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「自分一人でよくここまでこれたな」
ダイスケが一番最初に発した言葉がそれだった。嫌味にも取れそうな言葉ではあるが、決してそうでないことは彼の表情から容易に読み取れた。彼はただ、つい今しがた到着したばかりの新参者を、面白おかしくからかっているだけなのだ。
「駅の中すごかっただろ。なにがなんだか、意味がわからなかったんじゃないか?」
とダイスケは言葉を続け、ふっ、と小さな笑みを零した。その表情はまるで、世界有数のターミナル駅は――もっと言えば、ここ東京は、自分たちの生まれ育った田舎町とはなにもかもが違うだろう、と言っているようである。
まさしくその通りであった。事実、一度も経験したことのない駅の混雑ぶりに、ユウキの頭は全くついていくことができなかった。
ランドセルを背に黙々と歩を進める小学生の女の子。派手な服を着て大声で話をする若者の群れ。くたびれた様子でベンチに座る中年のサラリーマン……。
右を見ても左を見ても周囲は黒山の人だかりで、ユウキは身動き一つ取るのでさえやっとだったのである。
構内の雑踏の中には、ホームレスと思しき老齢の男たちの姿もよく目についた。ユウキは彼らに対しても大きな驚きを覚えた。今までの人生で、一度もホームレスを目にしたことがなかったからだ。
しかしそれ以上にユウキを驚かせたのは、彼らの目の前を平然と通り過ぎてゆく多くの通行人だった。誰一人表情を変えず、そして彼らに目を向けようとしない。それはいかにも、彼らは自分たちとは違う人種、というふうであり、そもそも彼らは人にあらず、というふうでもあった。
ユウキはそのことに少なからずショックを受けた。東京の人々がつくり出す異様な光景に、空恐ろしさを感じたからである。しかし同時に、ここが東京なんだな、と妙な感慨を抱いたのも事実だった。
ユウキはその後、やっとのことで指定された場所までたどり着き、ダイスケと何年ぶりかの再会を果たした。彼は例の通り、二言三言ユウキに軽口を叩き、ユウキは思わず苦笑いを浮かべた。
二人はしばしのあいだ互いの近況を報告し合った。
やがて二人の話が落ち着き始め、そろそろ、といった時に、ユウキはふと周囲の道ゆく人々に視線をやった。その時ユウキの瞳に映ったのは、忙しなく足を動かし続ける「大都市東京」の姿であった。
「ここが、東京……」
「そう」
ダイスケは小さく頷いた。「ここが、東京」
東京――ユウキは胸の内で何度も繰り返した。
洗練された街、煌びやかな街、なんでもあって、なんでもできる街――
この町を出る――そう決意して、ユウキは二十五歳の春に自分の生まれ育った土地を離れた。両親に何度も引き留められたが、娯楽の少ない田舎町は退屈で退屈で仕方がなかった。
農家である父親が、自分に農業を継がせるつもりでいたことは、ユウキも薄々気づいてはいた。だがユウキは長い間そのことに気づかぬふりを続けていた。やはり地元以外の土地に住んでみたい、との思いが強かったのである。
地元以外、と言っても、ユウキの頭に東京以外の選択肢はなかった。洗練された街、煌びやかな街、なんでもあって、なんでもできる街……テレビの中の東京は、その全てが魅力的であったのだ。
実際、東京の大学に進学した級友たちは、東京がいかに洒落た街で、魅力あふれる都市であるかをユウキによく語って聞かせた。そのたびにユウキは羨望を覚え、東京への憧れをますます募らせていったのであった。
いつか、絶対東京に――ユウキはいつの頃からか、そう心に決めていた。
別段お金の問題があるわけではなかった。東京へ、と決めた時からこつこつ貯金を増やしていったからだ。
ユウキを悩ませたのは、衣・食・住の、住の部分だった。そこで相談に乗ってもらったのが、小中高を共に過ごした友人のダイスケである。彼は高校卒業後、すぐに地元を離れ東京へ向かった。
