例え離れていようとも

堀井ちひろ

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例え離れていようとも

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    出会ってしまった!運命の人に  あたしが28歳!彼は  あたしと親子ほども歳が違う。出会いは60歳だった。

     彼こと池波は  ダンディなロマンスグレーな男の人。あたしは  いろんな意味においてまだまだ子どもだった。彼はそんな  あたしに付き合ってくれる。交際が始まった。

    池波に出会う前に  あたしの彼だった北崎は自殺した。ノイローゼで精神科に受診していたのだったが  睡眠薬が  合わず 毎日毎日  中島みゆきの『浅い眠り』を掛けて聞いていた。

      そんな北崎が 障害年金を貰う話になった。障害年金とは  十代年金ともいい  十代で発病した者が貰える年金が  それだけではなく     もらえる場合もあるが  とにかく  若くしても   もらえる年金だ。

  2級でいいか?と主治医が言った。だから  自分は2級だと思うし  それ以上も求めてなかった。しかし北崎の障害年金は1級だった。

     実はあたしも24歳から障害年金を貰っている。17歳で精神病になった。あたしの病気は  祖母があたしを育てたのが原因だ。妹の明子も精神病だ。やはり祖母に育てられたせいで。

     あたしと明子を 祖母はオシメを替えることを  1度もしなかったのに  可愛い盛りの  あたしと明子を無理やり  うちが育てて何が悪いと  親から引き離した。

     あたしの家は  お父さんが三代目の割烹料理店だった。父もノイローゼだった。母も少しおかしな人だった。病気といえば  祖母も病気だったのではないか?

     幼い小学生のあたしに  起きていたら煩いと  睡眠薬を飲ませる。あたしは  睡眠薬はみんなが  飲んでいる物と信じていた。

     しかし  臨海学校の時  夜になり薬を飲んでいるのは  あたしだけだった。
    『何でお前!睡眠薬なんか  飲んでるねん?』と先生。
  『お婆ちゃんが   飲ますんです。何でみんな  飲まないの?あたし  ずっと前から飲んでます。みんななんで飲まないの?』とあたしは 本当のことを言った。先生は  考えた。こんな小さな子どもに睡眠薬を飲ます祖母に問題点を感じずにはいられなかった。

   『隠れて薬飲めていうたやろ?お前は。うちが  何で学校に呼び出されなあかんのや。アホ。』祖母は  上手いことこのことを乗り切った。小学生低学年のあたしに  睡眠薬を飲ませていた  この時点で  異常なのは分かり切っている。
     そういえばこんなこともあった。文字を習うにつれて  漢字も読めるようになる。あたしは  薬局のポスターを見た。不眠症の方ご相談に乗ります。そんなポスターだった。あたしは  眠り薬を飲まされてるから  不眠症なんだと子供心に思って相談に行った。

    『何であんたみたいな子が  不眠症なんや?子どもは  走り回ってたら  自然に寝られる。アホなこと言うたらあかん!お婆さんおかしいな。あんたみたいな子どもに。』薬剤師は  首を傾げる。   
     それにあたしの足の指は折れ曲がっている。発育機に  靴を買ってもらえなかったからだ。足の小さな靴を無理やり捌かされて  あたしは  歩くのも足が痛かったが  祖母が 無理やり履かせた。だから  今でも足の指は  折れ曲がったままだ、。

     その上  祖母がいたら  銭湯にも行けないのだった。

    『あの人は娘さんと違う。あの親子は血が繋がってない。』などなど平気で言う。だから銭湯にも行けなくなった。頭にフケが溜まって  それでも  祖母は  あたしが  銭湯に行くというと付いてくる。いい迷惑だった。学校でフケ女と罵られても  風呂は入りたくない。今でもトラウマになっている。

     ちょっと脱線したな  話を元に戻そう。

  『拙者  1級さんでござる!』と言っていたが内心  傷付いていた  あたしには分かっていた。あたしは 赤線のあった後の所で育ったから  操が堅かった。

     男の人と付き合っても  身体となると別れていた。しかし  北崎とは  ホテルへ行った。あたしは  いざという時に  怖い怖いと言って抵抗した。何が怖かったのか?愛の営みなのに   恐怖を感じた。辞めたのは彼の優しさではないか?

