公爵様、どうか僕を忘れてください

まんまる

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14.絶望の淵

「はぁはぁ、うっ、くっ、フィンセント様に、会わないと⋯」

折檻を受けて激痛が走る体が言う事を聞かない。
それでも足をひきずながら、本邸に辿り着いた。

公爵家のエントランスは、その威厳を示すように、とても広くて豪奢な造りになっている。ここを訪れた者は皆、羨望の溜め息をくだろう。
でも僕には、ここが奈落の底への入り口に見えて、言いようのない恐怖に襲われた。

それでも足を進めるしかないと決意して、壁伝いに歩こうとした時、ちょうど見知った顔の執事が見えて、慌てて声を掛けた。

「あのっ、フィンセント様にお会いしたいのですが、案内してもらえませんか?」

執事は満身創痍の僕を見て、目を見開いて驚いていた。

「ルディア様⋯、何かあったの⋯」

僕が真実を話しても、きっとこの人は信じてくれない。いや、この人だけじゃない。公爵家には、僕の味方など一人もいないだろう。
僕は執事の言葉を遮って叫んだ。

「フィンセント様に会わせてください!時間がないんです!」

僕の言い方に執事は気を悪くしたのか、少し不機嫌な顔になった。

「フィンセント様ですか⋯、それなら侍女長を通していただいてもよろしいですか?」
「⋯っ!駄目ですっ!侍女長には言わないで!」
「そう言われましても、あなたの事は全て侍女長に任せてありますので、私からはお取り次ぎは出来かねます。そもそも、あなたは離れから出る事を禁じられておられるのでは?」
「それは⋯」

このままフィンセント様に会えないのだろうか、そう思った時だった。


「誰かいるのか?」


エントランスから螺旋を描くように続く階段の上から、低く凛とした声が響いた。

僕のいる所からは死角になって姿は見えないけれど、この声は、フィンセント様だ。

知らないうちに、涙が頬を伝っていた。

どんなに拒絶されようとも、その声を聞いただけで、心が震えた。

「フィンセント様っ!あのっ!お話がっ!」

「ルディア⋯か?」

「はいっ!お願いします!少しだけでいいんです!僕の話を聞いてください!」

「⋯⋯と、言ったはずだ」

「えっ⋯?」

「顔を見せるな、と言ったはずだ」

冷たい血が駆け巡り、心臓がてついた。

それは、完全なる拒絶だった。

フィンセント様は、階下には下りて来なかった。
呆然とする僕の耳に、コツ、コツ、と遠ざかる足音が聞こえた。




ズッ ズッ

僕にはもう、歩く力も残っていなかった。

地べたに這いつくばり、小石に体を削られ、お腹の子に、ごめんなさい、と謝りながら、僕はどうにかうまやまで辿り着いた。

もう少しで、僕が身を寄せる小屋に着こうとした時だった。


「あんたが悪いのよ」


オディーヌ様の憎悪に満ちた声が、僕の頭上から降りかかった。

ああ、とうとう僕の命を取りに来たのか、そう思った。
でも、不思議と恐怖はなかった。
むしろ、これで楽になれる、とさえ思った。

「あんた、フィンセント様に、私の事を告げ口しに行ったわね」

もう、言い返す力も残っていない。

「くくっ、あんた、フィンセント様に構ってもらえなかったみたいね。でも約束は約束よ。あんたが約束を破ったからいけないのよ」

約束⋯?

「言ったわよね。フィンセント様に余計な事を言ったら、あんたの周りをうろつく⋯」

まさか⋯

「ジルに何かしたの!」

「うるさいわね!あの小姓が悪いのよ!あんたにひどい事をするな、なんて言って、地べたに額を擦りつけて、みっともないったらありゃしない!ちょっと蹴り上げたら、息をしなくなったのよ!私は悪くないわ!」

ヒュッ

喉の奥が詰まって、息が上手くできない。

いや⋯、いや⋯、いやあぁぁ!ジル、ジルぅっ!

