公爵様、どうか僕を忘れてください

まんまる

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10.泡沫(うたかた)の温もり

いったい何が起こったんだろう⋯。

フィンセント様が陛下の外遊に同行され、僕に好意的に接してくれる使用人もいない中、それでも僕は、誰かの怒りを買うような生活をした覚えはない。
いつ僕が、こんなに理不尽な扱いを受ける程の事をしたと言うのか。
僕はただ、大好きなテラのお世話をしていただけなのに。

ズキッ ズキッ

「うぅっ⋯、痛⋯い」

打ち据えられた額が、心臓の律動に合わせて、ズキズキと痛んだ。
じっとしていても痛みは一向に治まらず、痛みと寒さで徐々に全身から体温が抜ける感覚がして、いつの間にか気を失っていた。






◇◇◇◇◇

「ん⋯」
「あっ!大丈夫ですか!?」
「あなたは⋯誰⋯?」

目が覚めると、僕は何かの建物の中にいた。
そこは小屋のような狭い造りの建物だったが、僕は簡素なベッドに寝かされ、少しほこりっぽい布団を掛けられていた。

「あなたが、僕を⋯?うぅっ⋯」

僕はぼんやりしながら体を起こそうとして、額の痛みで現実に引き戻された。
そうだ、僕、昨日⋯。

「あっ!まだ寝てないと駄目です!」
「す、すみません⋯、では、お言葉に甘えて」
「はい、どうぞ!あっ、あのっ!あなたは神様ですか!」
「えっ!?」
「僕、神殿によくお祈りに行くんです。そこで神様の絵を見た事があって、あなたを見た時にすぐ分かったんです!」

僕の目の前のまだ年若いその少年は、僕を見て瞳をキラキラと輝かせている。
僕が本当の神様なら、こんな事にはなっていないだろうと思ったけど、少年の夢を壊すのも気が引けて、僕は曖昧な笑顔を作った。

「君が僕を助けてくれたの?」
「はい。うまやを出た所で、神様が頭から血を流して倒れているのを見つけて、あっ、僕が見つけたって言うか、いつも落ち着いているテラが珍しく暴れていて、様子を見に行ったら神様が倒れていたんです」
「テラが⋯」
「はいっ、テラはとっても頭がいいんです」
「うん、そうだね、テラにお礼言わなきゃ、ってまだ君にもお礼を言ってなかったね。えっと、名前を教えてくれる?」
「あっ、はい。僕はジルといいます。まだ修行中ですけど、公爵家の厩番をしています」
「ジル、いい名前だね。ジル、ありがとう。ジルは僕の命の恩人だね。ジルが見つけてくれなかったら、僕は今頃⋯ 」

僕はそこまで言って、昨日の理不尽な仕打ちを思い出し、体がガタガタと震え出した。

「神様!大丈夫ですか!?どこか痛みますか?」

僕はあわあわと慌てふためくジルを落ち着かせる為に、ジルの手をそっと握った。
温かいジルの手に触れていたら、少し気持ちが落ち着いてきた。

「ジル、ごめんね。もう大丈夫だよ」
「ああ、良かった。神様の治療なんて誰に頼めばいいのか分からなくて、顔見知りの獣医の先生に頼んだのがまずかったのかと思った⋯」
「ぷっ」
「へっ?神様が笑った⋯」
「ふふっ、ジル、ありがとう」
「神様⋯あっ!僕、仕事しなくちゃ!あのっ、もし行く所なかったら、この部屋使ってください。ここは厩番が泊まり込む時に使っていた小屋なんですけど、あっちに新しい小屋が建って、ここはもう使ってないんです。⋯本当は新しい小屋に案内したいんですけど、先輩達がうるさいから」

見ず知らずの僕にこんなに親切にしてくれるなんて、ジルはなんていい子なんだろう。
きっと愛情をたくさんもらって育ったのだろう。

「ジル、ありがとう⋯。でも、ジル、1つだけ、僕と約束して欲しい事があるんだ⋯」
「はいっ、何でも言ってくださいっ」
「僕の事、誰にも話さないで欲しいんだ。それと⋯、ジル、もう、ここには来ない方がいい」

もし僕が誰かに助けてもらったって知られれば、オディーヌ様がきっと黙っていない。
ジルまであんな仕打ちを受けてしまったら、僕は正気を保てないかもしれない。
フィンセント様が戻って来られるまでは、どうにか命を繋がないと、今僕が逃げ出してしまったら、オディーヌ様と侍女長が、フィンセント様にある事ない事吹き込んで、僕をおとしめるだろう。
そうなってしまったら、ザカリー領の皆に迷惑を掛けてしまう。

「神様⋯、分かりました。でも、何かあったら、僕に言ってください。へへっ、おこがましいですけど、僕、神様の力になりたいんです」
「ジル⋯、ぐすっ、ありがとう、ジル」


ジルが小屋から出ていくのを見届け、僕は額に巻いてあった包帯を外した。もし怪我の手当をした事がバレてしまったら、色々勘ぐられてまずい事になる。
それから、部屋に残されていた防寒着のほこりを払い、それを着てテラのいるうまやに向かった。

「テラっ!昨日は僕を守ってくれてありがとう。テラも怖かったよね。でも、格好よかったよ。さすがフィンセント様の愛馬だね」

ブルル

テラはいつもと変わらず精悍な佇まいで、僕に返事をしてくれた。でも、その様子が気丈に振舞っているように見えて、僕は涙が込み上げてきた。

「ぐすっ、テラ、傷を見せて」

昨日、テラが打ち据えられた箇所を確認すると、傷を治療した跡があった。

「もしかして、獣医の先生が来たの?」

ブルル

「ジルが呼んでくれたんだね。ジル、ありがとう。うぅっ、ぐすっ、テラ、よかったね。うっ、うぅっ、くぅっ、うぅっ」

僕はテラにすがりついて泣いた。


その時だった。


「あら、生きてたの?」


その声を聞いただけで、全身が震え、内蔵までもが恐怖でおののいた。

僕がゆっくり振り向くと、やはりそこにはオディーヌ様が立っていて、馬の調教に使うむちを持って、にやりと気持ちの悪い笑顔を貼り付けていた。

「オ、オディーヌ様、何か僕にご用でしょうか」
「下賤の者が、公爵令嬢の私に勝手に口を利くなんて、お仕置が必要のようね」

オディーヌ様が振り下ろした鞭が空を切ると、ヒュンと乾いた音がして、冷えた空気が僕の頬をかすめた。

「や、やめてください!鞭で叩くなんて、僕が何をしたと言うのですか!」
「黙りなさい!フィンセント様に媚びを売って抱かれたくせにっ!」
「ち、違う!僕、そんな事してない!」
「ふん!どうせその髪の色も薬で染めているんでしょ!陛下とフィンセント様を騙した罰を、私が与えてあげるのよ!」

ヒュン

バシッ

「あああっっっ!!!い、痛い!!やめて!!」

ヒュン

「痛いっ!!あああっっ!!」

オディーヌ様は、テラにしがみつく僕の背中に何度も鞭を振り下ろした。
鞭がしなり、僕の背中に食い込む度に、僕は耐え難い激痛に気を失いそうになった。

ヒヒーン

「テ⋯ラ」

テラのいななきが、まるで慟哭に聞こえた。

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