こましゃくれり!!

屁負比丘尼

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先天性じゃじゃ馬の恋路

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 場所はみどり深い庭苑ていえんが映える料亭。月の光と鹿威ししおどしがこうべを垂れ、かえる夜。寂寞せきばくの世界。

 料亭の室内で、女は膝を立て酒升さけますを煽る。品のない姿が、サカシマにみやび。桜散るあでやかな着物で身を包み、おごそかな雰囲気すら漂わせ、彼女は酒精を血に廻す。

「保育園に預けられていた時、ハイハイしかできないはずなのに園から脱走したのがこいつだ」

 安瀬陽光は隣の妹を指さす。対面に座っているのは、お腹が大きい妊婦さん。

「……え?」

 妊婦さんの温和そうな顔が驚きで固まった。

「ふむ、保育園側の監督不行き届きであるな」
「あ、そういう事……」
「小学生の時、神社の賽銭箱を勝手に開けて警察沙汰になった事もあった」
「げ、元気な子供だったん……ですよね?」
「金を盗む意図はなかったでござる。かくれんぼの隠れ場所にちょうど良さそうでの」
「中学生の時、水泳部を盗撮していたロリコン教師をボコボコにして停学になりました」
「……!?」
「高校生の時には『過去にタイムスリップした時に備えて黒色火薬の作り方を学んでくるでござる!!』と言い残し、1カ月以上の家出を──」
「す、ストップ……!!」

 安瀬陽光の婚約者、高木たかぎ千代子ちよみは手を大きく突き出して話を止めた。今日、安瀬は来月に開かれる兄の結婚式の打ち合わせをするために料亭にやってきていたのだ。

「い、妹さんの紹介だよね、これ? ギャグ漫画の話とかじゃなくて?」
「残念ながら、すべて事実だ」
「え、えぇ……」
「そんな不詳の妹だが、来月にはお前の家族の一員となってしまう。どうか気を強く保ってくれ」
「あ、え、その…………ヨロシクオネガイシマス」

 千代美は恐る恐るといった様子で安瀬に頭を下げた。

「こ、コラ! 兄貴のせいで千代美さんが引いておるではないか!!」
「だって、お前のキチガイぷりを認識しておいてもらわないと不味いだろう?」
「誰がキチガイでござるか!!」
 
 今のエピソードを聞いた人間の大半は安瀬の精神性を疑ってしまうだろう。

「というかの、盗撮事件の時は兄者も一緒になって暴れてくれたではないか……覚えておるぞ? 『俺の妹を盗撮した罪は死んで償え』と言って2階から人を放り投げた瞬間を……」

 安瀬は若かりし兄の蛮行を思い出してニヤニヤと陽光を眺める。

「はっ、あれは中々の大立ち回りであったな、兄上?」
「……若気の至りだ。今考えると本当に危ないことをしてしまった……」

 過去の無鉄砲な自分を恥じてか、陽光は頭をぼりぼりと搔く。

「……陽くん、昔から正義漢だったんだね」

 その話を聞いて、千代美は表情を和らげる。キチガイが兄に対して信頼しきった顔を見せたからだ。

「私を痴漢から助けてくれた時も凄かったのよ。一瞬で犯人を制圧して警察に突き出しちゃって……ふふっ、お礼も聞かずに立ち去ろうとした時はちょっとカッコつけすぎな気がしちゃったけどね!」
「ほぅ! それが兄者と千代美さんの馴れ初めでありんすか。興味があるでござる!!」

 2人は初対面であったが、互いに好きな者の昔話で会話に花が咲く。共通の話題を見出したおかげか、わぁわぁと大いに盛り上がり始めた。

「………………」

 話題の人、陽光は居心地が悪そうに黙ってお吸い物をすする。それを飲み終えた後で、2人の会話に口を挟んだ。

「俺の恋路の話は別にいいだろ。それこそ結婚式の余興で聞け。それよりも梅治君とはどうなってるんだ、桜」

 陽光は妹の恋心を完全に見切っていた。安瀬が自分以外に信頼しきった顔を見せる男は彼だけだったからである。

「梅治君が相手なら俺は安心してお前を任せられるよ。だから早く捕まえてきなさい」

 陽光は陣内梅治の事を義弟として迎え入れたいと思うほど、気に入ってしまっていた。

 婦女の名誉を守るために大怪我を負うまで体を張った。また、陣内はこの前の事件のお礼として陽光のもとへ赴き、お礼の菓子折りを渡していた。その2つの事柄が
元より高かった陽光の評価をさらに引き上げた。彼がアル中ということを差し引いても陽光は陣内を非常に好ましく思っている。

