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59:モブの日記帳
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◆ ◆
「何ですって!? どうしてまだ白雪姫が生きているというのよ! 狩人め、確実に息の根を止めろと言ったのに、裏切ったわね!? ええい、忌々しい! こうなったら私が直接あの娘を葬ってやるわ!」
元気のない乃亜を連れて視聴覚室から戻った後も、一年一組の教室では引き続き劇の練習が行われていた。
机を前方に寄せて、空いたスペースに椅子を並べて輪を作り、王妃役の江口さんが輪の中心で大げさなポーズを取っている。
自分から王妃役に立候補しただけあって、江口さんの熱演ぶりは見事だった。
ここにハンカチがあったら噛み千切って白雪姫の生存を悔しがっていたかもしれない。
「そうだ、毒りんごを作りましょう! 白雪姫に食べさせてやるの!」
鏡役の女子生徒の前で、いっひっひ、と江口さんが不気味に笑う。
江口さんたちと入れ替わりに、今度は白雪姫役の吉住が輪の中心に立ち、小人たちと楽しく暮らしている様子が演じられていく。
ただし小人E役の幸太はいない。
彼はまだ視聴覚室から帰ってこない。
有栖先輩たちと何をしているんだろう。
結局、有栖先輩におれが呼ばれた理由もよくわからなかった。
「…………」
王子役として椅子に座り、皆の演技を見守っているものの、正直暇である。
王子の登場は終盤。
毒リンゴによって眠ってしまった白雪姫をキスで目覚めさせる役割だ。
もちろんキスと言っても当然フリだけ。
乃亜に変なやきもちを焼かれては困る。
顔の向きは吉住に固定したまま、おれは目だけ動かして乃亜を見た。
二学期の途中から転入してきた彼女は小道具係となり、教室の一角で、小道具係のメンバーに混ざって毒りんごを作っていた。
青ざめた、浮かない顔で丸い球体を赤く塗っている。
さっきから様子がおかしい。
有栖先輩は違うと否定したが、やっぱり野々原がまた乃亜に何かしたのではないだろうか。
この一週間、乃亜は陰で野々原に虐められていたという。
野々原はおれのことが好きで、恋人になった乃亜のことが許せず、酷い嫌がらせをした。
乃亜は学校でもアパートでも、すれ違う度に嫌味を言われ、小突かれ、別れろと迫られたそうだ。
許せない。そんな奴だとは思わなかった。
おれに手料理を振る舞い、共に過ごした日々を思い返すと、果たして本当に野々原はそんな奴だったかと、時折泡に似た疑惑が浮かぶこともあるが、乃亜がそう言うのだからそうに決まっている。
乃亜は何よりも大事なおれの恋人だ。疑うなどとんでもない。
乃亜の言うことだけを素直に信じればいい。
だから、野々原は敵だ。
乃亜を虐める最低最悪な、憎むべき敵。それでいい――それでいいって、どういうことだ?
これではまるで、納得いかないのに必死で言い聞かせているかのようじゃないか?
「…………」
また思考にノイズが走った。
野々原のことを考えると、どうも落ち着かない。
彼女が流した涙を思い出すと苛々する。
わけのわからない焦燥感に駆られ、大声で喚き散らし、目につくものを手当たり次第に破壊したくなる――
「たーくまっ」
なんだか妙に浮かれた声で名前を呼ばれ、肩を掴まれた。
はっとして顔を上げれば、ニコニコしながら幸太がおれの傍に立っている。
幸太は左手に一冊の本を抱えていた。
この表紙は、不思議の国のアリス?
