嫌われ王女はパン屋の娘

りう

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1章 嫌われ王女、大国に嫁ぐ

約束破りは毒の池

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「あの死体はどこからの刺客だ!」
王城の騎士の訓練場にある一室で、クロヴィエは苛立ちをそのままに声を荒げた。
雲の上とも思われる王子からの叱咤に、兵士たちが震えた。

王子の護衛を任されている騎士たちならいざしらず、本来なら顔を合わせても視線は合わせないだろう王族の、――しかも普段は温厚で寛容な王子の怒鳴り声に、ただ身を震わせるしかなかった。
本当ならば、この仕事は単純で単調であったはずなのに、鍛錬後の疲れを癒やす、日向の形ばかりの警備、警備と名ばかりの監視。

小国の我儘王女を横目で嘲るための――つかの間の娯楽であったはず、だった。

怒鳴りつけるクロヴィエ王子から、すべての兵士は俯いて視線をそらしている。

「申し訳ございません」
「お前はいい! 問題は王女の護衛を任せた兵士たちだ」

クロヴィエ王子はそう言いながらも、ゲルドを睨みつけている。
ふう、と息を吐き自分を戒めた。

「――衛兵が気付かなかったのには、私が敷いた体制に問題があったやもしれませぬ。
 早急に問題解決をするためにも、事情を聞かねばなりません。クロヴィエ様、怒りをお鎮めください」
「そんな事情は知らん! 知らないが俺はあの女に『衛兵くらいはつけてやる』と言った。
 ――あいつは捨て置く女ではあるが、父上が、王国が次代の王の妃として迎えた王女だ!
 お前たちはそれを守る任を受けたのだぞ!」

苛々と言葉を重ねるクロヴィエ王子に、一同はだた萎縮するだけである。
その緊張を破ったのは、慌ただしく入室した従者カルカだった。

「王子! クロヴィエ様、スカーレット様の従者が」

カルカはその細い目を最大限に見開いた顔をクロヴィエに向け、大きく叫んだ。
その後続いた報告に、王子はまた声を荒げた。




カルカがその現場に遭遇したのは、奇しくもスカーレット王女と王子と他の妃との会食を調整するためであった。
小国から嫁いだ王女が、過去の罪を内包した小さな塔に留め置かれてしまった。それ故に、他の妃や側室達との交流が絶たれてしまったのだ。
多忙な王子に代わって世話をするようにと受けていたカルカは、初日にスカーレットから受けた毒を持った抗議に耐え切れず、その職務を離れてしまった。あれよあれよという間に、その失敗は許容され、王女は塔に住み着いてしまったのだから、カルカにとっては更に居心地の悪いことになってしまった。
いつもびくびくと体を震わせて後ろに隠れているようなカルカは、それでも有能であった。挽回をするためにと、会食の予定を調整し、各所の見回りをしていたところだった。

食堂の裏の、調理場を伺おうとカルカが数人の従者とともに訪れた時、すでにそこにカリアがいた。

「スカーレット様は食事をご所望です」

そう言った女は、美しい容姿をしていたが、その表情には色がなく、感情の欠落した洞穴のような瞳が恐ろしく、皿洗いの女はへなへなとそこにへたりこんだ。

いつからいたのか、どうやって侵入したのか。
ひいい、と引き連れた声を聞きつけた料理係の少年が、震える喉を首で抑えて「誰か、誰か来てください」と呼びかけた。しゃがれた少年の声に駆けつけた兵とともに、カルカはそこにたどり着いた。

「あなたは」

カルカは、その女に見覚えがあった。
カルカはクロヴィエ王子の命令のまま、過去の罪をそのままに汚れて使いものにならない部屋にスカーレットを捨て置いたその時に、無表情にもこちらを睨むその女に体を震わせていたからだ。感情を抑えこんだその瞳から、体が冷えるようなそれが、殺気であったと、後にカルカは気づく。

「スカーレット様は食事をご所望です」

繰り返すその言葉は平坦で、波もなく、しかし突き刺すような鋭さを持っていた。

「食事はこち、こちらで作ります」

職人の矜持か、そう料理長がようやく答えると、ふ、と息の漏れる音が聞こえた。

「スカーレット様は、暗殺者にその身を狙われ、心労に倒れておいでです。
このような状況で、敵の侵入を許し、そのまま傍観していたクロヴィエ様と食事をするとは、姫を毒の海に晒すも同じです」

淡々と告げられ、その場の全員が目を見開いた。

「そんな! 暗殺者が侵入しただなんて」

カリアは大声にも動じない。ただ驚きに声をあげたカルカを、無表情ながらも冷たい温度をともなった目で見る。
強大なこの国は、その城も強固な警備があたりまえで、今まで一度も暗殺者を内側に入れたことはなかった。
それが事実と言われても、末端の――料理人やメイドたちは、未だ現実ではないような気がしてくる。

「……本日の、食事会は」
「我が主人は心労に倒れております」
「その、では食事をお持ちすればよろしいですか」

ぱくぱくと口を動かすだけの料理人に代わり、カルカが口を開いた。料理人と同じく震えていたが、それでも相手を見据えられたのは、塔での視線よりは眼差しに含むものがなかったからだろう。

「必要はありません」
「ではどうしろと」
「――小麦を分けていただければそれでよい」

そう言われて、一袋避けていた小麦を取り出そうと、少年がのろのろと動いた。
しかしカリアは、料理長が粉を掬い上げていた小麦を指差す。

「そんな、使い差しでいいんですかい」

たまらずに近くの下女が声をかけた。
す、と視線だけ動かして、カリアは答えた。

「王子のための料理に使っていた小麦なら、毒が入っている可能性は低いでしょう」
「は」
「俺たちの誰かが、王女に毒を入れるとでも、そんな侮辱があるか!」

その場の料理人たちが怒り出す。怒号こそ飛び交わないももの、緊迫感を伴う視線に、カルカはその細いめを更に眇めては腹を押さえた。
カリアはそれに応えることもなく、引き当てた小麦袋の口を縛る。
ついでとばかりに空で陣を切った時、陣は光に変わり、小麦袋を包んだ。
同時に袋は浮き、カリアに従うように動き出した。

「魔法?」と口に出した子どもは、口を開けたままその光景を見つめた。

この世界に存在する魔法は、詠唱や媒介を必要とする。
簡易な陣は魔法をある程度保有する者であれば、発動が可能である。
しかし、陣に魔法を通すためには、灰や聖水で練り上げた魔法液を使うことが一般的であった。

空に描くことで発動する類の魔法は、術者に技術がなければできない。

単に火や水を生み出す魔法は城下の魔法使いもよく使う。しかしカリアが発動したのは、物を浮かせ、従うように動かす魔法だ。よりも遥かに高度であるそれは、本来なら魔法使いよりもランクが上の、魔術師が行使するものである。
なぜ、魔術師たる技術を持つ者がメイドであるのか。この場の誰もが疑問に思い、そして理由が見つからなかった。

「あなたは魔術師なのですか」

それはカルカの精一杯の問いであった。
――しかしそれに応えることもなく、カリアはその場を後にした。
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