「……兄貴の口から、陣内の名を聞くとはらわたを引きずり出してやりたくなるぜよ」

 陣内の復讐計画を黙っていた恨みを忘れていないのか、彼女はひどく腹を立てた様子を見せる。

「い、いや、あれは、未来の兄弟のいさおを立ててあげたくて……」
「クソ愚兄が! この場で切り捨ててくれようか……!!」
「すいませんでした」

 安瀬の噴火を見越して、兄は威厳も気にせずに素早く頭を下げた。

「あ、あの、桜さん?」

 何の話かは分かっていないが自分の婚約者が頭を下げている状況を変えたくて千代美は話題を変えようとする。

「恋人がいるんですか? 桜さん、本当にかわいいから彼氏さんもかっこよさそうですね」
「……で、あるな。拙者はこれでも、幽世の女傑。地元では"生まれる時代を間違えた傾国の美女"と持てはやされておりました……」

 安瀬は持っている升をプルプルと震わせる。

「でも!! あやつ!! 全然!! 我ににならないんじゃ!!」

 そして随分と可愛らしい洋語を口から吐きだした。

「一緒に風呂に入っても全く動揺せんし!! この我を押し倒してもいつも通りふざけておる!! その癖、作るご飯は美味しくて、細かい所に気が利いて……!! 何で我だけこんなドキドキせねばならんのじゃ!! 不公平でありんす!!」
「おいおい、店内で騒ぐなよ。飲みすぎ──え、風呂ぉ!? 押し倒された!?」
「あ、い、今のは出鱈目である。すぐに忘れるんじゃ!!」
「ちょ、ちょっと2人とも……声が大きい」
「あ、いや、悪い…………桜、お前、結構アグレッシブに攻めてるんだな。もっと日和ってると思ってたぞ」
「……まぁ、半年くらいは淑女らしく控えめにやってたでござるが……陣内の奴、ちょっと事情があって熊本城の如く難攻不落での。そんな事を言っていられなくなったのである」

 よく分からない例えを出して、しょぼんっと安瀬は肩を落とす。

「そ、そこでじゃ!」

 だが、それもつかの間。安瀬は姿勢を正して千代美を眩しい瞳で見つめだした。

「今日は千代美さんに是非とも聞きたいことがあるぜよ……!」
「え、私?」
「はい。この唐変木な兄貴を見事に堕としたその手腕。是非、ご教授願いただきたいですじゃ」
「と、唐変木は言い過ぎだろう」
「兄貴、今はちょっと黙っておれ」

 気狂い乙女の恋愛相談。そこに茶々を入れることは兄でも許されない。

「えっと、その……そういったお悩みなら協力できそうなんだけどね?」

 千代美は急な安瀬の頼みに驚きながらも、相談に乗ることにした。

「まず陣内さんってどんな方なのかな? 人柄を教えて欲しいな」
「陣内の……人柄でござるか」

 特に間を開ける事なく、安瀬は陣内梅治という人間の評価を口に出す。

「基本的にはアル中じゃ。大学だろうが公道であろうが、お茶を飲むように常に酒を飲んでおる。学生の分際で手が震えているくらいでござるからな。飲みすぎぜよ」
「…………」

 やはり、おかしな人間はおかしな人間に惹かれるのか……と、千代美は心の中で納得する。

「でも、まぁ」

 ポツリと、安瀬は顔を緩ませて甘い吐息を吐きだした。

「面白くて、優しいやつでありんす」

 そのシンプルで単純な物が、安瀬の心からの評価だった。

「……きっと桜ちゃんにとってお兄さんと同じくらい良い男なのね」
「ふん、それはないでそうろう。兄貴なんぞより100倍は頼りになる」
「うぐっ」
「あら、私のフィアンセをそんなにイジメないであげて」
「あ、いや、そういったわけではなくての……」
「ふふふ、冗談……桜ちゃんはその陣内さんって人の事を良く理解しているのね……とっても素敵!!」
「あ、あはは……ど、どうもでおじゃる」

