夢泳ぐ老人の陳述

風見鳥

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夢泳ぐ老人の陳述

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 夢泳ぐ老人の陳述
   文語を境界面とする水の蒼穹


 ――そうして手に入れた葉を、ある種の阿片を燃した煙で充分に燻しますと、暁天のスペクトルを重油に透かしたような、得も言われぬ色合いをもつ塊となるのです。これを南米に生息する食虫植物の分泌液に、決められた時間だけ漬け込みます。正確に測らねばなりません。
 即ち、南北緯五八から六〇度の地域にて、一年で最も長い夜に太陽が昇らないうちの一〇時間、屋外で浸しておくのです。ひとつの塊につき、これを計三〇時間おこないます。間はいくら空いても問題ありません。とにかく、漬け込む際のひどく限定された一〇時間に気を遣わねばなりません。
 そうして漬け込んだ塊から必要な分だけ削り取り、葉巻の要領で喫煙いたします。最初の数分は、その煙に慣れることに集中するので手一杯です。何回か正しく吸い、気管に葉の成分が行き渡りますと、まず真っ白な空間に、一本の黒い線が渡っているのが目に入ります。それは縦であったり横であったりしますが、いずれにせよそれが弦であることが分かります。それを弾きますと――それは指で弾くのか、それとも弾くと考えたことによって弾かれるのかはついぞ分かりませんが――弾性以上の力による振動が、すべてを描きだします。同時にそれまで聞こえていた音が止みます。子宮から生まれ出た瞬間からどこからともなく聞こえていて、無意識のうちに当たり前だと感じている、あの名付けられない音です。音という感覚は、実は小生たちが銀河と呼ぶ形態で捉えられる空間においては、最も洗練されうる感覚なのです。それに気付いた人間は歴史に名を残す一部の音楽家だけでしたが、人間のうちからこれらの理解者が現れたことは誉れだと言えましょう。
 音が止み、柘榴が香り、液体ともガスとも言えない流れに触れますと、小生は何百というグロテスクな天使――馬の代わりに獅子の腰をもつケンタウロスのようでしたが、両腕は5、6本の象の鼻のように太く力強い触腕で、痩せて背中の丸まった女性じみた上半身が頂く頭部に顔面はなく、獣皮で時計草を模したような毛深い気管組織が咲いていました。しかし天使だと感じ取ったのです――に囲まれまして、薄明かりの中を飛翔したのでございます。そして小生は、次元を抱擁する神じみたものの中を通り抜け、途方もない時空旅行の扉を開けたのであります。

