灰の翼は自由を知らない

悠・A・ロッサ

文字の大きさ
3 / 48
第一章 静かなる占領

第3話 『灰翼』へようこそ

しおりを挟む
『カフェ・アーカイブ』
――奏が開いた店の名前だ。

南市の北端、古いレンガ造りの地下にあるその店は、まるで時代に置き去りにされた図書館のようだった。
本棚とレコードが並ぶその空間に、彼女がいると聞いた。
だからこそ、ここを選んだ。

数年前、この近くには、よく通っていた喫茶店があった。政治サークル時代の仲間と、くだらない理想を語っていた場所だ。
もう店も変わってるかもしれない。そう思いながらも、扉を押した。

「……いらっしゃい」

カウンターの奥から出てきた女性は、年季の入ったエプロンをつけていた。
肩までの髪はふんわりと落ち着いていて、細縁の眼鏡の奥に、昔と変わらない知性が揺れていた。

「小野寺……奏?」

彼女は静かに頷いた。

「まあ……珍しい顔。何年ぶりかしら?」
「十年……くらいですかね」
「そんなに経った? でも、目は変わってないわね」

そう言って、彼女は小さく笑った。

俺は一歩中へ入りながら、ふと店内の天井隅に設置されたカメラに視線をやった。
年代物のカメラだが、赤いランプが点滅している。

録画中、か。

「監視カメラ……動いてますね」
「ダミーよ。中身は空っぽ。『監視しているフリ』をしないとね」

悪戯っぽく微笑む。
その表情に、昔の教室を思い出した。

俺が学級新聞で『民政革新党の偏向報道』を書いたときも、真っ先に「面白いじゃない」と笑ってくれた人だ。

「今日は……どうしたの?」
「妹が……連れていかれて、仕事も……クビになって」

そこまで言いかけて、口をつぐんだ。
言葉にするには、あまりに全部が急すぎた。

「……なんて言うか、全部が音を立てて崩れていく気がして」

奏は頷いた。
その瞳は、何も詮索しないやさしさと、何かを試すような静けさを併せ持っていた。

「ただ、昔のことを思い出して。気づいたら足が向いてました」

奏は頷くと、俺をカウンター席に促し、ゆっくりとコーヒーを淹れ始めた。
カップを置き、ふと口元に笑みを浮かべる。

「そう…ちょうどよかった。今日は良い豆が入ってるわ」

俺がカウンターに腰を下ろすと、奏はコーヒーを差し出した。
一口含むと、焦げた豆の香りが鼻を抜けた。

「昔より苦いな」
「そっちが大人になったのかもよ」

笑った彼女の頬には、目立たないけれど深い皺が刻まれていた。
けれど、その表情はどこか、隠しているものがあるように見えた。

「それで、あなたはどうしたいの?」
「俺は…」
「もう正義はまっぴらって…あなたは昔言ってたわね」
「そう…思いました。あの時は、俺のせいでサークルも潰れて…だけど…」

―――だけど、誰よりも大切な沙耶は黙ってみていられることなのか?

「何かしたい。だけど、俺に何ができるのかわからない…」

古ぼけたテーブルの上の手をきつく握る。
顔をあげなくても、奏の視線が注がれているのを感じた。

「それでも、あなたはもう一度動こうとしてる」

問いかけに、迷いながら無言で頷く。

できることならなんでもしたい。
ただ、それが沙耶を追いつめることになるのが怖かった。
昔のように。

会話が途切れて短い沈黙が落ちる。

そのとき、奏は一枚のコースターをそっと滑らせた。
灰色の両翼が印刷されたそれを、意味ありげに指先でトンと示す。

「……え?これは……」

何かと問いかけようとしたその瞬間、晃の脳裏にふと、数日前に親友と交わした会話がよみがえった。

——あのとき、仁科佑真は、いつもの缶コーヒーを片手に、何気ない口調で言ったのだった。

「最近、【灰翼】とかいうレジスタンスの噂、聞いたことある?」

唐突な話題に、晃は思わず聞き返していた。

「……はいよく?」
「ああ、灰色の『灰』に翼って書いて灰翼。夜の公園でビラ配ってるとか、旧校舎に隠れ家があるとか。まあ……都市伝説だよ。中二病の延長ってやつ」
「くだらねぇ」
「だよな」