「あ、あ、あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!ジルを返して!ジルを返してぇぇぇ!僕を殺せばよかったんだ!ジルは、ジルは、ただ、僕の為に、僕なんかの為に、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!」

心がえぐられる。
抉られた所に、冷たい血が濁流となって押し寄せてくる。

「うるさいわね!あんな平民、一人死んだところで誰も困らないわ!」

「返してえ え゛え゛え゛え゛ぇ!あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ!」

「知らないわよ!もうどこかに打ち捨てられてるわよ!」

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ」

オディーヌ様のドレスの裾に縋りついて、泣き叫んだ。

「ふん、あんたが悪いのよ。私のせいにしないでちょうだい」

オディーヌ様は、まるで汚い物でも見るような目つきをして、僕をドレスの裾で振り払うと、何事もなかったかのように、鼻歌を歌いながら去っていった。


あんな、人を殺す事など息をするくらい何も感じない人間に、清らかなジルの命が奪われてしまったのか⋯。






◇◇◇◇◇

「テラ、ジルがいないんだ⋯、探しても、探しても、ジルがどこにもいないんだ⋯」

ブルル

テラは僕の悲しみを感じているのか、そのつぶらな目が、泣いているように見えた。

「ジルは僕の事、ずっと神様って呼んでたんだ。
無邪気に笑って、可愛いよ⋯ね。ううぅ、僕が本物の神様なら、ぐすっ、僕が本当に神の愛し子だと言うのなら、ジルを生き返らせる事ができるのかな⋯」

ブルル

「ねえ⋯テラ⋯、僕を連れて行って。どこでもいいんだ。もう、終わりにしたいんだ。お願い、テラ、どこか一人になれる場所まで連れて行って欲しいんだ。僕はもう長くない。でも、絶対オディーヌ様に、僕の死に顔を見せる訳にはいかない。そんな事をしたら、オディーヌ様が喜ぶだけだ。テラ、これは僕の最後の足掻きなんだ」

ブルル

もう立つこともできない僕の前に、テラが足を折って背中を差し出してくれた。

「連れて行ってくれるの?」

僕にはテラが、頷いたように見えた。

テラの背中にどうにかよじ登ると、テラは僕を落とさないようにゆっくりと立ち上がり、手綱をくわえて、つんと引っ張った。

「テラ、手綱はしっかり握っておくから、テラが走りたいように走っていいよ」

テラは王都を駆け抜けた。
僕の銀色の髪が風になびいて、まるで僕も風になったみたいだった。

王都を抜けると徐々に民家も少なくなり、田畑が目立ってきた。
テラは土を蹴りながら走り続けた。



パカラッ パカラッ パカ⋯ラ

どのくらい来たのだろう、テラがゆっくりと止まった。

「ここは⋯、湖⋯?」

ブルル

春になったとは言え、もうすぐ日が沈もうといている今の時間になると、空気が冷えて肌を刺すようだった。

僕が身震いをすると、テラは心配するように顔を後ろに向けて、僕をじっと見つめてきた。

「テラ、大丈夫だよ。ここまで連れてきてくれてありがとう。降ろしてくれる?」

テラは一瞬躊躇ためらうような表情を浮かべ、前足を折って僕を降ろしてくれた。

「テラ、ありがとう」

僕はもう一度テラにお礼を言うと、テラのたてがみを何度も撫でた。

「テラ、この手紙をフィンセント様に渡して欲しいんだ。ここにくくり付けておくからね」

僕は小屋で見つけた紙に書いておいた手紙を、テラのくらに括り付けた。

「テラがいてくれてよかった。帰りは気をつけて帰るんだよ」


意識が遠くなる。
命がはかなくなっていくのが分かる。


「僕の赤ちゃん⋯、ごめんね、産んであげられなくて。もしも、神様の所に行けたなら、僕にいっぱいいっぱい、抱き締めさせて」


アイク、領地の皆、ごめんね。

ジル、僕もすぐに、そっちに行くからね。


フィンセント様、お子を道連れにして、申し訳ありません。


僕は最後の力を振り絞って、水際に立った。


ドボン


ヒヒーン


テラの慟哭のようないななきが聞こえた。





ゆらゆらと、真っ暗な湖の中に沈んでいく。

不思議と水の冷たさも、息苦しさも感じない。

湖の底が、ふわりと僕の体を受け止めた。


そして僕は、最期の時を迎えた。

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