     おまけに彼の所には電話がなかった。携帯が今ほど普及してなくて  固定電話もなかった。

     北崎を好きになった  精神病患者は  北崎の貸家の大家に電話して  電話するように頼んだ。1日7回も8回も。滅多に人のことを悪く言わない  北崎が   掛けたと思ったら  また電話してくれって  何回も  参ったっす。とぼやいていた。

     そんな電話が来るので   これはきちがいだとばかりに  家を大家に追い出されることになった。障害年金は1級!薬は合わない!眠れない!引っ越しと悪いことがばかりが続いた!

       そして高岡の実家に帰ることになった。一泊して来ると言っていた。あたしは  彼の家に向かった。いるはずもないのに。おにぎりとコーヒーを買って  居なかったら玄関で食べよう。あたしは  いる人も居ないのに行った。

        高岡に帰ったはずなのに   あたしは  歩きながら死んだと思った。あたしアホ違うか?と 自分に呆れながら  歩いて行ったら  玄関の戸は開かれていて   靴がいっぱい並んでいた。何があったんや?北崎が死んだという!自殺したと!目の前が真っ暗になった!もうこの世にいない!信じられなかった。

     あたしは  彼に会うまで帰りませんと  北崎のバイクに座って  タバコを吸っていた。何時間いたことか?暫くして  お巡りさんが来た。派出所に連れて行ってくれた。昆布茶まで  出してくれた。

     やがて  北崎のお父さんが来た。あたしは  北崎の亡骸に口づけした。もう迷わず幸せになったんやね!泣きたかったが北崎のお父さんのことを 考えると泣けなかった。人間って簡単に死ぬんだな。そう思い  目に焼き尽くすように亡骸を見ていた。ああ!もう声も聞こえない。あたしに微笑んでもくれない!人生の最悪だった。これ以上の悪いことはなかった。

   こんなに付き合って半年で自殺されるなんて。神さまなんかいない。

     あたしは美空ひばりの『悲しい酒』の好きで添えない人の世を飲んで恨んで日が暮れると口ずさみ  涙も出ないまま   伏見の住んでいるアパートへ帰った。

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    北崎が自殺してから  あたしは  酒に走った。精神薬に酒は合わない。しかし  飲むしかなかった。ビールにウィスキーに日本酒にと  涙も流さず飲みまくった。酒屋とも友達になり  キレイな可愛いワイングラスをくれた。それぐらい酒を買って飲んでいたのだった。神さまなんかいないんだ!この世はもう終わりだ!みんな死んだらいいのに!あたしは  酒を飲みながら考えた。このまま  ずっと地獄が続くのか?泣いてもあの人は戻ってこない。神さまなんかいないんだ!

     あたしはその頃  精神科のデイケアに通っていた。そこで   北崎とも出会っていたのだが 。みんな仲間だ!ファミリーだ。あたしは喜んで通っていた。北崎とも出会えた。思い出深いデイケア!

     そこで池波とも知りあった。なんて『ドラゴンボール』の亀仙人にそっくりなんだろう?と思った。名前も覚える気もないのに  聞いてきて  いつも違う名前で呼ばれていた。池波はアル中だった。病院で断酒会に入らされると決まり  急いで今の デイケアのある診療所に代わってきた。面白いおっさん!それが感想だった。

     北海道出身で  日本中転々と働いていたという。若い頃は列車食堂のコックをしていたし  いろんな名だたる旅館で働いていたという。狂っていても働かなくてはいけないと思っていたという   感心した。話をしたら面白い人だった!

     あたしは  その頃   伏見のアパートで一人暮らしをしていた。あたしのお金をたかる妹という名の悪魔!お金がない!お金がないと泣く母。祖父が死ぬまで店を閉めるのに反対していたから  どんなに貧しくても  店は続けていた。祖父が亡くなり  店を閉めて  両親は仕事に行くようになった。畑違いの仕事をすることになった。父は魚屋に働きに行ったが 腕前は芸術的だが  手が遅い。父は雨の日に  長靴を履いたまま  1万円札を渡されて  上がってくれって  辞めさされた!母は  サウナのパンツを畳んだり  窓を拭いたりして働いていた。今から思うとあの父の顔  あの顔は幻聴が聞こえてきていたんではないか?一家を助けるために  家長として頑張っていた。父も母も頑張っていた。そんな  母がかわいそうだから   僅かな生保の金を貯めて渡していた。