頭の良かった彼がなぜ進学を選択せず、すぐに東京を目指したのかは今でも謎のままである。単に、自分と同じくなにもない田舎町に辟易していたからだろう、とユウキは推測している。そんな彼は現在、音楽関係の仕事に従事しているらしい。だから今の生活は昼夜が逆転している、と以前ぼやいていた。
ダイスケとは頻繁に連絡を取り合っていたわけではない。しかしそれでも彼はユウキにとって、親しい友人の一人に違いなかった。
「ここを出て、東京にいこうかと思っている」
「……いいんじゃないか? お前がそう決めたんなら」
電話の向こうでダイスケは、こいよ、とも、慎重になれ、とも言わず、淡々とした様子で友人の話に耳を傾けてくれた。そして最終的に、引っ越し先が見つかるまで自分の部屋で寝泊まりするのはどうか、と提案してくれたのである。
そのことにユウキは心の底から喜んだ。東京で暮らせることも嬉しかったが、なにより親しい友人とこれから一緒に生活する――そのことに強い興奮を覚えたのだった。まるで遊び盛りの高校生に戻れるような、そんなうきうきした気分になれた。
その後、二人は何度か電話で連絡を取り合い、いつの日に、どこで落ち合い、どうやって引っ越し先を探すかなど、それら一切をじっくり話し合った。
そうしていよいよ翌日出立するという、その日の晩に、ダイスケが言った。
「じゃあ明日、東京で」
東京で——そのなにげない一言は、ユウキに激しい高揚感をもたらした。もう明日だ、明日には東京にいるんだ。そんなことを頭の中で何度も反芻した。
ダイスケとの通話を終えた後、ユウキは吐息を一つつき、右手で握る携帯電話にゆっくり視線を向けた。そしてこう思ったのだった。
この画面の向こうに東京がある。世界と繋がる、大都市東京が。これから先、自分の瞳に映るであろう光景は、楽しくてしょうがないものになるに違いない——
ユウキはなんの根拠もなく、そう確信していた。
ダイスケが一番最初に発した言葉がそれだった。嫌味にも取れそうな言葉ではあるが、決してそうでないことは彼の表情から容易に読み取れた。彼はただ、つい今しがた到着したばかりの新参者を、面白おかしくからかっているだけなのだ。
「駅の中すごかっただろ。なにがなんだか、意味がわからなかったんじゃないか?」
とダイスケは言葉を続け、ふっ、と小さな笑みを零した。その表情はまるで、世界有数のターミナル駅は――もっと言えば、ここ東京は、自分たちの生まれ育った田舎町とはなにもかもが違うだろう、と言っているようである。
まさしくその通りであった。事実、一度も経験したことのない駅の混雑ぶりに、ユウキの頭は全くついていくことができなかった。
ランドセルを背に黙々と歩を進める小学生の女の子。派手な服を着て大声で話をする若者の群れ。くたびれた様子でベンチに座る中年のサラリーマン……。
右を見ても左を見ても周囲は黒山の人だかりで、ユウキは身動き一つ取るのでさえやっとだったのである。
構内の雑踏の中には、ホームレスと思しき老齢の男たちの姿もよく目についた。ユウキは彼らに対しても大きな驚きを覚えた。今までの人生で、一度もホームレスを目にしたことがなかったからだ。
しかしそれ以上にユウキを驚かせたのは、彼らの目の前を平然と通り過ぎてゆく多くの通行人だった。誰一人表情を変えず、そして彼らに目を向けようとしない。それはいかにも、彼らは自分たちとは違う人種、というふうであり、そもそも彼らは人にあらず、というふうでもあった。
ユウキはそのことに少なからずショックを受けた。東京の人々がつくり出す異様な光景に、空恐ろしさを感じたからである。しかし同時に、ここが東京なんだな、と妙な感慨を抱いたのも事実だった。
ユウキはその後、やっとのことで指定された場所までたどり着き、ダイスケと何年ぶりかの再会を果たした。彼は例の通り、二言三言ユウキに軽口を叩き、ユウキは思わず苦笑いを浮かべた。
