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第4話 その日
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あの日から更に数ヶ月が経ち、外は日に日に暖かくなっていった。冬が終わり、春が訪れたのだ。
その日は急な嵐だった。朝まではすっかり晴れていたのに、昼過ぎから急激に天候が荒れ始めた。稀に見る程度の荒れ具合ではあったが、こうなることが分かっていたなら私は朝倉さんと出かけることなどしなかった。
私達は仕方なく昼だけはレストランで摂り、その後は彼女を家に送ろうとした。
「……雨の日は寒いね。やっぱり嵐なんて嫌なもんだよ」
「同意するよ。なんでこういうときに限って天気予報は外れるのか……」
「ははっ! あるあるだよね」
なぜその日、私達が海へ行ったのか。言ってしまえば、それはあのとき彼女が“荒れた海を見てみたい”と言ったからだ。もちろんそれを承諾する私ではない。
実際そのとき、私達は海へ行かなかった。帰り道からちらりと覗ける程度、あくまでもギリギリ眺めることができる程度。警戒に警戒を重ねて安全が保証される距離までしか行かなかった。むしろいつもの帰り道よりも海からは遠かったのだ。
だからこの点に関しては強く言っておくが、私も朝倉さんも海に近づくつもりなど毛頭なかった。
どれだけ足を滑らそうとも、私達は地面に転ぶしかない。波に飲まれるなどあり得ない。波の飛沫がどれだけ飛ぼうと、ここへ辿り着くことはない。
これを危険と言うならば、家の中でも安全とは言い切れないだろう。彼女に何事も起こらぬように、私はそれほどまでに注意していた。
けれど事件というものは思わぬところで発生する。私達がどれほど慎重になっていようとも、慎重でない者がいる以上それは不思議ではないことだ。
それが善悪の分からぬ年端も行かないような子であれば特に。私達とは違い、興味を実行してしまうのだ。
私はどこからか少年の叫び声が聞こえたような気がした。朝倉さんは気づかなかったようだが、私には確実に聞こえていた。
まさかとは思ったが、あり得ないことでもない。私は彼女に荷物を預け、一人海岸へと向かった。
足を踏み外したのか、一人の幼い少年が荒れた波に揉まれていた。私は咄嗟のことに狼狽えたが、周りを見渡してからすぐに救急に連絡した。適切かは分からなかったが、それしか私にはできなかった。
そうこうしているうちに朝倉さんが私に追いつき、状況を把握した。……助けはすぐには来ない。すぐに助けなればあの少年は助からない。
「朝倉さん、これ、変わってください。指示があるはずですから」
「ダメだよ!」
「いえ、今助けないと……」
私は持っていた携帯を彼女に渡した。幸いにもここは漁港、大抵のものなら転がっている。近くにあったプラスチックの浮きに縄を結びつけ、それを持って海に飛び込んだ。
私も馬鹿なことだと理解していた。人を助けるために己も飛び込むなんてことはタブーだ。けれど私が飛び込まなければあの子は間違いなく波に喰われて死ぬ。それだけはダメだと感じた。
「大丈夫だ! 心配するな!」
私は一生懸命に声をかけた。少年はパニックになっていたが、私が来ることでほんの少しだけ冷静さを取り戻したようだった。ただほんの少しだ。死を前にして落ち着くことなど難しい。
しかし問題が起こった。いや、考慮すべきだった問題があったのだ。この浮きはあまり浮力が無かったらしい。少年はともかく私の体重を支えることはできなかった。
「朝倉さん! 縄を引いてくれ!」
「えっ!? でも……!」
「この子よりも僕の方がずっと泳げる! だから!」
私は浮きを手放してそう叫んだ。泳いで戻れば問題ない。私はそう思っていた。
焦っていて気がつかなかったが、飛び込んだときに脚を負傷していたようだった。これではまともに泳ぐこともできない。海水の冷たさに震えていると、巨大な波が私を飲み込んだ。
そしてその拍子に私は何かに頭をぶつけてしまった。私の意識は冷たい海の底へと沈んでいった。私の名を呼ぶ朝倉さんの声が次第に遠のいていった。起き上がろうにも、海底から誰かの手が掴んでいるようだった。
酷く恐ろしい思いをさせてしまったかもしれない。彼女の美しい淑やかだった声は、美しさの欠片もない、どこか痛々しい叫び声に豹変していたようだった。……最期は綺麗な声を聞きたかったなぁ……。いや、それはあまりにも勝手か……
…………これが“死”か。私は孤独を感じながらもどこか落ち着いていた。
翌日、一人の男子高校生が死亡したことが全国に報じられた。原因は溺れていた7歳の少年を助けようとしたとか。なんでもその子は一度でいいから荒れた波を見てみたいと思っていたそうだ。