 安瀬は恋愛という生ぬるい空気を感じて恥ずかしそうに顔を赤らめた。

「それでね、えっと、私が今思いついたがあるんだけど……」
「お、おぉ……!! こ、この短時間で策を思いつくとは、さすが兄貴を堕とした女性でござる!! どのような奇策であるか!」
「あの、すごく言いにくいのだけど……」

 千代美は空気を一白ほど溜める。

「普通の女の子らしくふるまってみたら?」
「……え、…………ふ、ふつ……え、ふつう……普通?」

 安瀬にシンプルな落雷が落ちた。

「さっきのエピソードを聞く限り、どう考えても普段から色々とやらかしてる感じだよね?」
「…………」

 記憶に新しいシェアハウス悪臭事件。陣内と一緒に沐浴までしたのに一切相手にされなかったという悪夢。それを思い出し、うなされる子供のように安瀬は顔をゆがめる。

「あ、あの……千代美さん……普通ってなんでござろうか」
「ま、まずその口調をどうにかしてみたら?」
「……それはダメです。私の口調を、陣内は気に入っていますから」
「!?」

 急に真面目腐った口調になった安瀬に千代美は驚く。やればできる、という事を安瀬は示しておきたかったようだ。

「えぇ? う、うーーん……? なら、もうんじゃないかしら?」
「と、突撃でござるか?」
「うん。世の中には直接的に言わないと察せないニブチンなのが沢山いるんだからね」

 千代美は自身の婚約者を流し目で見る。

「私がわざと終電を逃してみたり、ホテル街で食事しても、この人は全く意図を理解してくれなかったから。……最終的に私のほうから告白したのよ? 信じられる?」
「お、おい。あんまり妹に変なことを教えないでくれ」
「……正直に……き、気持ちを……」
「話を聞く限り、かなり長い間、片思いをしているんでしょう? それならもう気持ちを伝える以外の方法はないと思うのだけど……」
「…………」

 安瀬は静かに酒を煽った。酒と一緒に千代美の提案を吟味する。

(こ、告白……)

 安瀬はここ半年、ずっと告白され待ち状態だった。自分ほどの美女が近くに居て、なおかつ朗らかに笑っている。その状況で恋心を抱かぬ男なぞ存在しないと彼女は考えていたからだ。

(わ、我に告白されて、喜ばぬ男はいない……はず……である。……で、でも)

 陣内梅治は恋愛関係に置いて、かなりめんどくさい部類に入る。単純な美貌や誘惑が通じにくい相手であると安瀬はここ半年で思い知っていた。

「もし……フラれてしまったら」

 安瀬が危惧するのは今の生活の崩壊だった。想いを伝えて失敗すれば、きっと今までの生活は変わってしまう。そう考えると、安瀬はどうしても臆病風に屈してしまいそうになった。

「それはフラれてから考えましょう」
「え?」
「恋愛ってものはね、フラれたらそこで終わりじゃないの。友人関係がしっかりと築けているなら変に執着しすぎない限り、元の関係に戻れるものよ」
「ふ、ふむ」
「それに1回の告白で諦めるのもナンセンス! 世の中には10回告白してようやく恋仲になったカップルだっているんだから!!」
「そういう……モノでござるか?」
「そういうモノです!」
「うぅむ……」

 安瀬はそのバグまみれの思考回路を廻し、告白の成否状況をシミュレーションする。

(まず、成功パターンはこうであるな)

 脳内仮想、陣内梅治は安瀬の告白を受けて真っ赤に顔を染めた。

『え!? …………お、俺もずっと好きだった。だけど、絶対受け入れられないと思ってて……正直、死ぬほど嬉しい、ありがとう。お、俺みたいなクソ馬鹿大間抜けで唐変木の味噌っかすアル中でよければ、どうかよろしくお願いいたします!!』

(うむうむ……!! 我のような女と恋仲になれる幸運を噛みしめておるようで関心であるな!!)

