蒼いクジラとネジ巻き人間

JEDI_tkms1984

文字の大きさ
66 / 101

15 翔破-3-

しおりを挟む
 薄曇りの中に浮かびあがるイルミネーションの草原は、輪郭の曖昧な光芒をそこかしこに伸ばしていた。

 ここに集うのはあくまで敬虔な信徒ばかりのハズだった。

 だが時が経つにつれ騒ぎに乗じて有象無象がたむろする催事に成り下がってしまった。

 法外な値段で飲食物を売りつける露店が並び、華やかな通りは信仰とは無縁の、異性との出会いを求める不埒者が行き来している。

 教団非公認のグッズを売り歩く輩、密かに薬物の売買を行なう者もいる。

 一方、信心深い者たちはクジラへの畏敬から、そうした派手な言動を慎んでいた。

 クジラ教の信徒はこの日に備えて身を清め、巡礼の列をしずしずと歩く。

 より徳を積んだ信者は錫杖を手に列の前を行く。

 教団は各地に礼拝所を設けており、信者たちは各地域の支部から礼拝所を目指す。

 その一団は小規模なところで十数人、要所であれば数百人にものぼる。

 そのため巡行者の列は蛇のように長くたなびくが、その列がわだかまったり途切れたりすることはない。

 巡行を妨害することは許されていないからだ。

 狼藉を働けば信徒を護衛する騎士にただちに斬られる。

 クジラ教を含め、いくつかの主要な教団には政府から様々な自由が認められている。

 武具を持ってそれを使用することも、私兵を組織することも国に与えられた正当な権利だ。

 だから命が惜しい者は言葉で教団を批判することはあっても、暴力に訴えることはしない。

 したがって狂騒の坩堝と化した一帯も、信者たちが近づいてくると途端に静まり返る。

「今夜、我々は偉大なるクジラ様の御威光を拝するであろう!」

 大教祖は町の中央にそびえる神殿の屋上にいた。

 ここからは町を一望できる。

 彼らが所有する建造物の中では最も天に近い場所だ。

 最高幹部を左右に従え、選ばれた数百名の信者たちを前に老女は手に持った鈴を何度も鳴らした。

「ここに祈り、全てを捧げよ。我らはクジラ様と共にある」

 大教祖の体は震えていた。

 彼女は凡百の宗教家とはちがう。

 幼い頃、落雷に撃たれ生死の境をさまよったあの日から、彼女は不思議な力を授かったのだ。

 それはおぼろげながら未来を見通す目。

 いわゆる予知能力だ。

 各地で起こる山火事や洪水を、この老女はことごとく言い当ててきた。

 それらが見えるのだ。

 漠然と。

 だが確かに。

 山が燃え上がる光景、水が押し寄せる様。

 まるで擦りガラスを通して見たように、ぼんやりと頭の中に浮かび上がってくる。

 彼女はそれを神からのお告げ、ということにした。

 こうすれば万が一、その能力を失ってもお告げが降りてこない、と言い訳ができる。

 また見えるといっても鮮明でないので予言がはずれる場合もある。

 その際には予言の解釈を誤ったことにすればいい。

 重要なのは大教祖としての神秘性、尊厳性を守ることだ。

 当たれば自分の功績に、はずれれば神の責任に。

 そうして今日までこの地位を維持してきた。

 そんな彼女が震えてしまうのは、これまでとは決定的に異なる何かを見たからだ。

 火災でもなければ洪水でもない。

 地震や火山の噴火ともちがう。

 それは今までに見たことのない光景。

 クジラから放たれる神々しい光だ。

 それしか分からないから、彼女には予言――つまり神のお告げ――について詳しく言及することができない。

 とはいえ何かが起こるのは間違いない。

 だから彼女は自分が見たものを、クジラの威光だの恵みだの新世界の幕開けだのと、適当な言葉でごまかして伝えてきた。

 苦肉の策だったのだ。

 今夜起こるであろう何事かについて無視を決め込んでいたとしたら、明日以降の彼女の立場は危うくなる。

 重大事なのにお告げを聞くことのできない、ただの老婆と謗られるにちがいない。

 そうなれば尊厳は保てず、信者が離れてしまう。

「祈れよ! 心を潔くせよ! 偉大なるクジラ様をお迎えするのだ!」

 恐れることは、もうひとつ。

 自身が見た光景そのものだ。

 クジラから放たれた光は視界いっぱいに広がり、世界を包み込んだ。

 しかしそこから先は何も見えないのだ。

 地震にせよ洪水にせよ、それらが過ぎ去っても後はある。

 災害によって蹂躙された都市や、そこから復興していく過程が必ずあるハズだ。

 だが今回の予知には続きがない。

 光に包まれたままなのか、その光がやがては消えるのか、それさえも分からない。

 たいていの事柄を見てきた彼女にとり、”分からない”は恐怖でしかない。