缶を開ける音が、小さく響いた。

二人でコーヒーを口に運んだが、佑真の目だけは、どこか俺を試すような色をしていた。

「それ、誰から聞いたんだよ」
「知り合いだよ。昔、学校の先生やってた人。『まだこの街には希望があるかもしれない』って、そんなこと言ってたよ。笑っちゃうけどな」
「なんか証拠とかあるのか」
「あるわけないだろ」
「……都市伝説って、そういうもんか」

そのときは、他愛もない雑談の一つだと思っていた。

でも今になって、あの目が――あの言葉が、じわりと意味を持ち始めていた。

「晃くん。あんたの正義、まだ死んでないんでしょ?」

「…」

長い沈黙のあと。
小さく、そして二度目はもう少し強く頷く。

黒く塗りつぶされていた胸の中に淡い光が差し込み、少し力が湧くのを感じた。

それを見定めるように、奏は、一枚の紙を差し出した。
そこには、手描きの地図と、日付だけが書かれていた。

晃は紙を受け取り、地図に記された一点を見つめた。

見慣れた街の中に、ぽつんと――まるで誰かの忘れ物のように、その場所は印がつけられている。

「ここは……旧港の倉庫群?」

「そう。『灰翼』の一部が動いてる。けど、そこにたどり着けるのは、覚悟を決めた人間だけ」
「……行けば、何か変えられるのか」
「それは、あなた次第よ」

時計の針が、夕暮れの光の中で静かに音を刻む。

「時間は、あまりない。次の『転送』はおそらく4月8日。3日後よ」
「……転送?」

晃はその言葉にひっかかった。

「何の話だ?」
「ある時点を越えると、特定の子たちは『矯正施設』から別の場所に送られる。正式には『適応支援課程・第二段階』って呼ばれてるけど、内部では『転送』って言うの」
「別の場所って……どこに?」

奏が表情を曇らせ、無言で首を振る。

「わからない…。ただ、戻ってきた子を私は知らない」

静かな店内で、その言葉だけがやけに重たく響いた。

晃は、目を閉じて深く息を吸った。
そして――立ち上がった。

カウンターに置かれた空のカップが、わずかに揺れた。

「じゃあ……俺は行く」

足音を響かせて扉へ向かう。
その背に、奏の声が届く。

「晃くん」

振り返ると、彼女はまっすぐにこちらを見ていた。

「もしその場所で、『昔の自分』にもう一度出会えたなら――どうか、今度は一人にしないであげて」

晃は何も言わず、わずかに頷いた。

ドアが開き、冷たい風が頬をかすめる。

その先には、変わってしまった街が広がっている。

けれどそのどこかに、まだ取り戻せるものがあると信じたくて、晃は歩き出した。

手の中には、小さな地図。
そして、心の奥には――まだ名前のついていない『決意』があった。

扉を閉じて歩き出した時、ふと、誰かの視線を感じた。
振り返っても、路地は静まり返っていた。

(……気のせい、か)

そう思いながらも、晃の背筋には、かすかな緊張が残っていた。



※この作品はアルファポリス大賞にエントリー中です。
ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
もし何か感じるものがあったら、「❤」や「お気に入り」で応援していただけたら嬉しいです。励みになりますし、続きを届ける力になります。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー

黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた! あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。 さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。 この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。 さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。

王国の女王即位を巡るレイラとカンナの双子王女姉妹バトル

ヒロワークス
ファンタジー
豊かな大国アピル国の国王は、自らの跡継ぎに悩んでいた。長男がおらず、2人の双子姉妹しかいないからだ。 しかも、その双子姉妹レイラとカンナは、2人とも王妃の美貌を引き継ぎ、学問にも武術にも優れている。 甲乙つけがたい実力を持つ2人に、国王は、相談してどちらが女王になるか決めるよう命じる。 2人の相談は決裂し、体を使った激しいバトルで決着を図ろうとするのだった。

処理中です...