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エピローグ

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 まだ気だるい温度を残しつつも、季節は秋へと移り変わっていた。

 時期的には九月の半ばに突入していたが、やはりまだ夏の暑さが残っている。

 だが、残っているのは暑さばかりではなかった。

「お~い、そこの釘の束を取ってくれ!」

 と頭の上から声がすると、木材の上に腰掛けて休憩していた少女は顔を上げた。

「あいよ!」

 元気よく返事をしたのはイエラであった。

 短かった茶色の髪は肩の位置まで伸びており、上半身には汚れてもいいような半袖シャツ。下にはカットジーンズを穿き、両手には軍手が装着されている。

 イエラは隣に置かれていた木箱の中から釘の束を取り出すと、傍に立てかけてあった梯子を慎重に登っていく。

「気をつけろよ。この辺りはまだ取り付けたばかりで耐久性が薄いからな」

「ちょっと、こわいこと言わないでよ」

 イエラが登った場所は木造建物の屋根であった。と言っても外装は剥き出しで、中が丸見えの状態。その中で唯一取り付けてあったのが屋根の部分であり、そこにイエラは釘の束を持って上がってきたのである。

「何だ、お前いつから高所恐怖症になったんだ? 前は平気だったろう」

 父親のカールの指摘を受け、うぐっとイエラは口をどもらせた。

 震えていた。屋根の部分に上がったときから、イエラは震えながら四つん這いの状態でカールの元まで這って進んでいったのである。

 カールの元に着くなり、イエラは「どうでもいいでしょう」と釘の束を思いっきり投げつけた。投げつけられた釘の束を難なくキャッチしたカールは、笑いながら作業へと戻っていく。

「あんな体験したら誰でも高所恐怖症になるっつうの」

 イエラはカールに聞こえないくらい小さな声でポツリと漏らす。

「ん? 何か言ったか?」

「ううん、何でも」

 カールからそっぽを向けたイエラは、屋根の中心部分へと慎重に這っていく。

 屋根の中心部分には煙突にする骨組みが出来ており、いい手すりになった。

「大分復旧してきたかな?」

 煙突の骨組みに手をかけながら、イエラはそこから見える街の様子を一望した。

 屋根から見えるミセオンの街並み。まだ所々痛々しい傷跡が残っていたが、やはり人間は逞しい。一ヶ月前はほとんど焼け野原だったミゼオンが、今ではたくさんの人たちの復旧活動により以前の姿を取り戻しつつあった。

 その中には駐留軍の災害派遣部隊や他国からのボランティア団体の姿もちらほらと見え、この調子でいけば後二ヶ月ほどで復旧が完了するかもしれない。

 何せ近所に住んでいた老人の話では、内戦に巻き込まれたときは今よりももっとひどい有様だったらしい。それに、このミゼオンには建築技術に長けた人間が大勢いる。多分何とかなるだろう。

「イエラ、サボってないで働け! 新居がいつまで経っても完成しないぞ!」

 カールの怒声に、イエラは見向きもせずに手を振った。

「わかったよ……ただ、もう少し見させてよ」

 感慨に耽っているイエラを見て、カールは持っていた金槌で肩を叩いた。

「まったく、ひでえよな。俺たちの街で爆弾テロを起こすなんざ。もう犯人は捕まったらしいが、それでもこの様だ」

 爆弾テロ。一ヶ月前のミゼオンが崩壊しかけた事件の真相はそう知られていた。

 死者五百十二名、行方不明者二百六名という犠牲者を出した大惨事は、タード国内に潜伏していたテロ組織が引き起こした爆弾テロと駐留軍から公表され、事態はひとまず解決を見た。

