灰の翼は自由を知らない

悠・A・ロッサ

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第二章 風を抱いて

第19話 声が交わる場所

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空調の効いた会場の空気は、どこか乾いていた。
文化交流センターの一室。
ガラス張りのエントランスには、「多文化共生フォーラム」の垂れ幕と、笑顔の案内係。

「ようこそ、未来の対話へ」

そんなコピーが掲げられていたが、どこか空虚だった。警備員の数は異様に多く、カナン語と日昇語が交互に流れるアナウンスが、規則正しく会場を満たしている。

晃は、胸の奥に小さな緊張を抱えながら控室へと向かった。

***

控室に入ると、隣の沙耶が小声で話しかける。

「ここ、意外と落ち着かないね」
「……まあ、仕方ない。舞台裏ってのは、そんなもんだ」

その時、ノックの音。
静かに扉が開き、出雲が姿を見せた。

「相変わらず、静かな登場だな」
「必要な時に、必要な形で現れるだけだ」

晃は出雲の顔を見つめながら、小さく息を吐いた。
「……お前の『正しさ』は、誰かを切り捨てるように見える時がある」

(正論で誰かを切る姿を、何度も見てきた──あの時と同じように)

出雲の表情は動かない。
だが、その無表情の奥に、ほんのわずかな揺らぎがあった気がした。
それが何を意味するのか、晃にはわからない。

言葉に出すには古すぎる傷だったが、それでも今、この場で問い直さなければならなかった。

「持ち時間は七分。内容に制限はない。だが、公式の場だ。言葉には十分気をつけろ」
「……それでも、伝える価値はあると思うから、出る」

出雲は静かに頷いた。

晃は目を伏せながら、問いを口にした。
「……矯正センターで、誰かに助けられたと思う。お前なのか」

出雲は一瞬だけ沈黙し、静かに答えた。
「条件が揃っていた。動く理由を持った者が、そこにいただけだ」

晃の胸に、あの夜の記憶がよみがえる。  
鉄扉の奥から現れた、カナンの女性将校。  
沙耶を逃す道を開き、静かに言葉を残して去っていった。  
(『志のある人間がいた。それだけだ』──あのときの声が、今も胸に残っている)

晃は一拍おいて、さらに問いを重ねた。
「……蒼風との関係は?」

出雲は目を細め、低く言った。
「質問が多いな。……それも仕事だ」
「……わかってる。でも、知っておきたかったんだ」

出雲は静かに視線を戻した。

「舞台は整えた。あとは、お前の言葉次第だ」

***

開会のアナウンスが響き、ホールの照明が落とされる。

前半は形式的なパネルディスカッション。企業のCSR担当、大学の文化人類学者、共生推進局の幹部。どれも耳障りのいい理想が並ぶ。

「異文化への理解が……」「調和と共生の実現が……」

晃は舞台袖で、無表情にそれを聞いていた。

そのとき、ふと後ろから声がかかる。

「……人違いだったらすまない。山崎晃くん、で合ってるか?」

晃が振り返ると、黒いフードを深くかぶった男が立っていた。声は低く、表情は見えない。

男は、ふと袖口をまくる。そこには、羽根の意匠──灰翼の象徴が、控えめに縫い込まれていた。

晃の表情が変わる。
「……あ」

男は周囲を見回し、声を潜めて言った。
「椎名だ。ここでは違う名前だけどな。君の動き、見てたよ」

晃は眉をひそめた。
(……そういえば、あの夜の焚き火で。阿久津が言っていた。『センサー遅延は椎名の仕業かもしれん』──)

「……センサー遅延。あれ、仕込んでたの、あんたか?」
「ふふ、反応早いな。少しは時間かかるかと思ったけど」
「今日は……」
「君と似たようなもんさ。嘘のない言葉が、届くかどうか、見てみたくてね」

晃は答えられなかった。だがその表情は、仲間の顔だった。

「期待はしてない。けど……ちょっと楽しみにしてる」

そう言い残して、椎名は人波に紛れていった。

***

そして、晃の登壇の順番が来た。

ライトが眩しい。壇上から見る客席は、思ったより遠かった。

最初の一言が、なかなか出ない。
だが、客席の中に沙耶の姿を見つけた瞬間、喉の奥に絡まっていた何かがふとほどけた。

「……文化の違いを乗り越えることは、大切です。理解し合うことは、きっと未来にとって意味がある」

穏やかに始まった言葉に、会場は静かに耳を傾ける。

「でも、今日、僕はそれだけを言いに来たんじゃありません」

晃の声に、少しだけ力がこもる。

「『違い』を乗り越えるという言葉は、いつの間にか、『違いをなくすこと』にすり替えられている。教育の場で、言語が一つにされ、歴史が塗り替えられ、『適応』という名のもとに、名前も奪われる」

客席がざわめいた。

「それを『共生』と呼ぶのなら、僕はその言葉を信じない」

パネリストのひとりが口を開いた。
「適応の過程には確かに軋轢があるかもしれませんが、それを乗り越えることこそが未来志向の『共生』です。人類の長い歴史の中でも──」