     妹の明子も家庭内暴力とかで両親を殴り倒していた。そんな明子に  親に暴力は振るわないという嘘だらけの約束をしている妹にもたかられた。

    生活保護になる前  親元にいる時  働いた金は全て明子にいった。自由になる金なんてなかった。働いても面白くない。しんどいだけだ。たかられてたかられて!結局   働くのが  バカらしくなってきた。ピンハネばっかりされるから  なんて妹なんだ?暴力は振るうし  口も悪い。デイケアのことを  きちがいの集まりと言う。腹が立って言うと  また暴力だ。男と決闘して刺されて帰ってきたこともあった。

     あたしは幼い頃からこの妹が嫌いだった。甘えて甘えて  あたしに愛情を求めてくるが  可愛いなんて思ったことがなかった。鬱陶しいだけだった。

     お婆ちゃん子のあたし達。妹は  パパとママと暮らしたいと3歳で三輪車で  夜中  親元の店まで走ったらしい。その時点であたしのことを見捨ててる。お姉ちゃん行こうとは言わなかった。たった1人で帰った!

     あたしは  お婆ちゃんとお爺ちゃんと3人暮らしになった。頭のおかしな祖母に育てられて  妹も祖母そっくりの変なプライドの高い人間になっていった。

     祖母は  土下座が好きだった。何でも土下座たさせられた。例えば  高島屋の五平餅が  美味しそうだからって  買ってもらった。その五平餅が不味かった!ただそれだけのことで  土下座して謝らさせられた。おかしな話だ。五平餅が不味いのはあたしのせいじゃない。それなのに!明子も学校で  男の子を土下座させたと問題になった。

   『悪いことしたら  正座して   頭下げて  すみませんでしたって言うんやろ』と明子!悪気は決してなかった。祖母の教育とでもいおうか?祖母は近所でもおかしかった。しかし  誰も怖がって言わなかった!

     祖父 が癌になった。胃癌だった。お爺ちゃん癌やって祖母に聞かされたのは  スーパーの中だった。ショックだった。祖父が癌なんて。手術した。成功だった。みんな喜んだ。祖父のお気に入りの明子は  祖父に折り鶴を渡した。小細工に凝るなんて祖母そっくりだと思った。

    『お爺ちゃん  手術成功してよかったかなあ。明子神さまにお祈りしててん。』と明子
『ありがとうなあ。明子。お前だけや。』お爺ちゃんあたしは  どうなるの?あたしも心配してたんやで 神さまにお祈りしてたんやで あたしかて。祖父の入院に母が付き合った。1ヶ月も付き添いをした。

     祖母は十万円お礼をしたというが  母はもらっていない。祖母の妄想だ。

    『例え十万円もろたとしても安すぎるやろ?生活できない。お爺ちゃんは こうすれば  歩けるから  あんたが  支えるんやで。お母さんは  働かな生きていけない。あんた頼むで!』と母は生活の為に  祖父を見捨てたのだ。新聞紙を祖父のお尻に引いて座らせながら  歩かせた。母がいれば  歩けたのだ  祖父は  母がいる時。歩けたのだ。

母が祖父を見捨ててから  祖父は 歩くこともなく  タクシーで  診療所まで  毎日行って  歩くことはなくなった。母がいれば歩けるのに 祖母はプライドが高いから  自分の店の従業員だった母に頭を下げることはなかった。バカなアホ女扱いで  祖母はあたしの通っている診療所の婦長さんに30分か1時間も   うちの嫁はアホで鈍でと言い続けて  自分の家の嫁のことを  よくこんなに悪く言えるもんだなと感心したという。

     祖父が帰って来て3ヶ月も経つと  祖母は祖父の世話の限界に達していた。毎晩  2時間おきにおむつ交換  祖父は眠れたのだろうか?そして  祖父が生きているのに  聞こえてるのに  もう耐えられないと喚き  父の弟が  ヘルパーを頼もうということになった。今ほど  ヘルパーがポピュラーになっていなかった。

     『もう我慢できない。うち!ヘルパー頼む!1時間1万円か?頼む!来てもらう!』

     祖父は虚しそうな顔をしていた。結局   祖父を入院させようとしたその時  母も明子も  お爺ちゃんが死んでしまうと泣いたらしい。

     『あんたらの涙はそんな安もんの涙か?うちはどうなってもいいのか?』羅刹の家だ!祖母と妹と  2人の鬼子!安もんの涙を流す  母と明子。その場にはいなかったあたし  なんでやろ?涙に安もんも高いのもあるいな。

