短編/読み切り『隣の手』

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隣の手

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なんだよ。

なんなんだよ。




視線だけを動かすと、窓の外はすっかり暗い。


部屋の中で青白く光るテレビ画面が、ベッドの上で壁にもたれ、横並びに足を投げ出した二人の影を、長く引き伸ばしている。


すぐ隣にある、切羽詰まった、それでいて中毒患者のように虚ろな目。
僅かに首を傾げた親友の肩は、死んだように動かなかった。

その視線は、画面を見つめているようで見ていない。


お前が見たいと言ったから、わざわざ録画したのに、この映画。俺はもう二回も見てんだよ。




思い切って深く息を吸い込む。


「なんか……食う?」

吐き出すようにそう聞くと、

しばらくしてから「いや……いい……」と消え入りそうな、くぐもった声が返って来た。




また静寂が訪れる。
静止画のように、ぴたりと止まった世界。

湿った空気が夕闇の部屋を一層重たくし、触れる布団がひんやりとした。



布団の上にだらりと投げ出した俺の左手に、

隣から伸びてきた指先が、

静かに静かに

またゆっくりと這(は)い始める。


視線だけを動かして、
じっとそれを見下ろしていた。



昔からよく知っているはずの手が、今は、

手首をゆっくりと絞め上げる蛇のようでもあり、

息の根を止めて早く楽にしてくれとすがりつく、狂者の息吹のようでもあった。



植物のツタのようにゆっくりと、

肌と肌が接した一点を、全ての感覚を集中させて記憶していくかのように、長い指先が手首を丁寧になぞっていく。

時折、何かを堪能するように、その指先は僅かに震えた。

さっきまで、ただの「親友の左手」であったものが、今は独立した一匹の生き物に思える。




横並びに座る二人の身体を、手と指の僅か数か所だけが繋いでいる。

その小さな接点だけが、この部屋で、焦げつくように熱を帯び、生命活動を維持している。

冷えた部屋の中で、映画はクライマックスに差し掛かっていた。




どうして、こんな事になる。



「男同士とか、まじひくわ」
そう言ってなかったか?

俺も「お前とは無理だな」と返しただろう。


そんな奴がどうして今、
映画を見ながら、手を重ねてくる。



「彼女出来たって言ったら、ひく?」
「先輩と寝たって言ったら、ひく?」
「あいつの彼女とヤったって言ったら、ひく?」

今まで通り、バカみたいに、顔だけの女と遊んで自慢してろよ。

俺に散々話した、女の好みと遍歴はどうなった。




手首から這い上がり、手先に達しようとする親指が、感触を確認するように、俺の手の甲を何度も何度も、ゆっくりと撫で上げた。

優しく触れているのに、その指先は、確実に何かに飢えている。
欲しくて欲しくて溜まらないと、喘(あえ)いでいる。




昔からバカにみたいに軽いノリの親友が、最近はずっとイライラしていた。

そうかと思えば、急に「男同士ってどうやってヤんの?」と聞くし、俺がバイト先の店長といい雰囲気になったと話しただけでキレ始める。

俺のスマホを見たがる。
俺の予定を知りたがる。
二人になりたがる。

そういう事は、付き合った女にしてやれよ。



思春期のせいだの若気の至りだの、
俺を説得しようとしていた奴が、

なぜ、こっち側に来ようとする。




長い人差し指が、俺の閉じた手のひらの中に忍び込む。
ゆっくりと優しく、徐々に、こじ開けるように、他の指も手の中に潜り込んでくる。




どうして、こいつはいつも、こう簡単に一線を越えてしまう性格なのか。さっきまで普通に喋っていた相手に、突然殴りかかるのとは訳が違う。



その一線を越えたら、

もう親友には、戻れないんだぞ?




飢えた指先が、まだまだ満足出来ないと、触手のように絡みつく。
舐め取るように優しく、俺の左手の自由を、少しずつ奪っていく。



絡んだ指に、少しずつ力がこもる。
本性を表すかのように、貪欲にむさぼり始める。

親友の大人びた手が、されるがままに仰向けになった白い手首に重なる。犯すように激しく指を絡ませる。

快楽にまかせて、むさぼる広い手の甲の間から突き出た、自分の白い指先が、喘ぐようにぴくぴくと動く。


じっとそれを眺めていた。



気がつけば、喉が枯れるように焼き付いている。

映画はいつの間にか終わっていた。




「将来、俺の結婚式で友人代表のスピーチな」
そう笑っていた奴が、どういうつもりで……。


どういうつもりで、


こんな状況に、なるんだよ。





突然、はあ……と苦しそうに吐き出した親友の吐息は、

震えていた。


眉をひそめ、思い詰めたように、うつむく。



そんな表情するな。
誰にも見せたことが無いような真剣な顔なんて、俺に見せてどうする。どうして欲しい。


この前、告白された幼馴染はどうするんだよ。

「よかったな。やっと両想いか」と笑ったら、一瞬悲しそうな顔でこちらを睨んだ。それから無表情でうつむいた。

今思うと、あれは何か、

何か……、決定的な一打だったのか。




俺の手を捕らえ、犯し、喰らうようにむさぼっていた親友の右腕が、

突如、まだ足りないと襲いかかるように、こちらに伸びて来た。



「……ッ!!」



息を吸う間も無く、回転する天井。



壁に映った二つの影が大きく動き、重なる。



ベッドに押し倒される。



上から馬乗りになった親友が、真正面から、苦しそうな表情でこちらを見据えていた。




「な……あ………」



喉の奥から絞り出された、張り詰めた声は、

どこか救いを求めるように飢えて、渇(かわ)ききっていた。




言うな。


言えば、終わるぞ。全部。





目の前数十センチの唇が、出てこない言葉を、ごくりと飲み下す。




ああ、

俺はこんな風に、

親友を失うのか。




低くて暗い、
余裕のない真剣な声が、直接脳に響く。




「なぁ………。


好き、って………言ったら………、ひく?」





ひく?




ひく。




ひくさ。

ひくだろ、そりゃ。




ずっと昔に諦めたはずの瞳に

こんなにも切なく、至近距離から捕らえられている。




数分前まで親友だった奴の熱い手のひらが、

俺の頬を包み込む。



僅かに震える親指が、

俺の唇をなぞる。



元親友の早い鼓動が、訴えかけるように直接伝わってくる。




俺はゆっくり瞳を閉じた。








完。


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