その言葉に、晃の中で何かが切れた。

晃はマイクから一歩前へ踏み出した。

「──僕には、妹がいます。とても大切な、守りたかった存在です。小さな頃から、僕の後ろをついてきてくれた。泣き虫で、人見知りで──でも、僕の前ではいつも強がってた。あの子がいたから、自分が自分でいられた──そう思えるほどに、大切な人です」

その瞬間、客席で沙耶が胸元のペンダントを握りしめるのが見えた。
晃の視線が一瞬、彼女に向かう。
その小さな仕草が、晃の言葉にさらに力を与えた。

「彼女は、ある日突然、制服を取り上げられ、髪を『罰のように』短く刈られ、『自分』を否定されたんです。それに…」
ざわつきかけた空気が、一瞬で凍りつく。

言いかけて、晃の声が一瞬だけ揺れる。

「……いや、言葉にできないこともある。でも、想像してほしい。大切な人が、人格を奪われ、何かを……奪われかけたとしたら──」

晃の声は低く、しかし火のように熱かった。

「あなた方が『共生』と呼ぶその中で、何人の人間が、『個人』であることを奪われているか、考えたことがありますか?」

客席が沈黙に包まれる。

「あなたの隣に座っているその誰かも、今この瞬間、自分の言葉で自分を語れないでいるかもしれない。それでも、あなたは『共生』の美名を掲げて、安心していられるのか──」

壇上に沈黙が落ちる。

「でも、それでも、僕たちは言葉を手放さなかった。心のどこかで握りしめていた。だから今、ここに立っている」
「問い直したい。『共生』と呼ばれているものが、本当にそうなのか。誰のための『共生』なのか」
「矯正センターに送られた先に、何があるか──あなた方は知っていますか?」

晃の声が少し低くなる。

「ある子は、さらに遠くの施設に『転送』される。そしてその先は……誰にも知らされない。けれど、噂はある。臓器提供。適合率の高い個体として、消えていった者がいる」

ざわめきが走る。

「それでもあなた方は、それを『共生』と呼べるのか──」

晃の声が、静かに、しかし確かにホールの空気を変えていった。

壇上に沈黙が戻る。
最初に拍手したのは、中年の女性だった。やがて数人が続き、どよめきが広がっていく。

しかし、その熱は均一ではなかった。
目を逸らす者、俯く者。ある者は静かに席を立ち、ある者は睨むような目で彼を見ていた。

それでも、晃はしっかりと立っていた。

***

観客席の片隅で、出雲が小さく息を吐き、呟いた。
「……やはり、お前は変わってないな」

その少し離れた列の影で、椎名が目を伏せる。
口元に浮かんだのは、わずかな苦笑だった。
「……ああいうのは、ずるいんだよ。……忘れたくても、刺さってくる」

一方、南市の作戦ルーム。
阿久津はモニター越しに晃の姿を見つめながら、ぼそりと呟いた。
「……理屈じゃねえ。だが、こういう真っ直ぐさが、人を動かすんだ」

彼の手元の端末には、出動指示の準備が点滅している。

「……さて、こっちも動くか」

***

その夜、SNSには静かな波が広がっていた。

『蒼風』のアカウントが、晃の発言を引用しながらこう綴っていた。

声を奪う制度は、共生ではない。言葉を交わせること。疑い、問い直せること。そこからしか本当の理解は生まれない。

#これは共生なのか

誰かがつぶやき、それがリポストされ、少しずつ届いていく。

ある動画アカウントが、晃の登壇シーンを短く編集して投稿した。
「『共生』とは、誰かを黙らせることじゃない──」というテロップとともに。

再生数はまだ少ない。けれど、コメントには確かな共鳴の声があった。

***

帰り道、晃は出雲と並んで歩いていた。

「……これで終わりじゃないよな」
「もちろんだ。始まりにすぎない」

出雲は前を見据えたまま、ふと眉をひそめる。
「……世の中はそんなに甘くない。言葉ひとつで変わるほど、簡単でもない。──まして、制度の裏に『市場』が絡んでいれば、なおさらだ。正しさは、ときに一番都合が悪いからな」

沙耶が少し前を歩きながら振り返る。
「でも、ちゃんと届いたと思う。少しはね」

晃はゆっくりと頷いた。

「……ああ、そうだな」

言葉は届いた。だが、何かが足りない気がした。  
……届いた先で、誰が、どう動くのか──それは、まだ誰にもわからなかった。

風が頬をかすめたその瞬間だった。  
晃の胸ポケットで、端末が震えた。  

ひとつ、ふたつ。続けざまに通知が鳴り響く。  
その音は、どこか異様なほど静けさを裂いていた。

晃は眉をひそめた。  
──嫌な予感が、静かに背中を這い上がった。

※この作品はライト文芸大賞にエントリー中です。

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5月末に完結予定で、毎日更新します。
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