 このとてつもない不安感から逃れるには、人々の熱狂が必要だった。

 煽り、浮かれ騒ぎ、妄信するのは信者でなくともかまわなかった。

 とにかくひとりでも多く、今夜起こる奇跡のために集ってくれさえすれば。

 自分はそれら有象無象の一部になれる。

 正体不明の恐怖を、お祭り騒ぎが和らげてくれる。

 クジラにまつわる事柄だから、公権力も必要以上に介入しては来るまい。

 むしろ官も民も一緒になって盛り上げてくれれば、それだけ苦しみは遠ざかる。

「私たちは全てを捧げます! 偉大なるクジラ様のために!」

 信者たちの追従が心地良い。

 今夜、何が起こるのかは分からないが、それが過ぎれば自分はこれまで以上に尊ばれるにちがいない。

 名声が得られ、信徒は増え、布施も集まる。

 そのためのしばしの荊の道だと思えば、彼女も少しは気が紛れた。

「………………」

 夜空の向こうには、まだ何も見えない。

 だが彼女には見えていた。

 じきにクジラは姿を現す。

 そして漆黒のカーテンを乱暴に引き裂き、昼よりも明るく世界を照らす。

 その後、どうなるのか――。

 彼女はゆっくりと目を閉じ、未来を見ようとした。

 見えたのはまぶたの裏の暗闇だけだった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

僕に仕えるメイドは世界最強の英雄です1~またクビになったけど、親代わりのメイドが慰めてくれるので悲しくなんてない!!~

あきくん☆ひろくん
ファンタジー
仕事を失い、居場所をなくした青年。 彼に仕えるのは――世界を救った英雄たちだった。 剣も魔法も得意ではない主人公は、 最強のメイドたちに守られながら生きている。 だが彼自身は、 「守られるだけの存在」でいることを良しとしなかった。 自分にできることは何か。 この世界で、どう生きていくべきか。 最強の力を持つ者たちと、 何者でもない一人の青年。 その主従関係は、やがて世界の歪みと過去へと繋がっていく。 本作は、 圧倒的な安心感のある日常パートと、 必要なときには本格的に描かれる戦い、 そして「守られる側の成長」を軸にした 完結済み長編ファンタジーです。 シリーズ作品の一編ですが、本作単体でもお楽しみいただけます。 最後まで安心して、一気読みしていただければ幸いです。

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

魚夢ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました

佐倉穂波
恋愛
 転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。  確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。 (そんな……死にたくないっ!)  乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。 2023.9.3 投稿分の改稿終了。 2023.9.4 表紙を作ってみました。 2023.9.15 完結。 2023.9.23 後日談を投稿しました。

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

【完結】竜騎士の私は竜の番になりました!

胡蝶花れん
ファンタジー
ここは、アルス・アーツ大陸。  主に5大国家から成り立つ大陸である。  この世界は、人間、亜人(獣に変身することができる。)、エルフ、ドワーフ、魔獣、魔女、魔人、竜などの、いろんな種族がおり、また魔法が当たり前のように使える世界でもあった。  この物語の舞台はその5大国家の内の一つ、竜騎士発祥の地となるフェリス王国から始まる、王国初の女竜騎士の物語となる。 かくして、竜に番(つがい)認定されてしまった『氷の人形』と呼ばれる初の女竜騎士と竜の恋模様はこれいかに?! 竜の番の意味とは?恋愛要素含むファンタジーモノです。 ※毎日更新(平日)しています!(年末年始はお休みです!) ※1話当たり、1200~2000文字前後です。

【完結】異世界で魔道具チートでのんびり商売生活

シマセイ
ファンタジー
大学生・誠也は工事現場の穴に落ちて異世界へ。 物体に魔力を付与できるチートスキルを見つけ、 能力を隠しつつ魔道具を作って商業ギルドで商売開始。 のんびりスローライフを目指す毎日が幕を開ける!

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

処理中です...