もおるまい」
「いけねえか? あんただって似たようなもんじゃねえか。たかが刀の一本や二本欲しいからって、わざわざ武器屋のガキを拉致ったんだからよ。他人のことは言えねえぜ……え~と、確かあんたはカイエンって言ったっけか?」
黒ずくめの男――カイエンは「確かにな」と頷く。
「拙者もお主と同様、人の道を外れた単なる外道よ。なればこそ、利害が一致している我らは共闘する意味がある」
リーチは大きく首を縦に振った。
「俺はあのオッサンから天掌板の顕現方法を、あんたは継承作品とかいう刀を手に入れる。そのためにオッサンに刀を持ってくるよう、矢に手紙を巻きつけて伝えるなんざよく思いついたもんだ」
二人の意味不明なやりとりに、伊織は眉間に深くしわを寄せた。
(私を人質にお師匠様から天掌板の顕現方法を聞き出す? それに伝承作品の刀を手に入れるために子供を誘拐したって……)
そのとき、伊織はカイエンの後ろにあった護摩壇の横に、一人の子供がいることに気がついた。
マサミツである。
しかもマサミツも後ろ手に縛られて拘束されていたのだ。
殴られて気絶させられているのか薬で眠らされているのかは分からなかったが、マサミツはぴくりとも動かずに床に倒れている。
「正体を明かさずに用件を伝えるには、矢文を使うのがもっとも効果的だからな。むろん、あのミヤモトムサシという男が文の内容に大人しく従った場合だが」
「従うさ。あのオッサンの気質は、ムカつくぐらいに義侠心と師弟関係にうるせえことだ。だったら、何としてでも弟子を取り戻しに来るだろうぜ」
吐き捨てるように言ったリーチは、床に置かれていた鉄斧を手に持った。
「なるほど……そしてお主はあの男から天理の法を聞き出し、晴れてSクラスの冒険者となった暁には武人として名を挙げるというのだな。見上げた貪欲さよ。その信念は我ら大倭国のサムライに通じるものがある」
リーチはカイエンの言葉に目を丸くさせた。
「はあ? 武人として名を挙げる? 馬鹿なこと言うなよ。俺がSクラスの冒険者になりたいのは、そんなくだらねえ功名心のためじゃねえ」
金だ、とリーチはきっぱりと言い切った。
「あんたは知らねえかもしれねえが、Sクラスの冒険者になるとアルビオン魔法学院の武術教官になれる資格が手に入るんだよ。あの魔法学院のだぜ」
リーチは鼻息を荒げながら言葉を続ける。
「魔法学院の武術教官にさえなっちまえば、それこそ金には困らねえ生活が待ってるんだよ。何せ闘いの基本も知らない素人にちょっと武術を教えるだけ、こそこそ迷宮に潜って稼ぐことが馬鹿らしくなるほどの大金が入ってくるんだ。狙わねえ手はねえだろうが」
興奮して話しているリーチを遠目に、伊織はカイエンの表情が徐々に変化していくのを見逃さなかった。
カイエンは、次第に無表情になっていく。
「リーチとやら……お主は楽な生活をしたいがために、Sクラスの冒険者になりたいのか? 男として武人として生まれたからには、強さを求めて名を挙げることに命を懸けるのが筋というものであろう」
このとき、伊織はちくりとした頭痛に顔を歪めた。
同時にカイエンの全身から殺気が放出されるのを肌で感じる。
しかし、興奮していたリーチはカイエンの殺気に気づかなかったのだろう。
「おいおい、Sクラスの冒険者みたいなことを言うんじゃねえよ。冒険者になる奴はそんな奴らばかりじゃねえ。自由に楽して暮らしたいと思っている奴が大半さ。もちろん、俺もそう思っている一人だ」
リーチは鉄斧を肩に担ぐと、おもむろに伊織に視線を向けた。
「危険で汚くて臭い迷宮に潜るなんざ、もうまっぴらごめんだ。Sクラスの冒険者の資格さえ手に入れば、あとはやりようによってはいくらでも金が入ってくる。魔法学院の武術教官になるも良し、金持ちの豪商の護衛に就くも良しだ……くくく、笑いが止まらねえぜ」
それに、とリーチは口の端を吊り上げる。
「万が一、あのオッサンが天掌板の顕現方法を教えなかったとしても、そのときは弟子の女を盾にぶち殺してやる。あんな屈辱的な真似までしたのに、それを無下にした罪はちゃんと償ってもらわない――」
とな、とリーチが言おうとしたときだ。
「もうよい……それ以上、喋るな」
カイエンの口から、威厳のある声が漏れた。
「見下げ果てたわ。人の道を外れてまで己の強さを極める男と思ったからこそ、お主らの企みに加担したというのに……いや、伝承作品に目が眩み、気を急いた拙者の不覚でもあるか」
直後、カイエンはリーチに殺意を込めた視線を飛ばした。
このとき、ようやくリーチはカイエンの殺気に気づいたのだろう。
「ああん? 何だ、その目は?」
リーチは肩に担いでいた鉄斧の先端を、カイエンに突きつける。
「俺と闘ろうってんのか? だったらそれでも構わねえぜ。どのみち、てめえには最後に死んでもらう予定だったからな」
「何だと?」
カイエンは怪訝な顔つきになる。
「てめえだけじゃねえよ。今回の一件に関わった奴らは、最初から全員殺す予定だったのさ。あのオッサンから無理やり天掌板の顕現方法を聞き出したあと、冒険者ギルドに駆け込まれて難癖をつけられても面倒だからな。今回の一件を知らない奴は、それこそ少ないに越したことはねえ」
「そうか……だったら遠慮はいらぬな」
カイエンはリーチから伊織に顔を向けた。
「娘、死にたくなければ顔を伏せていろ」
「え?」
思わず伊織は頓狂な声を発した。
「そのままの意味だ。死にたくなければ、顔を伏せて目を閉じていろ。もしも、お主がこれから起こることを見ていた場合、お主も一緒に殺さねばならなくなる」
理由は不明だったが、伊織はカイエンの言う通り顔を伏せて両目を閉じる。
カイエンの迫力が、どこか武蔵に通じるものがあったからだ。
「何を訳の分からねえことをほざいてやがる。てめえはここで死ぬんだよ。だが、余計な真似をしないって言うなら楽に殺してやってもいいんだぜ?」
「それはこちらの台詞だ」
視覚を遮断した伊織の耳に、カイエンの声が聞こえてきた。
まったく臆することも、怯む様子もない声がである。
「馬鹿な野郎だ、そんなに苦しんで死にたいなら望み通りに苦しませて……殺して……や……る……」
続いて聞こえてきたのはリーチの声だった。
しかし、こちらはどうも様子がおかしい。
徐々にリーチの言葉が尻すぼまりになっていったからだ。
見えないので分からなかったが、まるで信じられないようなものを見たような言い方である。
「死ね」
と、カイエンの無慈悲な一言が聞こえてきた。
その直後である。
伊織の耳にリーチの「ば、化け物!」という叫び声が聞こえてきたのだ。
それだけではない。
やがて何かが割れるような鈍い音と、リーチの悲鳴が伊織の耳朶を打った。
「娘、もう目を開けても構わぬぞ」
どれぐらいの時間が経っただろうか。
伊織は言われるまま、おそるおそる顔を上げて両目を開ける。
「――――――――ッ!」
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