 うつらうつらとしているとき、夢の冒頭だけが映し出された瞬間に部屋の壁が見え、そうかと思えば別の夢が始まり、ということが繰り返されるまどろみがあるでしょう。小生の世界の入り口は丁度その感じに似ておりました。小生は絶えず輪郭を歪ませ、漂泊するようにさまざまな時代を嗅いでいました。印象のもつ魔力を八つほどの感覚で捉えていました。嗅覚と聴覚、そして視覚以外の感覚は未知のもので、人間の五感とは違うものでしたが、その印象だけは記憶に残っているのです。
 次元を超え始めたと理解したのは、その状態がだいたい四時間ほど続いた後でございました。精神はもはや次元的な意味での惑星宇宙に属しておらず、かといって純粋なるプリズム体とも表現できない物質の空間にございました。そこでは絶えず吹く暖かい風によって柘榴の花の匂いがし、今や理解不能の感覚によって、気が狂うほどの座標、というよりは距離かもしくは実態を感じられるのでございます。遠く後方の彼方には、若い銀河が赤子特有の喚き声を散らしながら億千万のギラついた輝きをこぼす、夕闇に浮かぶ不夜城の如き一帯が見え、そうした一帯がいくつもいくつも集まり、重なっている風景がありました。清澄なる無限の真空における、それら銀河とコスモスの沈殿は、絶えず微妙な明滅を繰り返す脈動する世界愛そのものでありまして、視覚のごとき矮小な感受における印象では、その大いなる沈殿の割合にして一割とて知覚できていないはずです。
 私は次元を聴き、また無限を嗅いで痴れたように笑い声を漏らし、風を掴んで揺らしました。
 すると闇が……そう、闇が、差し込んできまして、いつしか小生は陸地に足をつけて立っていました。あの奇怪ながらも優美な天使たちの姿はありません。地面にはごくごく浅く水が流れているようで、前方からは滝らしき音が聞こえます。失われた視覚はどのみち闇に抗えるものでないので、小生はむしろ肌で嗅ぎ分けるやり方でもって周囲を見渡していました。
 歩き出しますと、足元の水かさは増して、湿気を含んだ微風が首筋を舐めてゆき、小生は遥かな高みから轟音を流し込む、水量豊かな滝壺に辿りつきました。滝に打たれんとその直下に歩を進めますと、突如として足のつく水底が抜けていまして、小生は那由多の滴に猛烈に殴打されるがまま、ざぼんという残響ひとつ、真っ暗な深淵へと沈み込んだのでございます。
 否、真っ暗というのは言葉のあやでありまして、正確にはそこには明かり……目で見える範囲での、分かりやすい光があったのです。滝壺の底には恐怖を禁じ得ないほど広大な深海が広がり、見晴るかす漆黒のそこかしこに不気味な生物発光の揺れ動くのが見えるのです。小生が念じますと、波うつ灯を垂らすテマリクラゲが三、四ほど寄って来まして、照明とはならずとも若干の慰めを与えてくれました。
 押し込まれた滝壺から出ることは水流によりかなわないので、小生は得体の知れない海底を目指して潜りゆくことにしました。水圧や酸素といった問題は地球の問題でありまして、ここでは何ら影響のある概念ではございません。むしろ精神的な作用が自我にもたらす暴力のほうが問題なのです。小生はあてにならない上下感覚を微小な重力の助けをもって判断し、慎重に潜行せねばなりません。そういった緊張する神経に、尋常ならざる水中環境が適しているとはありえないことでございまして、ときおりテマリクラゲが明かしてくれる空間に蠢く生物の醜悪さは耐えがたいものでございました。
 盲目のイワシが群れて小生を突くこともあれば、すぐ背後をレガレクスがまっすぐ上昇してゆくこともありました。こいつはどこかの国ではアトランティスからの遣いだと言われているそうですが、その不気味な長大さはむしろ、終末の戦争にて雷神と対峙する大蛇を思わせます。握り拳ほどの大きさのウミホタルと目が合ったり、ウミケムシに足を這われもします。彼方で生物発光が集中している水域には、ナポレオンフィッシュやマンタのシルエットが踊り、それはさながら銀河の星々が河のように見える中に、妖怪が飛び回るのを眺めやるようでした。小生の潜行はなかなか終着を得ず、緊張と恐怖は絶頂を極めつつありました。
 視界の深奥から一匹のミズヒキイカが漂い出て来、小生を見下ろしたのはそのときです。体長六メートルのこの巨人は、そのほとんどを占める細く長大な肢をだらしなくふらつかせ、小生を品定めしているかのようでした。やがて方向を変え、イカ特有のジェット推進によるものでない、ごくゆっくりとヒレをはためかせるやり方で泳ぎ出しました。
 ごくごくゆったりとして、ふらつくように水を押しのけてゆくは、異様にして奇怪な頭足類の巨大な姿であります。それにしても直立の状態で水中を渡るその姿はやせ細ったガルガンチュアそのもので、小生は彼について行きたい衝動をおさえられなかったのです。
 その間、小生は目的地や方角についてはどうでもよくなっておりました。彼の足取りはゆるやかで、小生の追跡を意にも介さない様子で、まるで何者かと待ち合わせでもしているかのごとく、断然とした態度である水域へ向かうのでありました。やがて疎らに見えていた生物発光の一切は溶けたように消え去り、友人たるテマリクラゲも光を失ってしまいまして、この海にいるのはかのミズヒキイカと小生だけでございます。
 最初に目についたのは、明らかな深度の変化もしくは光源への接近です。漆黒は徐々に青く透けゆき、目を凝らせば懐かしい太陽光を認めることもできそうに思えます。しかし完全な明るみとは程遠く、せいぜい曙かと思う程度です。そして小生は遂に海底のあることを認めました。やはり液体に満ちている以上は水底があるものですが、いざそれを実感いたしますと得も言われない感激を受けるものです。そのときはまだ、沈んでいるものが完全に明るみになってはおらず、小生はこの海が何を意味するのかを知りはしませんでしたが。
