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1章
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呼ばれた者
【1章】
この世の不可思議が理知によって解き明かされる時代となって久しい。霆は神の怒りでなく強大な静電気だったし、ツタンカーメンの呪いは真っ赤な嘘だったことが判っている。バミューダ・トライアングルと呼ばれる地帯では実際に地磁気異常によって飛行機や船舶の計器が故障しかねないということが説明されており、ネッシーやイエティは実在せず、ツチノコに至っては足の短いトカゲの見間違いだとされている。
かつては未知で理解不能だった多くのことに、人間の知性が追いついて解明されることで、自然の奥ゆかしい内面は徐々に人類へ明け渡されてきた。今はまだ分からないことも、何十、何百年の果てに人間の知性がその次元へ辿り着いたときに、ごく単純な言葉で解説される日が来るだろう。
だからこそ、有賀裕也の身に起きたことも、そうして解明されるのを待つよりほかない。今は彼がどうなったのか確信できず、戦慄を覚えるほど悪夢じみた、荒唐無稽な予想しかできなくとも、何十、何百、何千年、待つよりほかないのだ。
大学における有賀裕哉の研究対象は、初めこそ無害な彩りに満ちたものだった。専攻は生物史、民俗学、宗教学、世界史、考古学と多岐に渡っていたものの、一見奔放な履修科目の中に確かな一貫性があることは、学友である中谷広幸には明らかだった。その根幹を為す学問は生物史と民俗学で、人間やその生活を常に科学的な現象として捉えながら、産業や芸術といった文化活動の広がりを生理的かつ進化的に説明することを夢見ていた。
一方、中谷は世界の戦争史を広範囲に渡って学んでいて、怪しげなアラビア半島の地理史の講義が、二人の大学生を引き合わせたのだった。二人は大学内での行動を共にすることが増え、それに伴って有賀の興味は、先に述べた学問だけでなく関連項目を大きく網羅するに至った。
「――ゾロアスター教の興味深い点は、」
あるとき喫煙所で、有賀が中谷へ語った。
「三大宗教に肩を並べるほど世界的に信者が多いにも関わらず、魅力的な神話のひとつも見当たらないということだね」
「なんだそれは。いかにも俗っぽい感想だな」
お気に入りの煙草へ火を点けながら、中谷は笑いながら返した。
「大事なことだぜ、イエスが産まれたところや、ブッダのヘアスタイル、ムハンマドの里帰りについては誰だって知っているが、ゾロアスター教に関して最も有名な逸話といえば、ニーチェの著作ぐらいのものだ」
「ある意味世界で最も有名な同人誌だな」
「それは言えてる」
二人の手から立ち上る煙が風に融けてゆく様を、中谷はぼんやりと見つめた。二人はよく、こうした冗談を言い合っていた。有賀は民俗学の観点から、中谷は戦争史の観点から、共通の話題として宗教に関する会話が多く、ややもすれば冒涜に繋がりかねない談笑に耽りながら、しかし時として次なる研究の手がかりを得ることもあった。
有賀は気候と地理が、そこに生きる人々の信仰に与える影響を理解していたので、世界中の国々が特色ある産業によって発展してきたことは、その国の宗教観と結び付けて論じられると信じていた。だからこそ、常人よりも少しだけ、伝説や奇譚の類を真剣に受け止める用意をしていたのである。
大学卒業後、中谷は都市部の一般企業へ勤め、有賀は図書館司書の仕事のため郊外へ引っ越したが、彼ら二人は暇を見つけては顔を合わせ、互いの啓蒙を深め合う学友としての関係を続けていた。学問が往々にしてそうであるように、彼らの興味は学術的な記録、信頼のおける哲学書など、多くの歴史を収める書籍に向かっていた。片方が興味深い書籍や記述を見つければもう片方へと共有され、それぞれの分野の視点から意見を出し合い、それぞれの分野へ持ち帰る知識を得る。
学友と呼ぶべき関係の、およそ考えられる最上の状態がそこにあり、純粋な学びの喜びが二人の青年の生涯を彩っていた。一度きりの人生が、与えられる以上の時間を有するかのような質量の知識で満たされてゆく営みは、ほかの何よりも生を愉快なものにしたし、同じほどの精力と、微妙に異なる興味を持つ友の存在は、こうした楽しみに付き従いがちな孤独を抹消し、日々をより輝かせて季節を巡らせた。
