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番外編【薫視点】俺が恋人を甘やかす理由
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それ以来憎しみを理由に唯斗をいじめることはなくなった。その代りに俺はその涙を味わいたいがために彼を泣かせるようになった。
俺に全幅の信頼を置くようになった彼を泣かせるのは容易かった。優しくした後、ちょっと突き放してやったら彼は大きな目に涙を溜めて俺を見つめたものだ。美しく浮かび上がるその雫を舐め取ると、普段なんの味もしない舌にピリッとするくらいの甘い刺激が走る。そして俺が「冗談だよ」と言えば彼はすぐに笑顔になった。
(馬鹿な唯斗……)
清らかな彼の微笑みを見ていると、俺の喉の渇きは癒やされたはずなのに胸の辺りがずきずきと痛んだ。
彼は身体が弱かったけど、頭もあまり良くなかった。取っ替え引っ替え薬を飲まされていていつもぼんやりしていたのだ。今になってみるとそれは彼のケーキの症状を抑制するためのものだったとわかる。副作用で考える能力が落ちるようで、とてもじゃないが議員の父の後継者などにはなれそうもなかった。しかしそれでも旦那様は唯斗を可愛がっていた。
俺は唯斗にも幸せなだけじゃなくて同情すべき部分があるのかもしれないと思うようになった。しかしそれでも彼を泣かせる行為をやめることができずにいた。
そしてある日とうとう彼の涙を舐めているところを俺の母親に見つかってしまった。
「薫あなた何してるの――!?」
俺の味覚がおかしくなっていることは隠し通せていたのに、欲望に負けて唯斗の涙を啜っているところを見られたのだ。
千堂の家にやっかいになってから、母の精神はずっと不安定だった。使用人として住まわせて貰っていたが、実際のところ母は掃除の一つもろくにこなせていなかった。母のことを心配した千堂夫人が母に付き添っていて、家に居るときはいつも二人で一緒に過ごしていた。
母はこの件をきっかけに俺がフォークとして発症したことに気付いて、いよいよ錯乱状態に陥った。
そして俺が15歳のときに彼女は睡眠薬と向精神薬を過剰摂取して帰らぬ人となった。俺は自分のあんな姿を見られたせいでこうなったと思うとショックで呆然となった。葬儀と埋葬が済んだ後もずっと気分が塞いでいて自室にこもっていた俺のところに唯斗がやってきた。自分用に出されたお菓子を食べずにとっておいて、俺に食べさせようと持ってきたのだ。こちらへおずおずと差し出して言う。
「薫、お腹空いたでしょ? おやつだよ。食べて」
「――いらない。出てけよ」
俺はその時、脳天気な御曹司の顔を見る気になれなかった。それに、こんな時でも彼の匂いを嗅いだ途端に胃が空腹でぐっと引きつるのを感じ、怒りがこみ上げてきた。
(このせいで母さんが死んだっていうのに俺は……!)
俺の冷たい言葉を聞くとすぐに涙目になる唯斗が、唇を引き結んだまま一歩も引かずにそこに佇んでいた。
「でも……食べないと、元気出ないよ?」
彼はチョコレートの封を切って「このチョコすごく美味しいんだよ」と言いながら俺の口元に持ってきた。俺は咄嗟にそれを手で払った。チョコレートが床に落ちる。
「あっ……」
「こんなものいらない! どうせなんの味もしないんだからな!」
誰にも怒鳴られたことなど無い彼はびっくりしてとうとう涙を溢した。しかし、大声を出されて怯えているはずなのに彼は震えながらこう言った。
「ごめんね、薫。お腹が痛いの? 僕が撫でてあげる」
泣きながら華奢な手で俺の腹を撫でる唯斗から、ふわりと空腹を刺激する香りが漂ってきた。俺は母が亡くなってから数日の間何も口にしておらず、胃は空っぽだった。気付いた時には、俺は唯斗を床に組み伏せて半袖から伸びる細い腕に歯を立てていた。
「いっ……!」
噛んだ部分から血が滲み、涙とは比較にならないほどの甘い味が俺の渇ききった舌にじわりと染み込んだ。
(うまい……うまい! なんだこれ、甘い……!)