親の目を盗んで家を飛び出したらしい。世間で語られたのは青年の死よりも親が子を見張る重要性であった。この事件はそんな馬鹿らしいことから始まり、最も語られるべきことは要素として終了した。
その日は急な嵐だった。朝まではすっかり晴れていたのに、昼過ぎから急激に天候が荒れ始めた。稀に見る程度の荒れ具合ではあったが、こうなることが分かっていたなら私は朝倉さんと出かけることなどしなかった。
私達は仕方なく昼だけはレストランで摂り、その後は彼女を家に送ろうとした。
「……雨の日は寒いね。やっぱり嵐なんて嫌なもんだよ」
「同意するよ。なんでこういうときに限って天気予報は外れるのか……」
「ははっ! あるあるだよね」
なぜその日、私達が海へ行ったのか。言ってしまえば、それはあのとき彼女が“荒れた海を見てみたい”と言ったからだ。もちろんそれを承諾する私ではない。
実際そのとき、私達は海へ行かなかった。帰り道からちらりと覗ける程度、あくまでもギリギリ眺めることができる程度。警戒に警戒を重ねて安全が保証される距離までしか行かなかった。むしろいつもの帰り道よりも海からは遠かったのだ。
だからこの点に関しては強く言っておくが、私も朝倉さんも海に近づくつもりなど毛頭なかった。
どれだけ足を滑らそうとも、私達は地面に転ぶしかない。波に飲まれるなどあり得ない。波の飛沫がどれだけ飛ぼうと、ここへ辿り着くことはない。
これを危険と言うならば、家の中でも安全とは言い切れないだろう。彼女に何事も起こらぬように、私はそれほどまでに注意していた。
けれど事件というものは思わぬところで発生する。私達がどれほど慎重になっていようとも、慎重でない者がいる以上それは不思議ではないことだ。
それが善悪の分からぬ年端も行かないような子であれば特に。私達とは違い、興味を実行してしまうのだ。
私はどこからか少年の叫び声が聞こえたような気がした。朝倉さんは気づかなかったようだが、私には確実に聞こえていた。
まさかとは思ったが、あり得ないことでもない。私は彼女に荷物を預け、一人海岸へと向かった。
足を踏み外したのか、一人の幼い少年が荒れた波に揉まれていた。私は咄嗟のことに狼狽えたが、周りを見渡してからすぐに救急に連絡した。適切かは分からなかったが、それしか私にはできなかった。
そうこうしているうちに朝倉さんが私に追いつき、状況を把握した。……助けはすぐには来ない。すぐに助けなればあの少年は助からない。
「朝倉さん、これ、変わってください。指示があるはずですから」
「ダメだよ!」
「いえ、今助けないと……」
私は持っていた携帯を彼女に渡した。幸いにもここは漁港、大抵のものなら転がっている。近くにあったプラスチックの浮きに縄を結びつけ、それを持って海に飛び込んだ。
私も馬鹿なことだと理解していた。人を助けるために己も飛び込むなんてことはタブーだ。けれど私が飛び込まなければあの子は間違いなく波に喰われて死ぬ。それだけはダメだと感じた。
「大丈夫だ! 心配するな!」
私は一生懸命に声をかけた。少年はパニックになっていたが、私が来ることでほんの少しだけ冷静さを取り戻したようだった。ただほんの少しだ。死を前にして落ち着くことなど難しい。
しかし問題が起こった。いや、考慮すべきだった問題があったのだ。この浮きはあまり浮力が無かったらしい。少年はともかく私の体重を支えることはできなかった。
「朝倉さん! 縄を引いてくれ!」
「えっ!? でも……!」
「この子よりも僕の方がずっと泳げる! だから!」
私は浮きを手放してそう叫んだ。泳いで戻れば問題ない。私はそう思っていた。
焦っていて気がつかなかったが、飛び込んだときに脚を負傷していたようだった。これではまともに泳ぐこともできない。海水の冷たさに震えていると、巨大な波が私を飲み込んだ。
そしてその拍子に私は何かに頭をぶつけてしまった。私の意識は冷たい海の底へと沈んでいった。私の名を呼ぶ朝倉さんの声が次第に遠のいていった。起き上がろうにも、海底から誰かの手が掴んでいるようだった。
酷く恐ろしい思いをさせてしまったかもしれない。彼女の美しい淑やかだった声は、美しさの欠片もない、どこか痛々しい叫び声に豹変していたようだった。……最期は綺麗な声を聞きたかったなぁ……。いや、それはあまりにも勝手か……
…………これが“死”か。私は孤独を感じながらもどこか落ち着いていた。
翌日、一人の男子高校生が死亡したことが全国に報じられた。原因は溺れていた7歳の少年を助けようとしたとか。なんでもその子は一度でいいから荒れた波を見てみたいと思っていたそうだ。
親の目を盗んで家を飛び出したらしい。世間で語られたのは青年の死よりも親が子を見張る重要性であった。この事件はそんな馬鹿らしいことから始まり、最も語られるべきことは要素として終了した。
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