こいつが童話を読むとは。意外だ。
「……何だよ」
そもそもいつ戻って来たのか。
思考に没頭しすぎていたらしく、全く気付かなかった。
「いいからちょっとこっち来て。ごめーん、度々王子様を抜けさせて悪いけど、急用でさ! ちょっと借りるなー」
「は? なんで――」
「うん、いいよー」
「いってらー」
突然の申し出にも関わらず、あっさり他の出演者たちの了承を得られるあたり、社交性の高さが窺える。
こいつは昔からそういう奴だ。愛嬌と明るい話術で、あっという間に人の心を掴んでしまう。そこら辺は有栖先輩に似ていた。
幸太はおれの抗議を無視して、おれの手を掴み、開きっぱなしの扉へ向かった。
教室を出る前、視線を感じて振り返ると、乃亜がこちらを見ていた。
顔色がますます悪くなっている。青を通り越して白い。
何かを心配しているらしい彼女に、手を振ってみせる。
用件は知らないが、幸太がおれを害することはまずありえない。だから心配することはない。その意思を笑顔に込めた。
幸太はおれの手を引いて、教室の真横で止まった。
てっきりどこか、屋上か人気のない場所まで連れて行かれると思っていたので拍子抜けした。
廊下では文化祭準備中の生徒たちが作業していたり、固まって談笑したりしている。
段ボールを抱えた男子生徒がちょうど前を通り過ぎていった。
「はい。これ読んで」
教室と廊下を隔てる壁際に寄り、幸太は手に持っていた本を差し出してきた。
よく見れば、不思議の国のアリスのイラストが描かれているものの、タイトルは『DIARY』――日記帳だった。
「なにこれ。お前の?」
眉根を寄せる。
「まさか。日記なんて書くかよ、面倒くせえ。これはののっちの日記帳だよ。お前への愛がたっぷり詰まった、な」
事前に目を通したのか、幸太は笑っているが。
野々原の名前が出た瞬間、おれは日記帳を押し返した。
「要らねえよ。なんであいつの日記帳なんて読まなきゃならねえんだよ。しかもおれへの愛って、気持ち悪――いてっ!?」
言い終わる前に、べしっと頭を叩かれた。
「いいからつべこべ言わずに読め。いますぐ。でなきゃ幼稚園からの縁もこれまでだ」
「………………」
わけがわからない。
だが、幸太の目は本気だった。
仕方なくページを開くと、ボールペンで書かれた野々原の文字が目に飛び込んできた。
「何ですって!? どうしてまだ白雪姫が生きているというのよ! 狩人め、確実に息の根を止めろと言ったのに、裏切ったわね!? ええい、忌々しい! こうなったら私が直接あの娘を葬ってやるわ!」
元気のない乃亜を連れて視聴覚室から戻った後も、一年一組の教室では引き続き劇の練習が行われていた。
机を前方に寄せて、空いたスペースに椅子を並べて輪を作り、王妃役の江口さんが輪の中心で大げさなポーズを取っている。
自分から王妃役に立候補しただけあって、江口さんの熱演ぶりは見事だった。
ここにハンカチがあったら噛み千切って白雪姫の生存を悔しがっていたかもしれない。
「そうだ、毒りんごを作りましょう! 白雪姫に食べさせてやるの!」
鏡役の女子生徒の前で、いっひっひ、と江口さんが不気味に笑う。
江口さんたちと入れ替わりに、今度は白雪姫役の吉住が輪の中心に立ち、小人たちと楽しく暮らしている様子が演じられていく。
ただし小人E役の幸太はいない。
彼はまだ視聴覚室から帰ってこない。
有栖先輩たちと何をしているんだろう。
結局、有栖先輩におれが呼ばれた理由もよくわからなかった。
「…………」
王子役として椅子に座り、皆の演技を見守っているものの、正直暇である。
王子の登場は終盤。
毒リンゴによって眠ってしまった白雪姫をキスで目覚めさせる役割だ。
もちろんキスと言っても当然フリだけ。
乃亜に変なやきもちを焼かれては困る。
顔の向きは吉住に固定したまま、おれは目だけ動かして乃亜を見た。
二学期の途中から転入してきた彼女は小道具係となり、教室の一角で、小道具係のメンバーに混ざって毒りんごを作っていた。
青ざめた、浮かない顔で丸い球体を赤く塗っている。
さっきから様子がおかしい。
有栖先輩は違うと否定したが、やっぱり野々原がまた乃亜に何かしたのではないだろうか。
この一週間、乃亜は陰で野々原に虐められていたという。
野々原はおれのことが好きで、恋人になった乃亜のことが許せず、酷い嫌がらせをした。
乃亜は学校でもアパートでも、すれ違う度に嫌味を言われ、小突かれ、別れろと迫られたそうだ。
許せない。そんな奴だとは思わなかった。
おれに手料理を振る舞い、共に過ごした日々を思い返すと、果たして本当に野々原はそんな奴だったかと、時折泡に似た疑惑が浮かぶこともあるが、乃亜がそう言うのだからそうに決まっている。
乃亜は何よりも大事なおれの恋人だ。疑うなどとんでもない。
乃亜の言うことだけを素直に信じればいい。
だから、野々原は敵だ。
乃亜を虐める最低最悪な、憎むべき敵。それでいい――それでいいって、どういうことだ?