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【1章】
この世の不可思議が理知によって解き明かされる時代となって久しい。霆は神の怒りでなく強大な静電気だったし、ツタンカーメンの呪いは真っ赤な嘘だったことが判っている。バミューダ・トライアングルと呼ばれる地帯では実際に地磁気異常によって飛行機や船舶の計器が故障しかねないということが説明されており、ネッシーやイエティは実在せず、ツチノコに至っては足の短いトカゲの見間違いだとされている。
かつては未知で理解不能だった多くのことに、人間の知性が追いついて解明されることで、自然の奥ゆかしい内面は徐々に人類へ明け渡されてきた。今はまだ分からないことも、何十、何百年の果てに人間の知性がその次元へ辿り着いたときに、ごく単純な言葉で解説される日が来るだろう。
だからこそ、有賀裕也の身に起きたことも、そうして解明されるのを待つよりほかない。今は彼がどうなったのか確信できず、戦慄を覚えるほど悪夢じみた、荒唐無稽な予想しかできなくとも、何十、何百、何千年、待つよりほかないのだ。
大学における有賀裕哉の研究対象は、初めこそ無害な彩りに満ちたものだった。専攻は生物史、民俗学、宗教学、世界史、考古学と多岐に渡っていたものの、一見奔放な履修科目の中に確かな一貫性があることは、学友である中谷広幸には明らかだった。その根幹を為す学問は生物史と民俗学で、人間やその生活を常に科学的な現象として捉えながら、産業や芸術といった文化活動の広がりを生理的かつ進化的に説明することを夢見ていた。
一方、中谷は世界の戦争史を広範囲に渡って学んでいて、怪しげなアラビア半島の地理史の講義が、二人の大学生を引き合わせたのだった。二人は大学内での行動を共にすることが増え、それに伴って有賀の興味は、先に述べた学問だけでなく関連項目を大きく網羅するに至った。
「――ゾロアスター教の興味深い点は、」
あるとき喫煙所で、有賀が中谷へ語った。
「三大宗教に肩を並べるほど世界的に信者が多いにも関わらず、魅力的な神話のひとつも見当たらないということだね」
「なんだそれは。いかにも俗っぽい感想だな」
お気に入りの煙草へ火を点けながら、中谷は笑いながら返した。
「大事なことだぜ、イエスが産まれたところや、ブッダのヘアスタイル、ムハンマドの里帰りについては誰だって知っているが、ゾロアスター教に関して最も有名な逸話といえば、ニーチェの著作ぐらいのものだ」
「ある意味世界で最も有名な同人誌だな」
「それは言えてる」
二人の手から立ち上る煙が風に融けてゆく様を、中谷はぼんやりと見つめた。二人はよく、こうした冗談を言い合っていた。有賀は民俗学の観点から、中谷は戦争史の観点から、共通の話題として宗教に関する会話が多く、ややもすれば冒涜に繋がりかねない談笑に耽りながら、しかし時として次なる研究の手がかりを得ることもあった。
有賀は気候と地理が、そこに生きる人々の信仰に与える影響を理解していたので、世界中の国々が特色ある産業によって発展してきたことは、その国の宗教観と結び付けて論じられると信じていた。だからこそ、常人よりも少しだけ、伝説や奇譚の類を真剣に受け止める用意をしていたのである。
大学卒業後、中谷は都市部の一般企業へ勤め、有賀は図書館司書の仕事のため郊外へ引っ越したが、彼ら二人は暇を見つけては顔を合わせ、互いの啓蒙を深め合う学友としての関係を続けていた。学問が往々にしてそうであるように、彼らの興味は学術的な記録、信頼のおける哲学書など、多くの歴史を収める書籍に向かっていた。片方が興味深い書籍や記述を見つければもう片方へと共有され、それぞれの分野の視点から意見を出し合い、それぞれの分野へ持ち帰る知識を得る。
学友と呼ぶべき関係の、およそ考えられる最上の状態がそこにあり、純粋な学びの喜びが二人の青年の生涯を彩っていた。一度きりの人生が、与えられる以上の時間を有するかのような質量の知識で満たされてゆく営みは、ほかの何よりも生を愉快なものにしたし、同じほどの精力と、微妙に異なる興味を持つ友の存在は、こうした楽しみに付き従いがちな孤独を抹消し、日々をより輝かせて季節を巡らせた。
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