     やがて祖父は天に召された。どんな思いで生きていたのか?分からない。どんなに  苦しくても   保証人にはなるな。金は借りるな。金は貸すな。この3つをいつも言っていた。あとひとつ   嘘はつくな。この嘘をつき続ける明子。もうどうなるか?分からなかった。

    やがて   当然の如く  祖母との2人暮らしが始まった。祖母は当たる相手がいないから  あたしにばっかり当たった。

   『飯できたぞー降りてこい。お前は  お姫さまや何にも  しぃひん。』何にもさせないのは祖母だった。祖母は  自分がいないと生活できない女にあたしを  育てあげた。あたしに   適当なSEXフレンドを作って  お婆ちゃんと暮らしたらいいと言っていた。

   あたしは  毎日毎日泣いていた。祖母のイジメは凄かった。今   思い出しても腹が立つ。あんな人が人間?お婆ちゃん?アホらしい。きっと誰かが助けてくれる。その頃は  あたしの通っている診療所の院長。つまり  主治医はその頃まだ  独立していなかった。あたしは  デイケアセンターに通うことになった。

     初めてデイケアセンターに入って   似たような人がいると  安心した。あたしばかりじゃないんだ。みんな心に傷を持ってい「」やなあ?幸せやわ。』本当に心の底から思えた。

     あたしがデイケアセンターに通うので  1人の時間が多くなった明子は  きちがいセンターって楽しいか?と姉を罵る。お前より  お前のような屑より  立派な人がいる。明子は屑や。

     明子は  動物が好きだった。犬や猫  ハムスターといろいろな動物を飼う。全て  それが  明子の趣味のように  去勢手術をやる。おかしなことだ。殆どのいや  全ての犬や猫は  去勢手術をやられては  売りに出された。愛情がないのか?可愛くなったら  手放していく。だから  動物は  可愛がらない。変にあたしに懐くとすぐに  手放す。なんて女だろう?血が通っている  人間には見えなかった。

    24歳の時  初めて  障害年金のことを  教えてもらった。もらわな  損や。障害年金の話をした時の  主治医の寂しそうな顔!誰に聞いたんや?寂しそうに言う。

     『先生   あたし障害年金欲しいんです。』と言って  主治医に  ため息をつかせる。

   障害年金って   いっぱいお金の入ってくるところだ。1級になり  毎月9万なんぼ  降りる。あたしは  嫌な予感がした。やはり  働きもしない明子が  障害年金をあてにし始めた。

『明子!働かなお金は  入ってきいひんにゃで。お金のわく  泉はないんやで。』と言うと

     『あるやんか?障害年金!これがあるやんか?お姉ちゃんもろてんにゃから  あたしのもんや。』

     祖母に障害年金のことを言うと  きちがいの烙印と言われた!明子も  あたしのお金に目をつけている。あたしは  正直怖かった。これ以上  金づるにされるのは  嫌だ。人間扱いして欲しい。あたしの人権はどうなっているんだ?

    泣いて暮らしていた。祖母がああで  妹がああで  するとデイケアセンターのスタッフが  一人暮らししたら?と言ってくれた。

    『あんたならやれると思う。お婆さんと妹さんから離れてみたら?』思ってもいなかった。1人で暮らすなんて。できるかなあ?不安だったが   鴨にされるのは  もう嫌だった。一人暮らしすると言った。

     明子は  大反対した。きっと  金づるが  消えると焦ったのだろう。甘い言葉で   誘ってくる。家に  2部屋あるのは   あかんて  親元のあたしの部屋は   気づけば明子のものになっていた。祖母がこんなんで苦しいと言えば  家に帰っておいでとも  言ったのは  明子だった。後であの時に死んでたらよかったと言われるようになるのだが、、、、。

     あつしは  1人になってせいせいした。誰にも邪魔されない。1人だ。1週間に1度母が泊まりにくることになった。あたしは  祖母に何も言えないこんな   母だが  愛していた。くるたび   お菓子とかコーヒーとか  いっぱい買って来てくれて   やっぱり母親やなと思っていたら   これやらは  みんな  タダじゃないんや。いきなり  唸り出して   爆発したみたいに金出せ。これが本心!お金が欲しいから今まで  お菓子とかジュース買って来てたんやな。あたしアホみたい喜んで。ホントバカ。こんなんでも母親である。あたしは  少しづつお金を渡すようになった。やはり   愛していたんだなあ~