二人はしばしのあいだ互いの近況を報告し合った。
やがて二人の話が落ち着き始め、そろそろ、といった時に、ユウキはふと周囲の道ゆく人々に視線をやった。その時ユウキの瞳に映ったのは、忙しなく足を動かし続ける「大都市東京」の姿であった。
「ここが、東京……」
「そう」
ダイスケは小さく頷いた。「ここが、東京」
東京――ユウキは胸の内で何度も繰り返した。
洗練された街、煌びやかな街、なんでもあって、なんでもできる街――
この町を出る――そう決意して、ユウキは二十五歳の春に自分の生まれ育った土地を離れた。両親に何度も引き留められたが、娯楽の少ない田舎町は退屈で退屈で仕方がなかった。
農家である父親が、自分に農業を継がせるつもりでいたことは、ユウキも薄々気づいてはいた。だがユウキは長い間そのことに気づかぬふりを続けていた。やはり地元以外の土地に住んでみたい、との思いが強かったのである。
地元以外、と言っても、ユウキの頭に東京以外の選択肢はなかった。洗練された街、煌びやかな街、なんでもあって、なんでもできる街……テレビの中の東京は、その全てが魅力的であったのだ。
実際、東京の大学に進学した級友たちは、東京がいかに洒落た街で、魅力あふれる都市であるかをユウキによく語って聞かせた。そのたびにユウキは羨望を覚え、東京への憧れをますます募らせていったのであった。
いつか、絶対東京に――ユウキはいつの頃からか、そう心に決めていた。
別段お金の問題があるわけではなかった。東京へ、と決めた時からこつこつ貯金を増やしていったからだ。
ユウキを悩ませたのは、衣・食・住の、住の部分だった。そこで相談に乗ってもらったのが、小中高を共に過ごした友人のダイスケである。彼は高校卒業後、すぐに地元を離れ東京へ向かった。
頭の良かった彼がなぜ進学を選択せず、すぐに東京を目指したのかは今でも謎のままである。単に、自分と同じくなにもない田舎町に辟易していたからだろう、とユウキは推測している。そんな彼は現在、音楽関係の仕事に従事しているらしい。だから今の生活は昼夜が逆転している、と以前ぼやいていた。
ダイスケとは頻繁に連絡を取り合っていたわけではない。しかしそれでも彼はユウキにとって、親しい友人の一人に違いなかった。
「ここを出て、東京にいこうかと思っている」
「……いいんじゃないか? お前がそう決めたんなら」
電話の向こうでダイスケは、こいよ、とも、慎重になれ、とも言わず、淡々とした様子で友人の話に耳を傾けてくれた。そして最終的に、引っ越し先が見つかるまで自分の部屋で寝泊まりするのはどうか、と提案してくれたのである。
そのことにユウキは心の底から喜んだ。東京で暮らせることも嬉しかったが、なにより親しい友人とこれから一緒に生活する――そのことに強い興奮を覚えたのだった。まるで遊び盛りの高校生に戻れるような、そんなうきうきした気分になれた。
その後、二人は何度か電話で連絡を取り合い、いつの日に、どこで落ち合い、どうやって引っ越し先を探すかなど、それら一切をじっくり話し合った。
そうしていよいよ翌日出立するという、その日の晩に、ダイスケが言った。
「じゃあ明日、東京で」
東京で——そのなにげない一言は、ユウキに激しい高揚感をもたらした。もう明日だ、明日には東京にいるんだ。そんなことを頭の中で何度も反芻した。
ダイスケとの通話を終えた後、ユウキは吐息を一つつき、右手で握る携帯電話にゆっくり視線を向けた。そしてこう思ったのだった。
この画面の向こうに東京がある。世界と繋がる、大都市東京が。これから先、自分の瞳に映るであろう光景は、楽しくてしょうがないものになるに違いない——
ユウキはなんの根拠もなく、そう確信していた。
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