公爵様、どうか僕を忘れてください

まんまる

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9.理不尽な仕打ち

あまりの痛さに、声も出なかった。

「な、なに、を⋯、ああぅっ!」

ようやく言葉を絞り出すと、今度は尖ったヒールで、お腹を思い切り踏みつけられた。

「黙りなさい!こんな貧相な体でフィンセント様を誘うなんて!なんて穢らわしい男なの!」
「痛っ!やめて!やめて下さい!」

僕がどんなに懇願しても、令嬢は怒り狂ったように、僕のお腹を踏み続けた。

「フィンセント様は、王命で仕方なくあなたと結婚したのよ!あなたさえいなければ、私がフィンセント様の妻になっていたはずなのに!」
「うぅっ⋯、やめて、くだ、さい、ぐぅっ!」
「穢らわしい!穢らわしい!フィンセント様に何度抱かれたの!私のフィンセント様なのに!」

何度もお腹を踏まれ、血の味が込み上げてきて、気が遠くなり始めた時だった。

ヒヒーン

僕を踏みつけないように足を踏ん張っていたテラが、突然いなないた。

「な、何よ!この馬!」

ヒヒーン

テラが興奮している。
きっと、僕を守ろうとしてくれているのだろう。

「うるさいわね!汚らしい家畜の分際で!」

令嬢がテラに向かって扇子を振り上げた。

「や、やめてっ!」

僕がどうにか力を振り絞り、テラに寄りかかりながら立ち上がると、今度は僕を睨みつけて、扇子を振り下ろした。

「おやめ下さい!」

僕がぎゅっと目をつぶった瞬間、離れの方から大きな声が聞こえた。
そっと目を開けると、侍女長がこちらに走って来るのが見えた。

助かった、そう思った。

「オディーヌ様!なりません!」
「どうして止めるの!私は、この下賤の者に罰を与えていただけよ!私のフィンセント様に、色目を使ってたらし込んだ罰よ!」
「それ以上はなりません。オディーヌ様の素晴らしい扇子が傷んでしまいます」

えっ⋯?
侍女長は、何を言ってるの?

「それに、公爵令嬢ともあろうお方が、うまやなどに近づいてはいけません。ここは下賤の者しか入らない場所です。⋯そう、この者のような」

侍女長は、じとりと僕を見てきた。
その目は、まるで僕を蔑んでいるようだった。

「ルディア様がいけないのです」
「えっ?」
「ルディア様は、旦那様のお言い付けを破って、勝手に離れを抜け出した。オディーヌ様は間違って、無礼を働いたうまや番に罰を与えられた、ただそれだけです」
「ち、違う!僕はちゃんと、フィンセント様に許しをもらいました!」

あまりに理不尽な事を言われて、僕が思わず叫ぶと、令嬢はわなわなと震えながら、扇子を僕の目の前に突きつけた。

「おだまり!お前ごときが、私のフィンセント様の名前を馴れ馴れしく呼ぶなんて、許さない!」

またいつ暴力を振るわれるか分からず、恐怖で足がすくんだ。
でもこの1ヶ月、フィンセント様はちゃんと僕を伴侶として扱ってくれた。
僕はなけなしの勇気を振り絞って、令嬢に言い返した。

「僕は、フィンセント様の正式な伴侶です。だから、あなたのフィンセント様ではありません」

すると、令嬢の顔は怒りでみるみる赤くなり、吊り上がった目と口角が、わなわなと震え始めた。
血走った目が僕を睨みつけ、それはまるで、人を喰らう鬼のようだった。

「黙りなさいっ!!」

令嬢が扇子を振り下ろした時、僕はテラに横に押しやられた。

バシッ

ブルルッ

「テラっ!?」

テラは身を呈して、僕を守ってくれた。
でもそれは、令嬢がますます激昂する理由を与えただけだった。

「許さない⋯、許さないっ!!!」

令嬢は叫びながら、テラを何度も扇子で打ち据えた。

「やめてっ!!やめてぇっ!!!」

「うるさいっ!!!」

バシッ バシッ バシッ バシッ

「やめてぇーーーっっ!!!!!」

「黙れぇーーーっっ!!!!!」

ゴッ

「うっ、うぅっ」

令嬢が怒りの限りに振り下ろした扇子が、僕の額に命中した。
僕は一瞬目の前が真っ暗になり、ふらふらと地べたに座り込んだ。
額から生温かいものが流れ、咄嗟に手の平で押さえると、ぬるりと濡れた感覚がした。小刻みに震える手を額から離して恐る恐る確かめると、真っ赤な血がべっとりとついていた。

「オディーヌ様、もうそれくらいで。この者には私がしっかり言い聞かせますので」

興奮する令嬢とは真逆に、侍女長は終始冷静に僕を見ていた。その冷たい目が空恐ろしくて、全身が震えて粟立った。

「ルディア様、この方はワイル公爵家ご令嬢、オディーヌ様でございます。あなたが現れなければ、オディーヌ様はフィンセント様とご結婚されるはずでした。私共バウアー公爵家使用人一同、公爵令嬢であるオディーヌ様にお仕えできる事を心待ちにしておりました。あなたが全て台無しにしたのです」
「そ、そんな⋯、僕は、ただ⋯」

僕だって、戸惑ったんだ。
大好きな故郷を離れて王都に来たのも、全て王命に従っただけなのに。

そう言いたかった。

でも、僕にはもう、言い返す力も勇気も残っていなかった。
そんな僕をめつけるように見下ろし、オディーヌ様が言い放った。

「ふん!どこの馬の骨とも分からないお前には、このうまやがお似合いよ!そうだわ!いい事を思いついた!私が離れに住んであげるわ!フィンセント様がいらっしゃらない間、使用人達も主人がいなくて寂しいでしょう?ふふっ、フィンセント様が帰ってらっしゃるの、楽しみだわ!」

オディーヌ様は、重そうなドレスの裾を勢いよく翻し、僕とテラへの仕打ちなど、まるでなかったかのように、たのしげに笑いながら侍女長と共に去って行った。


額を押さえ力なく座り込む僕の頬を、冷たい木枯らしが無情に叩きつけていった。

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