これではまるで、納得いかないのに必死で言い聞かせているかのようじゃないか?
「…………」
また思考にノイズが走った。
野々原のことを考えると、どうも落ち着かない。
彼女が流した涙を思い出すと苛々する。
わけのわからない焦燥感に駆られ、大声で喚き散らし、目につくものを手当たり次第に破壊したくなる――
「たーくまっ」
なんだか妙に浮かれた声で名前を呼ばれ、肩を掴まれた。
はっとして顔を上げれば、ニコニコしながら幸太がおれの傍に立っている。
幸太は左手に一冊の本を抱えていた。
この表紙は、不思議の国のアリス?
こいつが童話を読むとは。意外だ。
「……何だよ」
そもそもいつ戻って来たのか。
思考に没頭しすぎていたらしく、全く気付かなかった。
「いいからちょっとこっち来て。ごめーん、度々王子様を抜けさせて悪いけど、急用でさ! ちょっと借りるなー」
「は? なんで――」
「うん、いいよー」
「いってらー」
突然の申し出にも関わらず、あっさり他の出演者たちの了承を得られるあたり、社交性の高さが窺える。
こいつは昔からそういう奴だ。愛嬌と明るい話術で、あっという間に人の心を掴んでしまう。そこら辺は有栖先輩に似ていた。
幸太はおれの抗議を無視して、おれの手を掴み、開きっぱなしの扉へ向かった。
教室を出る前、視線を感じて振り返ると、乃亜がこちらを見ていた。
顔色がますます悪くなっている。青を通り越して白い。
何かを心配しているらしい彼女に、手を振ってみせる。
用件は知らないが、幸太がおれを害することはまずありえない。だから心配することはない。その意思を笑顔に込めた。
幸太はおれの手を引いて、教室の真横で止まった。
てっきりどこか、屋上か人気のない場所まで連れて行かれると思っていたので拍子抜けした。
廊下では文化祭準備中の生徒たちが作業していたり、固まって談笑したりしている。
段ボールを抱えた男子生徒がちょうど前を通り過ぎていった。
「はい。これ読んで」
教室と廊下を隔てる壁際に寄り、幸太は手に持っていた本を差し出してきた。
よく見れば、不思議の国のアリスのイラストが描かれているものの、タイトルは『DIARY』――日記帳だった。
「なにこれ。お前の?」
眉根を寄せる。
「まさか。日記なんて書くかよ、面倒くせえ。これはののっちの日記帳だよ。お前への愛がたっぷり詰まった、な」
事前に目を通したのか、幸太は笑っているが。
野々原の名前が出た瞬間、おれは日記帳を押し返した。
「要らねえよ。なんであいつの日記帳なんて読まなきゃならねえんだよ。しかもおれへの愛って、気持ち悪――いてっ!?」
言い終わる前に、べしっと頭を叩かれた。
「いいからつべこべ言わずに読め。いますぐ。でなきゃ幼稚園からの縁もこれまでだ」
「………………」
わけがわからない。
だが、幸太の目は本気だった。
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