 そのとき小生は、一八八六年十一月から十ヵ月に渡る失踪より帰ったある人物の語る、正体不明の潜水艦と、その船長のことを思い出しておりました。海に対する非常な賢智と経験をもつその彼ですら、これほど不思議な水中旅行を果たしたとは断言できないでしょう。そして更なる光が小生を照らしだしたとき、小生はつま先の向こうに見えたものに、驚嘆の叫びをおさえられませんでした。
 数キロ下方の海底が長大な楕円を描くドーム状に盛りあがり、波形の裂け目が真っ二つに切り裂いているのです。裂け目は視界の限りまっすぐ伸び、小生の位置からではその先端を見ることは叶いません。隆起は上からの光をぼぉっと照り返し、裂け目は妙に研磨されたような滑らかさを窺わせます。
 その景色が一つの生物の容姿であることに気づいたとき、小生の脳髄を駆け巡った感情にどのような名前を付けましょうか。水の天空を見上げる大地じみたそれは、神がかる巨大さを誇る一枚のシャコガイでございました。ここまで案内役を務めたミズヒキイカをもバクテリアのように小さく思わせてしまうほど大きな、単一の生命体であったのです。
 小生はミズヒキイカと別れ、バベルの塔を罰するヤハウェのように、シャコガイへと降りてゆきました。してみればあの巨人は、ここではないどこかへと、冗談のようにのんびりと闊歩してゆく途中で小生と合流したに過ぎないのであって、彼もまた、小生のようにこの海域へと踏み込んだ、外からの旅行者であったかもしれません。その逡巡は比類ないほど大規模であるかもしれず、彼が一つを選択するのに使う時間は、小生が幾たびもの決断を下すのに使う時間と等しいかもしれません。この海には数多の層に多種多様な存在が漂白しているものですから、その全ての体組織を透過しゆく時間の流れは平等であるとともに異質なものなのです。
こうした思いを抱きながら、小生は自身なりに雄大で長い時間をかけてシャコガイの貝殻の内部へと入り込み、信じ難い光景と出会いました。秘密多きネモ船長も想像すらできない祭典と謳歌、演舞と歓喜の大狂乱が繰り広げられていたのです。それはまた一つの海でした。
 青白く発光するサンゴやカイメンがシャコガイの貝殻の内側いたるところを埋め尽くし、多種多様の硬骨魚類、軟骨魚類、頭足類が優美に舞っております。内側から見晴るかしてなお、殻の端を見通すこと叶わず、頭上へ遠ざかりつつある開口部は真一文字に天空を貫く雲めいて見える上、足元遥か彼方にあろう底部は、ほの暗い暗闇に霞んでおります。あちらを駆け抜けるマグロの群れがあれば、こちらには力強いアオザメの編隊が行進します。シャチの親子が頭上を虹のように飛び越え、シマウミヘビが急いで水を裂いてゆきます。視界の端々で煌めいたのは、夜光虫の声なき旋律であったでしょうか。それは奇跡の景観を湛えた、人の目に二度と触れることない禁じられた海なのです。小生が沈みゆくのは、尋常でない文字通りのシェルターに守られ時を忘れた、水底のザナドゥなのであります。下降は続きました。恐怖を感じることはなく、ただ非常に悠長な、ある意味では呑気な
 そして小生はついにこの奇跡の母、貝殻の主である軟体動物の本体の前に降り立ちました。クジラより大きく、乳白色に染まるそれは二十秒ほどの間隔でおぞましく脈動し、単一の心臓にも見えます。しばし、小生は立ちすくんでおりました。人間が想像しうる大自然の源泉たる場所で、悠久それ自体を糧とし続けるこの生き物を、ただひたすら想っていたのです。
 小生はその向こうに、一つの世界の絶頂点を見ました。這い寄るカニやタコを蹴り散らし、小生は駆け寄りました。感動がもはや小生の内部に居場所をなくし、この記念すべき海に融解してゆく気さえ起こりました。そのときの喜びを、畏れを、高揚と驚嘆を思うと、今でも小生の目には涙があふれ、喉は言葉を忘れて虚しく開き、鼓動が記憶の刹那を惜しむように遅くなるのです。
 小生の目の前には、生物発光の黄昏に沈む、巨大な真珠に封じられた沈没船がありました。中世の軍艦を思わせる三本のマストが折れ、船倉には哀れな大穴が空いております。木でできた船体は真珠の成分の奥で沈黙しながら過去に走った海原の風を夢見ているのです。なんと完璧な保存でしょう。鈍く透かす美しいパールのなかに、一つの船が廃墟となって収まり、静かに眠り込んでいるのです。これを越す美術がございますか。
 有機的な世界の深奥にて、人工物を自然物が蹂躙する、この宇宙の美の集結を、時空の絶頂点と呼ばずしてなんとしますか。
 小生が船の横腹に〈VENGEUR〉の文字を認めた瞬間、シャコガイの殻の底が割れ、小生は為す術もなく巻き込まれました。覚醒の近いことを感じ取った小生は、水中を歩き出しました。ほどなくして足が確かな地面をとらえ始め、紫色の闇と秋の匂いに包まれました。無事に次元を戻るには、しっかりと歩くことが重要なのです。やがて自我が漂泊を始め、印象のことごとくが知的生命体の枠から離れて再構築されます。長い時間をかけて自身を取り戻した小生は、遠くから聞こえる耳慣れた音を認めました。つまり、この世界の名付けられない音であります。
 
                                 〈了〉
 
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