     金!金!金!これがあたしの家のこと。何を置いても金。あたしの家では愛情もお金で買えた!金づる扱いばかりされて  あたしは毎日の食費や  お風呂や   洗濯をケチってお金を貯めなければいけなくなった。母や明子に  渡す金。愛情もお金あればこそ   頑張らないとと    塩で歯を磨き   塩で洗濯をして  ご飯は  ゆで卵1つとか   白ごはん一杯。知り合いになった   魚屋の大将は   うなぎのタレをくれる。うな丼だ。リッチな気分になる。

やがて主治医は  病院勤務を辞めて  診療所をやり出した。そこで  昼ごはんを2、300円で食べれるようになった。デイケアセンターを辞めて   診療所に行くことになる。交通費もついた。言うことなし。あたしは  気づけば  顔に出来物がいっぱいできていた。池波は  天然痘と言った。あたしが意味を知っていると面白がった。そのあたりから  中島と知り合った!中島はホストをしていたほどの  美丈夫でいかにもドンという感じあった。ヤクザが来たと  友達が怖がっていた。しかし  この男に初めて会った時から  優しさを感じていたあたしは  ヤクザじゃない。怖くないと  友達に  怖がらなくていいよと言っていた。実際に   中島は  北崎が亡くなった時から   毎日毎日   夜の1時になると   華人短命と言って慰めてくれた。心の優しい人だった。北崎もオセロは強かったが   中島だけには   勝てたことがなかった。北崎が亡くなり  ポッカリと心に穴が空いた。

北崎の百か日辺りで   何か   池波と酒を飲みに行くことになった。割り勘で。あたしにビールばかり進める。ビール如きで酔うはずもなく  あたしに酒を飲ます。酔って来た。何杯も飲んだ。元から  中島に池波はいい奴だとか  引っ付けよう引っ付けようとされて   マインドコントロールされていたのか?嫌いじゃなかったし   一緒に飲んでいた。朝   驚いた。起きたら  池波がいるんだから   聞くところによれば   あたしが  変なことしたら刺してやると  包丁を枕元に置いたとか?覚えてない!目がテンになった。

     この縁で付き合うことになった!平成8年の頃だ。お互いのアパートの行き来が始まる。お互いに生活保護だから   一緒には暮らせない。そんなことをすれば  福祉を切られてしまう。一緒になったが   身体を許したのは  だいぶ経ってからだ。初めての男だった。今も池波しか知らない。他の男とはやってない。触らせてもいなかった。そうして  幸せな日々が続くのだった。

     そして  一緒になって   幸せだったが  池波が  寝たきり老人になってしまう。そして中島の死!あれから  お互いに歳を取ったんだなあ?28歳だった。あの頃は若かった。主治医のグループホームに池波と住んでいた。

     最初は  スパゲティーを食べに行った時に転けたのだ。それから   手の痺れを  訴えて  車椅子になり  入院した。そして中島の死を知らされた。今でも  中島のことが思い出されて  中島がと言ってしまう。それ程  インパクトのある人だった。池波は   入院しても  3ヶ月しかいられない。たらい回しにされて  今の老人ホームに落ち着いた。あたしは  毎日毎日通った。この頃は   新型ウィルスのコロナが流行っているから   老人ホームは閉鎖されている。4月には会えるのだ。手の痺れた指では   手紙を読めない。恥ずかしいが  ハガキに愛のメッセージを書いて毎日毎日送っている。4月にさえなれば  会えるのだ。これからも  苦しいこと  悲しいことが  いっぱいあるだろうが  池波を思い耐えていこうと思う。あたしの一番大切な池波。

     例え離れて居ようとも   愛はひとつだ。永遠の愛。例え身体は   肺になろうとも  池波を愛し続ける。

     どんな時でも  池波がしてくれたことを  忘れない。あたしにも  たくさんの友や   心友がいる。心強い限りだ。愛はあるのだ。いっぱいいっぱい。負けるものか  生き抜いてやる。生きて生きて生き抜く  何があろうとも  全ての人に感謝して  生きていきます!



終わり



ありがとうございましたm(_ _)m



     

     


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