 だが、犠牲になった中には他国からの旅行者も多く含まれ、これが引き金となり再び国境紛争に発展するのではないかと黒い噂も流れた。

 駐留軍お得意の情報操作である。駐留軍は事態を収拾できなかった結果に怯え、わざと偽りの情報を流して事件の真相を揉み消したのだ。

 そうとしかイエラには考えられなかった。

 何故なら、イエラは現場の中枢にいたのである。

 他人に話しても絶対に信じてもらえない御伽噺以上の現実の話。それは直に目撃したイエラでさえ、今思えばどこか夢のように感じる。

 あれは現実だったのか。夢じゃなかったのか。何度も何度も自問自答したが、ミゼオンの街並みを見る度にあれが現実の出来事だったと思い知らされる。

 化け物と魔法使いが死闘を演じた、疑う余地もない現実の出来事だったと。

 だからこそ誰にも話さない。頭がおかしくなったと疑われることも嫌だったが、それ以上に他人に話さない理由があった。

「イエラお姉ちゃん!」

 突如、イエラの足元からやけに元気な声が聞こえてきた。

 イエラはミゼオンの街並みから声が聞こえた下のほうに顔を向けると、屋根の下に母親のサブリナと一緒に木の籠をぶら下げた少女がいた。

 金色の長髪を風になびかせ、イエラと違ってピンクのワンピースを着た可愛いらしい格好をしている。

 カサンドラである。

 それは間違いなく、シモンの一人娘であったカサンドラであった。

「な~に、もうお昼!」

 イエラの呼びかけにカサンドラを嬉しそうにうなずいた。パンや飲み物が入った木の籠を掲げ、「お昼、お昼」と飛び跳ねている。

 その愛くるしい表情を見て、イエラもつられて笑顔になる。

 イエラが他人に真実を話さない理由の一つがカサンドラであった。

 本人は今までの記憶をなくしていたが、カサンドラは事件の当事者なのである。

 あのとき、大通りの路地で女神像が暴れ回った際に何人かの人間にカサンドラは目撃されていた。もちろん、その後の大惨事によりうやむやになったかもしれないが、それでももしかしたらという懸念もある。

 ここは自分一人の胸の中に収めておくのが懸命であった。

 それに、これは約束でもあった。

 女神像の化け物と戦った一人の魔法使いと一匹の竜。

 その激しい戦いが終わると、竜の背中に乗っていた自分は人気のない場所でひっそりと降ろされた。そして後から追いついた魔法使いは、一人の少女を抱いていた。
 その少女がカサンドラであった。

 魔法使いは意識を失っていたカサンドラを優しく地面に寝かせると、驚く自分にこう言った。
  
 ――この子はもう大丈夫だ。かろうじて消えかけていた命を留めることができた。だからイエラ、この子を頼む。この子が今回の一番の被害者なんだ。
  
 そう言った魔法使いは、最後に「すまない」と漏らしながら竜の背中に乗って飛び立っていった。

 それから一ヶ月、最初は言葉も十分に話せなかったカサンドラだったが、家族の一員として過ごしていくうちにすっかり元気になった。

 家族も家族で両親はもう一人娘ができたと喜び、今では本当の家族のように楽しい毎日を送っている。

 だから言わないでいい。言う必要なんかない。

「今日もいい天気」

 顔を上げて空を仰いだイエラは、雲の間から降り注ぐ日差しに片目を閉じた。

 一人の魔法使いと一匹の竜の姿を思い浮かべながら。

  

 同時刻――。

「へっくしッ!」

 どこかの林道を歩いていたロングコート姿の男は、身体をくの字に曲げるほどの豪快なくしゃみをした。

 すかさず隣にいたメイド服姿の女性が声をかける。

「風邪ですか? シュミテッド」

 ずずずっと鼻を啜ったシュミテッドは、鼻先を親指でピンと弾いた。

「おそらく、誰かが俺の噂をしているのだろう。ふふふ、まいったな」

 照れながら頭を掻きむしるシュミテッドに、リンゼが無表情でツッコんだ。

「安心してください、シュミテッド。そんな特異な趣味の持ち主は三千世界には一人も存在しませんから」

 リンゼのきつい一言に、シュミテッドはうぐっと口をどもらせた。

「そんな戯言よりも……」

 背中に巨大なリュックを背負いながら、リンゼは自分よりも前を歩いているシュミテッドに話しかけた。

「あのままでよろしかったのですか?」

「あのままって?」

 シュミテッドは振り向いた。

「イエラさんに何もかも押し付けた形になってしまったことです」

 ああ、あのことか。そんな顔を見せると、シュミテッドはニカッと笑った。

「いいんじゃねえの。〈マナの欠片〉も無事に回収できたし、イエラも承諾してくれた……それに」

「それに?」

 一拍の間を置いて、シュミテッドが平然と言い放った。

「ああやって颯爽に消えたほうが何かカッコよかっただろう?」

 自分自身に親指を突きつけたシュミテッド。その姿を呆然と見つめていたリンゼは、しばらくして右手をリュックの入り口に突っ込み何かを取り出した。

「おい、待てッ! は、早まるなッ!」

 リンゼが取り出したものは、調理用のフライパンであった。しかし何度か調理以外で使われた形跡があり、淵の部分にへこんだ箇所が何個か確認できた。

「わかりました、二秒待ちます。その後はすぐに実行しますからあしからず」

「うわああああああああ―――ッ!」

 どこかの林道に響き渡るシュミテッドの絶叫。

 そしてきっちりと二秒間待ったリンゼは、一目散に逃げていくシュミテッドの後頭部めがけてフライパンを投げ放った。

 辺りから聞こえてくる鳥の鳴き声に混じり、林道にはとてもいい音が鳴り響いた。




〈了〉
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