しばらく夢中で滲み出る血を飢えた犬のように啜っていると、腹が満たされ正気を取り戻してきた。その間唯斗は抵抗らしい抵抗もせずに唇を噛み無言で耐えていた。
俺は羞恥で全身熱くなりながら、口を離した。
(俺はなんてことを――)
愕然として彼を見ると、唯斗は俺に言った。
「お腹が空いてるなら……食べていいよ」
「なっ――……」
一点の曇りもない清らかな瞳が静かに俺を見ていた。そして彼は反対の腕をこちらに差し出した。
俺はぞっとして唯斗のそばから離れ立ち上がった。唯斗はケーキ症やフォーク症のことなんて知らない。ただ、俺のために身を差し出している。俺にはなんの価値もないっていうのに。
誰からも愛されて可愛がられている彼が、俺なんかのために――。
「悪かった……唯斗ごめん。もうしない、絶対にもうしないから」
俺は床に這いつくばって彼に謝った。そして心の底から自分の過ちを恥じた。
俺がこの時感じた恐怖を今も忘れない。それは何か神聖なものを前にした畏怖の念であり、自分のせいで彼を失うかもしれないという恐怖でもあった。いつの間にか俺は、妬みや憎しみの感情を超えて唯斗の存在を必要不可欠なものと思うようになっていたのだ。
俺は母親を守ることはできなかった。しかし唯斗は生きている。俺はそれ以来唯斗を守るために生きようと心に誓った。
彼のためなら何でもする――と。
俺に全幅の信頼を置くようになった彼を泣かせるのは容易かった。優しくした後、ちょっと突き放してやったら彼は大きな目に涙を溜めて俺を見つめたものだ。美しく浮かび上がるその雫を舐め取ると、普段なんの味もしない舌にピリッとするくらいの甘い刺激が走る。そして俺が「冗談だよ」と言えば彼はすぐに笑顔になった。
(馬鹿な唯斗……)
清らかな彼の微笑みを見ていると、俺の喉の渇きは癒やされたはずなのに胸の辺りがずきずきと痛んだ。
彼は身体が弱かったけど、頭もあまり良くなかった。取っ替え引っ替え薬を飲まされていていつもぼんやりしていたのだ。今になってみるとそれは彼のケーキの症状を抑制するためのものだったとわかる。副作用で考える能力が落ちるようで、とてもじゃないが議員の父の後継者などにはなれそうもなかった。しかしそれでも旦那様は唯斗を可愛がっていた。
俺は唯斗にも幸せなだけじゃなくて同情すべき部分があるのかもしれないと思うようになった。しかしそれでも彼を泣かせる行為をやめることができずにいた。
そしてある日とうとう彼の涙を舐めているところを俺の母親に見つかってしまった。
「薫あなた何してるの――!?」
俺の味覚がおかしくなっていることは隠し通せていたのに、欲望に負けて唯斗の涙を啜っているところを見られたのだ。
千堂の家にやっかいになってから、母の精神はずっと不安定だった。使用人として住まわせて貰っていたが、実際のところ母は掃除の一つもろくにこなせていなかった。母のことを心配した千堂夫人が母に付き添っていて、家に居るときはいつも二人で一緒に過ごしていた。
母はこの件をきっかけに俺がフォークとして発症したことに気付いて、いよいよ錯乱状態に陥った。
そして俺が15歳のときに彼女は睡眠薬と向精神薬を過剰摂取して帰らぬ人となった。俺は自分のあんな姿を見られたせいでこうなったと思うとショックで呆然となった。葬儀と埋葬が済んだ後もずっと気分が塞いでいて自室にこもっていた俺のところに唯斗がやってきた。自分用に出されたお菓子を食べずにとっておいて、俺に食べさせようと持ってきたのだ。こちらへおずおずと差し出して言う。
「薫、お腹空いたでしょ? おやつだよ。食べて」
「――いらない。出てけよ」
俺はその時、脳天気な御曹司の顔を見る気になれなかった。それに、こんな時でも彼の匂いを嗅いだ途端に胃が空腹でぐっと引きつるのを感じ、怒りがこみ上げてきた。
(このせいで母さんが死んだっていうのに俺は……!)
俺の冷たい言葉を聞くとすぐに涙目になる唯斗が、唇を引き結んだまま一歩も引かずにそこに佇んでいた。
「でも……食べないと、元気出ないよ?」
彼はチョコレートの封を切って「このチョコすごく美味しいんだよ」と言いながら俺の口元に持ってきた。俺は咄嗟にそれを手で払った。チョコレートが床に落ちる。
「あっ……」
「こんなものいらない! どうせなんの味もしないんだからな!」
誰にも怒鳴られたことなど無い彼はびっくりしてとうとう涙を溢した。しかし、大声を出されて怯えているはずなのに彼は震えながらこう言った。
「ごめんね、薫。お腹が痛いの? 僕が撫でてあげる」
泣きながら華奢な手で俺の腹を撫でる唯斗から、ふわりと空腹を刺激する香りが漂ってきた。俺は母が亡くなってから数日の間何も口にしておらず、胃は空っぽだった。気付いた時には、俺は唯斗を床に組み伏せて半袖から伸びる細い腕に歯を立てていた。
「いっ……!」
噛んだ部分から血が滲み、涙とは比較にならないほどの甘い味が俺の渇ききった舌にじわりと染み込んだ。
(うまい……うまい! なんだこれ、甘い……!)
しばらく夢中で滲み出る血を飢えた犬のように啜っていると、腹が満たされ正気を取り戻してきた。その間唯斗は抵抗らしい抵抗もせずに唇を噛み無言で耐えていた。
俺は羞恥で全身熱くなりながら、口を離した。
(俺はなんてことを――)
愕然として彼を見ると、唯斗は俺に言った。
「お腹が空いてるなら……食べていいよ」
「なっ――……」
一点の曇りもない清らかな瞳が静かに俺を見ていた。そして彼は反対の腕をこちらに差し出した。
俺はぞっとして唯斗のそばから離れ立ち上がった。唯斗はケーキ症やフォーク症のことなんて知らない。ただ、俺のために身を差し出している。俺にはなんの価値もないっていうのに。
誰からも愛されて可愛がられている彼が、俺なんかのために――。
「悪かった……唯斗ごめん。もうしない、絶対にもうしないから」
俺は床に這いつくばって彼に謝った。そして心の底から自分の過ちを恥じた。
俺がこの時感じた恐怖を今も忘れない。それは何か神聖なものを前にした畏怖の念であり、自分のせいで彼を失うかもしれないという恐怖でもあった。いつの間にか俺は、妬みや憎しみの感情を超えて唯斗の存在を必要不可欠なものと思うようになっていたのだ。
俺は母親を守ることはできなかった。しかし唯斗は生きている。俺はそれ以来唯斗を守るために生きようと心に誓った。
彼のためなら何でもする――と。
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