 恋愛経験皆無の糞雑魚喪女である安瀬はどこまでも自分を棚に上げて考える。

(……そ、それで、失敗パターンは)

 仮想陣内梅治2号は覇気のない、ヌボーっとした顔でノンアルコールビールを開封した。

『え、……あ゛ー、悪い。お前は無茶苦茶可愛くて面白れぇー女だけど、今は酒飲んで遊ぶことしか考えられない。……というか、お前だってそうじゃないか? 恋人なんかより酒だよ、酒。こんな話してないで、今から酒屋で新しい酒を開拓しに行こうぜ』

(ま、まぁ、こんな感じでござろうか)

 先ほどの妄想よりはまだ現実的な予想結果が組みあがった。

(…………意外と何とかなりそうでござるな)

 千代美の助言は的を得ている。安瀬と陣内の関係性は、気持ちを知られたくらいで変わるような物ではないし、ましてや嫌われれるはずなど絶対にない。

『彼はそんな人じゃない』

(確か、そうであったな。西代)

 自身に発破を掛けてくれた親友の言葉を思い出し、安瀬はついに腹をくくる。

「で、では、その方向でやってみるでありんす……」


 安瀬は、陣内梅治との関係を進める事を決意した。


「おぉ、頑張れよ、桜。俺の見立てだと絶対に成功すると思うぞ」
「ふふふ、頑張ってね、桜さん」
「う、うむ」

 家族と家族になる者の声援を受け、安瀬の心に乙女らしい勇気が湧き始める。

「…………あ、それで少し話が変わるであるが……」

 安瀬の声音が先ほどとは違い、少し、真面目な物へと変化する。

「千代美さんに、ちょっとお願い事があるでござる」
「私にお願い?」
「は、はい。そ、その……赤子が生まれた後の話である」

 安瀬は千代美のお腹を優しく見つめた。

「千代美さんが真っ先に抱き上げて、兄貴とご家族が触れ合った後で……拙者と一緒に……母の墓参りについてきてほしいでござる」

 安瀬は言葉を選ぶように紡ぐ。

 安瀬の母親は生前、孫を欲しがっていた。安瀬はそれを急死した母の遺言だと解釈しており、なるべく早く、亡き母に孫を一目見せてあげたいと強く願っていた。

「……えぇ、もちろん。私から誘おうと思っていたくらいよ」

 千代美も桜と陽光の母親が亡くなっている事は予め知っていた。可愛らしい義妹の真剣なお願いを、彼女は快く受け入れる。

「あ、ありがとうございます……!!」

 安瀬は、ぱっと柔和な笑顔を作る。安瀬の頼みは、人様がお腹を痛めて産んだ子供を自分の願いで振り回す行為。家族になるとはいえ、酷く気を使ってしまうものであった。

 頼みにくいお願いを許諾してもらい、気が抜けた安瀬は、はにかむ様に表情を変化させる。

「あ、あはは、申し訳な──」

 瞳から一滴の液体が零れ落ちた。

 流星を思わせる綺麗な水の流動。この世で最も美しい、母を想うて湧き出る慈しみの涙。どこまでも深く刻まれ、誰にも治せない彼女の心傷。身を知る雨は、いまだ彼女の心に降り注いでいる。

「……ぇ」

 それを見て、千代美の顔が驚きで固まる。

「…………」

 千代美の表情から、安瀬はすぐに自身の変化に気がつく。

「…………外でタバコ吸ってくるでござる!!」

 空気から逃げるようにして、安瀬は部屋から去った。

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 時間が止まったままの和室。突然の変化に、深く事情を知らない千代美はついていけず、自らの婚約者に助けを求めるように声をかけた。

「あ、あの陽くん──」
「桜にとっては、普通のお別れじゃなかったんだよ」
「え?」
「あれでもかなり吹っ切れたんだ」

 陽光は、去った妹の残滓を見るように虚空を眺める。

「タバコを吸い始めたのは大学に入ってからだし、酒だって、母に付き合ってこっそり梅酒を飲むくらいだった」

 昔を懐かしむような、家族の言葉が響く。

「元のイカれた性格に戻ってくれて本当にうれしいよ」

 安瀬陽光は妹の回復を心から祝福する。そして、同時に思う。

(でも本当に……どうやったんだい、梅治君?)
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